歪み始める気持ちを君に
「う"お"ぉい、ソレを渡す前に何枚におろして欲しい?」
「渡してはいけません、沢田殿」
「え!?ちょっ、なんなの?どーなってんのー!?」
「あいかわらずだな、S・スクアーロ」
目の前には剣を持つ男――スクアーロと言うらしい――が獰猛な笑みを浮かべており、思わず砂利を擦れば、小さな衝突音がそこに響いた。自販機があり、そこから横に長く壁が連なっている。改めて冷静に考えてみるも、ここから逃げる事は至難の業の様だ。思わず垂れた冷や汗を拭おうとしたその時、この静寂の間(ま)を、とある声色が破ったのである。
「子供相手にムキになって恥ずかしくねーのか?」
「ディーノ、さん…?」
「跳ね馬だと!?」
「その趣味の悪い遊びをやめねーっていうんなら、オレが相手になるぜ」
「――う"お"ぉい、跳ね馬。お前をここでぶっ殺すのも悪くない。だが、同盟ファミリーとやりあったとなると上がうるせえ。今日のところはおとなしく…」
この場に現れたディーノはスーツの男達を引き連れており、手には艶がかった鞭がある。――その時の瞳(め)はとても鋭くて、あの温厚な笑顔を思い出す事は難しかった。けど、その雰囲気に、やっぱりな、と思った事もうそじゃない。思わず目を細めて前を見据えれば、何時の間に動いたのか、スクアーロの手には沢田の剛毛な茶髪が掴まれていた。
「帰るわきゃねぇぞぉ!!」
「ぎゃっ」
「沢田君!」
「お前を人質に取っても良いんだぜぇ!?女のガキ!」
そう叫ばれた言葉と迫り来る剣の切っ先に、麗は目を見開いた。幸運な事に彼女はそれらを紙一重で避けるが、首元に違和感を残す事となったのだ。横から聞こえる草壁の声は酷く焦ったもので、顔を見る事さえ叶わなかったが、大きく目を見開いていそうだ。そんな光景を目の当たりにしたディーノは思わず鞭を振り翳すが、それと同じタイミングでスクアーロはそちらに対して仕込み火薬を放ったのだ。その影響で霞む視界に思わず眉を顰めるが、そんなディーノの耳には苦しげに咳き込む音が届く。
「お前達!大丈夫か?」
「貴様に免じてこいつらの命はあずけといてやる。だが、こいつはいただいていくぜぇ」
「ああっ、ボンゴレリングが…」
「ボンゴレリング…?」
気管に嫌な空気が入ってしまったらしく、ひゅうひゅう、と嫌な呼吸音が耳に付く。それに思わず眉を顰めるも、再びこの場に響く濁声に、麗は目を向けた。スクアーロの手にはとある紋章が描かれたボックスが掴まれており、それを見てディーノとその横に居る少年は酷く目を見開かせているのだ。――数ヶ月前、リボーン君が病室で聞いて来た事と関わりがあるんだろうか。そう勘づいてしまう程、六道君の一件と今回の騒動は「襲われる」と言う点で良く似ている。そこまで結論付けた所で、隣からはドサッと何かが落ちる音が響いた。先程スクアーロに斬り付けられた少年だ。
「――深追いは禁物だぞ」
「リボーン君…!」
「麗、首は大丈夫か?」
「え、あ…い、わかんは、あるん、だけど…」
「病院コースだな、じっとしてろ。――良いよな?草壁」
「ええ、委員長には私から」
「ひ、雲雀先輩に言います……?」
「当たり前だろう、何言ってるんだ」
「だ、だって絶対怒りますもん……!」
「残念だったな、諦めて説教コースに進め」
その音の後に聞こえたからか、リボーンの高い声色は酷く冷淡に聞こえた。そんな結論を思いきり首を振って否定すれば、麗の耳には不穏な会話が聞こえて来る。恐る恐る草壁に問い掛けると、あっけらかんとした態度で言葉を紡がれた。それを受けて項垂れる彼女は首の痛みなどない様だ。しかしその横では何かに耐え兼ねている様に、沢田がわなわな、と震えている。
「っ…じゃなくて!なんで今頃出てくるんだよ!!どーして助けてくれなかったんだ!?」
