すべてに逆らえない
『はーい』
「十番急便でーす」
休日。世間一般では昼まで寝ている人、友達や恋人と出掛ける人、バリエーションは様々である。美華もその中の一人だったが、最早日常に溶け込んでしまったかの様にバイトに勤しんでいた。今回のバイトは宅配便。はるかに単車の乗り方を教えて貰っておいて、本当に良かった。目の前のマンションの一室で終わりだからか話し方が気怠げになってしまうが、仕方ないだろう。エントランスのインターホンから呼び出し、鍵を開けて貰う。そして、荷物を持ってとある一室まで歩を進める。
「判子お願いしま…って、え…?」
「…空野…?」
その先に居たのは、現在うさぎ達が必死に探しているルナを抱えた夜天だったのだ。
「――え、この猫、お団子のとこの猫だったのか?」
「そうなんだよね。今すっごい探してて、張り紙までしてた気がする…から、一回借りて良い?」
「…どうします?夜天」
ルナを知っていると言う事で取り敢えずスリーライツの家に上がらせて貰った美華は、彼らにルナが飼い猫だと言う事を知らせる事にした。やはり彼らはその事を知らなかったようで、星野に至っては出された紅茶を喉に詰まらせて噎せていた。アホなのか。――元々の原因は夜天が変な仕事を取って来てしまった事にあるらしく、大気にしては珍しく夜天に同意を求めていた。頼まれた相手が相手なため、まさか期待はしない。しかし、それは良い意味で裏切られる事になるのである。
「…明後日までね」
「っ…い、良いの!?本当に?」
「…なに、僕が許可したらだめなの」
「ううん、嬉しくて!ありが……」
失礼ながらも思い切り貶される自信しかなかった美華は、驚きの余りつい夜天の方へ身を乗り出してしまったのだ。初めて感じる口論相手の吐息や温もりに、夜天は思わず目を見開いた。――こいつ、この前からおかしい。僕のこと嫌いなんじゃなかったの。だから言い合いばっかりしてるんじゃないの。なのにこんなに近付いて、すっげえ笑顔浮かべちゃって。本当こいつ、意味分かんない。
そんな事をもやもや考えている内にバイト先からの着信を受けた空野の顔は酷く青白い。大方、最後だからって調子乗って長居しすぎたんだろうね。まあ僕には関係のないこと。
けれど、等身大な空野を見ていると心がほころぶ理由は未だ分からない。
翌日、口論の延長線上で沸き起こったじゃんけんにて負けた美華は夜天のパシリとなり、自動販売機に飲料水を買いに行く事になった。――今回、夜天だけでなく星野や美奈子までもが笑いを堪え切れぬほど、美華は冷静ではなかった。そんな中での運試しなど、負け戦と同義なのである。その事実に事後に気付いた美華は最近、悪運に
「夜天くん、何読んでるの?」
「別に。こうしてると、君みたいに用もないのに声をかけて来る子がいなくなるから」
夜天のその行為はファン避けの為の行動なのだから、もちろん内容は頭に入っていない。入れる必要がないのだ。しかし、目の前にはわざとらしく浮かべられたうさぎの笑みが広がっている。あまりに下心が明け透けに見えるその笑みに、彼が苛立ちを抱くのはすぐの事だった。――うざったいなあ。思わず嫌味染みた事を口から溢せば、うさぎは夜天の本を取り上げてしまった。
「なにすんの!」
「用があるから声かけてんのよ!」
「どうせ君の用なんて…ラブレター頼まれたから渡すとかそんなもんでしょ」
「ビンゴ!」
「多いんだよね、そう言うの」
スリーライツの中でも、夜天は特にファンサービスが豊富ではない。ファン曰く、「その冷たさが逆に良い」らしいが、大気や星野からしてみれば夜天がぶっきらぼうな態度をする度に焦るのである。だからこそ、少しでも心休まる時があれば良いと思うのだが、如何せん忙しい身であるのが売り出し中の芸能人と言うものだ。その休暇は中々見付かるものでもない。些か申し訳ないとも思うが、毎日飽きもせず口論を続ける美華には疲れない程度に相手をして欲しいものだ。――そんな友人の思いも知らず、うさぎが律儀に渡したラブレターを、夜天は飲み干したペットボトルと共に無言でごみ箱に投げ捨てたのである。
