傷口から伝染る偽善とは
「生きたまま捕獲はできなかったが、仕方ねーな」
リボーンのその言葉を聞き、麗は沢田を見上げていた視線を骸が倒れている場所へと移した。そこには相も変わらずこめかみから血を流した骸が倒れているだけだった。彼女は獄寺と同じくやるせない、と言いたげな表情を浮かべていたが、沢田は何やら違う様である。何処か青ざめている、と言うか、何かを感じ取っている様な、そんな言い回しが妥当だろうか。―――そんな時、後ろで倒れていたビアンキの意識が戻ったのだ。
「アネキ!」
「よかった!」
「無理すんなよ」
「肩貸してくれない……」
「しょーがねーなー。きょ…今日だけだからな」
意識が戻ったビアンキは頭を押さえながらもきちんと言葉は話せている。―――感覚はちゃんと戻っている様だ。その事に麗は思わずほっと安堵の息を吐くが、隣に立っている沢田はそうではないらしい。何時もは綺麗な放物線を描くその眉も怪訝そうに歪んでいた。そんな彼に気付かず獄寺はビアンキに手を差し伸べるが、その光景を見た途端、沢田は大きく目を見開かせたのだ。
「獄寺君!!いっちゃだめだ!」
「え?」
「ん?」
「沢田君?」
「どうかしたの?ツナも肩を貸して……」
「え…!?あ…うん……」
「いいっスよ、10代目は。これくらいのケガ、大丈夫っスから」
「…でも…」
「―――すまないわね、隼人」
「ほら、手」
静かな映画館に唐突に響き渡った沢田の声は何処か切羽詰まっていて、その違和感に彼を覗く麗らは不思議そうに目を丸くした。けれど、申し訳なさそうなビアンキの視線を受けてしまえば、沢田は何時もの調子を取り戻すしかないのだ。―――しかし一瞬見えたビアンキの微笑みに、麗は目を細める事となる。それは決して間違いではなかった。獄寺の手に甘えた筈のビアンキが、何故か彼に牙を向けたのだ。
「獄寺君!」
「なっ、何しやがんだ!!」
「えぇ!?」
ビアンキの手に握られるのは骸が使っていた三叉槍の先端部分である。―――そう言えば、雲雀先輩にやられた時の反動で転がって行ったんだっけ。それを獄寺に向けていたかと思えば、ビアンキは白々しく驚いた様に目を見開いた。そんな二面を見てしまえば、沢田でなくとも違和感を抱くのは当たり前である。そんな彼女を見兼ねてか、リボーンが麗の隣から飛び出した。そしてぺちぺち、とビアンキの鼻先を叩いたのだ。しかし次の瞬間、三叉槍の矛先はそのリボーンに向けられていた。振り翳された武器を綺麗に避けたリボーンは獄寺の前に降り立ち、次の言葉を口にする。
「こいつは厄介だな」
「まさか…マインドコントロール…!?」
「ちげーな。何かに憑かれてるみてーだ」
「それって呪いスか?」
「そんなことが…」
「だが事実だ」
地面へめり込んだ際に響く激しい音に、麗は思わず雲雀を抱き締めてひくつく肩を必死に抑えた。恐る恐る琥珀の瞳を現すと、今のビアンキには先程の様な凶暴性は見受けられない。―――けど、どこかがおかしい。そう思うのは決して沢田だけではない。そんな彼の脳内にはとある男の顔が浮かび上がっていた。
「…ろくどう…むくろ…?」
「―――また会えましたね」
「で、でたー!!」
「右目が…!」
「祟りだー!!」
「そんなバカなこと、あるわけねーぞ」
「でも…」
ぼそり、と虚ろながらに呟かれた沢田のその一言に、目の前のビアンキの口からは笑みが零れる。それが彼女の口から零れる事は有り得ない事で、麗はぎゅ、と腕に力を入れた。そして、次の瞬間に視界に入った「六」の文字に、麗は大きく目を見開かせたのだ。―――その後に続いたリボーンの言葉に反論しようともう一度骸の方に視線をやるが、先程と何ら変わりは無いのである。
「やっぱり死んでる!!」
「まだ僕にはやるべきことがありましてね、地獄の底から舞い戻ってきましたよ」
「や…やはり…」
「そんなことが…」
「あと考えられるのは…まさかな……」
確かにこの目でこめかみを貫いた姿を見たのだ。生きている、と言う事は有り得ない筈である。けれど、目の前に立つビアンキの姿をした「何者か」は、腹から血を垂れ流しながらも不敵な笑みをこちらに向けた。それに思わずぞくり、と身体を震わせた麗の感覚はきっと間違っていない。―――そんな麗は、微かに耳に届いたリボーンの言葉に首を傾げた。
「―――リボーン君?」
「……麗、危ねェから下がってろ」
「っは、はい……」
