不器用な優しさは誰の為か
「はあ……」
「何溜め息吐いてんだ、日比野」
「いや、改めてあの人って理不尽で出来てるんじゃないかと思いまして」
満開になった桜の下、思い切り深い溜め息を吐いたのは心底嫌そうに顔を歪ませる麗である。くるぶしが見える長さの青のプリーツスカート、七分袖のくすんだ色のシャツにGジャンを着込み、足元は白のミュールでシンプルにまとめ上げられている。周りは学ランの集団で囲まれており、彼女はまたもや雲雀から理不尽な呼び出しを喰らってしまったらしい。
「せっかく沢田君からお花見誘って貰ったのになあ……」
「諦めろ。委員長は群れるのが嫌いだ」
「はあああせっかくのお友達との休日…!」
「いつも一緒にいる友人はどうした?」
「…茉莉の事ですか?」
「ああ」
「……別の子とショッピング」
(寂しいのか……)
桜の木に寄り掛かりながら、麗は草壁につらつら、と愚痴を並べ始めた。それを健気に聞いてくれる彼は優しいと言うか、苦労人である。大変な時間である事には変わり無いが、何処か緩やかに過ぎ去って行くこの時間はドガッと言った打撃音のせいで打ち切られた。思わず顔を見合わせた二人の間には「またか……」と言う何やら変な空気が漂っている。
「……日比野」
「な、何ですか」
「様子を見て来てくれるか」
「嫌ですよ!またわたし殴られちゃう!」
「大丈夫だから。委員長、お前には結構甘いと思うから。多分」
「何を根拠に!?て言うか『多分』って!」
半ば無理矢理偵察染みた事に連れ出された麗がその場で見たものは学校の見回りの時に時たま見る機会があった光景である。おそらく沢田らの誰かにやられたのであろう風紀委員が下から雲雀を見上げており、その瞳には恐怖が孕んでいる様に思う。身体の震えもそれを助長させていた。あまりにも見ていられず、彼女は思わず声を掛けてしまったのである。
「ひ、雲雀先輩…?」
「…日比野」
「日比野!久し振りだな!」
「や、山本君まで…!あ、あの、何してるんですか……?」
「……静かに桜を見たくて彼に人払いを頼んでいたんだが、その彼が全然役に立たないんだ」
「…で、どうするんですか……?」
「自分でやる事にした。だから弱虫は」
何処か喧騒が孕むこの空気の澱みが嫌で、声が震えた。おそらく雲雀は気付いているのだろう。だから言葉を紡ぐのを躊躇った、そう信じたい。隣に近付いて来てくれた山本が居なければ、麗はもう少し弱々しい姿をこの場に晒してしまっていただろう。そう言う意味では、山本に感謝だ。そんな事を頭の隅で考えている内に雲雀は何処からか、素早くトンファーを取り出してそれを振り翳したのである。
「土にかえれよ」
その場に響いた呻き声を止める事は出来ず、麗は思わず耳と目を塞いだ。
「日比野、大丈夫か?びっくりしてるけど…」
「…日比野、まだ怖いの?」
「だ、だって、今、音…っ」
そんな麗の様子に気付いた山本は腰を少しだけ下ろし、彼女の顔を覗く。僅かに潤んだその瞳は確かに恐怖を訴えていた。儚い雰囲気の彼女しかしらない彼は思わず狼狽え、その髪を撫でようと手を伸ばす。しかしそれは雲雀のいやにはっきりとした声色で制されたのだ。そんな雲雀はこちらにはちらり、と視線を寄越すだけですぐに彼女の方へそれを戻し、ふと口角を緩めた。
「一年もいれば慣れると思ったんだけど…僕の予想は外れたようだね」
「なっ、慣れる訳ないでしょ!?馬鹿ですか!」
「馬鹿はお前だよ」
「ひ…っ」
「こんなにビビってるクセに、僕と一緒にいるお前は馬鹿だよ」
「…こ、これからよろしくって最初に言ったのは、先輩、じゃないですか……」
「やっぱり君頭おかしいよね」
「急な毒吐き止めません?」
雲雀の軽い言い草に食って掛かった麗だったが、その直後に頬に触れた冷たい金属に思わず背筋にぞくり、とした感覚が走る。けれど、それを与えた目の前の彼は、少し、優しい表情をしていた様に、思う。だから、変な事を言ってしまったのだろうか。そんな気持ちを抱いているなど露知らず、先程の柔らかな表情は何処へやら、キツい暴言をぶつけられた。そんな時、この場に居た人間全員の耳に軽やかな声が入って来たのだ。
「いやー、絶景!絶景!花見ってのはいいねー♪」
