意味深な笑みを携えて
「おはよ、茉莉」
「麗、おはよう。あんた、振袖着て来なかったの?」
「さっき起きたんだよねえ。時間なくて」
「私起こしたわよね?」
「あのあと寝ちゃったらしくて」
「へェ…」
「すみません顔怖いです!」
陽が昇り始めてすぐの時間帯、その時間に麗は並盛駅の改札を潜(くぐ)る。そこで待っていたのは着流しを緩く着こなした茉莉だった。何時もは下ろされているその長い黒髪も緩く巻かれ、ラフに纏められている。中学生にして既に色気を放っている茉莉を見ると、自信をなくしてしまうと言うものだ。
一方、麗は寝坊が原因で何時もと変わらぬ私服である。その事を打ち明けた時の茉莉の顔は酷かった。これだから茉莉を怒らせるのは怖いんだ。そんな二人がこの場に集まっているのは初詣に行く為である。
「そう言えば今日はヒバリ、いないのね」
「あー…何かね、用事あるらしいの」
「用事?」
「家の用事か何かじゃない?知らないけど」
「珍しいわね」
「何でも話すとかねえ、恋人じゃないんだから」
並盛駅から並盛神社まで、そう遠くはない。下駄を履いていても痛くならない距離だ。その為、雑談をしながらゆっくりと歩く事が出来る。その時の話題として挙がったのが、麗の先輩に当たる雲雀の事である。どうやら最近、茉莉は彼の事が気になっている様だ。正確に言うと「麗に気のある彼」の事が気になっているのだが、麗がその事に気付くのはもう少し先の事である。
「……先は長いわね」
「うわあ…人いっぱいだねえ!」
「そうね」
冬休みの出来事や課題の話をしていれば、何時の間にか二人は並盛神社に着いていた。そこは人で埋もれており、お祝い事をする人々でいっぱいである。中へと進んでみると、多くの出店が並び、元日だと言うのに活気が溢れている。真冬の寒い中で食べる熱々な物はより美味しく感じるのだ。出店も気になる所だが、二人の目的はお参りとおみくじだ。その事を思い出した二人は鳥居に向かって歩き出した。
「茉莉、寒くない?」
「平気。この上着、あったかいから」
「短いスカート履いて来なくて良かった。こんな寒さで足出したら死ぬ」
「その発言、女子中学生とは思えないわね」
「酷いこと言わないでくれる?」
列に並んでいる間は動きが殆どない為、冷たい風がダイレクトに当たるのだ。こんな時に制服の様な服を着ていれば、凍り付いてしまいそうになる。茉莉が羽織っている上着を覗けば、内側には暖かそうな起毛素材が使われていた。これは暖かいだろう、そう思って笑みを浮かべれば、彼女は同じ様な笑みを浮かべて毒舌を撒き散らしたのだ。この子、将来詐欺師にでもなってそうだな。
参拝の順番が回って来た二人は賽銭箱に賽銭を入れ、鈴を鳴らす。そして二礼二拍手一礼、二回の深いお辞儀と二拍手を済ませば、祈願である。お願いですから平凡を下さい、それがわたしの悲願である。まあ叶う予兆は全くないんだけどね。隣を見れば、茉莉は既に深いお辞儀をしている。それに倣って慌てて深くお辞儀をして彼女の後ろに付いて行く事になったのだ。その後、麗は茉莉から視線を向けられる事になる。
「…どうしたの?」
「あれ、知り合いじゃないの?」
「あっ、京子ちゃん!笹川さんも!」
「麗ちゃん久し振り!明けましておめでとう!」
「日比野、おめでとう。今年もよろしく頼むな」
「こちらこそ、仲良くさせて下さいね」
茉莉が指差す方向を見れば、そこには振袖、袴姿の笹川兄妹が居た。相変わらず似てる所を探すのが難しい兄妹である。しかし、笑顔はとても似ていると、個人的に思う。陽だまりの様な、太陽の様な朗らかで温かいその笑顔は人の心を温かくさせるだろう。久々に見た笹川さんと握手を交わしてその場を離れる。何処かほかほか、とした気持ちになったのは気のせいではない筈だ。
「あ、あれ?」
「何よ、麗」
「あれ…」
「……あ」