しゃがみ込んでいる自身よりも小さなリボーンの顔を覗くが、どうやらボルサリーノの影で隠してしまっているらしい。彼は麗の声には答えず、そっと彼女の前で小さな手を翳した。決して顔は見えないけれど微かに感じるその威圧感は、ここが雲雀の言う「危険な場所」である事を証明してくれている。
そっと雲雀の黒い髪を横に流してやる。常に艶があるそれらは砂埃を吸っていて、カサカサだ。何時も飄々とした表情を浮かべるその白い顔も、擦り傷や血で汚れていた。―――全部全部、わたしと、自分のプライドを守る為に、なんだろうなあ。気を失ってもトンファーを握る雲雀先輩の手にそっと触れる。このゴツゴツの手で守ってくれたんだなあ、そう思うときゅう、とした切なさが込み上げて来た。
麗が雲雀に触れている間、祟りだと思い込んだ獄寺は独学で学んだらしい印を切っていた。―――馬鹿である。しかし、強ち馬鹿には出来ない所があるらしい。目の前のビアンキは突如苦しみ出し、再び地面に倒れたのだ。先程まで持っていた三叉槍の先端はクルクルと回転し、こちらに近い場所で停止した。そこから物音一つ鳴る事は無く、辺りはしーん、と静まり返っている。そんな中、沢田は恐る恐る、倒れたビアンキに手を伸ばした。その後ろでは何処か虚ろな獄寺が武器を持って立っている。その獄寺は綺麗な笑みを浮かべていたかと思えば、突如として沢田に襲い掛かったのだ。
「ひいい!!獄寺君が!!」
「ほう、まぐれではないようですね。初めてですよ、憑依した僕を一目で見抜いた人間は……。つくづく君は面白い」
「そんな…どーなってんの!?」
「間違いねーな。自殺と見せかけて撃ったのはあの弾だな」
良く見ると、次は獄寺の右目に「六」の文字が浮かび上がっている。そして何より、彼は沢田に対してあんな意地の汚い笑みは浮かべない。恐怖を植え付ける様な、そんな雰囲気は纏わない。そして、―――わたしは、こんなにも獄寺君を怖いと思った事は一度もない。そんな麗を含め沢田と獄寺の姿をした「何者か」はリボーンに視線を向けた。
「憑依弾は禁弾のはずだぞ。どこで手に入れやがった」
「憑依弾…?な…何言ってんだ……?」
「気付きましたか、これが特殊弾による憑依だと……」
「とくしゅ、だん…?」
「死ぬ気弾や、嘆き弾、とか…?」
「そうだ」
何処か圧のあるリボーンの声をきっかけに、この静かな空間には麗には聞き慣れない言葉達が次々と飛び交う事となった。―――リボーン曰く、この「憑依弾」と言うのはその名の通り、他人の肉体にとりついて自在に操る能力を持っているらしい。それはエストラーネオファミリーによって開発されたと言われており、これを使いこなすには強い精神力の他に弾との相性の良さが必要とされる。しかし、使用法があまりにも残酷だった為にマフィア界で禁弾とされ、弾も製法も葬られたらしい。
その効力はマインドコントロールの比ではなく、操るものでもない。―――「のっとる」と言う表現が正確だろうか。頭のてっぺんからつま先まで支配するその能力は、自分の身体が他の人間のものになる、と言う事と同義なのだ。そう説明した獄寺の姿をした「何者か」は爪先で首に一本の赤い線を継ぎ足した。
「や…!やめろ!!」
「ランチア程の男を前後不覚におとしいれたのもその弾だな。だが、なんでおまえがもってんだ?」
「僕のものだから―――…とだけ言っておきましょう。―――さあ次は君に憑依する番ですよ、ボンゴレ10代目」
「なっ…オ、オレ!?」
「やはりお前の目的は…」
「目的ではなく手段ですよ。若きマフィアのボスを手中に納めてから僕の復讐は始まる」
つぷつぷ、と弾け出す様にゆっくりと垂れて行く血液に、沢田は顔を青ざめて思わず声を荒げた。そして再び、リボーンの口からは麗の知らない言葉が紡がれる。―――マフィアって、ボンゴレって、何だろう。少し、居心地が悪い。この取り残されたような感覚は、沢田君やリボーン君がいるはずなのに、六道君に監禁されていた頃と何も変わらない。少し腕に力を入れると、古めかしい木目の地面が軋んだ気がした。
目の前の獄寺の言葉に酷く怯えた様子の沢田とは打って変わり、冷静なリボーンの視線は目の前の獄寺が持つ三叉槍の先端を捉えていた。それにより、自分の身体は骸を許してしまうらしい。その武器は、沢田の元を通って再びビアンキの手に戻る。そして、近くに落ちていた長い柄と一体化したのだ。その瞬間、今まで言葉を発していた獄寺の身体は地面に崩れ落ちた。
「もっとも僕はこの行為を、『契約する』と言っていますがね」
「っ日比野さん!」
