目まぐるしく過ぎる毎日の中で
並盛中学校に入学してからと言うものの、聞きたくもないこの打撃音にはもう随分慣れてしまった。何度も聞く地面を舐める時の砂の音やくぐもった呻き声もそうだが、思わず耳を塞ぎたくなるのである。それらを見ない様に手で顔を覆うわたしはまだまだ常識人だと思いたい。それをやってのけてる男の顔には凶悪な笑みが浮かべられており、よほど鬱憤が溜まっていると見える。まあ、その理由も酷く馬鹿らしい事なのだが。
「はい、終わり」
「な、何やってんですか……」
「内部粛清」
「怖いんですけど!お茶菓子盗られちゃっただけでしょうが!駄々こねる子供ですか!」
「君も同罪なんだけどなあ?」
「ごめんなさい」
ぱんぱん、と手に付いた砂を軽く掃えば、空中に生まれた砂埃がふわふわと地面に落ちて行く。そうして何食わぬ顔で伸した男らの顔を見下ろしたのだ。その様子を見ている麗は恐る恐る顔を覆っていた手を下に下ろす。雲雀の何倍もの身体付きをしている男らは地面に伸びており、こう言ったものを見る度に自身の先輩の強さを垣間見るのだ。こうなってしまったのは雲雀さんが楽しみにしていたお茶菓子をわたしが知らず知らずのうちに出してしまったからで、そう思うと下で伸びている先輩方にはかなり申し訳ない。わたしの両頬を掴む雲雀先輩の顔には余り見ない笑みが浮かんでいる。これは怒っている証拠だ。そう言った事は半年以上も側にいれば自然に分かる事で、わたしは咄嗟に謝罪の言葉を口にしたのだ。まあ思いっきり拳骨喰らったんだけど。
「…まあ良いけど、拳骨できたし」
「対価が痛みっておかしくないですか!?」
「そうだ日比野、これから暇?」
「え?ま、まあ…また連れ回す気ですか?嫌ですよわたし、帰ります」
「……沢田とやらに会えるんだけど」
握り締めた拳に一息吹き掛けて満足気に目を伏せる雲雀は、どう見ても中学生には見えなかった。変に色気があると言うか何と言うか。こんな事言ったらまたからかわれるから言わないけど。そんな事を思われているとは知らない彼は何時もと同じトーンで麗に声を掛けた。それを懸命に避けて行くが、「沢田」と言う言葉を出されてしまっては断る事は出来ないのである。思わず鼻で笑った彼はきっと「ちょろい」とか思ってそうである。
わたしって本当現金なやつだよなあ。
駐輪所に駐車してあった雲雀のバイクに半ば無理矢理乗車させられた麗はただただ向かい風を受けて、彼の制服を掴む事しか出来なかった。そうして辿り着いた場所は久し振りに見る沢田家である。その家のインターホンを押そうとした瞬間、彼女の腕は雲雀に掴まれたのだ。何なんだ、と思わず眉を顰めたが、それはすぐに焦った様な表情に変わる事になる。
「ちょ、ちょっと待って先輩!普通に玄関から入りましょうよ!」
「面倒臭い」
「面倒って…っ」
まさか、とは思った。流石に人としての常識はあると思っていたが、まさかここまでとは。そう思ってしまう程にこの人の言動は今までの麗の常識から逸脱しているのだ。まさか「面倒臭い」と言うだけでダイレクトに二階に上る人間は居ないだろう。必死に止めたつもりだったのだが、雲雀の腕はあっと言う間に彼女の身体を抱いており、その時点で彼女はこの傍若無人な先輩に抗う術を持ち合わせてはいなかったのだ。その後の行動は簡単で、彼は塀を足場、物干し竿を支えにして一階の屋根に上り、沢田の部屋だろう窓を開けたのである。
「やあ」
「あなたやっぱり馬鹿でしょう!何が『やあ』ですか!」
「耳元でうるさいんだけど、ちょっと黙って馬鹿(日比野)」
「誰が馬鹿ですか!」
いきなり現れた雲雀に驚きと恐怖を感じているのであろう沢田と獄寺、山本は目を見開いている。しかし、その後に響く麗の声に思わず瞬きを繰り返したのだ。俵担ぎにされている彼女は日曜日にもかかわらず制服で、委員会があった事が分かる。ちらり、と視界を室内に映せば、そこにはハルの姿があった。その瞬間に目を逸らしてしまったのは無意識だった。
「あっれ、麗ちゃんじゃーん」
「ひっ」
「し、知ってたの?」
「いや、あの、えっと…」
「照れてる?身体まさぐった仲じゃねーか」
「身体!?」
「ちょ、ちが…っ」
「お前何してんだ!犯罪じゃねーか!」
来なきゃ良かった、そう思っていた時だった。麗の耳に届いたのはトラウマの元凶、シャマルの声である。思わず出てしまった短い悲鳴がそれを証明している。しかもそれをこんなに人が集まっている所で公言したのだ。恐怖と言うか、恥ずかしさでいっぱいだ。雲雀のお陰で未遂だったのだが。そう言葉を紡ごうとしたのだが、それは伸びて来たシャマルの手によって中断される事となる。しかしそれは一閃の風によって事なき事を得たのだ。
「触んないでくれる」
「先輩…は、入ってます……」
先程の風の正体は雲雀の蹴りだったらしく、それは見事にシャマルの顎に入ってしまっていた。急に現れた雲雀の足にも驚いたがそれは一瞬の事で、麗は床で伸び、目を回しているシャマルの頬を恐る恐る指先でつついてみた。どうやら本当に気絶してしまった様だ。そんな赤ん坊の様な彼女に思わず溜め息を吐いた雲雀は、リボーンの悪ふざけに加担する為に言葉を紡ぐ。
