凡人の決意とは
 日付を超えてから帰宅したこと、連絡不精である事についてこっ酷く母に説教された翌日、麗は並盛へと足を運んだ。その足の先は中山外科医院――既に廃病院となっており、キャバッローネファミリーの隠れ家と化している――である。現在の時刻は7時を過ぎたところ、朝も早い事から物音一つ聞こえない。ガラス張りになった扉を開けようとした瞬間、麗の視界の端には見慣れた茶色が現れた。――沢田である。彼にしては随分と早い起床だ。


「沢田くん!」
「えっ、日比野さん!?」
「おはよ。早いね」
「お、おはよう。寝れなくて…じゃない、日比野さんこそ何でこんな所に…」
「会いたい子がいて…」
「会いたい子…?」

 麗の言葉を繰り返しつつ浅いながらも考え込んでいると、唐突に沢田の顔面にガラス張りの扉が激突してしまったのだ。――そんな沢田は、麗の存在に驚きを隠せずにいる様子である。そんな彼の様子に驚く事もせず、彼女は何時もの様にふわりと笑みを浮かべ、挨拶を交わした。良い意味でペースを崩されてしまえば、彼はただ挨拶を交わす他に術は無いのである。――こんな一面にヒバリさんも調子を狂わせられてるのかなあ、なんて思う。最近は一緒にいる所をあまり見ないけれど、今はそれが良いんだろうけど、日比野さんは少し寂しそうだ。そんな事に思いを馳せていると、勢い良く目の前に現れる人物が居た。


「…ボス」
「――あ!」
「髑髏ちゃん!おはよ!」

 ――クロームだ。そして麗の表情を見ても分かるが、麗が会いたい、と呟いた人物もクロームであったらしい。麗は元気良く朝の挨拶を口にしながらクロームの首元に抱き着いた。思わずぎゅむ、と言った効果音が響きそうな程の勢いである。そして、クロームもそんな麗の明るさに圧倒されていた。胸元にスクール鞄と三叉槍を抱えながら、クロームは仄かに頬を赤らめる。――改めて思うけど、見慣れない二人だよなあ。言葉にはしないけれど、意外とこの子の方が日比野さんの事を気に入ってる、気がする。


「お、おはよ。……麗、ちゃん。どうしてここに…」
「昨日の夜、ちゃんと話せなかったでしょ?だからもう一度顔が見たくて」
「…そうなの。――ありが、と」
「怪我とかない?身体、痛くない?」
「平気。骸様が助けてくれたから」
「…そっか」

 麗の勢いに圧倒されつつも、クロームも沢田と同じ疑問を口にした。そして、ようやく耳に届いた理由には、甘くて堪らない麗の優しさが溢れている。しかし、入学式の時から麗の優しさを知る彼は、それが当たり前の様に感じたのだ。――何時も笑顔で明るくて、けど何処かに儚さもあって、人を惹き付けて止まない初めての友人、沢田にとっての麗とはそれだ。そんな彼女を殺しかける骸の気持ちが、沢田は心底理解できなかった。そんな骸の歪んだ気持ちさえも受け止める彼女を、優しい人間と言うべきなのかは分からないが。


「やっぱり骸様のこと、知ってたのね」
「…骸様目当てだったのね、って疑ってる?」
「ちがう。そんな人じゃないって、聞いてたから」
「骸くんに?」
「うん。その時の骸さま、すごく嫌そうだったけど」

 ――だろうね、その予想しか出来ない。寧ろ、それ以外は有り得ないだろうね。そんな思いを抱きながら、麗は乾いた笑みを溢した。その隣で話を聞く沢田も同じ様な表情を浮かべている。――この二人、似てる。そんな思いを抱いたのは、きっとクロームが初めてではない。全部を包み込む様な雰囲気や酷く甘い優しさ、それらはきっと良薬にもなるし毒にもなるのだろう。その事に自覚を持っていない所も少し、ずるい。そんな一面に、骸は対抗意識を持つ事しか出来ないのだ。


「――でも、骸様は麗ちゃんのこと、好きだと思う」
「…そうかな」
「…ただ、優しさに慣れてないだけ。だから、ボスも…」
「えっ、オレ!?」
「……行かなきゃ」
「どこ行くの?」
「犬と千種がどっか行っちゃって…」
「え……」