目の前のビアンキは今まで浮かべていた笑みを消し、こちらを見下ろした。その視線の圧が酷く重く、麗は一歩も動く事は叶わない。―――沢田君の、わたしの名前を呼ぶ声も聞こえてる。リボーン君の舌打ちの音も聞こえてる。けど、どうしてもその身体は動かなかった。
怖い。
「彼を、渡していただけますか?」
ビアンキさんの声のはずなのに、違う人のものみたい。この人には命を狙われた経験しかないんだけど何でかな、六道さんのような恐怖を感じた事は無かった。その声を聞いた途端、わたしの身体はびく、と跳ねる。反応しませんように、そう何度も願ってもわたしの身体は馬鹿正直に反応してしまうのだ。そして、「問い」と言う形で聞かれているはずなのに、わたしはなぜか雲雀先輩を抱き締める力を緩めていた。―――ちがう!ちがう、駄目。逃げちゃ、駄目。もう見てるだけはいや。ただ、泣きわめくだけは、いやだ。そう心の中で繰り返したわたしは「い、やだ」と途切れ途切れに呟いていた。
「……何とおっしゃいました?」
「っ…い、やです」
ぽそり、とこの空間に響いた麗の声に、目の前のビアンキは眉をピク、と動かした。苛立っている様な歪んだ表情に思わず怯みそうになるが、麗は先程と同じ言葉を繰り返し、自身よりも上にあるビアンキを睨み付けた。―――何も、聞こえない。沈黙がこんなにも辛いものだとは思わなかった。けど、どれだけ圧をかけられても、ここを譲っちゃ駄目だ、そう思った。
「……あなた、自分の立場を分かってるんですか?」
そう問い掛けられた麗は恐る恐る、先程から震えが続いている唇をそっと開き、ゆっくりと途切れ途切れな言葉を紡ぎ始めた。―――あなたが、わたしを嫌ってる事は知ってる。その嫌ってる理由も、多分、分かってる。けど、その「嫌ってる理由」と言うものは、元からわたしの一部だし、すぐに消す事は出来ない。そんなわたしだから、わたしが作った世界を、今まで必死に守って来た。それと同じで、あなたもきっと、この世界を嫌いながら必死に生きて来たんだと、思う。それが分かる、から、わたしはあなたを、本気では嫌えないの。―――俯きながらそう紡いで来た麗は、ふと顔を上げた。
「『優しい』って、駄目かな」
「は…?」
「―――優しいことは、いけないこと?」
麗は雲雀を抱き締めながら、そう問い掛ける。暫くの間廃墟で過ごしたその顔は酷く埃を被っており、少し薄暗い。そんな彼女の双眸は濡れており、切なげな視線は真っ直ぐ前を見据えていた。―――その表情が、視線が、酷く嫌いだった。優しさなんていらない。この世界が血でまみれるならそれで良い。なのに、それなのに、―――そんな瞳(め)で、見るな。
「その瞳(め)が…」
「え…?」
「その瞳(め)が僕を、僕達を…っ」
「日比野さん!逃げて!」
ギリ、と言う力が込められる音が何処からか聞こえて来る。それと同時に呟かれる言葉は酷く朧気で、何時も堂々としている「あの人」らしくは無かった様に思う。その事から思わず眉を下げる麗だったが、その彼女の耳に沢田の悲痛な声が届いた時には既に三叉槍が振り翳されていたのだ。―――その直後、麗はじくじく、とした熱を感じる事となる。
「なぜ…」
「っ…嫌いだから、って、消しちゃ、だめだ、よ。そんなこと、したら、独りに、なっちゃう。六道君、が、独りになっちゃう、よ。そんなの、いや、だもん」
「う、るさい……」
「六道君には、六道君、の、世界がある。知ってる、よ。だから、それを捨てちゃ、だめ。もっと周りを、見て。―――城島君と、柿本君、は、捨てないで」
「何が、分かるんですか……」
「分かんない、よ……けど、信じて、あげて、よ」
雲雀を守る様に前に出た麗の左腕は、三叉槍が貫いていた。そこからはどくどくと止め処なく血が流れ出ており、それが進行すればするほど彼女の息遣いは荒くなって行く。血が足りなくなって来たその身体はゆっくりと地面に近付いて行き、けれど、それを止める様に彼女は、未だに左腕を貫いている武器を掴んだ。目の前にあるその表情(かお)は酷く戸惑っており、思わず苦笑が零れる。―――嗚呼、こんな顔も出来るんだ。そんな事を考えながらも、麗は支離滅裂な言葉を紡いだ。そんな彼女の右肩は、何時の間にか沢田が支えてくれている。必死に名を叫んでくれているが、あまり聞こえない。意識が遠のいている様だ。それでもこれだけが言いたくて、わたしはもう一度口を開いた。
「―――大切、なんでしょう?」
その時に微かに見えた泣きそうな顔は、迷子の子供みたいだったと、そう思う。