「オレは奴に攻撃しちゃいけねーことになってるからな」
「な…何でだよ」
「奴もボンゴレファミリーだからだ」
「えー!?何だってー!?オレ、ボンゴレの人に殺されかけたのー!?ど…どう言う事だよ!?」
「さーな」
「って言うか日比野さんいるのに『ボンゴレ』とか言うなって!」
「片足突っ込んでるようなもんなんだから別に良いだろ」
「意地悪言うねえ、リボーン君」
沢田が言いたいのは、何故手を出してくれなかったのか、と言う事だ。リボーンが手を出していれば、ここまで被害も広がらなかったのかも知れない。しかし、リボーンにも様々な制約があるのだ。そして、リボーンにも今回の事は理解が追い付いている、とは言い難い。そんなリボーンらの所に近付くサイレンがある。どうやら警察が駆け付けて来ている様だ。
「――ツナ、その話は後だ。廃業になった病院を手配した、行くぞ。麗もついて来いよ」
「は、はいっ」
「ま、待ってください!!獄寺君と山本が…!!」
「あいつらなら心配ねーぞ」
段々と近付くサイレンを耳にしたディーノは地面に倒れて気絶してしまった少年を担ぎ、麗に声を掛ける。それに慌てて返事をした彼女は首に違和感を抱えながら、後ろで展開される会話を聞き流す事になったのだ。――「とっとと帰っていいぞ」、そう言ったリボーンの声色に迷いなどは見当たらない。一番近くに居た沢田でさえも理解できていないのだ。唐突に告げられた山本と獄寺に分かる筈もない。しかし力が足りない事だけは充分に分かった。
「――行くぞ」
「ちょっ、おい!!」
「本当はあいつらも感じてるはずだ。あれだけ一方的にコテンパンにされて、はらわた煮えくり返ってねーわけがねぇ。――ほっとけ」
ああ、ここからはもうわたしが分からない世界だ。死ななかった、それだけで充分な気持ちじゃないんだ。きっと、雲雀先輩や草壁さんは分かっちゃうんだろうなあ。わたしがいくら頭を捻っても分かる事は無いし、正直分かりたくは無い。無事なだけじゃ、駄目なのかなあ。そう思ってる内はきっと本当の意味で助けにはなれないんだろうけど。
けど、それでも、わたしにはわたしなりの気持ちがあった。
中山外科医院――今はもう開業はされていない古い病院だ。普通ならば使う機会などは訪れないが、あまり見られたくない怪我をした時の隠れ家としては最適だろう。見た目だけ見れば、そこまで怪しまれる風貌をしている訳でもない。そこで、麗は治療を受けていた。どうやら首の骨が歪んでしまったらしく、暫くは安静に、との事だ。傷のない身体で落ち着いたばかりだと言うのに、最近は何故か傷が多い気がするが、気のせいだろうか。
正規ではない医者にお辞儀をして、麗は病室を出た。思わず漏れたふう、と言う溜め息はどうか聞き逃して欲しい。自身の首――痛めた部分に添え木を当て、それを固める様にぐるぐる、と包帯を巻かれた――にそっと触れると、微かに痛みが芽生える。――こんな事で落ち込んでちゃ駄目だ。大丈夫、大丈夫。決めた事があるんだから。そう意気込む麗の目には何処か焦っている沢田の姿が映った。
「…沢田君?」
「あっ、日比野さん!首、大丈夫!?」
「うん。丁寧にして貰ったから痛みはあまりないよ」
「そっか、良かったー!――ごめんね、また、巻き込んじゃって」
「何で沢田君がそんな顔するのー?ほらほら、笑顔!」
向こうもこちらの存在に気付いたのか、これもまた焦った様子でパタパタ、と足音を響かせながら駆け寄って来てくれる。そんな沢田の問い掛けに、麗は息をする様にうそを吐き出したのだ。――巻き込んだだけでそんなに酷い顔をするんだ。痛みが続く、なんて言ったら沢田君、泣きかけちゃうかもしれない。そう考えた麗は沢田の量頬を摘まみ、ぐい、と上げたのだ。無理矢理浮かべられた笑顔だったが、それは何時の間にか本当の笑顔になっている。
