弱者にも抗うすべを
「ランチアがやられましたよ」
そう淡々と述べたのは、映画館にあるソファにゆったりと腰を下ろす骸である。帰還を望んでいた麗にとっては「嫌な報せ」になるのだろう。先程までうつろうつろ、と夢見心地だった彼女の瞳は、彼のその言葉によって覚醒する事となった。それと同時に、彼女に非情なものを与えたのもそれである。―――それでも、ランチアにとどめを刺したのが千種である事を教えない辺り、まだまだ骸も非情になりきれてはいなかった。
「―――そう、ですか……」
「ああそれと、彼らもこちらに向かっているようです」
「え…っ」
「…あなた、まだ希望とやらに縋り付くつもりなんです?懲りない人だ」
ぼそり、と声色を低く響かせた骸は、そっと目を伏せた麗の頭を鷲掴み、力任せにそのままソファへ埋め込んだのだ。羽毛の中で密かに響くくぐもった声に高揚しているだなんて、あなたは思いもしないのでしょうね。―――この女は未だに、なぜ僕があなたを嫌っているかが分からないらしい。その明るい脳みそも、絶望を知らない輝く瞳も、無条件に注がれるその優しさも、僕に―――僕らにとっては、どれだけ欲しても手に入らなかったものばかりなのに。そんな思いから色違いの瞳を細めるが、その瞬間、この場の扉からはギイ、と言った古臭い音が響き渡ったのである。
「また会えてうれしいですよ」
「ああ!!君は!!」
(さ、わだくんの、こえ…?)
羽毛の隙間から吸う事が出来る酸素を頼りにそっと目を開けると、入り口付近に三つの人影が微かに見えた。沢田の髪型が分かりやすい為、助かった。くすんだピンク色の髪は―――ビアンキ、だろうか。少し意外だけれど、沢田君がいるし獄寺君に付いて来たんだろうなあ。雲雀先輩はいない、みたいだけど大丈夫、かな。
「もしかしてここに捕まってんの!?―――あ、あの人はさっき森で会った黒曜生の人質なんだよ」
「ゆっくりしていってください。君とは永い付き合いになる、ボンゴレ10代目」
「え?なんでオレがボンゴレって…」
「ちがうわ、ツナ!こいつ…!」
「そう。僕が本物の六道骸です」
「な…はぁー!?」
骸の正体に気付いたのは、沢田ではなくビアンキだった。不敵にも笑みを浮かべる骸の右目には、「六」の文字が酷く異彩を放っている。館内で沢田の声が荒げられた瞬間、麗は肩に僅かな力を込めてぐぐ、と腕を上げてみる。それは骸の手によって意味のないものとなってしまったが、その違和感にようやくリボーンが気付いたらしい。「おい」と声を掛けようとした時、この場の扉が閉まる音が響き渡る。その場に現れたのは、フゥ太だった。―――虚ろな目を持つフゥ太の様子に気付くのは、骸だけである。
「お…驚かすなよ」
「無事みたいね」
「あの後、随分探したんだぞ」
「危険だから下がってなさい」
数日前の記憶のままであれば、フゥ太の洗脳は解けていない筈だ。それに気づいているのはわたしと、わたしの頭をずっと押さえ付けている隣の男の人―――六道さんだけ。多分、何か細工をしてわたしの姿を見えなくしているんだろう。数週間、ここに監禁されていたけれど六道さんの事は何も分からなかった。ただ、直感で「怖い」と感じる何かがある事くらいしか分かってない。フゥ太君がどこからか三叉槍(さんさそう)を取り出したのと同じタイミングで、わたしは密かに隠していた小さなガラスの欠片を握り締め、それを六道さんに思いきり突き付けた。そのお陰で六道さんの手から逃げ出す事が出来たわたしは、その細工とやらからも逃げる事が出来たらしい。―――リボーン君が目を見開く姿が、フゥ太君が武器を振り翳す姿が良く見える。間に合わない。だめ、だめ。