「Dr.シャマル!」
「ひ…っ」
「まだいやがったのか!!このやぶ医者、ヘンタイ!スケコマシ!」
「オレが呼んだんだ」
「赤ん坊…」
「…まあそんな顔すんな、オレ達も花見がしてーんだ。どーだ、ヒバリ。花見の場所をかけてツナが勝負すると言ってるぞ」
「なっ、なんでオレの名前出してんだよー!!」
その声の正体は麗が苦手で苦手で仕方がないシャマルだったのだ。思わず雲雀の学ランをきゅ、と握り、その陰に隠れる。それに気付いた雲雀も思わず顔を歪め、鋭い眼光をリボーンに向けた。その視線に応えた言葉は、まるでこうなる事を分かっていたかの様だ。
その後に持ち掛けられたリボーンの提案に、雲雀は後ろに居る彼女の姿を視界の端に映す。ここをさっさと切り抜ければ、日比野を逃がしてやれるかもしれない。雲雀の脳内にはそんな考えが浮かんだのである。その雲雀は、サシで勝負をし、お互いがヒザをついたら負け、と言うルールを課した。
「ええ!それってケンカ!?」
「やりましょう、10代目。いや、やらせて下さい!」
「一応ルールあるし、花見してーしな」
「みんなやる気なのー!?」
「心配すんな。その為に医者も呼んである」
「あの人、女しか診ないんだろ!!この中じゃ日比野さんだけじゃん!」
「いや、その日比野が一番あぶねー気が…」
雲雀が課したそのルールを聞いた沢田は頭を抱えて声をあげたが、沢田を除く山本と獄寺は雲雀と戦う意欲満点な様だ。しかし、沢田の突っ込みに言葉を濁した獄寺は先程の必死な形相を隠し、伏せた目で麗に視線を寄越した。一方で、彼女にゆっくりと魔の手が近付いて行ったのだ。
「麗ちゃん、久し振りだなあ。元気してた?」
「ひ、あ、あの…」
「照れてんの?」
「ちが…っ」
「消え失せろ」
女好きとして有名なシャマルは獄寺の予想通り、前に居る雲雀ではなくその後ろに居る麗に声を掛けた。去年一番の事件を思い出すこの距離は彼女の心臓に酷く悪いもので、声が震えるのを抑えられない。ゆっくりと頬へ伸びて来る手に思わず目を瞑ると、その瞬間にその場に痛々しい打撃音と叫び声が響いたのである。そろり、と目を開けると、そこには地面に倒されたシャマルとそれを足で踏み付ける雲雀が居た。
「あんたはいちいちこいつに構わないと生きて行けないの?馬鹿なの?」
「待て待て待て!落ち着け!もう襲わねーって言っただろうが!」
「信じる訳ねーだろうが!アホか!」
殺気の籠った視線でシャマルを見下ろし、その身体を踏む足に力を加えて行く。その力は焦ったシャマルの言い訳を前にしても止まる事は無かった。獄寺の言う通り、それは当たり前である。沢田はふと後ろで目をきょろきょろさせている麗を視界の端に捉えた。目を泳がせている彼女だが、何も行動を起こさない所を見るとシャマルを助けるつもりは一切ないのだろう。そんな事を考えている時、雲雀はふと彼女の方に視線を向けたのだ。
「君もだよ、日比野」
「へっ…わたし、ですか?」
「その警戒心のなさ、どうにかしたら?」
「けっ、警戒心ぐらい持ってます!」
「どうだか。そんなんだといつか犯されるからね」
「お、おか…っや、やらしいこと言わないで下さい!」
唐突に名指しされた麗は先程までのきょろきょろした目の動きを止め、ぱちくり、と瞳を瞬いた。溜め息を吐き、心底呆れた様に吐き出された雲雀の言葉達に彼女はぶわわわ、と顔を赤らめる。しかし、それは彼も同じなのである。年下でいつも元気、そして、性的な雰囲気を醸し出さない彼女から放たれた「やらしい」と言う言葉はドキリ、と身体を熱くさせたのだ。そんな反応を隠す様に、彼は彼女の頭を鷲掴みにしたのである。
「わっ、ちょ、痛いですってば!」
「うるさいお前ほんと腹立つ」
「何がですか!」
「しばらく日比野のこと見てなかったけどさあ、何か分かっちまうよなー……」
「リア充爆ぜろってこんな感じなのかな……」
「あのヒバリも、日比野を前にしたらただの男って事っすね……」
ギリギリ、とこめかみに響くごつごつとした雲雀の力に思わず顔を歪め、麗はその手を掴もうとするがそれはなかなか叶わない。それに加え、投げ付けられた理不尽な暴言に彼女も思わず吠えたのだ。一方、その光景を見ていた沢田らの瞳は何処か生暖かい。先ほど僅かに顔を赤らめた雲雀の反応に気付いたらしい沢田らは、その雲雀の想いにも気付いてしまったのだ。沢田は元々知っていたのもあるが、この光景を見て確信を得たのである。
