呼べないよね

 何気のない快晴の平日、美華は朝のHR前の休憩で一息付いていた。衛への手紙を書いているうさぎはそれが書き終わればこちらに来る事は分かっているので大人しく待ってはいるが、一向に来る気配は無い。ちらり、とうさぎの方を見れば、ペンを握る手が止まっている。――嗚呼、これは終わりそうにないな。そう思った美華はうさぎの席の方に歩を進めた。初めの文の「まもちゃんへ」から一向に筆が進んでいない。


「うさぎ、まだ書いてるの?朝来てからずっと書いてない?」
「だ、だって書くこと多くて決まんないんだもんー!」
「何だって良いじゃん。衛さんはうさぎが笑顔なら嬉しいんだし」
「……あたしずっと思ってたんだけど、美華は生まれる性別間違えたんじゃない?」
「真顔で失礼なこと言うの止めない?」

 うさぎの前の席の生徒はまだ登校していないようだ。その席に腰を下ろし、笑みを浮かべつつ頬を支える。頭の高い位置で結っても腰の位置にまで垂れる金髪を掬い取り、それを指先に巻き付けた。そんな一連の動作がどうにも流れる様に自然で、頬を赤らめてしまったのは秘密だ。それを隠す様に、うさぎは惚けた表情で何でもない様に言葉を紡ぐ。


「遠距離恋愛かあ」
「『会いたい時には閉まってる』ってやつよね」
「美奈ちゃんそれ何のこと?銀行の事でも喋ってるの?」
「うさぎちゃん、入試の時に習った漢字忘れたの?」
「亜美、論点ズレてる……」

 うさぎと話していると、そんな彼女を囲う様に亜美と美奈子、まことがうさぎの書く手紙を覗き見た。その中で唯一まともな事を言っているのはまことのみである。――この守護戦士達は大丈夫なのかな。高校に入ってから亜美はねじを一つ、どこかに置いて来てしまったみたい。――そんな事を、ここに外部戦士達が居れば、美華と同じ様に溜め息を吐いていただろう。




 翌日、美華達が通う十番高校の校門には女子を主とした人混みが出来ていた。その中には金髪頭と大きな赤いリボンが一際目立っており、その隣に居る美華の嫌そうに歪められた顔は違う意味で目立っていた。常はぴしっと皺のない美華の制服も、美奈子の握り締める腕の力で皺が出来ている。寝不足も相まって、美華はもう既にどうにでもなれ、と言う気持ちにまみれていた。


「ほら、美奈子ちゃんよ!美華ちゃんもいるけど…やつれて、る?」
「どうしたんだろう?」
「いつも遅刻ギリギリなのに」
「いや、うさぎちゃんそっちじゃなくて…」

 大方ハイテンションの美奈子に捕まったのだろう、ご愁傷様である。そんな朝からついていない美華に目もくれず、うさぎの視界は美奈子で埋め尽くされていた。常は遅刻ギリギリの美奈子が時間通りに居る事が、それ程までに珍しかったのだろうか。――しかし今は、そんなうさぎの天然ボケに付き合う事すらままならない。早く教室に行って少しだけでも目を閉じたいのだが、どうやらその希望さえも叶う事は無いらしい。


「知らないの?スリーライツが転校して来るのよ!」
「朝からこれしか言ってないんだよ、馬鹿でしょ?」
「美華ちゃん真顔は止めよう!」
「本当に来たわね」

 朝にしてはテンションが高めの話し方をする美奈子に、美華は心底呆れ返りながら溜め息を付いた。だが、本気で腕を振り解かない辺り美華は甘いのだろう。――そんな所に黒のバンが急停止した。そこから現れたのは、サングラスを付けた美奈子の言うスリーライツである。周りからは鼓膜が痛い程の黄色い声が蔓延り、正直良い気分にはならない。わざわざTA女学院から遠回りする十番高校にやって来たレイには、そんなに良いものなのかと疑問さえ抱く。だがそれは、四人がスリーライツに提示したファンクラブカードによって馬鹿馬鹿しいものと思える様になった。しかし、ふと銀髪の青年と視線が合ってしまえば、もう逃げられない事は明白である。


