知らないふりと嗜めて
「はい」
「…何これ?」

 雑に添えられたその声と共に現れたのは最近になって漸く見慣れた、並盛町と黒曜町のちょうど境目に位置するケーキ屋のボックスである。それをゆっくりとローテーブルに置いた麗はぼすっと音を立てて黒のソファに身体を埋めた。そのボックスを見た雲雀の顔は歪み、何処か呆れた様子だった。それもその筈、確かに「ケーキを買って来い」と命じたが何時でも良い、と言ったのだ。その優しさが彼女を怯えさせている事は知らないのだが。


「何ってケーキですよ。あなた、自分が頼んだ事も忘れたんですか?」
「馬鹿にしてるの?」
「断じてしてません。してませんのでトンファーちらつかせるのは止めて貰えますか」

 表情筋を緩めずに人知れず冷や汗を垂らした麗がそう言葉を投げ掛けると、この場には冗談とは言いがたい雲雀の舌打ちが響き渡った。それに対して「舌打ちも止めて下さい!」と声を荒げる姿は、この一年半で随分と見慣れたものだ。最初の頃は危なげな印象を持っていたこれも、今では何処か微笑ましい。それも、風紀委員全てが雲雀の気持ちを察しているからなのだが。


「何、このキラキラしたやつ」
「七夕ケーキって、お店の人に教えて貰いました」
「…なるほどね。その『期間限定』ってやつに見事に引っかかったわけ」
「い、いいい良いじゃないですか!何ですかその顔!にやにやしないで下さい!」
「ガキだなって」
「怒っても良いんですよね?」

 何時の間にかケーキのボックスを開けていた雲雀はその中身を覗き込み、それらの中でも一層異色を放っているケーキを指差した。それは麗が衝動的に買ってしまった物である。今日が七夕と言う事で、本日限定と言う形で売られていたケーキだった。それを売り込む店員の口車に見事に乗せられ、麗は財布の口を開けてしまったのである。それをものの数秒で見破った彼はやはり侮れない人物だが、鼻で嘲笑ってみせた彼に青筋を浮かばせた麗は決して悪くはない筈だ。


「まあ何でも良いや」
「出かけるんですか?」
「商店街の方の見回り行って来る」
(商店街行くなら何で買って来いとか言ったのこの人)
「…草壁」
「はい!お供いたします!」

 怒りそうな麗を放置して、雲雀はギシ、と音を響かせて立ち上がる。その瞬間から怒りを忘れた彼女だが、その後に続く彼の言葉に思わず口角を引き攣らせたのだ。もちろんただの嫌がらせだと言う事には気付いている。また、心の中で呟いた彼女の気持ちにも気付いているのだ。しかしそれを詰問する事はせず、彼は扉へと近付いて行った。その様子をじっとみつめていた彼女は、ふと天井を見上げる。


「…ねえ、先輩」
「何だ?」
「あの二人って仲良いですよねえ……」
「委員長と副委員長の事か?」
「委員長の実力に付いて行ける人はあの人だけだからなあ」
「…やっぱり、男の人だからなのかなあ」

 雲雀が居なくなった応接室の空気は何処か緩やかで、今まで給湯室や別のテーブルの周りに居た数人の風紀委員は真ん中のローテーブルに集まり出した。そして、麗が別の店で買って来たらしいシュークリームを頬張る。バニラビーンズが混ざったカスタードクリームは甘すぎず、男性の嗜好にも当てはまっていた。そんな中で響く麗の声は何処かしおらしく、委員らは思わず顔を見合わせたのだ。


「委員長は、お前にはかなり甘いだろ?」
「…これ、答えても自惚れになりません?」
「ならない」
「……まあ、最近は優しいなあ、って思う時もあります、けど」
「けど?」
「何か、仲間外れみたいです。まあわたしが弱いからなんでしょうけど」
「…だからじゃないか?」
「え?」

 委員の一人は喉を震わせて笑い、麗を試す様に問いを投げ掛けた。それに思わず瞬きを繰り返したが、彼の意図が分かったのか、戸惑いがちに彼の顔を見上げる。そして、ぼそぼそ、と恥ずかしげに言葉を紡いだのだ。それを聞いた彼の言葉に、彼女が思わず顔を上げると、そこには柔らかな笑みを浮かべた男が居た。嗚呼ほら、何でそんな、見守る様な、そんな顔。