 流れる様に沢田の名を出したクロームは、驚いた彼の声に反応を示す事もせずに麗と彼の間を通り抜ける。今の今まで話題の中心に居たのにも関わらず、この話題はこれで幕を下ろすらしい。麗が思わず浮かべた苦笑は、その後に紡がれたクロームの言葉によってより深いものとなった。あの二人も何だかんだと言って犯罪者であり、骸の一味である。自由気ままに行動する、と言う面では似ている部分もあるのだろう。沢田は、麗の隣で――そういや置き去りにされてたもんな――と昨夜の様子を思い浮かべる。そして、昨夜の対戦に対する謝礼の言葉を述べようと唇を開いた。――しかし、クロームは遥か彼方、既に病院を駆け出している。ああ、意外と合う部分もあるのかもしれない。麗はそう考えを修正したのである。


「そう言えば日比野さん、知ってたの?対戦のこと」
「詳しくは知らないけど、何かあるんだろうなあ、とは思ってたよ」
「えっ」
「…応接室にいる時にね、部下を連れたディーノさんが来たの。で、何となく」

 ――なにやってんだあの人!心の中でそう叫んだ沢田はきっと間違っていない。正直、ディーノのタイミングの計り方も悪かった。おそらく守護者の事は前もって調べているだろう。基本情報や素性、時間帯ごとの居場所、――そして、その居場所に誰が居るのか。それらのことがらを考慮しなかったディーノのミスである。しかし、そのお陰で麗の決意も固まったのだから一概に悪とは言えないのだ。――雲雀は鋭い眼光を向けるだろうが。


「ヒバリさんは、なんて…?」
「最近はあまり言って来ないから許されてると思うんだけど、認めてもいない感じかなあ」
「……オレも、ね。京子ちゃんとかハルにも当てはまると思うけど、日比野さんも…」
「ん?」
「――日比野さんにも、危ない事に、あまり関わって欲しくない」

 沢田がそう紡いだ瞬間、秋めいた風が二人の間に吹き込む。ぱちくりと瞬きを繰り返す麗から、視線を逸らす訳にはいかなかった。――ずっと思っていた事だ。きっと、偶然が積み重ならなかったら日比野さんとヒバリさんの距離はこんなにも近くはないんだろう。きっと、黒曜での一件もトラウマ染みたものになってる。もうあれだけ傷付いて、ボロボロになった日比野さんは見たくなかった。いつも笑顔の日比野さんでいて欲しかった。けれど日比野さんは目を細めて、まるで子どもを宥めるように眉を下げた。


「……でもわたし、決めちゃったからなあ」
「え…」
「もう、離れないって決めたの。雲雀先輩の側にいる、って決めちゃったんだ。だから、――ごめんね」
「日比野さん…」
「なにも出来ないけど、側にいるくらいなら良いかな、って」

 少しだけ伸びた茶色の毛先を、僅かに指先へと巻き付ける。左右に何度かそれを繰り返し、その様子をただ眺めた。まるで愛おしい何かを見つめる様に、それに想いを馳せる様に、麗は沢田の願いを拒んだのだ。――ぶつかって、泣いて、色んな人に助けてもらって。それだけの手間を掛けても離れたくないと思った。痛い事なんて嫌いなのに、その為に並盛に来たのに、それら全てを我慢しててもあの人の隣が欲しいと願った。優しくて、不器用で、それでもあたたかな彼にふれる事の出来る距離を望んでしまった。傷付いても良い、なんて言ったら雲雀先輩はまた怒るんだろうけど。
 それだけの想いを燻らせても、もう決めた事だから、と酷くしあわせそうに言うのだ。――完敗、だろう。そんな二人の空気を打ち破る様に、麗の肩に重みが加わったのである。


「何でこんな場所にいるのよ、麗」
「――茉莉!」
「おはよ、沢田。早いのね」
「お、おはよ、橘さん」
「駅前で待ってろって言ったでしょ」
「ご、ごめんなひゃい……」

 その重みの正体とは、茉莉である。胸下まである艶やかな黒髪は未だ健在しており、それを靡かせながら麗の頬を摘まんでいる。それと同時に沢田と挨拶まで交わすとは、何とも器用な少女だ。どうやらこの二人は駅前で待ち合わせをしていたらしい。僅かに息が上がっている茉莉が証拠の様なものだ。茉莉が現れた途端、明るくなった空気に沢田はひとりでに息を撫で下ろした。――それにしても、全く同じ事を言う二人である。


「そういや沢田、今日は学校来るの?」
「えっ、わ、分かんない」
「…じゃあノート取っておくわね」
「……えっ」
「なによ」
「い、良いの……?」
「良いもなにも、クラスメイトでしょ。こんな時に頼らなくてどうするの」
「……あ、ありがと」

