リトル・ハッピーデイ
「だーかーらー、わたしはもう大丈夫ですってば!」
天気も良い秋晴れの日曜日、太陽も登りきった時間帯だ。並盛中学の応接室では、何処か苛立った様子の声が響いていた。またか、と苦笑を漏らしてしまうのはその光景を見ている者達だけで、それを何とか宥めようとしている草壁はなかなか大変な立ち位置である。しかし、その役割に代わってやろう、と言う心持ちの人間はこの場には居ない。―――雲雀の鋭い視線を真正面から受け止める人間は存在しないのだ。
「何ヶ月経ったと思ってるんです?」
「たった一ヶ月でしょ」
「たった一ヶ月、されど一ヶ月ですよ」
「……さっきから思ってたけど、その話し方何なの?心の底から腹が立つんだけど」
「そうですか。それなら万々歳です」
「殺す」
どすの利いた声を出した瞬間、今まで見て見ぬ振りをしていた風紀委員らは一斉に雲雀の手と胴体を雁字搦めにしたのだ。何時の間にか取り出されていたトンファーにも、その手は及んでいる。「一回殴るだけだから」と雲雀は言うが、今の状態の雲雀に言われても信用できる筈がない。その目の前にはつん、と顔を逸らしている麗が立っており、そんな光景に痺れを切らした草壁は、妥協案を提案したのだ。
「私が一緒に行きます!ので!取り敢えず、その…武器を収めて下さい。委員長」
「……目、離したら咬み殺すよ」
「分かってます」
「……雲雀せん、ぱい」
「…なに」
「コーヒー豆、買って来ます、ので」
「…和菓子も」
「へ?」
「わらび餅、食べたい」
その時の雲雀と草壁の会話でやっと心配を掛けているだけと言う事に気付いた麗は申し訳なくなったのか、雲雀を呼ぶ声を控えめにしている。途切れ途切れに紡がれる言葉は現金なものなのに、ついつい甘やかしてしまうのは惚れた弱み、と言うやつだろうか。けれど、花が咲く様な笑顔を向けられればそんな男は溜め息を吐くしかないのだ。
「はいっ!いっちばん美味しい物、買って来ますね!」
「普通ので良いから」
―――丸くなったな、僕も。
「何とか納まったな……」
「毎回毎回お疲れ様です。草壁さんがいなきゃわたしは既に死んでます絶対」
「…おちょくるのを止めれば良いだろう」
「あの人、絶対許してくれるんですもん。ちょっと、甘えてるんでしょうねえ」
(それを素直に言えば良いのになあ……)
はあ、と空気中に紛れる溜め息は草壁のものだ。今日も綺麗に露出している額を押さえ、彼と後輩である麗は並盛にあるショッピングモールへと歩を進めていた。休日だからこそ羽目を外す人間は必ず存在し、それを鎮めるのも風紀委員会の仕事なのである。―――と言っても麗が出来る事は少なく、精々話を聞く事くらいなのだが。そんな彼女は視界の端に何かを捉えたのか、草壁の知らぬ間に何処かに駆けて行ってしまっていた。
「あっ、おい日比野!勝手に走るな!」
「こんにちは、リボーン君」
「…お、麗じゃねーか。委員会の仕事か?」
「うん。あとはお使いかな、コーヒー豆を買いに来たんだけど…」
「ここのコーヒーは美味ェぞ」
「ほんと?買って来る!草壁さん、わらび餅も探して来るのでちょっと待ってて下さいね!」
目敏い麗が見付けたのはエスプレッソを飲んでいるリボーンだった。ちょこん、と座れば愛らしい大きな黒目が視界に広がる。その光景に、草壁は溜め息を吐きながらもその様子を眺めていた。しかし今まで座っていたかと思えば、次の瞬間にはとあるコーヒー店に足を踏み出しているのだ。ふう、と息を吐き出しながらもそれを許してしまうのには、やはり彼女が持つ眩しい雰囲気が要因なのだと思う。それを分かってか、隣に立つリボーンは口を開いた。
「相変わらず元気だな、麗は」
