眩さなんていらない
「―――六道 骸様」

 静かに響くテノールの声色が、麗の眠気を吹き飛ばしてくれる。治療した後に意識を失ってしまった千種に流されて意識が飛びそうになった彼女はうつらうつら、と瞼を上下に動かしていた。はっと目を丸くして見た彼の顔色は、治療していた時よりも良くなっている気がする。そんな彼は眼鏡を掛け直し、重い身体を起き上がらせた。


「目を覚ましましたか?3位狩りは大変だったようですね、千種」
「ボンゴレのボスと接触しました」
「そのようですね。彼ら、遊びにきてますよ。―――犬がやられました」

 骸が発した最後の言葉に反応を示したのは千種だけではなかった。千種の側に居た麗も、例外ではないのだ。あれだけ嫌われていても気にしてしまう彼女の心情はやはり理解は出来ない。あまりの善人ぶりに、笑いさえ零れてしまいそうだ。そんな事を思われているとは知らない彼女は、今現在も眉を顰めている。


「そう慌てないでください。我々の援軍も到着しましたから」
「相変わらず無愛想な奴ねー。久々に脱獄仲間に会ったっていうのに」

 何処か高飛車な印象がある少女は、ディープピンクの髪をたなびかせてくるん、とした双眸をこちらに向けている。その横には帽子を深く被った男、肩に鳥を手懐けている男、何の感情も持たぬ表情(かお)をこちらに向けている二人の男が居た。そんな彼女らは全員、黒曜中の制服を身に纏っている。


「何しにきたの?」
「仕事にきまってんじゃない。骸ちゃんが一番、払いいいんだもん」
「答える必要はない……」
「スリルを欲してですよ」
「千種はゆっくり休んだ方がいい。ボンゴレの首は彼らにまかせましょう」

 冷たさを孕む千種の問いを耳にした少女―――M・Mは一瞬だけ麗の方に鋭い視線を向けたかと思えば、にやり、と言った様に口角を上げた。―――睨まれた、気がする。今感じたその視線はどろどろとした、妬みや嫉みが含まれている様に感じる。気のせいだったら良いのだが、生憎そう言う勘は鋭いのである。
 一気に人口密度が高まったこの場所に、ふと重苦しい音が響き渡った。それの原因は、フゥ太が何時も持ち歩いている巨大な本である。その音を出した彼の瞳は、酷く虚ろだった。それが悲しくて、何も出来ない自分が情けなくて―――泣きたくなった。


「―――で、あんたが骸ちゃんの言ってた人質?」
「は、はい……そうみたい、です」
「……あんた、嫌いだわ」
「へ…っ」

 ここに来てからどうにも涙腺が緩んで仕方がない。けれど「人質」と言う立場に居る以上、黒曜一味の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。カッと靴音を響かせながらこちらを見下ろすM・Mは、ただ一言、顔を歪めて言い放つ。そして、驚く麗を無視して胸倉を掴み上げたのだ。


「あんた、自分が不幸だとかのたまうつもりなわけ?」
「い、いや、そう言う訳じゃ…」
「…その目、ほんっと腹立つわね。―――ねえ骸ちゃん、本当にこの女、必要なの?」
「厳密にはもう必要ないんですけど…」
(え"っ、そうなの?)
「生かしてるのは、僕の興味の為ですよ。殺さないで下さいね」

 その時のM・Mには酷く凄みがあり、麗は思わず口角を引き攣らせる事しか出来なかった。理由も知らされずにこれだけ嫌われるのは、ハルとの一件以来じゃないだろうか。ハルはあくまで一般人だが、M・Mは違う。脱獄、と言う言葉が聞こえたので恐らく罪人か何かなのだろう。そんな人物に嫌われるとは、そろそろ生きている価値は無いのかも知れない。
 そんな空間で浮かび上がる骸の微笑は酷く違和感があり、しかし、M・Mよりも圧があった。彼の表情を見た彼女が気まずそうに視線を逸らしたのが、その証拠である。―――それが、わたしにとっては不思議で堪らなかった。殺したいくらい嫌われていたはずなのに、どう言う心境の変化なのだろう。それが分からない内は、わたしはきっと六道さんの事を理解できないはずだ。