 そんな沢田の思いも露知らず、茉莉は麗の両頬を押し潰しながら彼に問いを投げ掛ける。そして、淡々と言葉を続けたのだ。そんな茉莉の言動に驚きの声を絶やさぬ彼は、人付き合いに酷く臆病な印象を受けた。――そう言えば、いじめられっ子って噂だったわね。今じゃ獄寺と山本と三馬鹿、だなんて言われてるけど。茉莉は思わず苦笑を漏らした。酷く臆病で、しかし優しさは絶え間なく、そんな沢田と麗が友人関係だと言うのは納得してしまう事実だろう。


「……やっぱ沢田って麗に似てるわよね」
「ど、どこが!?」
「麗もそう思わない?」
「え、なにが?」
「……あんたに聞いた私が馬鹿だった」

 まあ、天然ボケまで似なくても良かったんだけどね。




 現在の風紀委員会は委員長である雲雀が殆どの時間帯で不在なため、膨大な書類が回って来なくなった。彼の書類捌きの速度は「えげつない」ものであったし、書類の減少も頷ける。しかし、そうなると麗の役割と言うのはほぼ皆無に等しくなるのだ。こう言った状況の中、草壁から帰宅を促された彼女は再び中山外科医院に訪れていた。その用件と言うのも、雲雀についてである。――今朝はクロームを筆頭に立て続けに人に会っていたため、それに加えてディーノから話を聞く事は叶わず。しかし夕方、夜の時間帯であるなら可能なのではないか、麗はそんな考えを持ったのだ。
 窓からは橙色の眩い西日が建物の中に入り込んで来る。時折鼓膜を震わせる鈴虫の音色は、麗に秋の訪れを感じさせた。――コツリ、コツリ、ローファーの僅かなヒールが音を響かせる。人の気配も、喧騒も感じられない。自身が鈍いだけなのかもしれないが。入口に近い部屋から順に扉を開けて行く。しかし、煌めく金髪の姿は見受けられない。入口から三つ目か四つ目の部屋だったろうか、他の部屋とは違い、ベッドの一つが厳重にカーテンで仕切られていた。――恐らく、この様な好奇心がいけないのだろう。しかし、幼い麗はそれを抑える術を知らないのである。
 薄い桃色のカーテンに手を掛ける。そして、麗の視界は艶やかな銀髪とそれに似合わぬ紅が染みた包帯を確かに捉えた。しかしその瞬間、カーテンの裾を摘まむ手は鞭によって絡め取られ、彼女の身体は身動きの取れぬ状態になってしまったのである。


「――そこまでだ」
「っ…でぃーの、さ」
「今見たものは忘れろ。良いな?」
「っ……ぁ」

 確かに聞き慣れた声音だ。しかし、冷たさを孕むそれは麗に恐怖心と黒曜での一件を植え付けた。声音の正体――ディーノ――が鞭の柄を引っ張る度に彼女の身体はじわり、と締め上げられて行く。ギリ、と響く音は麗に痛みと摩擦を与えた。「良いな?」と諭されても痛みと恐怖で何も言えない。ただ細々とした、言葉とは言えぬ喘ぎ声しか吐き出す事は叶わなかった。ただ、頷く事しか出来なかった。――怖い、こわい、こわい。放して、助けて、たすけて。


「…よし、良い子だな。他言すりゃあ、オレはお前を殺さなきゃなんねェ」
「あ、の…」
「――なんて、な……」

 しゅるり、と鞭を解かれてもじんじんと感じる摩擦の熱さに、麗の身体は震えるばかりでぴくりとも動かない。髪を撫でられても、ただ恐ろしいだけだ。――震える声音をようやく言葉に出来た所で、それが相手に伝わるかは分からない。しかし、ディーノの声色から冷たさが消え去る。その瞬間、麗はタガが外れた様に感情を溢れさせたのである。それに気付かぬ彼は、ゆるりと口角を上げた。しかし、ぼろぼろと大粒の涙を零す彼女の姿に大きく目を見開かせたのだ。


「エッ!?ちょ、麗!?な、何で泣いてんの?」
「怖かったんだろ、急に殺すって言われたら怖ェだろ」
「殺すなんて言ってねェだろ!殺すかもーってだけで…」
「こっ、ころすなんて、い、いわないでよお……」
「ああああごめんごめんごめん泣くなって!冗談!冗談だから!ブラックジョーク!ジョーク!な!」