おみくじを引こうと歩を進めると、見知った人影が麗の視界に入る。何時もとシルエットは違うが、あの姿勢の良い姿は毎日見ているのだから間違える筈がない。隣では茉莉が眉を顰めているが、そちらを丁寧に対処している余裕は無い様だ。ふと振り向いたその人影に、わたしは思わず目を見開いた。
「え……ヒバリ!?」
「君は、日比野の…」
「橘です。で、麗はこっち」
「げ…」
「ひ、雲雀先輩…何でここに?」
「マジかよ……」
「何溜め息付いてんですか!」
そう、そこに居たのは雲雀だった。用事だと言っていた彼なのだ。そんな彼は黒を基調とした袴を身に纏い、暖かそうな濃い灰色の半着を重ねている。何時ものスラっとした学ラン姿とは違ってゆったりとしたその姿に思わず瞬きを繰り返す。日本人としての正装をしているのだから笑顔の一つでも浮かべれば良いのに、彼は心底呆れ果てた様に眉を顰め、挙句の果てに深く溜め息を吐いたのだ。この人の頭に「失礼」と言う言葉は無いんですか。
「用事があるんじゃなかったんですか?」
「そうだけど?」
「じ、じゃあ何で…」
「これだから」
「へ?」
「だから、これが用事」
「え…」
「『挨拶回り』ってやつだね。一応雲雀家の長男だし」
「やっぱりお坊ちゃ…っ」
何処か腑に落ちたその結論を思わず口にした途端、雲雀は麗の顎を力強く掴んだのである。痛いんですけど。これ絶対ガッて言ったからね、て言うか顔近い!そんな事を心の中で思っていても目の前の彼に届く筈もなく、わたしはただただ目を瞑るしかないのだ。
「その言い方止めてくれる?」
「い、いひゃいでひゅひわりしゃん!」
「何言ってんの?」
(この人絶対分かってるもん腹立つ!)
「恭弥」
「恭弥さん、どちら様?」
こめかみに青筋を浮かべた雲雀は麗の顎を強く掴んだまま、綺麗な笑みを浮かべた。その表情をする時はふざけているとしても怒っていると言う事は既に把握済みである。しかしどうにも出来ない事は分かっているので、ただただ今の状況を受け入れるだけだ。そんな時に雲雀先輩と茉莉がアイコンタクトを交わしているだなんて気付きもしないのだけれど。
「……父さん、母さん」
「楽しそうだったじゃない」
「え、えっと…」
「知り合いか?」
「……後輩、委員会の」
父と母、そう呟いた雲雀の表情は何時もよりも幼い気がした。艶のある黒髪を纏めた女性は綺麗な笑みを浮かべ、麗と視線を合わせてくれている。その隣に居る短い黒髪の男性は色気のある潤んだ瞳で雲雀を見下ろした。その視線に負けず、雲雀は二言だけを簡潔に告げる。その直後、雲雀の父だと言うこの男性は唐突に麗の手を握り締めたのだ。この時点で茉莉は既に出店の方に行ってしまっている。
「ひ…っ」
「君の話は良く聞いている、日比野さん」
「あ、あの、わたしの名前…」
「恭弥さんがたまに話してくれるのよ。その時の恭弥さん、すごく楽しそうで」
「ちょっと!」
「せんぱい、が…?」
唐突に感じた人の温もりに思わず声を漏らすと、目の前の男性は柔らかな笑みを浮かべてわたしの名前を呼んだ。隣の女性曰く、雲雀先輩がわたしの話をするのだそうだ。びっくりして、上手く話せない。思わず雲雀先輩を見ると、そこには少し照れた様子の先輩が顔を逸らして口元を隠していた。ああ、本当、なんだ。
うわ、何だろ。照れるけど、嬉しい、みたいな。
「昨年から恭弥は少し丸くなったみたいでな、君のおかげだと思っているんだ」
「良く笑う様になったものね」
「一時期、荒れていた時はどうなるかと思ったが、安心しているんだよ」
「そんな、わたしこそ、迷惑ばかりで、あの」
「いや、それで良いんだ。これからも頼めるかな……?」
ゆるり、と首を傾げて問い掛けた直後、雲雀の父は麗の耳元である事を囁いた。その一言は彼女の目を再び見開かせるには充分で、そして、頬を赤らめる要因にもなったらしい。戸惑いがちに呟いた肯定を示す返答に彼は再び笑みを浮かべ、彼女の頭を優しく撫でたのである。
『君は多分、恭弥にとって『特別』だと思うから』
その言葉に夢中になっているよそで、茉莉と雲雀先輩のお母さんが意味深な笑みを浮かべてるなんて、わたしは知らない。