「ええ。私達も手を焼いていますよ」
「―――変化はねーか?」
「…変化らしい変化は見られませんが、怪我をして帰って来ると、やはり顔色を変えますね。目の前で倒れたらしい委員長が原因でしょうか」
「影響はある、か……」
「それに気付いてか、今日も出て来るのにひと悶着ありましたよ。それだけじゃないんでしょうけど」
「惚れた弱みだろ?」
二学期が始まって暫く経ったくらいだったと思う。夏休み気分が未だに抜けきれない並中の生徒を見付けた事があった。その生徒らは思ったよりも腕が立ち(あとから知った事だが、武道を嗜んでいたらしい)、雲雀は切り傷を負って帰って来たのだ。雲雀も雲雀で黒曜での一件の傷が完治した訳でもなく、全力ではなかったのは確かだった。その事が分からないくらい、麗は顔を青ざめさせたのだ。その時は怪我人である筈の雲雀が「落ち着け」と言い宥めたが、そこからだろうか。雲雀がやけに過保護になったのは。
それから暫くしたある日、「なるべく血に関わらせたくない」と雲雀がぽつり、と呟いた事があった。その時は聞き間違いかと思ったが、彼の限りない本音だったのだろう。一学期に比べると伸びて来た黒い前髪の隙間から見えた瞳は、何かを決めた様だった。
「…日中はよろしくお願いします」
「任せとけ…それにしても遅ェな、麗のやつ」
「また誰かに出くわしたのか……」
その会話が現実となっていると知れば、草壁はまた溜め息を吐くのだろうか。
「はー…すごい美味しそうな匂いだったな……」
(あとはわらび餅…と)
同刻、コーヒー店の前、麗は至福の溜め息を漏らす。そんな彼女の腕には、紙袋に包装されたコーヒー豆が抱えられていた。そのまま彼女は雲雀家が何時も世話になっていると言う和菓子屋に顔を覗かせる。久し振りに見た店主の顔は変わりなく優しげだ。にこり、と笑みを浮かべて店内を見渡すと、暖かな空気が麗を包み込んだ。その時、麗の視界には既視感のある人間が入ったのである。―――あの子は、もしかして。そう感じた麗は知らぬ間(ま)に声を掛けていた。
「―――ハルちゃん?」
「あっ、麗ちゃんじゃないですか!お久し振りです!」
「久し振り。どうしたの?こんな所で」
「ツナさん達と遊びに来たんです!」
(だからリボーン君がいたのか……)
黒い髪を高い位置で纏めているのは麗の予想通り、ハルだった。その両隣には獄寺とフゥ太が居る。獄寺とは学校で会う事はあったが、フゥ太とは黒曜の一件以来である。元気そうで何よりだ。そんな思いからふと笑みを漏らせば、フゥ太はこちらに駆け寄って温もりを分け与えてくれた。―――可愛い。そう目元を緩め、麗は獄寺の言葉に耳を傾ける。
「お前ら、いつの間に仲良くなったんだよ」
「わたしが入院してた時、かな。すごい勢いでお見舞いに来てくれたんだよね」
「は、はひ!忘れて下さいー!」
「その後に僕お見舞いに行ったんだけど、ハル姉ってばボロ泣きだったんだよー、ね!」
「い、言わないで下さい!恥ずかしい……!」
沢田らが帰った後だろうか、全速力で麗の病室に駆け込んで来たハルは第一声に「ごめんなさい」と言う言葉を発したのだ。そして、謝罪の言葉を続けていたかと思えばそれらは嗚咽混じりのものとなって行った。そんなハルに「友達になりたいな」と言えば、ハルは思いきり泣き始めてしまったのである。フゥ太は、そんな場面に出くわしてしまった、と言う訳だ。
「……どう言う状況だよ」
「可愛い女の子でしょ?」
「アホなだけだろ」
「あー!またアホって言いましたね!?」
