真夏の熱に犯されて
ピーヒャラ、と言った笛の音がそこらかしこから聞こえて来る。これを聞けば夏だなあ、と思ってしまう自身はやはり日本人で、生まれながらの日本の趣を楽しんでいる証拠なのだろう。周りを見渡すと、家族連れの人や友達同士で来ている者、「デート」と称して訪れている恋人同士と様々である。そんな中に居る麗は、そのどれにも当てはまる事は無かった。しかし初めて来た並盛町の夏祭りに興奮しているのは確かである。
「出店、いっぱいありますねー!」
「毎年こんな感じだけど」
「人も結構来てるみたいですし!」
「『並盛の夏祭り』と言えば花火もあがる今日だからな」
「あ!りんご飴!買って来ますね!」
「ちょっと日比野、お前何しに来たと思って…」
楽しげな笑顔を浮かべて立ち並ぶ出店に視線を向けると、楽しそうな人々の笑顔と食欲をそそる匂いが麗の身に降り掛かる。それの横で歩く雲雀と草壁は何時も通りの凛々しい面持ちだ。それが仇となってか、三人に近付く人間は居なかった。最初は戸惑いの感情が多かったが、数時間もこの調子では開き直ってしまうと言うものだ。「活動費の徴収」と言う名目で来たものの、麗はそんな目的や雲雀の制止の声など露知らず、視界の端に映った「りんご飴」の店に掛けて行ってしまったのである。
「…委員長、日比野、もういませんよ」
あまりに自由すぎる麗の行動に頭を抱える雲雀の存在など、知らないままだ。
「本当にいらないんですか?」
「いらない。食べて来た」
「せっかくのお祭りなんですから買えば良いのに…」
先程の店で買って来たりんご飴を舐めながら、麗は再び並盛神社の中を歩く。その頭上には大きなたんこぶが出来ており、雲雀とひと悶着あった事が伺える。別の風紀委員と合流する事になった草壁は居ない為、今は二人だけである。そんな中、彼女は見知った顔を視界に入れる事となった。それに気付いた彼の口角は僅かに緩んでおり、何処か楽しそうだ。その表情に気付いた時には既に遅く、つかつか、と先に行ってしまう彼を見送る事しか出来ないのだ。
「5万」
「ヒバリさんー!?」
「てめー、何しに来やがった!」
「まさか」
「ショバ代って風紀委員にー!?」
「活動費だよ。ショバ代って何です?」
「日比野さんも!」
「払えないなら、屋台をつぶす」
脈略も何もない雲雀のその一言は、麗が頭を抱えるには充分だった。顔を覗かせた「チョコバナナ」の店では沢田と山本、獄寺が店番をしており、美味しそうなチョコレートの匂いが鼻腔を擽る。そして、沢田が言った「ショバ代」と言う言葉に思わず苦笑を漏らしたのだ。まあその徴収の仕方がただのヤクザにしか見えないし、「ショバ代」でもあながち間違いではないのかもしれない。
少し口角を上げて言った雲雀の宣言を聞いたと同時に何処からか悲痛な叫び声が鼓膜を震わせる。痛々しい衝突音に思わず目を向ければ、そこでは現在進行形で屋台が潰されていたのだ。風紀委員の腰に縋り付く男性には同情しか湧かない。
「さっきも言いましたけど、このやり方ほんっと止めません?」
「……何で?」
「何ですかその表情!心底理解できない、みたいな顔止めましょうよ!」
「目に見えて一番分かりやすいでしょ」
「いやアレやっちゃったらもう駄目ですよ!ただの輩じゃないですか!」
「じゃあ今日から日比野もその『輩』の仲間入りだね。何か奢ってあげようか?」
「馬鹿にしてますか!?かき氷奢って下さい!」
「奢って貰うのかよ!」
軽い木材で組み立てただけの屋台はすぐに潰れてしまい、脆くも崩れて行くその様子をただ見ている事しか出来ない麗は、口角を引き攣らせながら雲雀に話し掛けた。しかし、きょとん、と首を傾げてふざける彼に項垂れる事しか出来ないのである。唐突に始まる雲雀先輩のこの寸劇は何なのだろう。ちょうど突っ込みを入れてくれた獄寺君も絶対そう思ってるよね。
心底呆れるもどうにも出来ない事は分かっている為、彼女は一度だけ溜め息を吐いては沢田にチョコバナナを二本頼んだ。すぐに作ってくれたそれらはしっかりとチョコレートでコーティングされていて、夕日に照らされてキラキラと輝いており、とても美味しそうだ。
「ありがとう!美味しそう……!」
「あ、あの、日比野さん」
「なあに?」
「あの…っ、学校、楽しい?」
「え…」
「あっ、いや、黒曜の方から来てるって聞いてたから、どうなのかな、って」