「あー!なんて事すんのよ!」
「え?ペットボトルって燃えないごみだっけ?」
「ラブレターよ!読みもしないでごみ箱に捨てるなんて、乙女の決意を何だと思ってんのよ!」
「君には関係ないじゃ…っ」
挙句の果てに夜天は、ラブレターなんぞ眼中にない、とでも言う様な言葉を発したのだ。そして、それを笑顔で受け入れるほどうさぎの人間は出来ていない。珍しいコンビでの口論の
「……げ」
「何なのその顔、悪事がバレたみたいな
「してねえよ何でキレてんの?」
「せっかくわたしが自腹で払った飲み物を雑に捨てたから」
「自腹って…100円くらいじゃないっけ?」
「130円」
「たかが30円でしょ!」
夜天とうさぎの会話を一通り聞いていたであろう美華は、かなり苛立ちが溜まっていた。しかし、それを抑えつつ彼の頬を下から鷲掴んでわざとらしい笑みを浮かべてやる。淡々と続く言葉の応酬にうさぎは慌て始めるも、既にこの二人が気付く事は無いらしい。そして、僅かばかり彼が声を上げてしまえば、毎度の事である二人の言い争いは始まってしまうのである。今回は大気不在のため、止まる事は無いのだろう。
この現状にすっかり呆れてしまったうさぎと草むらに隠れている三人は、静かに教室に戻って行ったのだった。
一日夜天のパシリとしてしっかりと働いた美華は、最後の命令としてルナをTV局に連れて来る事になっていた。バイトで幾ら行き慣れてるからと言っても誰が何処に居るか、なんて教えて貰わなければ分かる筈もない。中々見付からない彼に若干の苛立ちを抱えながら、美華はとある角を曲がった。すると、そこに居たのだ。――女の子付きで。けれど、普通の世間話ではない様である事は一目で理解できる。
「君さ…その喋り方、鬱陶しいよ。恋人気取りはお芝居の中だけでたくさん!」
(…夜天くん?)
「…酷いわ、そんな言い方!」
「――うざったいなあ!好い加減にしてよ!君は僕の好みじゃないし、仕事以外で君とお付き合いする気は無いの!」
「あっ、そう!そうやって良い気になってると良いわ!あなたなんか、ただの際もののアイドルのくせに!」
怒っているのだろうか。学校では見ない彼の一面に少し、怖さを感じる。けれど、豹変したノリコの方が怖かった。――中学の頃は、ああ言うのが良くあった。幼馴染みである蒼の見た目がチャラかったからわたしも同類だと言われて、断れば逆ギレされて襲われかける事だって頻繁にあった。その度に蒼は助けてくれたけど。そんな蒼は、今はもうこの国にはいない。
ぼそりと聞こえた「際ものはお互い様だろ」と言う言葉に、ずきりと痛む感覚が胸元に広がる。――ああ、そうだ。夜天くんには、その「助けてもらえる」存在さえ、いないんだよなあ。きゅ、と唇を噛み締めて床を見下ろしていると、どうやら夜天くんの視界にはわたしの青みがかった毛先が映り込んだらしい。その瞬間、僅かに緩んだ頬はうそじゃないと良いなあ。
「……空野、来てたんだ」
「…さっきの人、すごかったね。女優さん?」
「…うん。空野はテレビとかあまり見ないんだっけ」
「はは、申し訳ない。美奈ちゃんだったら喜んで食いついてくれると思うけど」
「いや、いらない」
僅かに間が空いて、肯定を示す反応を視界に収めた。がさつと思っていたこの男は、何ヶ月も前に言った事を覚えているらしい。――前もそうだったよなあ、とふと思い出す。あの時は姿も関係性も違っていたけど、匂いも、面影も、呆れたように笑うその表情も、全て一緒で。会いたい、会いたい、とただそれだけを思いながら「相棒」のような関係を続けるわたしは、ずるいかな。
あなたの隣を独占する、うそだらけのわたしでもゆるしてくれるのかな。