そう言って毎度の事の様に始まるハルと獄寺の口論にくすくす、と笑みを溢しながら、麗はショーケースに飾られているわらび餅を指差す。そして、後ろでギャーギャーと騒いでいる二人を無視して、麗とフゥ太は店主から頂いた緑茶の渋さを楽しんでいた。―――しかしその口論もようやく鎮火したのか、店主がわらび餅を差し出したのと同じタイミングでこちらにやって来た。
「それ、今日のおやつですか?」
「先輩に頼まれたの。まあでも、何だかんだで分けてくれそう」
「先輩?」
「委員会のね、先輩」
「―――美味しかったら教えて下さいね!ハル、買いに来ます!」
「もっちろん!」
「先輩」、そう告げた麗ちゃんの顔はすごく優しかったんです。目と口はすっかり緩んでて、頬っぺたはふわふわなピンク色で、何だかすごく幸せそうでした。そんな姿を見ちゃったら、その「先輩」がどんな存在か、最近関わりを持つようになったハルにでも分かります。すごく幸せそうな、満ち足りた顔。それを見れる位置にいる事が、ハルはとっても嬉しいんです。―――そんなハルの横で麗に視線を注ぐ存在が居る。獄寺だ。
「…なに?」
「……お前、ほんと良い性格してるよな」
「何それ、褒めてる?」
「一ミリたりとも褒めてねーよ!」
「まあ冗談だけど」
(こいつ…!)
その視線に気付いた麗が首を傾げると、獄寺は呆れた様に溜め息を吐く。そして諦めた様に言葉を紡いだ。それに対してふざけた言葉を送る彼女に、律儀にもツッコミを返す彼はきっと根は真面目なのだ。ふるふる、と震わせる拳に気付くのは、きっと彼女しか居ないのだろう。しかし、そんな彼女は先程のおちゃらけた雰囲気を隠し、そっと静かな笑みを携えたのだ。
「―――秘密、だよ」
しい、と細く息を吐き出して、僅かに白い歯を見せる。ゆるり、と和らいだ口角は、何時も雲雀と騒いでいる面影すら消していた。しかし、細くなった琥珀色の瞳にだけはいじらしさが孕んでいた様に感じる。―――ヒバリも、こいつのこう言う所に惹かれたんだろうか。消えちまいそうな、細々とした存在感に、縋りたくなったんだろうか。そんな予想をしながら、オレはふと笑みを溢す。
10代目と野球バカが気にする理由が、少しだけ分かった気がした。
「草壁さーん!」
「遅かったな、日比野。買えたか?」
「買えましたよ。学校に戻ったら草壁さんもお茶にしましょうね」
「ああ、いただこう」
軽快な靴音が近付いて来るのが分かる。そちらに目をやって見えて来たのは、荷物が増えた麗だった。後ろには見慣れぬ人影も見えている。そちらにちら、と視線を向け、草壁は麗の荷物を手に取り、温和な笑みを浮かべた。それは身内にだけに見せるもので、後ろの人影であるハルと獄寺はぱちくり、と目を丸くしたのだ。
「…今日はヒバリじゃねーのか」
「委員長は学校だ」
「そうかよ」
「リボーン君もずっといてくれたんだね。ありがとう」
「女を置いて行く事はしねェぞ」
「男前だなあ」
「ジェントルマンだからな」
そんな淡々とした会話を繰り広げながら、麗と草壁は自然とリボーンらと行動を共にしていた。こんな所を雲雀に見られれば、「咬み殺す」どころじゃ済まないだろう。そう思うと、一緒に来てくれた人が草壁で良かったと心底思う。そんな和やかな空気も、とある轟音によって消え去る事になるのだが。
並盛町唯一のショッピングセンターのガラスが勢い良く外に飛び散った。そこから空を突き破る煙幕は、その場に居た人々を多く巻き込んで行く。また、その中に巻き込まれたのは麗らも同じ事だった。真っ直ぐに近付いて来る小さな瓦礫やガラスの破片は麗を狙っている。―――しかし、そんな麗の視界は真っ暗な闇に包まれる事になった。恐る恐る目を開けると、唐突に身体を突き飛ばされたのである。
「っ草壁さん!」
そう叫んだ麗の手には、僅かな血痕が滲み始めていた。