恐れを孕む憧憬
「あ、あの、麗ちゃん…」

 太陽の光が薄く注がれる昼下がり、細々と声を出したクロームは目の前で嫌にご機嫌な麗を視界に映していた。時間帯に関わらず変わりもしないその天真爛漫さに戸惑いながらも、クロームは相手の顔を見つめている。日当たりがよいこの席は麗が好きな場所らしく、キラキラ、とした自然の恵みを与えられていた。机の端に置かれた小さい花瓶の中にはスミレが添えられている。それは水を与えられたばかりなのか、太陽の光と反射して控えめに煌めいていた。


「どうしたの?」
「いや、あの、えっと…どうして、急に」
「せっかく髑髏ちゃんから連絡くれたんだもん。今度遊ぼうって言ったしね」
「わ、私で良いん、ですか……?」
「髑髏ちゃんが良いんだよ」

 グラスを傾けつつもこちらに視線を寄越すクロームは、こう言った人の多い空間に慣れていない様だった。そんなクロームの言葉に麗は思わず目を細め、優しく諭す様に言葉を紡ぐ。それを聞いてぱちくり、と丸くなったクロームの紫色の瞳はキラキラ、と輝いていて、何処か庇護欲がそそられる。


「それは、どうして…?」
「わたしの知り合いに似てるって言うのもあるんだけど…何か、放っておけなくて」
「それって…」

 そこまで言葉を紡いだ所で、二人のテーブルには様々な料理が乗せられた長方形のプレートが運ばれて来た。数切れのマルゲリータにトマトソースが充分に絡んだパスタ、その隣には初めて見る温野菜のサラダに、ほかほか、と湯気が立つクラムチャウダーがある。これだけのボリュームで千円なのだから思いきったサービスだろう。思わず漏れた「美味しそう……」と言う呟きに口元を覆うが、どうやら遅かったらしい。それは、目の前で広がる麗の優しげな笑みが証明してくれていた。


「――よし、食べよ!」

 そんな麗の掛け声にクロームは恐る恐る、用意されたフォークに手を伸ばす。そして、それの切っ先にオレンジ色に染まった麺を絡めて行く。それを口内に含めば、丁度よい酸味がそこに広がる事になった。僅かに緩んだ頬に思わず嬉しくなれば、麗も熱々であろうクラムチャウダーの海にスプーンを潜(くぐ)らせる。それを口内に運ぶと、身体が温かな熱に包まれた気がした。
 食事の合間合間に言葉を交わし、その度に喉を潤す。こんな穏やかな時間を過ごしたのは何時振りだろうか。並盛中学校に入学し、雲雀と関わる様になってからは随分と遠のいてしまった感覚である。地元の話や委員会の愚痴、言葉を放つのは主に麗だったが、クロームの口元にはささやかながらに笑みが浮かんでいた。それが麗を不安にさせないのである。


 メインディッシュを全て食べ終え、二人の目の前にはそれぞれ着飾られた甘味が置かれている。麗はレモンアイシングが掛けられたレモンのシフォンケーキ、クロームは網目状に覆われたブルーベリーパイを頼んだらしい。仄かな酸味がイタリアンな口内をリセットしてくれる。咀嚼を繰り返す間はカフェ独特の喧騒が蔓延っており、しかしそれは決して苦ではないのだ。だがクロームは、ずっと気になっていた事を口にする。


「私に似てる人って、だれ?」
「えっと…知ってるか分からないんだけど…」
「良いよ」
「え?」
「……良いよ、言って」
「――六道骸、って人だよ」

 簡素なその問いに、麗は苦笑を浮かべて頬を掻く以外の術を持ち合わせていなかった。しかしクロームの真摯な瞳が逸らされる事は無く、気付いた時には麗は口を開いていたのだ。その直後、微かに響いた「やっぱり」と言う一言に、麗はぱちくり、と目を丸くしては首を傾げた。