「…今日は君達と遊ぶためにきたわけじゃないんだ。赤ん坊に貸しを作りにきたんだ。ま、取り引きだね」
「待ってたぞ、ヒバリ。麗も久し振りだな、会いたかったぞ」
「えへへ、わたしも会いたかったよ。またお茶しようね」
「おう」
「ふーん。やるじゃないか、心臓を一発だ」
悪人顔をしながら雲雀は言い、沢田のベッドに寝そべっている人間を足で転がしてみる。その横で麗の短い悲鳴が聞こえた気がした。赤ん坊と話してたんじゃなかったの。いくら日比野の好きな沢田とやらがいるからってこの場に連れて来るのはしくったかもしれない。あの闇医者がいるって分かってたら絶対連れて来なかったのに。
「うん。この死体は僕が処理してもいいよ」
「なっ、はあ!?何言ってんのー!?」
「死体を見つからないように消して、殺し自体を無かったことにしてくれるんだぞ」
「いろんな意味でマズいよそれは!!」
「じゃああとで、風紀委員の人間よこすよ」
「委員会で殺しもみ消してんの!?」
少し笑みを浮かべながら言葉を放った雲雀に対して、沢田は目を見開かせてオーバーリアクションな突っ込みをしてみせた。相変わらず声でかい、うるさい。まあ、ここまで反応できるのなら一層清々しいけど。口元に手を当てて死体を見つめている麗の瞳には困惑の色が見えて、やっぱり連れて来るんじゃなかったと、そう思った。その気持ちはその後の一触即発な雰囲気によってより強まるのである。
「何でいるんですか?」
「え、えっと、三浦、さん…」
「何で、ツナさんの家に来たんですか」
「お、おい、ハル…!」
「先輩に連行されただけ、なんだけど…」
そんな雰囲気にしてしまったのはハルの一言である。それによってびく、と震えてしまった肩は隠す事が出来ない。一言目に付いていた疑問符も二言目にはなくなっており、よほど苛立ちが募っている事が分かる。その思いは、山本の制止の声をもってしても留まる事は無かった。その事を分かっている麗は居心地悪そうに苦笑を浮かべて、それをハルに向けたのだ。そこから一向に進まない二人の会話は雲雀の溜め息によって途切れる事となった。
「…帰るよ、日比野」
「えっ、あっ」
「またね」
強引に麗の腕を掴み上げた雲雀の表情は言葉にする事は難しくて、けれど、凄く複雑なものだった。それに思わず目を見開くも、強引に引かれる腕にたどたどしく付いて行けば彼は彼女の身体を再び担いで窓から飛び降りてしまったのである。その時の微かな温もりに安心したのは秘密だ。しかしそれも一瞬で、後ろから聞こえる「果てろ!!」と言う獄寺の叫び声に思わず首を回せば、そこには多数のボムがこちらに襲い掛かって来ていた。思わず目を瞑れば、雲雀は彼女の頭を引き寄せてトンファーでそれらを弾いたのである。
「そう死に急ぐなよ」
物騒な言葉とは裏腹に、雲雀先輩の手はとても温かかった。
「本当に委員会で殺しもみ消してるんですか?」
「そんな訳ないでしょ。何で部下に犯罪勧めなきゃなんないの」
「い、いや、びっくりして…」
黒曜への道を進んでる途中で言った麗の言葉は、酷く馬鹿らしいものだった。酷く力が抜ける、と言えば良いのだろうか。バイクに乗っていなければ、僕はまたこいつの両頬を掴んでいただろう。大通りを抜けて住宅街に入って行く。並盛と違って和風な家が多いここは彼女が常識を持って育って来た、と言う証拠である。
「僕は君にびっくりだけどね」
「え?」
「誰とでも仲良くなれるやつだと思ってたから、あの女と不仲なの?」
「不仲、と言うか、一方的に敵視されていると言うか…」
「…それって『沢田』とやらのせい?」
「せいって訳ではないんですけど…まあ、関わってはいます、ね」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ麗の顔を見る事は叶わないが、おそらく複雑な顔をしているに違いない。雲雀に言いたくなかったのか、その真意を知る事は無いが。先程ちらり、と女の顔を盗み見たが、あの顔は明らかに嫉妬している顔付きだった。少し前に聞いたけれど、日比野と沢田は互いに初めての友達らしい。おそらく、その事に妬いているのだろう。お門違いにも程がある。「ふうん」と意味深に呟いたその言葉を聞いた麗は、焦った様に今まで掴んでいた雲雀の服を離してみせた。
「いや!あの、でも!わたしの問題、だから…」
「…別に口出ししないよ」
「え…」
「僕はそこまでお人好しじゃないからね、君と違って」
「わ、わたしも違うんですけど…」
麗の家が近付いて来たのかバイクの速度はだんだん落ちて行き、過ぎ去って行く景色もだんだん残像がなくなって来た。そして、先程まで雑音混じりだった互いの声も張り上げずとも聞こえる様になって来たのだ。嫌味の様に加わった彼の最後の言葉に彼女はむっと眉を顰めたが、その後に続いた言葉に彼女は嬉しそうに笑みを溢したのである。
「まあ、たまになら話くらい聞いてあげるよ」
背中の君の温もりにガラにもなく緊張したなんて言ったら、君は笑うかな。