「六道さんにそこまで言わせるなんて、この娘(こ)は何なんですかねえ」
「ひ…っ」
「今の驚き顔、実に良いですねえ。私の趣味にぴったりはまる」
「しゅ、しゅみ…?」
「私はね、人の驚いた顔が好きなんです。驚いた時の無防備で無知で無能な人間の顔を見ると興奮して鼻血が出そうになる」
「っ…あ、頭おかしい……」
「…まあ、さすがに僕も理解は出来ませんが」

 唐突に目の前に顔を出した男―――バーズは、酷くにやつきながら麗の顔を覗き込む。そして、短く声をあげた彼女に興奮した姿を見せたのだ。彼自身が言うには、「生まれながらの、人間の無防備な姿を見るのが好き」らしい。そんなバーズに対して思わず零れてしまった本音に、麗はぱっとひとりでに口を塞ぐ。目の前には、僅かに機嫌を損ねたバーズが居る。―――しまった、と思った。けれど、腹の底から冷えるような感覚はその後に続いた六道さんの言葉で消え去る事となる。それでも飽き足らなかったのか、目の前の男の人はわたしに手を伸ばして来たが、それも唐突に覆って来た手の平によって遮られたのだ。


「…柿本、くん…?」
「―――手は、出さないんじゃなかったんですか。骸様」
「…そうでしたね」

 その手は、千種のものだと言う事はすぐに分かった。自身が巻いた、包帯が見える。けれど、返事は無い。暫くの静寂の後(のち)、何処か鋭く感じる彼の声が響き渡った。初めて聞くその声色に、麗の肩はびく、と僅かに跳ねる。きっとそれにも気付かれているのだろう。そんな二人の様子を見ていた骸は、ふと笑みを浮かべると呆れた様に目を細めた。しかしこの空間を壊す人物が居る。―――M・Mである。M・Mはギリ、と歯を食い縛り、「はあ?」と言葉を投げ付けた。


「何なのあんた……丸め込んだつもり?」
「いや、あの、そう言うつもりじゃ…」
「あんたなんか、どうせ捨てられるのよ。分かってるの?」
「わっ……かってます、よ」
「……ほんっと腹立つわ、あんた。全部が情で解決する訳ないのよ、馬鹿じゃないの」

 鋭い視線が先程よりも深く、重く突き刺さる。―――これが殺気、だろうか。口角を引き攣らせる事もなく、ただただ途切れ途切れに声を出す事しか出来ない。ベッドを足場にしてこちらを見下ろすM・Mは酷く顔を歪めており、「可愛い顔をしているのにもったいない」などとのさばったらいよいよ殺されるんじゃないだろうか。
 麗の顔を数秒間睨み付けたM・Mは途端に舌打ちを響かせ、言葉を吐き捨ててはこの場を出て行った。それを呆然と見つめる事しか出来なかったわたしは、とても情けなかっただろう。ふわり、と微かに香った甘ったるいフローラルなフレグランスが鼻腔を擽れば、わたしはふと目を伏せた。柿本君と六道さんの視線が突き刺さるけれど、そちらを見る事も出来なかった。けれど、思う事があるのも確かだった。

 情で解決できる事も、きっとあるんじゃないのかな、って。




 数時間後、M・Mちゃんは口元に溶けた何かを付けて、ヘルシーランドに戻って来た。時々、眉を顰めて唸るM・Mちゃんは所々にダメージを受けて来たみたい。大方、沢田君達の返り討ちにあったんだろうなあ。あの人達、普段は馬鹿やってるのにこう言う時の団結力と言うか、そう言う力はあるから。冷たい水に浸したタオルをM・Mちゃんの肌に付けるとピク、と頬が引き攣った。―――ごめんね。痛いよね、冷たいよね。少しだけ我慢、してね。こう言う善人ぶった所が嫌われるんだろうけど、今更この性格は変えられなかった。
 M・Mちゃんが出て行ってから、六道さんから「彼女の金に対する執着はすごいですよ」と教えられた。情を「馬鹿げたもの」だと言っていたのは、そう言うM・Mちゃんの性格から来てるんだろうな。確かにお金は裏切らないし、確かな物なのかもしれない。わたしだってそう思う。けど、それでも、情がなくちゃ分からない事も、きっとあると思うんだ。―――そう思いながら、わたしは治療し終えたM・Mちゃんの肌に触れて、そっと目を瞑った。


「誰かを想う気持ちも、きっと『情』なんだよ。―――M・Mちゃん」


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