「まあ、喧嘩の件とは別っす!10代目。オレが最高の花見場所を、ゲットしてみせますよ!」
「えっ、でも獄寺君、相手は…」
「まぁ見てろ。麗、お前も来い」
「えっ、あ、あの…」
「…日比野、邪魔だからその後ろにいて」
自信あり気な笑みを見せた獄寺を心配する沢田だったが、その心配もリボーンに流される事になる。こう言う所があるから沢田は何でもかんでも面倒ごとに巻き込まれると、本人は何時気付くのだろうか。その横では麗がリボーンと雲雀を交互に見やり、少し居心地が悪そうにしていた。そんな彼女を気遣ったらしい雲雀だったが、如何せん口下手な為、その真意は届かないのである。
「じゃ、邪魔ですか……?」
「……危なくない所にいろ」
「っ…は、はい!」
「…あいつもあめーな」
(ったく…調子狂うな……)
それどころか邪見にされた事を気にする次第である。僅かに潤んで見える(完璧気のせい)麗の双眸に弱い雲雀は、最終的には素直に言葉を伝えるしかないのだ。しかし、そうすれば嬉しそうに笑う彼女が見れる為、正直万々歳なのである。そんな彼の様子を暫くの間見ていたリボーンはニヤリ、と口角を上げてみせた。それに気付かない雲雀はふわふわとした黒髪を雑に掻き、何処か恥ずかしげに溜め息を吐いたのである。
その直後に始まった獄寺、山本との喧嘩は全て雲雀の勝利となった。しかし、最後に残った沢田との喧嘩は意外にも互角だったのである。そうなる為には沢田が死ぬ気にならなければいけないのだが、その死ぬ気と言うのも五分間と言う制限時間付きの為、その場凌ぎにしかならないのだ。その隙を突いて雲雀はトンファーを振り翳して攻撃を再開するが、それは唐突に終わりを告げた。沢田は何もしていない筈なのに、目の前には膝を着いた雲雀が居たのである。
どうやらそれはシャマルの仕業らしく、彼は殴られた瞬間にトライデント・モスキートをヒバリに発動したのだ。シャマル曰く、今回の病気は「桜クラ病」と言い、桜に囲まれると立っていられない病気らしい。その間に立ち上がった雲雀はフラフラ、と身体を揺らしながらその場を立ち去って行ったのだ。
「雲雀先輩!」
「……何で来たの?」
「な、何でって…」
「約束、沢田達とあったんでしょ」
ふらふらする。身体も熱いし、何か熱っぽい。思考もままならないし、あのヤブ医者、次会ったら今度こそ咬み殺す。あんな草食動物共に負けたのは悔しいけど、あの赤ん坊の事だし全部分かってたんだろうね。それでも余計に腹立つけど。そんな事を考えていた時、後ろから今はもう聞き慣れてしまった声が聞こえて来る。まさか来るとは思ってないし、こっちを選ぶなんて思ってもみないんだけど。無意識に眉を顰めていた僕は下に見える日比野の頭頂部をぼうっと見下ろした。
「し、心配だった、ってだけじゃ、だ、だめですか!」
「…君ってさあ…」
「は、はい」
「ほんと、人のこと振り回すの上手いよね」
本当は雲雀先輩が行っちゃってから、もう一回沢田君に誘われた。「一緒にお花見しないか」って。けど、どうしても心配で。こんなに弱ってる先輩を見るのは初めてで、どうしてか、気になって。だからつい、沢田君のわたしを呼ぶ声を振り切って先輩を追い掛けた。
思い切って言ってみたけれど、返事は無い。心底呆れてるかな。それとも、「心配される筋合いない」とか何とか言われて軽蔑されるかな。けれど、現実の雲雀先輩の反応はそのどちらでもなくて、目の前の先輩は、酷く柔らかく笑んでいた。病気とやらに掛かってるからか頬は少しだけ赤くて、瞳はいつもより潤んでいる。けれど、柔らかく緩んでいるその口角は確かに嬉しそうだった。その綺麗で、少し可愛い笑顔に見惚れていたけれど、わたしはふと我に返って言葉を言い返す。
「そ、それは雲雀先輩じゃないですか!」
「どこが。僕は生粋の常識人だよ」
(どの口が…!)
「そうだ。日比野、ご飯食べに行こう」
「は、はい!」
「日比野の奢りね」
「わたし完璧被害者なんですけど」
桜が似合うこの人が、すごく大切になっている事に気付いた。