近しい距離に苦笑い
「おはよう、沢田君」
「日比野さん!おはよう!」

 四月上旬、今日から二年生になる。久し振り、とも言えない並盛中学の校舎は相も変わらず平凡なクオリティである。視界いっぱいに広がるそれに思わず苦笑を浮かべていると、その視界の端に重力に逆らった髪が映る。沢田だ、お花見場所取り争奪戦以来だろうか。約束を断ってしまった手前、気まずいと感じていたが、どうやらそれは自分だけだった様だ。優しげな笑顔は、唯一の癒しである。


「クラス、どうだった?」
「A組だよ!日比野さんは?」
「B組みたい……また離れちゃったね」
「そっかあ……」

 ふと投げ掛けられたその問い掛けに麗はクラス表に目を通す事にした。「日比野 麗」と言う名前があったのはB組の欄で、またもや沢田や京子とは違うクラスらしい。彼曰く、獄寺や山本もA組となっているらしい。これでロンシャンが同じクラスだった日には死んでしまいそうだ。幸いにもそう言った事にはならなかったらしいが。


「あ、茉莉!おはよう!」
「おはよう麗、朝から元気ね」
「茉莉が根暗すぎるんだよ!」
「あんたは二年になっても口が過ぎるわね」
「ごめんなひゃい」

 新学期が始まってから早くも充分に癒されていた麗だったが、そんな彼女の視界には親友である茉莉の姿が映り込んでいた。ブンブン、と手を大きく振ると茉莉は呆れた様に口角を上げながらこちらに歩み寄ってくれる。そして、わざとらしく自身を茶化す麗の両頬を思い切り掴んだのだ。そんな二人を「どうどう」と宥める沢田は思わず苦笑を漏らす。そんな彼の姿を、茉莉はふと目にしたのだ。


「沢田じゃん。おはよう」
「お、おはよ、橘」
「あれ、緊張してる?」
「話すの、初めてだと思うから…」
「そう言えばそうだっけ。私の名前、良く知ってたわね」
「日比野さんと話してると良く出て来るからね」
「変なこと言ってないでしょうね」
「何で最初に疑ってかかるの!」

 何処か何時もと違う様子の沢田を見て、麗は首を傾げる。しかしその後の彼の言葉に思わず頬を赤らめたのだ。そんな彼女をじとり、と横目で睨んだ茉莉は相変わらず麗を茶化す事が大好きな様だ。そんな二人を見て思わず吹き出した彼は我に返り、頬を赤らめた。そんな彼の様子に二人は暫くの間視線を合わせたが、その二人も嬉しそうに頬を緩めたのである。


「そう言えば茉莉、クラスどこだったの?」
「……A組だわ」
「何で?」
「どう言うこと!?」
「ちょ、ヤバくない?最悪わたし、知り合いいないんだけど。あっ一緒にご飯は食べようね!」
「うるさい」
「ごめん!」

 何気ない問い掛けに返って来た予想外の答えに打ちのめされた麗は混乱しきっているその言葉を、沢田に思い切り突っ込まれた。そんな様子をただただ眺めている茉莉は呆れ返っている。その時の瞳は「この子は本当に不器用だな」と言った憐れみがある事を物語っていた。たまに嘘だと言いたくなる程に大人びる麗だが、こう言う一面を見てしまうとこの少女の本質はやはり馬鹿なのだと認めざるを得ないだろう。




「茉莉、お迎え来たけど…」
「あ、麗。ちょっと待って、すぐ行くから」
「そんなに急がなくても良いのに」
「いや、この空間から速攻出て行きたいなって…」
「どうして…」

 始業式とHRを終わらせ、麗はA組の扉からそっと顔を覗かせて茉莉の姿を探して行く。早い段階で麗の視界に入った茉莉は何処か急いだ様子でHRの時に渡された配布物を鞄の中に仕舞い込んでいた。そんな様子の茉莉はこの一年間では見た事がなく、麗は頭の中で疑問符を幾つも浮かばせる。その理由と言うのが今聞こえた元気な声色である事はすぐに明白となったのだが。