 別室へと移動させられた麗は、目元を真っ赤に泣き腫らしながら手当てを受ける事になった。涙自体は止まったものの、時折すん、と鼻を鳴らす音が響き渡る。そして、その音が響く度にディーノが罪悪感に塗(まみ)れた表情を浮かべ、それを眺めるロマーリオが肩を震わせるのだ。――何とも異様な光景である。しかし、これはディーノが招いた事なので救いの手が差し伸べられる事は無い。


「あ、あの……麗さん、何でここに…?」
「…ディーノさんに、その、聞きたい事があって」
「聞きたいこと?」

 現在、麗の鞄の中には雲雀の許可が必要な書類が何枚か入っている。それを渡す為に都合の良い日を聞きたかったらしい。期日に余裕があるものの締切が存在するため、彼女は一度電話を掛けたのだ。しかし、何度か時間帯を変えても繋がる事は無く、折り返しも来なかった。仕方なくメッセージにその旨を書き込んだものの、既読も付かなければ返信もないのである。――以上の様な状況のため、現在雲雀に最も近いディーノに話を聞きに来た、と言うのだ。


「…今日はたぶん並中、だな」
「……今日なんですか?雲雀先輩」
「――聞いてないのか?」
「…はい。あの人、なにも言わないので」

 ――不器用だな。ディーノは心の中で一人ごちた。巻き込みたくないから傷付けて、守りたいから何時も後ろに追いやって、今度は何も言わずに前へと突き進んで行く。麗にとっての害が前だけに居るとは限らないのに。それでも、あいつはそう信じて前に進むんだろう。それがどれだけ頼もしく、心配を掛け、彼女を泣かせてしまうとも知らないで。
 憂いを帯びた笑みを浮かべつつも、麗は何処かに引っ掛かりを覚えていた。季節が秋に入り、普通に生きていては出会えない人に出会った。初めて、喧嘩もした。――強さを求める男の子、「ボス」と言う言葉に黙り込む王子、強さと言う餌をちらつかせるリボーン君、そんな彼と同等の立ち位置の人が恐れる人物。ディーノさんは雲雀先輩に何を教えたのか。まさか、強さをちらつかせたのか。


「――ディーノさん。ベル君のグループのリーダーさんのこと、雲雀先輩に教えましたか?」
「え?ああ、XANXUSだろ?一応情報として教えたけど」
「…たぶん、一回じゃ終わりません」
「…どう言う事だ?」

 ディーノの言う「情報」とは、一般人が考える様な戸籍や基本情報ではない。戦う上で何を武器とするか、長所や短所、身体能力、それらを踏まえた癖などである。その様な情報を聞いた雲雀は一度では飽き足らず、二度までも自身が牛耳る学校を壊されている。それを受けたストレス、おそらく雲雀も初めて経験したであろう異性との意見の相違、どんどん周りが強くなる現状、――それらを踏まえた上で麗が出せる答えはたった一つである。


「――XANXUSさんに手を出すかもしれません」




「いいかてめーら!!何が何でも勝つぜ!!」

 午後10時50分、並盛中学校には光一つ見当たらない。そんな中で妙に力んだ声音を響かせるのは獄寺である。まるで大事な試合を控えた部員の様だ。しかし、それに乗ってくれる様な人物はこの場には存在しない。現在この場を共にしているのは山本と了平、両者とも我が道をゆく人間である。そんな二人と暴走しがちな獄寺を臆病ながらも纏め上げる沢田は、とてつもなく素晴らしい人材なのかもしれない。――まるで緊張感のない、語彙力の低い論争が続いている中、ふと黒い影が暗闇に現れた。昨日とは違い、学ランに身を纏った雲雀である。


「君達…何の群れ?」
「んだとてめー!」
「まあまあ。えーとオレ達は…」
「応援に来たぞ!!」
「ふうん……――目障りだ。消えないと殺すよ」
「なんだその物言いは!!極限にプンスカだぞ!!」

 強く放たれる突き放す様な物言いに、予想通りながら獄寺と了平は眉間に皺を寄せつつこめかみに怒号を示した。この時ほど山本が居て良かった、と思う場面は無かっただろう。何故か雲雀は山本に対し、そこまで戦闘意欲を示さないのである。それもやはり麗が関わっているのだが、それに気付いているのは山本だけだ。――ふと、反対側のフェンスの側で重苦しい着地音が響き渡った。明らかに人間の呼吸音ではない重厚な存在――ゴーラ・モスカ――は雲雀に照準を合わせている。


「そうか…あれを、咬み殺せばいいんだ」


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