それでも、何も出来ないなんて、嫌なの。
「フゥ…」
「ビアンキさん!だめ!」
「え…」
守る事が出来なくても、わたしの知ってる人がどれだけ血を流しても、声を荒げる事だけは許して欲しい。それが自己満足だって見下されても、どうして動かないんだ、と非難されたとしても、わたしにとってはこれが精いっぱいなの。もう、どうする事も出来ないの。力のない―――弱い者の抗う選択肢なんて、決して多い訳じゃない。
「ビアンキ!」
そんな我が儘が通用する間くらいは、わたしを「わたし」だと認めてよ。
黒曜ヘルシーランドへの侵入後、一番最初に出会ったのは千種だった。彼の相手となった獄寺が一階に残るのは、並盛商店街で戦った事から予想は出来ただろう。二人の戦いの決着はすぐに着くかと思われた。実際問題、優勢で事を進めていたのは獄寺である。しかしその効力が失われた理由は、千種の毒を抜き取る際に使用したシャマルのトライデント・モスキートの副作用だった。それにより高熱に侵された獄寺は平衡感覚を失い、窓に凭れ掛かる。その瞬間、犬の爪によって胸元を大きく抉られたのだ。それにより溢れる血は止まる事を知らず、ただただ獄寺の体力を奪うだけとなってしまったのである。
「無事だったの?」
「死むかと思ったけどね。―――ザマーみろ、バーカ」
そう言った犬は舌を出し、獄寺を見下ろした。通常の獄寺なら、ここでひと睨みするのだろうが今の状況ではそれでさえもままならない。そんな獄寺は胸元を押さえながら後ろに倒れ込んで行った。そこは階段を隠す様に薄いカーテンで仕切っているだけで、それは獄寺の身体を支え切れずにプチプチ、と音を立ててカーテンレールから離れて行く。そのまま階段から落ちては天井を呆然と仰ぎ見る獄寺を見て、犬は「ぶざま」だと再び罵ったのである。
そんな獄寺を見て、バーズの鳥でさえも声を出している。しっかりと調教はされているらしい。しかしそんな罵言も、聞き慣れたものに変わるのだ。僅かに音程がズレている気もするが、獄寺の耳には酷く聞き慣れたものとして入って来た。その事に思わず笑みを溢したのである。
「へへへへ……」
「っひゃー、こいつまだ闘う気かよー」
からかう様な犬の言葉には耳を貸さず、獄寺は短く呻き声をあげながら頭上の壁に向かって一個のボムを軽く投げた。一瞬だけ地面に落ちたそれは、その勢いのままコロコロ、と壁に向かって転がって行く。数秒後、壁に触れたらしいそれは轟音を響かせてそこを破壊したのだ。その拍子に飛び散った色々な物はこの際どうでも良いだろう。
「っひゃー、どこうってんのー?」
「へへっ……うちのダッセー校歌に愛着もってんのは…おめーぐらいだぜ……」
「んあ?こいつ…」
ぼうっと視界が霞む中、獄寺は笑みを溢しながら言葉を紡ぐ。ガラガラ、と言った大きな瓦礫が崩れる音を耳にしながら現れたのは、傷だらけになりながらも決して闘志は消えていない、「並盛の秩序」である雲雀だった。その瞳には、僅かながらにも骸に対する対抗心や憎悪が孕んでいた様に思う。
「…元気そーじゃねーか」
「もしかして、この死に損ないが助っ人かー!?」
「自分ででれたけど、まぁいいや」
「へへっ」
「元気そう」だなんて、どの口がほざいてるんだか。心臓を思いきりやられてるくせに。まあでも、身体を動かせる状態にしてくれた事にだけは感謝してやらない事もない、かな。―――ずっと座ってたからか、少しだけ身体がふらつく。目の前には僕の事を「アヒル」だか「スズメ」だかとのさばってくれた男がいた。嗚呼、うるさい。
「そこの2匹は、僕にくれるの?」
―――嗚呼、さっさと日比野を奪って帰りたい。