凡人は些細な事だと言う
 カリカリ、と響くのはシャープペンシルの芯が紙を削っている為である。未だにズキズキ、と痛む首を我慢しながら、麗は書類整理を進めていた。最初は雲雀や草壁らに止められたものだが、意地でも続ける彼女を見て諦めてしまった。良い意味でも悪い意味でも生真面目な性格はどうにかならないものか。しかし、嫌いではなかった。


「……何ですか?」

 僕の視線に気づいたのか、日比野は疑わしい目を僕に向けていた。ボケてるように見えて、意外とそうでもないんだよね。しばらくの間黙ってから、僕は思わずふ、と笑いを溢した。その手には欠けた指輪が行き来している。片手が使えなくなるけど、この歪な形がどうにも気になって仕方がなかった。そんな小さな物を、日比野はいつの間にかじっと見つめている。


「……見すぎなんだけど」
「え、だってずっと弄ってるから…」
「…何でもないよ」
「それ、どうしたんです?」
「今日の朝、ポストを見たら入ってた」
「えっ、そ…それ、大丈夫なんですか……?」
「……さあ」

 思わず困った様にその視線を咎めれば、麗はきょとん、とした顔付きを雲雀に向けた。しかしそれは、続いた彼の言葉で青ざめたものに変化したのだ。見知らぬ者からの届け物と言うのは確かに薄気味悪いが、そこまで泣きそうにならなくても良いんじゃないか。ふう、と思わず息を吐いた時、ふと気配を感じる。その直後、応接室の扉が音を立てて開かれたのだ。


「おまえが雲雀恭弥だな」
「…誰…?」
「オレは…」
「ディーノさん…!」
「え、あれ?麗?な、何でここに…」
「ディーノさんこそ…」
「…知り合い?」
「え、えっと…リボーン君の、知り合い…」

 応接室に響き渡った声は、先日聞いたばかりのものだ。恐る恐る視線を上にやると、自身と同じ様にぱちくり、と目を丸くしているディーノの姿があった。「マジか……」と言いたげな顔をして後ろのスーツの男に話し掛けるが、何やら首を振っている。挙げ句の果てには笑われているのだ。どうやらディーノの勘違いらしい。そんなやり取りを理解できる筈もなく、麗は思わず首を傾げた。そんな彼女が言った言葉に、前に座る雲雀は楽しそうに相槌を打つ。


「赤ん坊の…じゃあ強いんだ。――で、何の用?」
「雲の刻印のついた指輪の話がしたい」
「…僕は指輪の話なんてどーでもいいよ、あなたを咬み殺せれば……」
「なるほど、問題児だな。――いいだろう。その方が話が早い」

 ス、と立ち上がった雲雀の顔には好戦的な笑みが浮かんでおり、麗は何やら嫌な予感を感じる事となる。そして、それは見事に的中してしまうのだ。同じ様に笑みを返したディーノの手には鞭が握られており、「受けて立つ」とでも言いたげだ。そして、トンファーを握る雲雀の姿を見てしまえば、彼女はもう額を押さえる他すべは無いのだ。


「ひ、雲雀先輩、ここでするつもりですか……?」
「する訳ないでしょ、書類もあるんだし」
「あー、びっくりした……」
「……来る?」
「えっ?」
「行きたそうな顔してる」

 今更現実逃避は出来ないと感じた麗は、恐る恐る問い掛ける。その問いを否定した雲雀は「当たり前だ」と伝えている様で、妙に腹が立つ。しかし、妙に聡い彼はそんな彼女にぽそり、と声を掛けた。――顔に出やすいのかな。思わずぐっと言葉を詰まらせて、わたしは眉を顰めた。その時の顔はきっと赤かったと思う。


「……殺し合い、とかじゃ、ない、ですよね?」
「――ああ、『修行』だよ」
「なら…い、きたい、です」
「そう」

 無意識に喉を鳴らし、麗は言葉を選ぶ様にゆっくりと唇を開けてみせた。恐怖や不安、そう言った負の感情が孕んだ琥珀の瞳は、何処か潤んでいる様にも見える。そんな彼女に目を見張るも、ディーノはそれを隠す様に薄く笑みを浮かべた。――あまり一般人は巻き込んじゃ駄目なんだが、覚悟を決めて「行きたい」って言う子を拒むなんて、出来ねェよなあ。そう考える内に例の問題児は応接室から出ていて、麗はそれを追いかけるつもりみたいだ。リボーンから聞いてて麗の事は心配してたんだが、そこまで心配しなくても大丈夫みたいだな。


「えっ、ちょっ、雲雀先輩!」
「なに」
「ど、どう言う心変わりで…?」
「……うるさい」
「何なんですかその間(ま)!」

 こいつがいる限り、麗は前を向けるんだろう。




 屋内だとどうしても器物を壊しかねない、と言う事で麗らは屋上に移動する事になった。基本、常に開放されてあるそこの扉を開けるとふわり、と涼しげな風が肌を撫でる。しかし、ここへ来たのは日向ぼっこなどと言う和やかな目的ではなく、生々しい腕試しが目的だ。雲雀とディーノは中心で対峙し合い、それを見守る様に彼女とスーツの男――ロマーリオ、と教えて貰った――はフェンスに凭れ掛かった。