「…飲み物は買えたの?」
「……買えましたよ。新発売のお水があったんです、すっごく美味でした」
「そこまでは聞いてない」

 ファンに対して棒読み感が否めない礼の言葉を口にした茶髪の青年が亜美が推す大気と言う人物だろう。個人的には苦手なタイプである。校内へと進もうとした夜天は美華の事を覚えていたらしく、双方にしか分からない様な問いを投げ掛けた。その問いに対し、何処か自慢げに答えた美華の態度は酷くわざとらしいそれだ。――相手が今大人気のアイドルな為、周りからは好奇の視線を浴びる事となる。現に、隣に居る美奈子や他のメンバーはぱちくりと瞬きを繰り返していた。しかし、この少女はそんな事を気にするほどの繊細な精神は持ち合わせていないのだ。


「あなたも欲しかったですか?フレーバーのお水」
「だからいらないってば」
「――ねえ、わたしの名前、呼べないよね?」
「え…」
「…何にもないです。ごめんなさい」

 未だに水の話を続ける美華に夜天は眉を顰めるが、その一瞬で複雑な表情を浮かべる彼女は目に入らなかった様だ。ぽそり、と空気と同化するくらい小さな声で呟いた彼女の問い掛けは、幸いにも彼の耳には届かなかった様だ。――しかし彼は、目の前の彼女の苦痛な表情に目を見開いた。そのままうさぎと共にこの場を離れた美華の気持ちなど、もう分からない。
 美華と同じクラスになったスリーライツはそれぞれうさぎの後ろ、まことの前へと腰を落ち着けた。煩さから逃げる為に美華の横に座った夜天はちらり、と美華の表情を横目で見やった。無表情のそれは完璧で、逆に違和感を抱いたのだ。


「…なに、あれ」




「…あれ、夜天くん?部活見学に行ったんじゃないの?」
「暑苦しくて止めた。あんたは一緒に行かないの」
「いつも一緒にいる訳じゃないし。正直に言うと面倒臭い」
「建前もクソもないね」

 放課後、バイトに行く途中だった美華は、たまたま夜天を見掛けた。話によると星野は運動部に惹かれ、大気は美奈子に捕まって文化部の見学へと連行されたらしい。――可哀想に。うさぎと絡んでいる中でも何処か場違いなほど落ち着いた雰囲気を持っている美華を、夜天は無意識に酷く気に掛けていた。嫌悪感ではない、気付いたら視界に入れてしまっていると言う好奇心の類いである。


「建前とか止めなさい。別に良いの。雲からちょっとだけ見える太陽とか、一人でいたくなるだけ」
「……まあ、ここからの景色は綺麗だよね。――で、自販機女はこれから帰るの」
「美華」
「…え?」
「だから、空野美華。自販機女とかもはやトラウマレベルだからね、いじめじゃないんだから」
「空野…?」

 夜天との会話を続けた美華は、まだ日が高い空を仰ぎ見た。キラリ、と雲との隙間から顔を覗かせる太陽は酷く眩い。分厚い入道雲は、夏が近付いて来た証拠だ。細めた視界でそんな景色を映すと、隣で歩く彼とも美的意識を共有する事が出来た。――しかし、そんな気持ちも彼の言う渾名で全て消し去る事となる。むきになった美華が口にした自身の名が復唱されれば、彼女は嬉しそうに笑んだのだ。
 名前を呼んでくれた事により気分を良くさせた彼女だったが、先日と同じ星の輝きが汚れて行くのを肌で感じた。その瞬間にくるりと身体を反転させる。だが、その横では同じ様に学校へ戻ろうとしている彼の姿があった。


「…ちょっと。帰るんじゃないの」
「…ちょっと用事、思い出して。や、夜天くんこそ帰るんじゃないの」
「…わ、わすれもの」
「うそじゃん!転校して来たばっかなんだし物とかないでしょ!」
「うるっさいなあ!あるったらあるの!つうか空野お前何聞かれても『用事』って言うつもりだったでしょ!」

 そこからは口論の始まりである。おそらくスリーライツのまとめ役であろう大気や幼馴染の蒼らが居ない今、これを止められる者は居ないだろう。何よりもこれを走りながら行っているものだからある意味素晴らしいと思う。こうした「戻れ、戻らない」の口論を続けている間に学校に到着してしまい、二人はもの凄いスピードで分かれる事となったのだ。




