追い付かない気持ちと考え
「え、保健室?」
「うん。良く行く?」
「…あまり行かないかなあ。茉莉は?」
「私もそんなに」
「らしいけど、どうしたの?」
「新しく入って来た保険医が、ちょっと厄介で…」

 唐突に展開されたのは、普通に過ごしていれば行く事は無いだろう保健室の事である。しかし、その話題を出したのが何かと災難続きの沢田なのだから何処か納得してしまうのだ。珍しく彼と同じ空間に居る茉莉は昼休み明けにある英語の小テストの単語を眺めながら淡々と言葉を羅列して行った。そんな彼女と同じ様な答えを持っている麗は歯切りの悪い彼の言葉に思わず首を傾げたのである。


「厄介ってどう言うこと?」
「……リボーンの知り合い、らしくて」
「リボーンってあのデンジャラスな赤ん坊?」
「うん。だから気を付けて欲しいなー、なんて」
「私は特にアクティブでも何でもないから怪我とかは無いと思うけど…」
「そうなん、だよねえ……」

 麗の問い掛けに顔を青ざめさせながらぽつりぽつり、と言葉を紡ぐ沢田はどうやらリボーンの行動を止められなかったらしい。ご愁傷様、これしか言えない。しかし、彼は茉莉に言いたかった訳でもなかった。何と言っても、麗の側には「危険」を体現している様な人物が居るのである。


「……わたし?」




(何でこう言う時に限って思いっきり怪我しちゃうのかな自分!)

 そうやって自分を責めても仕方ない事は分かっている。しかし、そう言いたくなる気持ちは大いに分かる。昼休みに折角沢田が注意を促してくれたのにも関わらず、眠気に負けてぼうっとしていたらサッカーボールに躓いて思いきりコケてしまったのだ。こんな事、雲雀に知られたらどうなるだろうか。いや、鼻で笑われるだけかも知れない。それもそれで腹が立つけど。そんな自分勝手な思考回路で勝手にモヤモヤした気持ちを抱いていると、何時の間にか保健室の前まで辿り着いていた様だ。沢田の話を思い出しながら恐る恐るその扉を開けると、アルコールの臭いが一気に鼻腔を塞いだのだ。


「っ…くっさ」

 思わず鼻と口を押さえるが、どうやら遅かったらしい。鼻の奥をツン、と刺激する様な刺激臭は子供の身体には毒なのだ。室内のテーブルに置かれている瓶には読めない言語が書かれたラベルが貼られている。臭いを嗅いでみれば刺激臭がしたので、恐らく酒だろう。沢田が言っていた「厄介」と言う意味がやっと分かった。しかし、この直後に起こった事により自身の危機感のなさを恨む事となるのだ。
 机の上にあった消毒液を手に取ろうとした瞬間、手首を掴まれ、隣にあったベッドに放り投げられたのだ。一瞬、何が起こったのか分からなくなってしまったのは仕方がないだろう。ぱちくり、と瞬きを繰り返していれば、保険医が上にのしかかって来たのである。


「…ちょ、ちょちょちょ、待ってくださ…っ」
「今日のビアンキちゃんしおらしいじゃーん。なになに?」
(この人誰と間違えてんの!?)
「ちょっ、ほんと、むり…っ」

 ビアンキと言えば、沢田君の家に住んでいる女の人の名前じゃなかったか。あんなグラマラスな女性とちんちくりんなわたしを間違えるってこの人どんだけ見境なしなの。いや、「そんなこと無いよー」とか言って欲しい訳ではなく。汗でべたついた肌を弄る保険医の手はゴツゴツとしていて、「男」を感じてしまって、気持ち悪い。何かわたし、最近こんなんばっかなんだけど酷くない?泣いて良い?そんな事を考えてないと身体が固まりそう。思わず泣きそうになった麗が腕に力を込めた瞬間、のしかかっていた体重が一瞬にして消えたのだ。


「何、生徒に手ェ出してんの?闇医者」
「ひ、雲雀先ぱ…」
「っ…アレ、ヒバリ君じゃん」
「気安く呼ばないでくれる?気持ち悪い」
「口悪いなあ」
「あんたの貞操観念の緩さに呆れてるんだけど」

 それをやってのけた人物は今現在、足を上げている麗の先輩である雲雀だった。長い前髪のせいで目元は見えないが、口元の力加減を見るに怒っている事は確かだろう。彼女はどもりながらも言葉を紡いで上体を起こすしか出来なくて、手元を良く見れば未だに震えが残っていた。淡々と進む二人の会話を右から左に流していると、彼女の手首は雲雀に捕まれており、あっと言う間に廊下に連れ出されたのだ。




「あ、あの、雲雀先輩…」

 雲雀の手によって廊下に連れ出された麗は応接室のソファに腰掛け、彼の学ランを肩から垂れ流していた。カチャ、と僅かな金属音が鳴る。どうやら雲雀先輩がお茶を淹れてくれた様だ。珍しい事もある。こんな事を本人に言ったらブチ切れると思うけど。息を抜いた雲雀先輩は向かいのソファに腰掛けるも何かを喋る訳でもなく、顔を俯かせて太股に腕を置いた。時折聞こえる息遣いに肩を跳ねさせているわたしにはきっと気付いている。


「…君は男に襲われる運でも持ってるわけ?」
「そ……っ、そんな訳ないじゃないですか!」
「何でこんな頻繁に……ああもう」

 別に、こんな事を言うつもりは無かった。けど、僕の口は勝手に動くものだから我ながら驚いた。震えを抑えながら「いつも通り」を貫く目の前の後輩はとても弱くて愚かで、そしてとても、健気だった。ぷるぷる、と顔面に力を込めている日比野は、少しでも気を抜けば涙腺が緩んでしまうのだろう。そんな様子を見ては溜め息を吐く僕は、弱くでもなってしまったのだろうか。


「……怪我は」
「え……?」
「け、が」
「な、無いです……」
「そう……なら、良い」
「あ、あの」
「何」
「来てくれて、ありがとうございます。やっぱり、雲雀先輩って優しいですね」

 ぼそり、と、一見問い掛けに聞こえないその声を聞き返せば先程よりも強めのそれを聞く事が出来た。そしてそれは、わたしの身体を気に掛けている言葉なのである。何時もよりもテンポが悪く間隔が多い二人の会話は珍しかった。この場に他の風紀委員が居れば「どうしたんだ」と逆に心配されるだろうか。そんな自分勝手な想像に思わず口角を緩めた麗は、その表情を雲雀に向け、そっと目を細めた。そこに本音を添えたわたしには、もう雲雀先輩への恐れなどは無かった様に思う。


「……どうしました?」
「…いや、ちょっと、思考回路が追い付かない」
「えっわたし変なこと言いました?」
「うん言った。世界史上一番変な事言った。取り敢えず帰れ」
「あなたアメとムチの使い方雑ですね!?」

 君からは見えないだろう僕の顔が赤いだなんて、君はきっと考えもしないだろうね。


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