想いの根拠を認めろよ
ぼやけて行く意識の中、麗は初めて見る沢田にずっと視線を向けていた。煌めく橙色に変化した瞳に堂々とした物言い、象徴の様に額で燃える橙色の炎は、彼女の中で最も煌めいていた。爆発音が絶えず響く中、彼女が感じるものとは温かな炎と肩を包み込む雲雀のぬくもりだけである。突進して来るモスカを二つに焼き切り、そこからはあるものが現れたのだ。――紛れもない、9代目である。それを見下ろすXANXUSの双眸は、確かに喜色を帯びていた。
リボーンが9代目に声を掛けるも、それに返す言葉は無い。そのあとには、何やら小難しい話が繰り出されている。マフィアのボス、揺りかごの一件、弔い合戦、普通に暮らしていれば何の意味も持たない、ただの言葉の羅列だ。それに加え、麗は巻き込まれただけなのだから分かる筈もない。僅かに興味が薄れたところに、眠気が襲う。――だめ、だめ、寝ちゃだめだよ麗。ここで寝ちゃったら、もう起きれない気がする。まだなにも言えてないのに、お腹の違和感にやられてしまいそうになる。思わず雲雀先輩に擦り寄れば、肩を掴む力が強まった気がした。ああ、ああ、どうしよう。しあわせだなんておかしいのに、そんなわたしの耳には「おまえに9代目の跡は、継がせない」と言う、これはまた聞いた事もないような沢田くんの声が響いた。
「よく言ったぞ、ツナ」
「ボンゴレの歴史に刻んでやる。XANXUSに楯突いた愚かなチビが一人いたとな」
「一人じゃないぜ!――10代目の意志は、オレ達の意志だ!!」
「個人的に」
「くるかガキ共!!」
「いいねぇ」
「反逆者どもを根絶やせ」
「――お待ち下さい!」
沢田の発言からするに、どうやら本格的に敵対するらしい。双方の闘争心は高まり、それぞれ収めていた武器を構えた。しかし、その流れはチェルベッロの声により制止される。どうやら、9代目の弔い合戦はチェルベッロが仕切るらしい。その証拠として、チェルベッロの手元には9代目の勅命が握られていた。しかし、バジルが「その死炎印は、9代目に無理矢理押させたものだな」と言葉を突き付けると、XANXUSは確かに口角を上げたのだ。
「我々は、勝利者が次期ボンゴレボスとなるこの戦いを、大空のリング戦と、位置づけます。――すなわり、今まで行ってきた7つのリング争奪戦の最終戦です。いかがでしょうか?XANXUS様」
「悪くねぇ」
「――それでは明晩、並中にみなさんお集まり下さい」
「あーらら。モドキに執行猶予あげちゃったよ」
「ツナは修業で力を使い果たしてたんだ。グッドニュースだぞ」
「――明日が喜劇の最終章だ。せいぜいあがけ」
そう囁いたXANXUSは、大空のリングの欠片を沢田に弾き飛ばす。それを受け取る沢田の姿を見届けた直後、XANXUSは右手に光を込め、それを暴発させたのだ。そして、それが晴れる頃にはヴァリアーも、チェルベッロでさえも姿を消していた。その場には、破壊しつくされた校庭だけが残ったのである。その直後、山本と獄寺の背後からとある声が響き渡る。――ディーノと、その部下だ。ディーノは部下に9代目と怪我人の運搬を任せ、ロマーリオと共に麗の側へと駆け寄った。
「麗!」
「…でぃーの、さ」
「撃たれたのか……!?」
「ごめ、なさ…かってに行動、して」
「…身体に違和感は?」
「…少し、だけ、いわかん……おなか」
ディーノが麗の肩に触れる。――それだけで、麗の脱力しきった身体に気付く事が出来た。貫通していない銃弾のおかげで出血はさほど酷くは無いが、異物感は否めないらしい。息は荒く肩で呼吸を繰り返し、青白い顔には絶える事なく冷や汗が溢れ出ている。体力が奪われている事は一目瞭然である。ディーノの目の前で、雲雀が彼女の前髪を軽く掻き上げた。すると僅かに開放的となった額に、彼女はほんの少しだけ、表情を緩めたのだ。しかし、息の荒さは変わらず吐息を漏らしている。
「…麗」
「っ、……ん?」
「――キャバッローネの名にかけて、お前は絶対に助ける。だから、その…」
「…相変わらずかっこつかないね。普通そこでどもる?」
「う、うっせーな!」
「……でぃーの、さん」
「な、なんだ麗」
「――信じて、い?」
そう言った麗の目は、ひどく潤んでいたように思う。初対面はとても幼くて、ツナの初めての友人と言うに相応しい程にお人好しだった。しかしリング争奪戦が始まり、改めて麗と話すと、ひどく自己犠牲を請け負う少女だと感じた。それと同時に、麗と恭弥の間には入れない事を悟ったのだ。そんな麗が、恭弥ではなくオレを頼っている。それがどれだけ屈辱的で、奇跡的な事だろうか。オレも、それに応えたくなったのだ。秘匿する事で守るのではない、全てを曝け出す事で恭弥の大事な女の子を守る事が出来るなら、それはとても誇らしい事のように思えた。
「信じろ」
力強くそう言ったディーノに、麗は僅かに瞳を丸くした。何時も雲雀に茶化されてばかりのディーノの中に、大人な一面を見た気がするのだ。ディーノのそんな一言に安堵した彼女は、そろりと瞼を下ろして行く。痛覚に負けたのではない、全てを任せる、と安堵したのだ。気を失った彼女を、雲雀は血で汚れる事も厭わず強く抱き締める。僅かにとくん、と脈打つ音は彼女の生存を明らかにしていた。彼女の匂いに乗算される砂埃と血生臭いそれが雲雀の鼻孔を擽る。その度に、雲雀は最悪の「もしかして」を思い浮かべるのだ。しかし、そんな思考を中断させたのがディーノの手の平だった。