沢田に800円を渡した麗は受け取った二本の内の一本を口に含んだ。そうする事で口内に広がるチョコレートとバナナの甘さは、彼女の好きな感覚だ。心底幸せそうに頬を緩める彼女だったが、そんな彼女に対して彼は途切れ途切れに問いを投げ掛けた。唐突な問い掛けに彼女は思わず目を丸くするが、きっと彼の意図には気付いている。だから彼女は、口角を緩めてたった一言を力強く紡いだのだ。
「楽しいよ、すっごく」
その時に気付いてしまった日比野さんの気持ちに、オレはどこか高揚したんだ。
「…そっか!良かった!」
「心配してくれてた?」
「……ちょっとだけ」
「日比野、次行くよ」
「あっ、はーい!」
今まで積み重ねていた悶々とした気持ちを解放させてやる事が出来た沢田はふわり、と柔らかな笑みを浮かべた。それを目に焼き付けた麗は出店の台に頬杖を付き、にこにこ、と効果音が付きそうな程の笑顔を彼に向ける。仮にも惚れている女の至近距離に男が居るのに、どうしてこんなにも苛立ちがないのだろうか。それはおそらく彼が纏う雰囲気が関係しているのだろうが、今の彼女はきっと雲雀の事なんぞ頭にないのだろう。そう考えれば少しの苛立ちが頭をよぎり、雲雀は思わず彼女に声を掛けたのだ。
もう一本残っているチョコバナナを視界に入れれば、雲雀はぐ、と顔を歪めた。それとは対照的に笑みを浮かべる麗はそれを彼の口に突っ込む。苦しげなくぐもった声を漏らしながらも咀嚼を繰り返す彼は小動物の様だ。これを言ってしまえばまたたんこぶが増えるだろうから絶対に言わないが。先程の仕返しとして彼女の咥えているチョコバナナの串を押してやれば、彼女は彼と同じ様にくぐもった声を出した。それに怒る彼女の言葉に敬語は無くて、何時もの様に指摘してやれば不服そうにしながらも素直に「ですよ」と取って付けたのだ。そんな日比野の様子に思わず笑みを溢れさせた僕は、もうただの男だったんだろう。
「……今の雲雀の顔、見ました?」
「何かもう…ふわっとしてたよね。見てるこっちが恥ずかしい……」
「やっぱ、そうなんだろうなあ……」
「えっ、日比野さんも!?」
「マジかよ……」
そんな抽象的な会話がされてた事なんて、僕らは一生知る事は無い。
花火の時間が近付いてくれば屋台が活躍する時間は終わり、風紀委員の徴収活動も収束の道を辿る。他の風紀委員が今日の活動の報告をする間、ずっと雲雀と一緒に居た麗ははっきり言って暇なのである。欠伸を噛み殺しながら境内を歩いていると、何処か必死な沢田が階段を駆け上がる姿が見て取れた。こう言う時の好奇心はどうにかならないものか、と思うが、今更変える事は出来ないのだろう。何時もの様に仕方ない、と割り切ってしまうが、今回ほど「止めておけば良かった」と思う時は無いのである。
「えーっと…ちょっと落ち着きません……?」
「嫌だね」
「そ、そうですか……」
「日比野さんそこで負けちゃうの!?駄目だよ!」
「だって怖いもん!」
「て、て言うか何で付いて来ちゃったの!」
「き、気になったんだもん……!」
その答えに沢田が「馬鹿だこの子」と思ってしまうのは仕方ない事である。大勢の柄の悪い男らに囲まれていた沢田を見れば、出て行ってはいけない事くらいは重々承知している。しかし身体を木の峰にぶつけてしまい、発見されてしまったのだ。麗の方からすれば、仕方ない、と言う結果なのである。彼女の提案を一刀両断した男は先月、海に行った際に絡んで来た者達で、わざわざ復讐をする為に沢田を追い掛けて来たらしい。粘着質な男は嫌われるよ。殴られるだろうから言わないけど。
「さーて、どこから切り裂いてやろーか?」
「っ沢田君!」
死ぬ気になった沢田に裏拳を喰らわせられた男は沢田の胸倉を掴み上げ、何処からか取り出したポケットナイフを構えたのだ。その一連の動作を見た麗はやっとの事で危機感を感じ、声を荒げた。しかし、後ろから口と両手を押さえられてしまい、身動きが取れないのだ。そんな時、痛々しい打撃音と共に短い悲鳴が鼓膜を震わせた。
「うれしくて身震いするよ。うまそうな群れをみつけたと思ったら、追跡中のひったくり集団を大量捕獲」
「ヒバリさん!!」
「集金の手間がはぶけるよ。君達がひったくってくれた金は風紀が全部いただく」
「ああっ!?」
「あとその子、僕の所のだから返してくれる?」
「嫌だっつったらどうすんだよ」
「馬鹿なの?そんなの、実力行使で…」
