デスゲーム再び
「っ…ち……?」

 見た事のない、夥しい程の血液は麗の顔色を悪くさせた。この震える身体はきっと抑える事が出来ないのだろう。否、その術を、彼女が知る機会は無かったのだ。視界いっぱいに広がる紅(あか)は、彼女を知らぬ間(ま)に追い詰めていた。カタカタ、と震える唇を覆い隠し、小さく声を出す。すると、見えない目がこちらを向いた気がした。


「――あーあ、見つかっちゃった」
「あ、の…」
「これ、黙っててくれたりする?」
「し、ません……」
「だよなー、まあ分かってた気もするけど。見ちまったもんはしゃあねェし、――ここで死んでくれる?」
「え…っ」

 気付いた時にはもう既に、麗の頬に赤い線が描かれていた。ちらり、と恐る恐る視線を横にずらすと、そこには鋭利なナイフが突き刺さっている。デジャヴを感じるこの現状も、彼女にとっては命懸けだ。何時だったか、学校でもこんな事になった記憶がある。その時は雲雀が居たけれど、今はその姿の片鱗さえ見当たらない。
 結論、「絶体絶命」と言うやつだ。そして、この結論に至った瞬間(この間、約一秒)に彼女は勢い良く駆け出したのだ。後ろから「王子、鬼ごっこだーいすき」とか何とか聞こえるが、この際無視である。一言一言に反応していては死ぬ、寸分違わず死ぬ。けれど、そんな決意もやけに楽しげな声色の少年に崩されるのだ。


「あんためっちゃ避けるねー、反撃しねェの?」
「こっ、この状況で!出来ると思いますか!」
「思わないね。なに?オレと同種?」
「はい"!?反撃できないっ、のに!同種!?ふざけてますか!?」
「すっげェだみ声」
「アレッ会話が成立しない」

 普通に世間話をする様に話し掛けて来た少年の顔には、何故か笑みが携えられている。この状況で笑えるメンタルが意味分からない、理解不能である。ぜえぜえ、と息を荒くしながら迷路の様な路地裏を駆け続ける。こんな事なら茉莉と別れた後、大人しく黒曜に帰ってるんだった。そんな事を考えながら走っていたが、唐突にその足が止まる。目の前には少しくすんだ壁、どうやら行き止まりらしい。


「もう逃げらんないよな?」
「え、ええっと…見逃して、くれたりは…」
「そのつもりだったら最初っから追いかけてねーけど」
(ですよね!)
「つーか、あんたも運ねェよな。普通路地裏覗く?何なの?好奇心旺盛?」
「お、音がしたので、つい…」
「馬鹿なの?」

 チャキ、と言う金属音の方を見やれば、そこには鋭利なナイフを両手に構えた少年が居た。そんな彼は、震える声で告げた麗の希望を見事に打ち砕いてみせたのだ。それに加え、名も知らぬ彼に罵言を浴びせられる彼女はもはや泣きそうだ。無念である。思わず溜め息を吐かれれば、再び金属音が響き渡る。ビク、と肩を跳ねさせると、「じゃあね、綺麗に死ねよ」と言う言葉と共にふと笑みを溢した音と、風を切る音が聞こえた気がした。
 しかし、それはあくまで杞憂だった事を知る。恐る恐る、と瞼を開けたと同時に、この緊迫した空間には気が抜ける様な空腹の音が響き渡った。思わずぱちくり、と瞬きを繰り返すと、目の前の少年も同じ様に呆気に取られていた。――一つだけ言うけど、今の音はわたしじゃないからね。何でそんな顔してるの。おかしくない?そんなツッコミを脳内に巡らせている間に、少年はある一言を口にした。


「……腹減った」




 ところ変わり今現在、麗は自身を殺そうとして来た少年――ベルフェゴール、と高圧的に教えて貰った――と共にとある定食屋で晩ご飯を頂いている。この店に個室の席があって本当に良かった。それにしても、驚く程の食欲である。その細い身体の何処に吸収されるのだろうか。思わず漏らしそうになった溜め息を、白米で押し込んでみる。未だに止まる事のない箸に、彼女は思わず冷や汗を掻いた。そして、やっとの事で声を掛けたのである。


