懐かしさなんて忘れて

 本日も快晴。こう言う日は座学ではなく、外でぱあっと弾けたい気分である。だが、そうも言ってられないのが学生と言う身分である。そんな彼ら彼女達が数多く存在する静かな教室には時計の秒針が進む音、カリカリと言ったシャープペンシルの音が響き渡っていた。その中では、不真面目ながらも居眠りをしている者も居る。そんな真逆の光景さえ、当たり前のものなのだ。


「っ…ちくしょー!」

 もう少しで待ちに待った放課後、と言った時間だっただろうか。唐突に一人の男が叫び声を上げたのだ。――星野である。その予兆はあった、視界の端で細かく身体を震わせる彼はどう見ても体調不良ではなかった。どちらかと言うと、何かに耐えているようなそれ。――それに気付いていたのにも関わらず、星野の斜め前の座席である美華は先程の彼の叫び声に驚いたのか、椅子からずり落ちていた。


「…っぶは」
「…なに笑ってんだコラ白髪」
「白髪じゃねえし!」




 放課後、まこととスイーツパーラーに行くと約束していた美華は、たまたまうさぎと美奈子の頭の螺が外れた様な会話を耳に入れた。あまりにもアホらしいそれの内容に美華は頭を抱える事となる。そんな美華が何気なく隣に歩くまことを見上げると、まことも同じ様な反応を示していた。どうやら、みな思う事は一緒らしい。


「呑気だなぁ、二人共」
「高校には留年があるの、知ってる?」
「留年!?」
「まぁ、一年くらいダブってのんびりするのも良いかもよ」
「「まこちゃん…」」

 しかし何処か楽しんでいる様子のまこと、うさぎと美奈子の会話を意識半分に流しながら、これは本気で勉強を教えなければいけないかな、死にそう。――などと言った事を考えていた。自身が側に居ながら未来のプリンセスを留年させてしまった、となるとはるかに何を言われるか。考えただけでも悪寒が走る。そんな中、ふと聞こえた星野の声とそれによる言葉にうさぎは仲間が出来た、と言わんばかりな表情を浮かべたのだ。


「あんたも追試組みたいね!」
「そんなんじゃねーよ!」
「星野はね、ミュージカルの稽古が煮詰まってていらいらしてるんだよね」
「ミュージカル?」

 うさぎのそんな期待を見事に打ち砕いた彼だったが、夜天の言葉でそれが痩せ我慢だと言う事が分かる。――この前のバイトの帰りに、新しいポスターをたまたま見掛けた美華は、その事を思い出した。そう言えば、スリーライツに似ている人が写っていたなあ、と言う曖昧なものであるが。――因みにミュージカルとは、美奈子曰く「単語と年表と方程式を一気に覚えるようなもの」らしい。その例えは何なんだ。


「すごい!神業だわ!」
「別に大した事じゃねーよ……覚えるだけなら」

 美華にとっては意味不明な結果に終わった美奈子能力ミュージカルの説明は、うさぎにとっては素晴らしいくらいに分かりやすかったらしい。そんなうさぎの反応に調子に乗った星野の一方で、何時の間に取ったのか、夜天が星野の答案用紙を周りに見せびらかしていた。星野が気付いた頃には時、既に遅し。星野の現実は皆(みな)に知れ渡っていたのである。美華は、16点と言う悲惨な点数にそれを隠す事なく引いている。こう言う所を見ると懐かしさだけでなく、若干の苛立ちが浮かび上がって来るのだから不思議だ。


「――まあ、星野が叫んだ時の空野の反応もなかなかの爆笑ものだったけどね」
「言うなって言ったじゃん!」
「本当あれ何だったの?芸人か何か?」
「びっくりしたんだよ悪い!?」
「随分と分かりにくい照れ方するんだね」
「照れてないでしょ!」

 最近本格的になって来た美華と夜天の口論は、本日も絶好調らしい。互いに素を出し始めた二人は貶している様な言葉を投げ付け合い、最早コントの様な完成度に仕上がっている。キレ芸と言わざるを得ない彼女の言葉にわざとらしく笑みを溢せば、何時もの喧嘩に発展するのだ。そして、それを笑顔で止める大気の姿もとっくに日常である。――そんな中に、あまり聞き慣れない声色が響き渡ったのだ。


