不思議な二人の関係性
「はあ!?風邪?」

 早朝の応接室には、麗の驚いた様な声が響き渡っている。室内に居るのはリーゼントの厳(いか)つい男達だけで、毎日の様に見掛けていたあの暴君委員長ではない。草壁曰く、「風邪を引いてしまった」らしい。早朝から呼び出し喰らわせといて風邪で休みって。仕方ないけどふざけてるのかな。


「ああ。それで昨日から病院に…」
「たかが風邪で何で入院してるんですかあの人」
(もしかしてお坊ちゃん…?)

 自分で散々「強いのは僕」って言ってるくせに風邪引いたらすぐに病院って意味分からん。まあ確かに育ちが良さそうな感じはするけど。マナーとか、話し方、とか。そう考えたらわたし、あの人の事何も知らないんだなあ。目の前のお節介焼きな先輩はどうなんだろう。そう思ってちらり、と視線を上に向ければ草壁先輩は何かを言いたそうに唇を動かした。


「まあ、そう言う訳だ。日比野、お前お見舞いに行って来てくれないか?」
「わたしがですか?」
「ああ。委員長がいない分の仕事をオレ達で回さなければな」
「だ、大丈夫です?」
「……何とかする」

 唐突に依頼されたその内容は、麗の瞬きの回数を倍にさせただろう。理屈は分かるけどこの人達って事務職できたっけ、とふと思い出した。恐る恐るそれを問い掛けると、目の前に居る草壁は遠い目をしてぼそり、と呟いた。あ、全然大丈夫じゃないわこれ。わたしが入学する前は雲雀先輩がこの人達の世話をしていたのかと思うと、少しだけ同情してしまう。まあわたしはそんな負担負いたくないから逃げますけどね。




「と言う訳で、お見舞いです」

 六時間目までの授業をきっちり受け、ゆっくりと着替えてからスーパーで果物を買った麗は、今までにない程の笑みを浮かべて雲雀の病室に姿を現した。その時の彼の顔の酷さと言ったら、言葉には出来ない程である。と言うか、仮にも心配して来た後輩に対してその顔は駄目でしょ。何でそんな死にそう、みたいな顔して嫌がるわけ。


「……何で草壁じゃないの」
「先輩が休んだ分の仕事を死ぬ気で回してるみたいですよ。顔死んでましたけど」
「草壁はともかく、他のやつらは脳筋なんだから出来るわけないじゃん」
「週明けの仕事、倍になってそうですね」
「何笑ってんの。お前も道連れだから」
「嘘でしょ」
「敬語」
「ですか」
「馬鹿丸出し」

 心底呆れた様に手の平で顔を覆う雲雀は、深く溜め息を吐いた。失礼すぎる応対をした彼を綺麗さっぱり無視をして、麗はスーパーの袋から林檎と紙皿、ポケットナイフを取り出し、慣れた手付きで皮を剥いて行く。それをしながらヘラヘラと笑みを浮かべる彼女に理由もなく苛立った彼は頬杖を付き、乱暴に言葉を放った。それに対して適当に言葉を返した彼女は、視界の端に感じる違和感に目を細めたのだ。


「…で、何ですかこれ」
「ゲームしてたんだ」
「ゲーム?」

 若干引いた様子の麗の視界には、床に山積みになっている患者の姿が映っている。大体の予想は付いてしまうのが悲しい。これを「ゲーム」と言ってしまう精神が理解できない。やっぱり頭おかしいよこの人。あまりの理不尽さに溜め息を吐きそうになった時、病室の扉が開かれたのだ。


「やあ」
「ヒバリさん!!」
「沢田君?」
「何で日比野さんまで!?」
「上司のお見舞いに来たんだけど、必要なかったみたいなんだよね」
「『上司』って止めてくれない」
「風邪、ですか?」
「まあね。寝てるだけだと退屈だからゲームをしてたんだが、みんな弱くて…」
「んなー!!」

 そこに居たのは沢田だった。どうやら彼もこの病院に入院しているらしい。そんな彼は床に積み重なっている患者の姿に焦った様に声を張り上げている。雲雀が考えた「ゲーム」と言うのは雲雀が寝ている間に物音をたてたら咬み殺される、と言うものであり、そのゲームに負けてしまった末路がこの光景らしい。


「一方的ーっ!?ってか病院じゃありえない状況だー!!」
「…理不尽すぎません?」
「……理不尽?」
(アッこれ自覚ないやつだ)