よし、大丈夫だ。
「…ほんと日比野さんってすごいよね」
「そう?」
「何か…ほんと、元気出る」
「ほんと?嬉しい。――沢田君もちゃんと怪我、治してね?絶対だよ!」
「うん、だから今から帰ろうと思って。日比野さんは?」
「ディーノさんにお礼言いたくて。まだいるかな?」
ぽりぽり、と頬を掻きながら言葉を紡ぐ沢田の意図が、麗は最初、良く分からなかった。けれど、その後に続いた言葉に、分からなくても良いんじゃないか、そう思ったのだ。その結論から放たれた言葉が二人の約束事なのである。しかし「ディーノ」と言う名を出した途端、沢田は人が変わった様に慌て始め、颯爽とガラスの扉を開けてしまったのだ。――何だったんだろう。そう思ったのも束の間、麗の視界はその、ディーノを捉えていた。
「あっ、ディーノさん!」
「――お、麗じゃねーか。治療終わったのか?」
「はい、お礼を言いたくて。ありがとうございます。お金まで出していただいて…」
「…巻き込んじまったからな、気にすんな。どのくらいで治りそうなんだ?」
「安静に過ごして全治一週間、と言ってました」
「まだマシだな……――良かった」
くるくる、と色んな所に跳ねるキラキラとした金髪は紛れもないディーノの物だ。端正な顔立ちも加わり、その風貌はまさに「王子様」である。そんな彼は麗と視線を合わせる様に跪き、安堵の息を吐いてはほっと目元を細めた。その表情(かお)に、彼女は思わずぱちくり、と目を丸くする。――まるで、自分のせいだと責めて欲しいみたいで、わたしはどうすれば良いか分からなかった。そんなわたしの肩を掴む手がある。
それはわたしが守りたくて、理解したくて仕方ない人だった。
「ひばりせんぱい…」
「…ほんとにいた」
「――何ですかそれ」
何処かほっとした様な表情を見せた雲雀は何をするでもなく、まずは麗の存在に驚いていた。それに込み上げる感情があった彼女は、ふと笑みを溢し、おかしい、と言いたげに目元を細めたのだ。そこでやっと雲雀が安心した事を、彼女は知らないのだが。また、そんな光景をぱちくり、と目を丸くして見るしかないディーノも目には入っていないのだ。
「…それ」
「え、あ、首…ですか?」
「草壁から聞いた」
「すぐ治るみたいなんで、そんな顔しなくても…」
麗がそこまで言葉を紡ぐと、包帯が巻かれた首に雲雀の骨張った指が触れた。それはやけに熱を持っている様に感じ、彼女の身体は僅かにビク、と跳ねる。そして、それに気付かない彼ではないのだ。その時に微かに込み上がった感情に、思わず眉を顰める。そんな歪んだ想いと純粋な白い気持ちが矛盾となり、僅かに指に力が加わったのを感じた。しかし、ふと目に入った彼女の顔に目を見開いたのだ。
「――行くよ」
ただ一言そう告げて、雲雀は麗を連れて病院を後にした。その時にディーノを睨み付ける事も忘れてはいない。唐突に動き出した雲雀の行動に慌てふためいている彼女がその視線に気付く事は無いのだろう。ただ視界に入るのは黒く、艶のある短い髪、彼女はそれしか見えていないのだ。先輩と後輩の関係を逸脱している二人がその事実に気付く機会は、案外すぐ側にあるのかも知れない。
「……オレ、睨まれた?」
「ヒバリの地雷を踏んじまったからな」
「オレ初めて会ったよな?何で?」
「麗にまた傷をつけたからじゃねーか?」
「オレじゃねーじゃん!スクアーロじゃん!」
「麗が関わったら、ヒバリもただの男だからな」
「ジャパニーズ土下座でもすれば良かった?しばらく並盛近づきたくねェ……」
「何言ってやがんだヘタレめ」
そして、そんなディーノが雲雀と対面するのもそう遠くない未来なのである。