「な、内藤君…」
「内藤君なんて他人行儀だね!ロンシャンで良いよ!」
「いや、丁重にお断りさせていただきます……」
「日比野とロンシャンって友達だったのか?」
「と、友達って言うか…」
「ストーカーよね」
「ん!?」

 冬以来会ってなかったロンシャンを久し振りに見ると、彼の派手さが余計に際立って見える。それは麗が付き纏われている、と言う要因もあるのだが、当の本人がその事に気付く事は無いのだろう。ぎゅっと両手を包み込む様に握られれば思わず身体を引くが、見た目よりも強いその力には抗う事は出来なかった。そんな二人の関係を一言で表してみせた茉莉に、沢田と山本は思わず引き攣った笑みを浮かべたのだ。


「す、ストーカー?」
「ロンシャンお前何やってんの……?」
「だからストーカーじゃないって!沢田ちゃん達が誤解しちゃうでしょ!」
「誤解も何も真実じゃない」
「だから違うって!熱烈なファンだから!たまに気になって後を付ける時はあるけど」
「それストーカーじゃん!」

 思い切り引いた様なその表情は心底ロンシャンを罵っている。ふと横を見れば、茉莉も同じ様な表情を浮かべていた。そんな異様な空気に気付きもせず、彼は弁解を始めている。しかし、それを聞いた沢田は正論でしかない言葉をロンシャンに投げ付けた。そんな沢田の隣では獄寺でさえも麗を同情染みた目で見つめている。


「お前ってある意味トラブルメーカーだよな……」
「真のトラブルメーカーに言われたくないんだけど」
「んだとてめェ!」
「また学校でタバコ吸ってる!没収対象になるって言ってるでしょ」
「返せ!こンのトラブルメーカー!」
「さっきの会話エンドレスだから止めません?」

 何時の間にか隣に居た獄寺は心底憐れみを込めて麗に言葉を送るが、彼女はそれを見事に流して彼が口に咥えていた煙草を指と指の間に挟んでみせたのだ。それで怒らない彼はもはや「獄寺隼人」ではない。しかし、何時も傍若無人な先輩を相手にしている彼女にとってはさほど問題ではないのだ。今の問題はその間に割り込んで着々と距離を詰めて来るロンシャンなのである。


「日比野ちゃん聞いてよ!橘ちゃんがまた苛めて来るんだけど!」
「苛めてないわよ!取り敢えずその手を離せ」
「ねえどう思う?」
「い、いや、あの、内藤君、あの…」
「ん?」

 クラスが離れて心の底から安堵していたその瞬間からこの騒ぎである。これを楽しげに見ていたA組の人も飽きてしまったのか、さっさと帰路に付いている。「急がなくても良い」とは言ったがここまで足止めを喰らうとは思っていなかった為、正直さっさと手を離して欲しい。しかしそれを言う暇は無く、ロンシャンはどんどんと距離を詰めて来るのだ。


「近い……」
「…そんなに近くないでしょ?」
「ひいいっ」
「何やってんの馬鹿近いよ!」
「良いからさっさと離せって言ってんのよ万年発情期!」

 決してロンシャンと目を合わせない様にしよう、と意気込んだ矢先に、彼はずいっとこちらに身を乗り出す。思わず漏れてしまった悲鳴はもう仕方のない事である。その様子を目にした沢田は焦って距離を空けようとするが、それとほぼ同時に行動を起こしたのが茉莉だった。彼女はすらり、と伸びた白い足を振り上げ、それの踵をロンシャンの顎に打ち当てたのだ。その瞬間、教室に響いた鈍い音に、その場に居た全員が思わず耳を塞ぐ。そして、倒れたロンシャンに呆れた様な白い目を向けたのだ。


「……帰ろっか」
「…そうだね。日比野さんも途中まで一緒に行こう」
「駅まで送るわ」
「にしても新学期早々激しいな……」
「山本、言うな。触らぬ神に祟りなしだぜ」

 どうやら今年も大変賑やかな年になりそうだ。


prev back next

top