 雲雀からゲームのルールを聞いた沢田は、顔を青ざめさせて再び声を張り上げている。その隣に居る麗は思わず苦笑を浮かべ、雲雀に声を掛けた。しかし、当の本人は何の事か全く理解していないのだ。無自覚ほど質(たち)の悪いものは無いだろう。こうなってしまえば、彼女が何を言っても理解される事は無いのである。


「あ、あの僕、もうすっかりよくなったんで、たっ…退院します!!」
「だめだよ、医師の許可がなくちゃ」
「やあ、院長」
「いんちょー!?」
「こうして安心して病院を運営できるのもヒバリ君のおかげ。生贄でもなんでもなんなりとお申しつけください」
「『生贄』は駄目じゃないですか?」

 雲雀の病室に突然現れた院長は90度の綺麗なお辞儀と雲雀に対する敬意を披露してみせた。この様子から、この病院は雲雀家から援助を受けている事が分かるだろう。「お坊ちゃん」と言う予想はあながち外れでもなかったりするのだ。言いたい事を告げた院長は既に病室から抜け出している。これは流石に沢田が可哀相である。


「僕もう寝るから日比野も帰れば?」
「え、帰った方が良いですか?」
「え、いや…」

 再びベッドに寝転んだ雲雀は視線をこちらに向け、欠伸をしている。熱は下がったにしろ、まだ怠さが残る今の状況では麗と居ても意味がない。そう考えたのだが、どうやら彼女は彼が眠りに付くまでここに居るつもりらしい。暫く双方の視線が絡み合う。しかし、ふとした瞬間に起こった地響きに彼女の身体はベッドに放り投げられたのだ。
 端から見れば、麗が雲雀を押し倒している様にも見えるその光景は、誰かに見られれば一発でアウトなそれである。今までに感じた事のない近い距離に、じわじわと湧き上がる羞恥心に彼女の頬は段々と赤らんで行く。それに気付いた彼は僅かに口角を上げたのだ。


「顔赤い」
「っな…」
「やらしいね」
「誰がですか!」

 麗の頬を指先で撫でながら呟かれた言葉に、彼女は驚くほど素早く元の位置に戻っていた。思わず笑ってしまう彼女の素早い行動に、雲雀はゆるりと口角を緩めてみせる。真っ赤になった顔を手で覆いながら、目を伏せる。その仕草に思わずムラっと来たのは仕方ない、男の性(さが)だ。


「日比野、梨ある?」
「…ありますけど」
「剥いて。起きたら食べるから」
「……はいはい」

 先程までのからかう様な雰囲気を消した雲雀は、唐突に問いを投げ掛けた。麗は未だに拗ねているらしく、頬の赤みは消えていない。しかし、少し声色を甘くすれば彼女は仕方ない、と言いたげにスーパーの袋に手を伸ばすのだ。単純で、純粋で、馬鹿正直なこの子が側にいればなぜか眠れるのだ。まあ、その前に騒ぎまくるあの草食動物を咬み殺さなきゃね。




 今日は散々な日だった。日比野さんとディーノさんに会えたのは良かったけど、ちびっ子達の後処理させられるわ、ヒバリさんと同室になって咬み殺されるわ、最終的に良く分からない部屋に移されるわ、絶対これリボーンのせいだ。必死のお願いで普通の病室に戻して貰ったオレは売店に向かっている。賑やかだった夕方が嘘の様に、今はとても静かだ。これが普通なんだけどね。
 売店にもさほど人はいなくて、オレはスポーツドリンクを一本だけ買って再び病室に向かう。その途中でスポーツドリンクを少し飲めば、一日の疲れがちょっとだけ取れた気がした。思わずほっと息を付き、オレはある事に気付いた。


「開いてる……?」

 普通なら閉められているはずの病室の扉が少しだけ開いている。誰かが閉め忘れちゃったのかな。そう思ったオレはペットボトルの蓋をしっかりと閉め、扉の隙間に目を向けた。他の患者はいない。あの黒いパジャマはヒバリさんだ。その瞬間、夕方の一件を思い出したオレは急いで病室に戻ろうとした。けど、そこで驚く光景を目にしたんだ。


 ヒバリさんは上体を起こして窓から見える景色を眺めている。その横では日比野さんがベッドに寝そべり、すやすやと眠っていた。そんな日比野さんのふわふわとした茶色い髪の毛を優しく撫でては時たま指先に巻き付ける。どこか擽ったそうに眉を顰める日比野さんの様子にヒバリさんは少しだけ眉を下げて頭を撫で、恋しい、と言う気持ちがある瞳をそちらに向けていた。


「なに、あの、顔」

 そんなヒバリさんを見た瞬間、逃げる様にその場から走り出したオレは悪くないはずだ。


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