今日、久々にバイトがなかった美華は、大気の車で送って貰う事になった。人の車と言うのは変に緊張してしまうのだけど、それはわたしだけなのかな。沈黙に耐え切れなくなった星野が持ち出した話題は、現在の夜天の地雷であった。――なにもこのタイミングで猫の話題を出さなくても。――猫関連でノリコを思い出した美華は苦笑を浮かべたが、幸いにもそれは夜天に気付かれていない様である。
「やっぱり黒助のやつ、帰って来ただろ?」
「ちょっと、変な名つけないでよ。お前にはもっと素敵な名前つけたんだよねー」
「へえ、何にしたの?」
「…まだ決めてない」
「ジュリアーナとか?」
「大気さん性格悪いねえ……」
「お前、ノリコに何か言っただろ。超ムカついてたぜ」
「本当のこと言っただけじゃん」
大気が口にした名前は、ノリコの猫の名前らしい。その事をたまたま聞いていて知っていた美華は恐る恐る彼の表情を見上げると、心底楽しそうに喉を鳴らしていた。思わず後ろの夜天にも視線を向けると、鋭い視線を向けられてしまった。どうやら今の夜天は酷く機嫌を悪くしているらしい。――それにしても、女の噂と言うものは回るのが早い。先程の事なのに、既に星野は知っていた事が証拠だ。
「ファンの子からの手紙も読まずに捨てたりしてるんだって?」
「あのお喋り女…!」
「いけませんね、ファンを減らすような真似は」
「…信じらんないだけ」
星野の言うのは、おそらくうさぎから聞いた事だろう。今日、深く関わったのは彼女だけだから。後ろで夜天が何か怒っているけど知らない、上っ面だけ良くしてる夜天のせいである。夜天のそんな問題行動の数々に、大気も少なからず焦りを抱いていた。――スリーライツが「スリーライツ」たる目的はただ一つ、それから逸れる訳にはいかないのだ。それは分かっているのだろう、夜天はある意味この中で一番純粋なのだ。誰に対しても本気で関わってしまうため、裏切られた時が辛いのだろう。
まだ、駄目だ。そう思った美華はイヤホンを付けて、目を瞑る。そこからは夢の世界の住人である。そんな様子を、大気は苦笑を浮かべながら見つめていた。
「さすが夜天ちゃんの猫!毛並みも良いわ!」
「お喋りは良いから早くやって」
「はーい!クールな所も素敵」
「…キャラ濃いね、この人。本当に夜天くんの行きつけなの?」
「んん、まあ…腕は確かだと思う、から」
翌日、夜天と共にルナを連れてペットショップに赴く事になった美華は、放課後まで彼と行動を共にしなければならなくなったのだ。最近のわたしは何なんだ、最早付き人だろう。早く帰りたい。しかもペットショップの店員はキャラが濃い。こう言う人と夜天が関わっている事に驚いている。語尾を濁している辺り、少なからず夜天はこの店員を信用しているのだろう。美華が和やかな気持ちになっている間、ルナは泡に塗れてもみくちゃにされていた。ドンマイ。――キラキラに磨かれたルナは毛並みも良くしてもらった様で、桃色のフリルが付いた可愛らしいドレスを着させられていた。
「どーう?お似合いでしょ?」
「…良いかも」
そんな優しくも面白くもある空間をぶち壊す甘ったるい声色が響き渡る。先日、夜天と口論をしていた女優のノリコである。やけに伸びる語尾に、申し訳ないが同性ながらも苛立ちを募らせてしまう。ちらり、と彼女に視線を向けると唇を彩る真っ赤なリップが視界を独占する。この空間の空調によって漂う彼女の匂いは酷く人工的で、思わず噎せ返る様なそれだ。思わず顔を顰めると、敵意をむき出しにした表情を向けられた気がした。
「…なにか用?」
「この前はごめんね、誘ったりしてー。――夜天くん、ホモなんでしょ」
「……えっ、そうなの?」
「ちがうから。なんでびっくりしてんの?」
僅かに美華の身体を後ろに隠した夜天は、心底面倒臭そうに蔑んだ視線をノリコに向けた。――どうやら彼はノリコとの関係を修復するつもりは無いらしい。そんな彼の意図に気付いたのか、ノリコは何とも脈略がない言葉を放ったのだ。それを無視出来るほど美華は大人ではないし、何よりこんな面白い事を放っては置けない。今の美華は、彼をからかう事で頭が一杯である。こんな楽しそうな笑顔は幼馴染の蒼やうさぎでも中々見る事が出来ないのではないだろうか。そして、それを無視出来るほど夜天も大人ではないのだ。そして、ノリコを放って美華と夜天の口論が始まってしまうのは自然の流れの様に思えた。しかし、その間に夜天の腕をすり抜けたルナは、ノリコの腕に噛み付いたのである。