「美華ちゃん!」
「なんでこう毎度毎度敵さんに絡まれるんだか……」
「美華なら来てくれるって信じてた!」
「そんな不名誉な信頼いらないからそのまま吐いて捨てて」

 夜天と分かれたあと、星の輝きの汚れの場所に向かった美華は、途中の水道の片隅においてあった少量の水が入ったバケツをハンマー投げの様に、勢いを付けて敵の方に投げ飛ばしたのだ。一般人に助けを求める戦士と言う図式は可笑しいが、相手が嬉しそうなら良いんだろうか。――良くない事は分かっている。たまには現実逃避くらいさせてくれ。ムーンから根拠のない信頼を向けられた美華の暴言により調子を取り戻した内部戦士達だったが、そんな彼女らの前にスターライツが現れた。相変わらずスタイルは良いのがどうしてか腹が立つが、それも許して欲しい。


「あんた…生身でファージと戦うなんてふざけてるの?馬鹿なの?死にたいの?用事ってこれなわけ?」
「え?いや、何で知って「危ないでしょ!?」まずは話を聞こう!」
「聞いてるわよ、馬鹿なの死にたいの馬鹿なの?」
「なんで二回言った?ねえ何で二回言ったの?」
「黙りなさい」

 地面へと降り立ったスターライツの一人であるヒーラーは、一人だけ変身もせずに敵と対峙している美華を視界に入れた。その瞬間、ヒーラーがぶち切れたのだ。ファイターとメイカーの戸惑いの声や内部戦士の呆気に取られた視線などは放置である。本人らは至って大真面目なのだが、端から見れば最早コントである。流石の目の前のファージも気を遣って恐る恐る声を掛ける。しかし、ヒーラーの睨みに萎縮する姿を見れば、軽く同情してしまうのも無理は無い。それ程までにヒーラーの気迫は凄いのだ。


「ヒーラー、落ち着きなさいよ!」
「…こ、今度は私達が相手よ!」
「格好つかないなあ」
「あんたのせいなんだからね!?」

 何とかヒーラーを宥めたファイターは勇者として讃えて良いと思う。ヒーラーの舌打ちをきっかけに我に返った内部戦士やメイカーも決して間違っていないと思う。至極当然の反応だろう。しかし、吃りながらもファージを睨み付けたメイカーに対する美華の小声をきっかけに、再びヒーラーとの口論が始まったのだ。止めても意味がないだろう、と悟ったメイカーは、それに対しての苛立ちも含めて技を放つ。返って来た汗がよほど臭かったのか、悶えている様子がどうにもシュールである。


「五人も揃ってこの程度なの?」
「それでもセーラー戦士なの?」
「情けないったら」

 内部戦士はただただ敵の汗攻撃を避けるだけだったのだろう。見てたなら早く助けてあげれば良いのに、とも思うが、星系が違えば同じセーラー戦士でも馴れ合いは無いと言う事なのだろうか。――再び動き出したファージにいち早く気付いた美華は、それに対して回し蹴りを喰らわせる。その際に強靭な筋肉と摩擦を起こし、頬には淡くも赤い線が生まれてしまったのである。


「――ムーン!早く!」

 しかし、美華は地面に手を着きつつムーンに浄化を急かした。ムーンのロッドから繰り出される眩い桃色の光を浴びれば、ファージはただの人間の姿に戻り、その場で気を失った。おそらく、暫くすれば目も覚めるだろう。
 用事がなくなったらしいヒーラーは、切り傷のある美華の頬を撫でた。すると、見る見る内に傷が癒えて行く。そして最後に「馬鹿はさっさと家に帰れ」と言う煽りにも感じ取れる言葉を残してその場を去ったのだ。――何故、こんなにも気になるのかは幾ら考えても分からない。しかし、あのセーラー戦士らと居る美華、一人で居る美華、その二面性が酷く気掛かりである事も確かだった。そして、とても危なっかしい一面も目に余る。どうにも既視感を覚えたその一面は、とてもあたしにしっくり来た。

 それがとても悔しくて、涙が出るほど悲しくて、愛おしいほどあたたかかった。