「……美味しいですか?」
「ん、まあまあ」
「の割にはすっごい食べますね」
「しばらく食べてなかったし。つーかオレとかまだマシ。ボスとか先輩の方が食う」
「ボス?」

 その問い掛け以降、ベルは食事以外で口を開く事は無かった。恐らく、聞いてはいけない事だったのだろう。聞き覚えのあるその言葉は、麗の中で暫くの間燻る事になるのだが、そんな事は彼の知った事ではないのだ。息を吐き、再び食事を再開する。目元が髪で隠れているからか、少し怖い気もした。浮世離れしているあまりにも美しい金髪は、やはりどうしても見慣れない。だからか、無意識に見ない様にしていたのだろう。しかし、何故か突き刺さる様な空気が混じっている。ゆっくりと視線を前にやると、彼はこちらをじっと見つめていたのだ。


「あ、あの…」
「――あんた、自分を殺そうとしたやつと良く飯食えんね。オレだったら絶対無理」
「え"っ」
(あんたが無理矢理連れて来たんじゃん……)
「なに」
「い、いえ……ただ、あの、――ご飯に罪は無い、ので」

 何時の間に食べ終わっていたのか、ベルは障子を開けて店員にお茶のお代わりを頼んでいる。そして、頬杖を付いて麗の顔をじっと見つめた。その後に告げた言葉は、きっと彼に戻り来るものだろう。しかし、それを追求する勇気は、今の麗にはなかった。そんな麗が途切れ途切れに呟いた言葉に、彼は再び口を半開きにさせる。そして、再び真っ直ぐすぎる言葉を麗に浴びせたのだ。


「……あんた、『馬鹿』って良く言われねー?」
「い、言われます」
「やっぱり。馬鹿だもんな、あんた」
「な、何回馬鹿って言うんですか!」
「別に良いだろ。だってオレ、王子だし」
「お、王子さま、なんですか……」
「そうだけど?」
「……ベ、ベル様と、お呼びした方が…」
「止めろ気持ち悪ィ」

 うしし、と聞いた事のない笑い声と共に、麗は初めて視界に憎らしくも憎めない笑みを映した。それを本気に取ってしまった彼女は、わなわな、と手を震わせながら言葉を紡ぐ。それを一刀両断したベルは呆れながらも、あまりにも穏やかな彼女に毒されていた気がする。こんな何でもない話をしたのは彼女が初めてで、彼は見えない筈の瞳を横に逸らしたのだ。
 午後7時を過ぎた頃、まだまだ暑いと言っても夜と言う時間帯になれば辺りは闇に包まれる。店から出た二人は、そんな暗い道を進もうと足を前に出した。その前に済ませた会計はもちろん麗持ちである。


「あー、腹膨れた」
(そりゃ、あんだけ食べればねえ…)
「あ、そうだ。あんた、名前何だっけ?」
「……麗です。日比野、麗」
「麗な、麗」

 歩道を示す白線の上を器用に歩きながら、ベルは少しだけ声を張り上げた。その言葉に冷や汗を垂らす者は、ここには麗しか居ない。――白米をお椀に四杯は食べていた気がする。あの人の胃はブラックホールか何かか。心の中でそうツッコんでも当の本人には届かないのだ。その当の本人と言えば、雑に何回も彼女の名を繰り返している。この数時間で、彼の性格は大体分かった気がした。


「麗ってここら辺のやつ?」
「え?あ、まあ…」
「また会う気がするから、そん時はまた奢って」
「は…な、何言って…」

 先程までの会話とは全く脈絡がない問いを投げ掛けられれば、麗は戸惑いを覚えながらも答えてみせた。しかし、その後に続いた言葉に、彼女ははくはく、と口の開閉を繰り返したのである。その様子を見たベルは再びうしし、と独特な笑い声を響かせて、流れる様に手を振った。そして、何を考えているのか分からない、そんな一言を残して消えたのである。


「身のこなしはまあまあ良かったぜ」

 「また会う気がする」――そのベルの言葉が現実となるのは、案外近い事なのだ。


prev back next

top