「知り合い?」
「私を…私を救ってくれた、大切な人、なの」
「そっかあ……」
「麗ちゃんは…」

 そんな麗の問いに、クロームはぽそり、と慈しむ様に言葉を紡ぐ。その時に麗の脳裏に浮かんでいたのは何時も強気に口角を歪め、しかしその瞳に孤独への恐れを含んだ骸の姿だった。ふと目元を緩めた時を同じくして、クロームは再び口を開く。しかし、目の前に広がる麗の双眸があまりにも柔らかで、クロームは思わず煌めく紫の瞳を見開いたのだ。


「──すごくすごく、大切なお友達」

 じんわり、と優しさが孕んだその声色は全てを包み込む様で。しかし何処か寂しげで、欲を我慢する様なそれは二人の関係性全てを物語っている様に思う。僅かながらに嵌らない互いの気持ちを理解しても尚、麗は骸を突き放す事はしないのだ。殴られ嬲られ、初めての恐怖を感じさせられた相手だとしても、あんな迷子の様な瞳をした彼を嫌いになれる訳がなかった。
 きっと骸も気付いているのだろう。それを突き放す事でしか自分を保てないのだ。ひどく、不器用。けれどひどく愛らしい。──そんな男と再会する日が近い事など、この時の麗は思ってもみないのだが。




「……髑髏ちゃん?」

 そう呟いたのは、クロームと食事をした時から随分と経ってしまった夜も深まった時間である。彼女と別れた際、道に落として行った髑髏のブローチを手に、麗は今ようやく並盛町に足を踏み入れた。その時、視界の端に映ったのは確かに黒曜中学校の制服だった筈だ。その学校の制服を着て、わざわざ並盛町にやって来る少女を、麗はたった一人しか知らない。──追いかけよう。そう思ったのは、手の中にあるブローチである事に他ならない。


 一番最初に目に付いたのは、今はもう随分と見慣れてしまった並盛商店街の看板である。古く、あまりに趣がある物だ。これを言えば、雲雀とのデスマッチ(と言う名の鬼ごっこ)が始まってしまうので言わないが。時間が時間なので全ての店がシャッターを降ろしており、生活空間であろう場所にも灯りは見られなかった。不気味さは漂うが、誰かに見られる心配は無さそうだ。闇夜に紛れる黒曜中学校の制服は些か見えずらい。しかしやはり、ここで引き返す訳にいかないのも確かだった。


 商店街を抜け、入り組んだ住宅街へと辿り着く。物音一つしないそこで活動してる者は居ない様で、辺りはしいん、と静まり返っている。少しでも物音を立てれば、何か良からぬものが覚醒しそうである。手に汗握るそんな状況にも関わらず、麗がクロームの後ろ姿を見失う事は決してなかった。それはきっと大切な友人の為、たったそれだけの清い思いからである。──スカートの裾がはためき、はっと目を見開く。その直後、麗の視界に広がったのは自身の居場所とも言える所だった。


「並盛中学…?」

 それを視認した瞬間、麗の中では「もしかして」と言う言葉が繰り返し浮かび上がっている。──つい先日の事だ。ボロボロになった校舎の中で、麗は傷だらけになった獄寺の手当てに当たっていた。まさか、あんな戦いがまだ続いているのだろうか。そんな仮定の言葉さえ生まれて来る、そして傷だらけのクロームを想像してしまった残念な頭を捨て去りたい。足音を立てまいと最低限の動きに控えていた両足も、今では焦りから随分と駆け足になってしまっている。
 クロームの姿が消えた体育館の重い扉を開ける。そこに広がるのは、ぱちくり、と目を丸くして驚愕の表情を浮かべる友人達だった。驚きから思わず声を荒らげる沢田は、さあっと顔を青ざめさせ、楽観的な麗に対して嘆いている。


「……これ、入っちゃ駄目だった?」

 そう問い掛けた瞬間、ひくり、と誰かが顔を引き攣らせたのは確かだ。


prev back next

top