「この…っ!」
「っ、乱暴しないで!」
「…なによあん「失礼しまーっす!」な、何なのよあんた!」
「私、こう言う者です」
腕に感じた鈍い痛みに、ノリコはルナを手の甲で弾き飛ばそうとする。だがそれは、美華の素早い反応と並以上の警戒心により事なき事を得た。そんな美華を初めて見た夜天は、目をぱちくりさせて、驚いている様子だった。素早い反応はもちろんだが、必死に守り抜くその姿勢が何より面白い。やはり普段の美華からは想像できないのだ。
そんな不穏な空気を照らすかの様に、TV局の照明が視界に突き刺さった。そこには、銀河TVのアナウンサーが笑顔を浮かべて立っていたのである。TVだと分かった途端に態度をころっと変えたノリコに嫌気が刺した夜天は美華の腕を乱暴に手に取り、その場を後にした。
目の前のアナウンサーが敵だとは知らないで。
廊下を歩いている途中で聞こえた、恐らくノリコの悲鳴だろうそれに身体が反応した美華と夜天は、一先ず先程の場所へ戻る事になった。そこで見たものは、最近になってやっと見慣れて来たもので、その光の筒の中にノリコは居た。――恐ろしい情景である筈なのに、目を逸らせないのは何故なんだろう。人ではなくなる瞬間なのに、どうして、わたしは、隣の人を独りには出来ないんだろう。
「や、やてん、く…」
「…やーめた」
その光景を、夜天は瞬きもせずにじっと見つめていた。彼がやろうとしている事を何となく察していた美華は、ポケットの中の彼の手が脱力してしまった事に驚きを隠せない。――駄目なんだと、吐露を繰り返す夜天くんの気持ちを、わたしは知る事が出来てしまう。けれど何も言えない事実に、わたしはいっそのこと泣き喚きたくなった。きっと、それが出来た方が幸せなのだと思う。けど、それが出来るほどわたしは強くないし、大切なものが少ない訳でもない。そんな中に入るルナは、奪い取られたノリコのスターシードを取り戻そうと室内を駆けて行ってしまったのだ。
「ルナ!」
「っ、空野待て!」
それにいち早く気付いた美華はルナの身に纏うドレスの裾を掴み、自身の腕に引き寄せた。だが、その行為のお陰で美華は敵の攻撃を受ける事になり、身体は室外へと飛ばされたのだ。夜天が急いで駆け付けるも、美華はルナを抱えたまま気絶しており、服の所々が焦げている事が見て分かる。うっすらと開かれた淡い灰色の瞳に息を吐いた。――こいつは馬鹿なのか。たかが動物一匹守る為に、こんなに身体を張るものなのか。僕だったら絶対しない。面倒臭いし。痛いのは、嫌いだ。けれど空野を見ていると、そんな自分を心底殺したくなった。
「空野、生きてるよね?別の場所に移すからこっちに…」
「夜て、くん…行って、良いよ」
「っ…あんた、怪我してるんだよ?馬鹿なこと言ってないで…」
「――行って」
「空野…」
「…お願い」
意識が朦朧としている美華の頬を軽く撫でれば、人肌らしい暖かさが伝わって来る。うっすらとだが目は開いているし、命に別状は無い様だ。毎回思うが、丈夫な身体をしている人間である。ガラスの破片等が落ちているこの場所から移動する為に彼女の肩に手を回すが、やんわりと断られる。――また、だ。また、この自己犠牲。良い加減いらいらして来る。けれど僕はそんな事を言える立場ではないし、何よりそこまで心配はしていないのだ。だが、妙に色気を感じるその瞳、しっかりとした舌使い、優しく触れられる細い指、それら全てに逆らえなくなる。どうして、何で、なんて疑問は一先ず後だ。今はただ前に進むだけ。だけど、どうしてだろう。どうして、こんなにも気になるのだろう。
君は、――あなたは、何者なのかしらね。