004

ラズロが見張り台に上り、その後を追って、キナも上ってきた。ラズロはキナの手を取って上るのを助けてやった。ふたりで立つと、見張り台は狭かった。
望遠鏡の使い方や見張りの注意点を口頭で説明し、ふたりで見張りに当たった。

「あれは何ですか?」
「あれは貿易船だ。ミドルポートへ行くんだよ。」
「ミドルポート…たしか、ラズリルの北東にある島でしたよね。」
「うん。貿易が盛んで、にぎやかな街だよ。」

簡単に説明すると、思いの外キナが興味を示したので、ラズロは数日前に訓練で訪れたばかりのミドルポートの街並みを思い返した。

「街並みが綺麗で、木や花がたくさんあって、観光客も多いんだ。だから吟遊詩人や旅芸人もたくさんいて、楽しい街だよ。おいしいものもたくさんある。」
「おいしいもの?」
「うん。今の時期なら、季節の果物を使ったおまんじゅうが美味しいよ。」
「!おいしそう……」

キナはうっとりと呟いた。その白い頬はかすかに赤く色づき、黒目がちの瞳は輝いている。ラズロは思わずその表情に見入ってしまった。その表情が、はっと我に返ってにわかに赤くなったのを見て、ラズロも我に返った。

「すみません、申し訳ありません、私、お喋りを……」
「いいよ、これくらい、大丈夫。それに話したのは僕なんだから。」

ラズロがそう言うと、キナは申し訳なさそうに肩を竦めた。

「それに、言葉づかいもそんなにかしこまらなくていいよ。本国ではどうか知らないけど、ここではそんなに気を遣わなくていい。そんな言葉づかいをするのは、ここでは団長や副団長や艦長に対してだけだ。僕は君の上司じゃないんだから。」
「は……はい。」

キナは頷いて、黙り込んだ。何を言っていいかわからない様子だった。逆に気を遣わせてしまったらしいと、ラズロは少し自分の言葉を後悔した。

「……そうだ、おまんじゅうなら、ラズリルにもおいしいお店があるよ。」
「そうな……なの?」

ぎこちないキナの言葉遣いに気が付きながらも、ラズロはそのまま言葉をつづけた。

「うん。ラズリルについたら、案内するよ。カニ入り肉まんがすごくおいしいんだ。」
「か……カニ入り?カニって…私、食べたことないわ。」
「じゃ、食べた方がいい。」
「ぜひ、食べたいわ。本国では内陸の首都の方に住んでいたから、海産物はほとんど食べたことがないの。カニって、手がハサミになっているんでしょう?」

キナは、両手をはさみのように真似てぴょこぴょこと指を動かした。

「見てみたいわ。そのはさみは、本当に物を切ることができるの?」

興味津々に目を輝かせてそう尋ねるキナに、ラズロは頬に微笑みが浮かぶのを感じた。

「無理だよ。カニのはさみは、物をはさむための物なんだ。さすがに、刃物のようにはなってないよ。」
「……そうなの?」

心なしか落胆しながらも、いまひとつ想像がつかない様子で、キナが目を瞬いた。

「でも、はさみはすごくおいしい部位だよ。」
「ええ!?はさみを食べるの?怪我、しない?」
「怪我なんてしないよ。」

にこにこと答えるラズロに、キナはまだ不安が残る顔を向けた。

「でも、そういえば、カニっていったいどこをどうやって食べるの?とっても硬いんでしょう?」

ラズロはそんなふうに大真面目に尋ねるキナに、たまらない愛おしさを感じた。

「ラズリルに着いたら、教えるよ。カニも魚もたくさんあるから。」


***


太陽が水平線の向こうに隠れ、夜がやってくると、空も海も真っ黒に染められた。細い月だけがそこを切り取ったかのようにただただ白く浮かび上がっている。
キナは、ひっそりとした甲板の片隅に歩いて行って、ぼんやりと水平線を眺めた。

「お疲れ様。」

ふと、背中から優しい声がかかり、振り返ると、スノウがいた。スノウはキナの隣にやってきて、同じように海を眺めた。

「今日一日、慣れない船旅で疲れただろう。」
「そうですね、船に乗るのは初めてです。でも…船酔いにならなくてよかった。慣れない者が船に乗ると、大抵船に酔って伏せってしまうと聞いていたので。」

キナがおかしげに言うと、スノウも頬を緩めて目を細めた。

「この哨戒船は大きいからね。それほど揺れないよ。それに、今日は波も静かだったからね。」

それから少し沈黙を置いて、スノウはまた口を開いた。

「あまり休まらないかもしれないけど、船室で少し休んでくるといいよ。海の上では、いつ何が起きるかわからないからね。」
「はい…、でも、先ほどまで仮眠をとらせていただいたので、大丈夫です。」
「そうか…。」

それからまた、2人の間には波の音だけが流れた。

「……ラズリルへ戻ったら、君は、僕たちと一緒に行動することになると思う。それで、昼間の……ジュエルに言われた事を、気にしていないといいんだけど。彼女、悪い人じゃないんだ、本当に。」
「そんな。気にしてなんていません。似たようなことを聞かれることは、少なくありませんし…でも、お心遣い、ありがとうございます。」
「いや、そんな…」

キナは丁寧にお礼を言って、お辞儀をした。スノウは恐縮して手を振った。

「一生懸命、勤めますので、2年間よろしくお願いいたします。」
「こちらこそ。」

柔らかな夜風が帆を揺らして行った。

「夜風は冷えるから、もう船室に入った方がいい。僕らの当番まで、まだ時間はあるから。」

そうスノウに促されると、キナも2度目は断りづらくなって、頷いた。スノウは、まるでパーティーで女性をエスコートするように、慣れた振る舞いでキナを船室に促した。キナもごく自然な所作で、スノウのエスコートを受け入れ、恭しく船室へと入った。

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