「嫌なんだよ、日比野が傷付くのが」
「…わたし、この委員会のやり方は知ってますし、何でもかんでも首突っ込まないですよ」
「けど、色んな奴に狙われてるだろ?」
「うぐ…」
「心配してるんだよ、あの人は。分かってやってくれ」
「…分かってますよ」

 戸惑いがちに主張する麗の言葉も、委員らの前では全て跳ね除けられてしまう。それに思わず言葉を詰まらせた彼女も本当は理解しているのかも知れない。その予想は当たっていた様で、呆れた様に苦笑を浮かべては自身の気持ちを誤魔化す様に指をなぞる、と言った行為を何度か繰り返した。


「あの人、すごく優しいです。いつもいつも助けてくれるんです。いつも、貰ってばかりなんです。だから、何か返したいんです」
「与えられるだけは、嫌か?」
「嫌です」
「そうか……でもな」

 麗の脳裏に浮かぶのは、助けてくれるのは何時だって雲雀だった。厳しい人だと思われているけれど、口論だってするし彼女のおふざけにも付き合ってくれる。この一年半側に居て、その事が良く分かった。だからこそ、彼に何か返したかった。文句を言いながらも最後には許してくれる彼に、気持ちを返したかったのだ。そんな彼女の気持ちを全て分かった上で、委員の一人は優しく言葉を紡ぐ。


「それでもあの人は、お前を守り続けると思うぞ」

 その気持ちは嘘じゃないはずなのに嬉しいと思うのは、おかしい事なのだろうか。




 見回りから帰って来たら、日比野が僕の椅子に座って眠っていた。買って来たケーキは食べてしまったみたいだ。皿の上に少しだけ残った生クリームを指ですくって舐める。口の中に甘ったるい感覚が広がった気がした。日比野を起こさない様に、静かに僕の机に腰掛ける。こんなにも近付いているのに起きないこいつには本当に危機感が足りないと思う。だからあのヤブ医者に、会う度に狙われるんだよ。一度だけそれを言った事があるんだけど、思いきり泣かれたからもう二度と言わないと心に決めた。
 ふわふわ、と癖の付いた茶髪にそっと指を入れる。所々で止まるその動きに、僕は思わず眉を顰めた。一応女子なんだから定期的にクシで梳かせよこいつ。馬鹿なの?そんな馬鹿女の顔が見たくなって腰を折り曲げたと同時に、ギシ、と僕の椅子から音が鳴った。びく、と肩を揺らしたけど、どうやら顔を動かしただけらしい。紛らわしいな。すう、と静かに息を吐いた日比野は心底安心しきった顔をしていて、馬鹿みたいに幸せそうだった。


 信頼、されているんだろうか。嬉しいと思えば良いのか、男として見られてないと複雑な気持ちになれば良いのか、正直どっちか分からないが。瞼にかかる前髪を横にどけてやればくすぐったいのか、少しだけ眉を顰めている。そんな日比野を見て頬を緩ませる僕はもう、かなりこの女にほだされていた。
 ただの雑用係として側に置いていたはずなのに、「守る存在」になっていたのはいつからだったか。いつもはうるさいくせに、たまに見せる透明がかった儚い雰囲気に惹かれ始めたのはいつからだったか。頬にかかる髪をそっと耳にかけ、顔を近付ける。さっきよりも近付いた距離に照れる、なんて事は無かった。寧ろ、傷一つないその顔を汚す事への背徳感の方が大きかった気がする。そっと重なる二つの影は、やはり誰にも見られずに離れて行ったのだ。


「君は、いつになったら気付くのかな」

 一瞬だけ触れた僕の体温にも気付かずに馬鹿ヅラで眠りこける日比野は、時折身体を震わせる。その様子を見ては苦笑を浮かべた僕は日比野の髪の毛を撫で回し、机から降りた。わざとらしく出した言葉は、きっとこの子には聞こえてないんだと思うけど。そして、思わずくっ、と笑ったらしい僕はそのまま応接室を後にしたのだ。


「っ…あんなの、気付くに決まってるじゃん……」

 そう言葉を溢して顔を真っ赤にする後輩の存在を、僕はまだ知らない。


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