「……なんなの」
「麗は絶対助ける。だから、そんな顔すんな」
「…どんな顔」
「死んじまいそうな顔」
「うそ言わないでくれる?殺すよ」
「物騒だなオイ」
煩わしそうにディーノを睨み上げるが、手を払い除ける事はしなかった。空気の鋭さに変わりは無いが、少なからずダメージはあるようだ。しかし、頑なに何時もの調子を崩さない雲雀にディーノは思わず苦笑を零した。これから、麗はキャバッローネが管理する病院に運ばれる事になる。そこで銃弾の摘出と止血、皮膚の治癒を行うのだ。そこに行くか、とディーノは雲雀に問い掛ける。すると雲雀は声を発する事はせず、ただ頷いた。
病院に到着後、麗はすぐさま緊急手術を受ける事になった。バタバタ、と慌ただしい足音が響き渡る中、彼女の為の手術器具と輸血パックが用意される。しかし、その様子がこちら側に映される事は無いのだ。ただ彼女の無事を祈り、座り込むだけである。夜の病院はひどく静かで、一mmでも誰かが動けば分かるだろう。そんな所に、激しい足音を立てて現れたのが茉莉と麗の母親だった。その二つの存在に雲雀は思わず立ち上がるが、すぐさま両腕を掴まれる事になる。
「麗が手術ってどう言うこと!?」
「橘、うるさい」
「だって!なんで、あんたがいるのに」
「……庇われたんだ。僕のせいで、怪我をした」
「は…?なに、それ。あんた、麗のこと守る、って、言ったじゃない」
「…そうだね」
「っ、なのになんでそんな澄ました顔してられるのよ!」
来るとは思っていた。当たり前だ、雲雀が茉莉に連絡をしたのだから。そして、我を忘れて怒鳴られる事も想定済みだった。直接言葉にした訳ではないが、彼女は何もせずとも気付いたのだろう。彼女は限りなく恋慕に近い友情を、彼は性欲をも孕んだ全ての情を麗に向けているのだから。しかし、茉莉と何処か似ている彼にも癇に障る言葉、と言うものが存在する。それがこの空間を震わせた瞬間、彼はギリ、と歯を食い縛り、茉莉の胸倉を掴み上げた。――澄ましてる?ふざけんな。誰が、いつ、この状況で澄ましてられるんだ。何も出来なくて、ただ茶髪が動く様子を眺めるだけで、血を止める事も痛みを和らげる事も出来ないあの状況で、誰が、誰が。
「――この状況で、澄ましてられるやつなんかいる訳ないだろ」
特段叫んだ訳ではない雲雀の声音は、妙にこの空間に響いた様に思う。震える両手は必死で抑え込む彼の激情を表していた。唯一露見する彼の口元では白い歯が見え隠れしており、何時もの余裕は彼にはない。絞り出す様に響く声音も、黒い前髪で隠れた目元も、茉莉の胸倉を手離した後の脱力した身体も、全てが麗を想っていた。そんな彼を見て、麗の母は初めて口を開く。
「…恭弥くん、怪我は無かった?」
「……はい」
「なら良かった」
「でも」
「あの子ね、昔からこう言う事件とか事故に良く巻き込まれるの。不幸体質、とでも言うのかしらね。一人で俯いてる子がいたら進んで話しかけるし、いじめられてる子がいたら率先していじめっ子に喧嘩売ったり」
「…そう、なんですか」
「でも、並盛よりも治安の悪い黒曜がずっと嫌いでね。勢いで並盛に行かせたんだけど、一人じゃないか、とても不安だった」
――でも、あなたがいた。と母は言う。そして、雲雀の両手を握り締めた。その手の平は酷く温かくて、少しだけ、麗に似ている気がした。そんな麗は、彼に居場所を与えて貰った、と言う認識を持っているらしい。最初は怖い、無理、行きたくない、帰りたい、などと愚痴を零していたらしいが、彼の控えめな優しさに気付いてからはマイナスな言葉は聞こえなくなった、と言う。だから、今の麗が居るのは彼のお陰だ、と麗に良く似た笑顔を浮かべて母は告げた。
「…大丈夫。あの子、生命力だけは強いのよ」
「…はい。知ってます」
雲雀の手を放し、母は少し重めのカーディガンを翻した。ふわふわと風に揺らめく茶髪は、そんな彼女の背中を隠す。やはり、麗に似ている気がした。――最初は、優しさなんて与えるつもりもなかった。強さ以外に興味もなかった。けれど、身体を震わせながらも必死に僕と向き合う日比野を見て、自分が意地を張っているだけだ、と言う事に気付いた。たぶん、そこからずぶずぶと浸かってしまったんだと思う。天真爛漫、寧ろうるさいくらいなのに、目を離した隙にどこかに行ってしまう気がして手を伸ばした。僕の隣は、日比野が良い、と願った。そう願った時にはもう、僕は日比野から離れる術を持ち合わせてはいなかった。日比野の親友にも、初めての友人にも、他の男にも、理不尽な暴力にも、何ものにも触れさせない、そう誓った。その想いの根拠は、たった一つだけだったように思う。
「だから、あの子が目を覚ましたとき、めいっぱい泣いてあげましょ」
――大切で守りたくて堪らないそんな君が、ただ、すきですきで仕方がなかっただけだ。