「それなら!お勉強会しかありませんわね!」
「レイちゃん!」
「一体どこから…」
「勉強会って言ってもレイちゃん、エスカレーター式だから受験してな…っ」

 十番高校とTA女学院はかなり離れていると思うのだが、学校終わりに速攻来たのだろうか。この子はどれだけスリーライツと言う存在に命を懸けるのか、もう崇拝の域に達していると思われる。その時に美華の中でふと浮かび上がったとある疑問を口にすると思い切り足を踏まれた。――なんでだ。その後に続けた「無視!?」と言う突っ込みも無視された。ぶっ飛ばすぞ。


「いや、俺らこれからミュージカルの稽古があるから…」
「わ…っ」

 レイの勉強会へのお誘いの気迫に、スリーライツは若干逃げる様に稽古場へと向かった。美華を無理矢理引き摺って行くのを忘れずに。――こいつの素を見れば見るほど、どうしてこの男がアイドルとしてきゃーきゃー言われてるか分からなくなる。こいつ、めっちゃ口悪いし下衆いし最悪だぞ、と言いたい。でもファンと言うのは盲目で、そんな一面さえも見たくなるらしい。


「え、ちょっと!急に何…っ」
「どうせバイトでしょ、どうせ」
「そうですけど!?何で二回言ったの!?」

 それでもこんな奴に好意を抱いてるだなんて伝えたら、怒られちゃうかな。




 運悪く、残業までさせられた美華は、ただ今絶賛不機嫌中である。そんな時に会ってしまったのが夜天と大気だったのだが、不思議なもので自然と笑顔が浮かび上がるのだ。これがバイト先で養われた「愛想」と言うものなのだろうか。――違うと思う、って?うるさいな、分かってるよ。闇夜に紛れる様に、それでも仄かに煌めく二人には、やはり星の輝きが宿っているらしかった。


「…夜天くん?大気さんも」
「空野さん、バイト帰りですか?」
「うん。二人は仕事帰りか何か?」
「そんなところです。――星野、どうですか」
「…大丈夫じゃないかなあ」

 目の前の二人が聞きたかった事に対して、大方予想が付いていた彼女は、僅かに笑みを溢した。そもそも星野と言う人物は余り引き摺るタイプではないと思っているため、そこまで心配はしていないのだ。寧ろ、――少しでもきっかけがあれば途端にやる気を出す。――そんなタイプだと確信している。まるで今は居ない幼馴染みとそっくりである。


「星野ってば、ミュージカルになったら途端にやる気なくなるんだもん。困っちゃうよ」
「…無意識なんだと思うよ。まだ高校生なんだし、仕方ないんじゃない?」
「…あんたは妙に達観してるよね」
「――気のせいだと思うけど」

 稽古中の星野の思いの違和感には夜天も薄々気付いていたらしい。横では大気も苦笑を浮かべており、大気も同じ事を思っていた様だ。けれど、未知の領域とも言える「ミュージカル」というジャンルにちぐはぐし、気持ちが追い付かないのは仕方のない事だとも思えた。そんな気持ちを抱えながらくすくすと笑っていれば、夜天からじとり、と言った視線を向けられた。――バレてない、よね。

 「懐かしい」なんてそんな気持ち、あなたに分かる訳がないもの。




「「ええー!?98点!?」」
「一体、いつ勉強したのよ!?」
「やるときゃやるんだって!」

 数日後、追試を終えた星野の手にはでかでかと書かれた高得点の答案用紙があった。前の小テストの点数が酷過ぎたからか、うさぎと美奈子は朝から大きな声で叫んでいる。その様子を美華、そして夜天と大気は笑みを浮かべながら見つめていた。――大気が言うお礼と言うのも、星野の休憩時間の合間を縫って美華が星野に勉強を教えていたからである。


「わたしも復習になったから平気。これでミュージカル、集中できそう?」
「ええ…そうですね」
「そこまで言うなら観に来てくれるんだよね?」

 最初は余り乗り気ではなかった美華だったが、あんなに嬉しそうな星野を見たら嫌でも「やって良かった」と思うだろう。彼に向けられる夜天と大気の優しげな瞳もそう言う気持ちにさせる要因である。――彼女の笑顔に気分を良くした夜天は、とある長方形の紙切れを取り出した。今度公演されるミュージカルの招待券である。それに頬が緩み始めた彼女はそれを隠す事はせず、花開く様に笑顔を浮かべたのだ。

 ――ああ、なんだ。そんな可愛い顔、出来るのか。


「…もちろん!」

 そう思った夜天が自分の気持ちに気付くのは、一体何時になるのだろうか。