「学校の屋上とは懐かしいな。好きな場所だぜ」
「だったらずっとここにいさせてあげるよ。――はいつくばらせてね」

 その言葉と共に雲雀は駆け出した。そしてトンファーを振り翳すも、ディーノはそれを軽く避ける。その様子からは余裕が滲み出ていた。しかしディーノを襲うのは一撃だけではないのだ。連続でトンファーを振り翳されるも次々と避け、突き上げる様な一撃も見事に鞭で絡め取ったのだ。


「その歳にしちゃ上出来だぜ」
「何言ってんの?手加減してんだよ」

 互いが互いを挑発する様なそんなやり取りの後、雲雀は再びトンファーを振り翳した。先程の繰り返しの様にディーノは身を引くが、その直後に回す様に振り翳したトンファーに前髪の先端を持って行かれたのである。――こうやって、万全の雲雀先輩の戦いをちゃんと見るのは初めてな気がする。いつもいつも巻き込まれたわたしを助ける形で手を出していたから。やっぱり強い、んだなあ。そんな事をぼんやりと思っていると、ディーノさんがやっとの事で手を出した。持っていた鞭を雲雀先輩の方に飛ばすけど、雲雀先輩はそれを避けて、またトンファーを構えた。けど、その動きはすぐに止まってしまった。良く見ると、ディーノさんの鞭ははしごの後ろを通って雲雀先輩の手に絡まっていた。


「す、すご……」
「だろ?オレらのボスは強ェんだ。向こうの坊ちゃんは気に入らねーみてェだけどな」
「…けど、内心は楽しんでると思いますよ。なかなか好敵手に会えないみたいで」
「戦闘狂だな、お嬢ちゃんとは正反対の。良く側にいれるな、怖くねーのか?」

 思わず零れ落ちた感嘆の言葉に、ロマーリオはまるで自分の事の様に自慢げに話し出した。歳も良い所を超えている筈なのに何処か可愛らしく見えるのは、きっとディーノへの忠誠心のお陰であろう。思わず目元を細めれば、そんな麗の周りからはふんわりとした和やかな雰囲気が漏れ出した。しかしそれは唐突に収まり、彼女は僅かに目を丸くした。その時に痛々しく響いた衝突音に肩を跳ねさせ、再び笑みを浮かべる。それは先程とは違う、何処か儚さを孕んでいるものだ。


「――怖くない訳ないじゃないですか。血、いっぱい出るんですよ?見てらんないです。震えて震えて、仕方がない」
「…離れようとは、思わなかったか?」
「そう、なんですよねえ……驚く事に、『離れる』って選択肢がわたしの中にあったこと、ないんですよ。笑っちゃいますよね」
「変な子だなあ」
「…けど、それでも、わたしは、――」

 その表情のまま、麗は呆れた様に言葉を吐き出して行く。それらは今まで本人にすら言った事がなくて、そしてこれからも言う筈がないものである。自分でも良く分からないままに結論付けたこの気持ちは、きっと何人かの人間にはバレている。けれどこの距離が一番心地良いから、一番安心できるから、――あの人にとって些細な事でも、助けにすらならなくても、わたしはあの人肌に触れて、元気でいますように、と願うしかないんです。その直後に響いた、ディーノのタオルを要求する声に意識を向けた途端、麗は流れる様に雲雀に駆け寄った。――その光景があまりに自然で、オレは、ただそれを見つめる事しか出来なかったんだ。




「――何喋ってたんだ?麗と」
「ん?」

 雲雀が満足するまで戦闘の相手をし続けたディーノはそのお返しとして指輪の話をしようとしたが、苛立ちが募りに募った雲雀に追い出されてしまったのである。その際に粘りに粘ったものだから、もう日は暮れかかっていた。そんな、少し暗がりを見せた商店街を、ディーノはロマーリオと並んで歩いている。商店街を抜けた先にある繁華街の端に、キャバッローネが予約したホテルがあるのだ。それまでの道中で、ディーノは何処か楽しげにロマーリオに声を掛けた。


「いやあ…不思議な子だよな、あのお嬢ちゃん」
「そうか?まあ、恭弥が気に入るくらいだしな」
「…にしては妙に謙遜してるっつうか何つうか…」
「ん?」
「役割がなかったら側にいちゃいけねェ、って言い方をしてたからな。ちょっと気になっただけだ」

 ディーノの問いがきっかけとなり、ロマーリオの脳内は朝方の麗でいっぱいになった。年相応の笑顔を見せたかと思えば、妙に達観した様な儚い微笑を浮かべた彼女は、正直素性が知れない。けれど、驚く程に平凡な彼女は「マフィア」と言う特異な職業に就いているとなかなか出会えないタイプだ。何を思い、どう言った覚悟で雲雀の側に居るのか、そう言った細かい事は分からなかったが、きっと彼女は酷く優しく、そして、とても愚かなのだろう。そして、雲雀はそんな彼女だからこそ守りたい、と柄にもない事を思うのだ。そんな雲雀が、彼女の優しさを「些細なこと」として片付けるだろうか。
 ――答えは「否」だ。けど、あのお嬢ちゃんは誰かにそれを言われない限り、その事に気づく事は無いんだろうな。それが少し寂しくて、悲しく思えた。


「へー……」
「ボス、あんた話分かってねーだろ」
「……あははは」
「――美味い飯でも食うか」
「おう!」

 なあ嬢ちゃん、あんたが何をしても、坊ちゃんは受け入れてくれるんじゃねーか。


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