そこまで言葉を紡いだ雲雀だったが、展開されるその光景に思わずそれを詰まらせる。そして、顔を歪めたのだ。先程まで沢田の胸倉を掴み上げていた男は麗に標的を変え、彼女の首筋にポケットナイフを這わせる。彼女が少しでも首を動かせばそこからは赤い液体が滴り落ちるのだろう。そんな彼女の瞳は恐怖から溢れる涙でゆらゆら、と揺れていた。それを見て動きを止めてしまった雲雀に気付き、男は「勝った」と言いたげに口角を歪ませたのだ。
「加減はいらねぇ!!そのいかれたガキもしめてやれ!!」
「ヒバリさんでもこの数はヤバイんじゃ…!それに、日比野さんまでいるのに…!」
「だったらお前も、戦え」
雲雀と沢田を中心として群がる男らはそれぞれ武器を持っていて、丸腰の沢田では太刀打ち出来ないだろう。しかしそれは雲雀とて同じ事で、麗が人質の様な扱いを受けている以上、あまり暴れる事は出来ないのだ。しかしそんな事情などお構いなしで、何処からか拳銃を取り出したリボーンは銃口を沢田に向け、それを撃ち込んだ。脱皮をする様に現れた沢田は下着のみを纏っている状態で、初めて見る死ぬ気の沢田に、彼女は涙を浮かべていた事も忘れてぱちくり、と瞬きを繰り返した。
「オラァ!来やがれ!」
「余計だな」
「たかが中坊二人だ!一気に仕掛けろ!!」
先程までの怯えた様子の沢田とは打って変わり、今の彼は勇敢にも男らを挑発していた。そんな沢田を見て小言を漏らすも、雲雀の心の内は確かに高揚していたのだ。久々に感じる実戦の空気は、雲雀の大好きな感覚なのである。しかし余裕を感じさせる雲雀の言葉が勘に障ったのか、男は再び声を荒げる。けれどもそれも唐突に起こった爆発音に掻き消されるのだ。その瞬間、圧迫されていた自身の身体はふわりと、柔らかな体温に包まれるのである。
「助っ人とーじょー、ってな!」
「や…山本君!」
「怖かったろ、遅れてごめんな」
その身体を優しく抱き留めてくれたのはバットを担いだ山本だった。予想外の人物に思わず目を見開くが、その後に掛けられた言葉に力が抜け、情けなくも泣いてしまったのだ。馬鹿みたいに泣いていた。きっと雲雀先輩にも聞かれてるはずだ。リボーン君が側に来てる事も知ってた。それなのにわたしはただ、ボロボロと涙を流す事しか出来なかった。
ただ強くリボーン君を抱き締める事しか、それしか出来なかったんだ。
「……そろそろ泣き止めば?」
「だっ、だって…っ」
境内の中にある建物に、麗と雲雀は居た。あまり人が居ないここは花火を見る為の隠れスポットなのである。もうすぐ花火があがると言うのに、彼女は先程からずっと泣いてばかりだった。今まで武器を向けられた事は無かっただろうから、こうなる事は薄々感じてはいたが。それにしては泣きすぎだろう。目元が真っ赤で、擦る度に腫れて行くそれは酷く痛そうだった。その一連の動作を見ていた僕は、思ったよりもそこばかりを見ていたらしい。
「……見すぎ、です」
「…別に良いでしょ」
「……雲雀せんぱいのしせん、って、なんか、はずかしいんですよ」
「恥ずかしい?」
「なんか、あの…」
「…何」
麗が指摘した事は明らかに図星で、一瞬だけ固まった動きに気付かなければ良いと、それだけを思っていた。どうやらその願いは叶った様で、彼女は腫れた目を伏せて途切れ途切れに言葉を紡ぎ始める。しかしなかなか紡がれる事は無いその言葉に、雲雀は思わず眉を顰めたのだ。
「なんていうか…熱っぽい、かんじが、して」
しかしその表情も、度肝を抜く麗の言葉で消え失せる事となった。
「…雲雀せんぱい?」
「…何でもない」
「じゃあなんで、かおかくしてるんですか」
「何でもないってば」
「そんなわけ…っ」
先程とは打って変わって顔に影を作った雲雀は、頑なに麗と視線を合わせる事をしなくなった。ただ「何でもない」と、その言葉の一点張りなのである。そう言われれば、気になるのが日比野麗と言う人間だ。下から覗き込もうとそちらに視線を向けるが、その瞬間、花火の大きな轟音が響くのだ。それと同じ瞬間、彼女の右手は温かな体温に包まれる。それは彼の手以外有り得ないのである。
「ひ、ばり、せんぱい…?」
「……花火、見てなよ」
「はい……」
手に触れられたのは初めてだった様に思う。そして、肩同士が触れそうなこの距離もきっと初めてだ。様々な色で彩られる空の光に反射して朧げに見えた雲雀の顔は仄かに赤に染まっていて、これはきっと花火のせいではない。きゅ、と力を込められる彼の掌は少し暖かくて、その体温がこっちにまで伝染(うつ)ってしまいそうだ。
嗚呼、熱い。