オベル王国



白いベッドが並び、窓から差し込む日差しが白く四角い陽だまりを作っているこの部屋は、優しい消毒液のにおいがする。キナはベッドの一つに寝かされ、体温計を口に咥えさせられ、脈を図られていた。

「脈は正常。」

白衣を着た初老の男の医師が、キナの首筋にあてていた指を離し、紙に何やら記入した。それからキナの咥えていた体温計を引き抜き、眉を上げて細めた目でしばし眺めた。どうやら老眼らしい。

「体温も、まあ、微熱の範囲ですね。気分は?」

キナはちょっと考えるように斜め上に視線をやり、答える。

「良いです。」
「では、どこか痛むところは?」
「さっきまで頭痛がありましたが、今は大丈夫です。」
「頭痛はどのあたりですか?ここ?」

医師はキナの頭の側面辺りに手を当てて聞いた。

「いえ……ここです。」

キナは自分の額に前髪の上から手をあてた。医師はその前髪を指先で少しどけた。そして、片眉を上げた。紋章を見られて何を言われるかと身構えたキナだったが、医師は何も言わず、紙に何やら記入して、わかりましたと事務的に言った。

「他に何か気になることはありますか?」

医師は体調のことでそう聞いたのだろうが、キナはかまわず質問した。

「あの、私、もう帰れますか。」
「いいえ。」

しかし医師は感情のこもっていない声で答えた。

「あなたがたは、行くあてがないのでしょう。そんな時に、あなたのような病み上がりの、しかも原因も何もわかっていない人を放り出すなんて、王が許してもフレア王女が許しませんからね。せめてあなたが元気に走り回れるようになるか、清潔なベッドで眠れるあてができたのなら、ここを出ていく許しもおりるでしょうが。」
「………。」

キナは沈黙して部屋の中を見渡した。ベッドには数人の患者が眠っていたり、上半身を起こして読書をしている。そのほとんどがケガを負ったオベル兵らしい。時々同僚とみられるオベル兵の制服を着た者たちが様子を窺いに訪ねてきているのだ。助けてもらったのはありがたいが、この部屋で何日も過ごすのは遠慮したかった。
その気持ちを察したのか、医師は困ったような目で部屋の中を一瞥し、申し訳なさそうに眉を下げてキナを見つめ、去っていった。
何人かの起きている患者たちは、見慣れないキナに物珍しげな視線を向けている。その好奇の視線から逃げるように、キナは布団を首元まで引っ張り、目を閉じた。




「王宮の場所、聞けばよかったね。」
「王宮というくらいだから、すぐ見つかると思ったんだがな。」
「おうきゅうって、どんなところなの?」
「そりゃあ、王宮っていうくらいだから、お城みたいな大きな建物なんじゃない?」

いくつめになるかわからない階段をのぼりながら、ジュエルの疲れた声を皮切りに、ケネスとチープーもぶつぶつと声を漏らした。ラズロたちはひとまずフレアに言われた通り王宮を訪ねようとしていたが、周りを見渡してもそれらしき建物は見えず、ついでに進めば進むほど、人も少なくなっていた。すっかりひとけのなくなった階段をのぼりながら、4人の胸に小さな不安が生まれつつあった。
階段を登りきると、ひらけた庭園のような場所に出た。石畳の道の両側には薄く水が張ってあり、鮮やかな新緑や深い青の空を鏡のように映し出している。しかしそこにはもう道らしい道は続いておらず、4人はついに立ち止まってしまった。

「やっぱり、誰かに場所を聞いてみようよ。」

ジュエルの提案で、4人はあたりを見渡した。しかしここには人がほとんどおらず、目に入ったのは、浅い池のふちに仁王立ちしている険しい顔の大男ただひとりだった。男はまるで怒っているように眉間に深いしわを刻み、筋肉が盛り上がった太い腕を組んでいる。
4人は顔を見合わせ、誰もが進んで声をかけようとはしなかった。

「ケネス……行ってきなよ。」

ジュエルが肘でケネスを小突く。

「いや、チープー、行って来てくれ。」
「えー!?おれ、やだよ。」

3人が言い合っているうちに、ラズロが1人離れ、男のもとに歩いて行った。

「あっ!ちょっと、ラズロ……!」

ジュエルが小声で叫び、ラズロの背中を見守った。ラズロは全く物怖じしていない様子で、男の前に立った。男は眉間のしわを一層深くし、鋭い眼でラズロを見下ろした。

「あの、すみません。王宮はどこにあるんですか?」
「王宮?」

男は声までもが太く威厳があり、後ろで聞いていたジュエルとケネスは顔を見合わせた。何も悪いことはしていないのに、次の瞬間怒鳴り散らされるような気さえした。

「そりゃ、そこの建物だ。」

しかし男はあっさりと、すぐ目の前の建物を顎で指しただけだった。ラズロは男の視線を追って建物を確認すると、礼を言った。
その様子を窺っていて危険な人物ではないと安心したのか、チープーもラズロのそばへ駆け寄ってきて、つられるようにジュエルとケネスもやってきた。

「王様ってさ、王宮にいるの?」

チープーが不躾に言うと、男は黙って眉間にしわを刻んだままチープーに目をやった。

「うぅんと……こんなこと、おじさんに聞いてもわかんないかなぁ?」

チープーは少しひるんだのか、声を少し小さくして続けた。しかし男は特に機嫌を損ねた様子もなく、考えるように頬をかいた。

「そうさなぁ……ま、王様なんだったらそこの中にいるんじゃねえか?」

男は見かけよりも懐の広い者なのかもしれなかった。それにしても不躾すぎるチープーに冷や汗をかいたケネスは、一歩進み出てチープーを背に隠し、男に頭を下げた。

「ありがとうございました。…じゃあ、行くか。」

ケネスは振り返ってラズロを促し、4人は連れ立って王宮へと向かった。その後姿を、男は何か考えているような顔で見つめているのだった。

王宮に入ると、すぐに広間が広がっていた。静まり返ったそこには荘厳な空気が居座り、ラズロたちを圧倒する。しかしラズロはなんとなく懐かしいような気もして、広間の中をよく見渡した。
広間には背の低い初老の男がラズロたちを待ちかねるようにして立っていた。男はラズロたちを見つけると、さっそく近づいてきて、4人の顔を順番に確かめた。

「あなたたちですね?さきほどの船で、フレア様からここに呼ばれたというのは……。」
「うん、そうだよ。じゃあ、おじさんが王様?」

間髪入れずに答えるチープーを、ケネスは見とがめるように一瞥した。そして嗜めようとしたとき、それよりも早く、男が顔を赤くして憤慨したのだった。

「???私が?ここの王?…王は、それはもうご立派なお方。私ごときと間違うなど…ゴホン、失礼というものですよ!」

それから取り乱したことを恥じるように息をのんで、気を取り直して続けた。

「まあ、中へどうぞ。フレア様から事情は聞いております。いいですか、くれぐれも今のような失礼のないように!!いいですね!?」

気を取り直したとは言っても、これが彼の本来の性分らしい。ラズロたちは追い立てられる羊のように謁見の間へと通された。謁見の間には、どうしてか先ほど王宮の前で道を尋ねた大男が鎮座していた。チープーはそれを見つけると、部屋の中を巡り見て首を傾げた。

「王様は?王様が来いって言ってたから来たのに……いないの?」

すると背の低い初老の男はまたしても顔を赤くし、上ずった声を張り上げた。

「あ、あなたたち……す、少し、失礼がすぎますッ!!」
「セツ、別に怒らなくていい。お前こそ、声がデカい。」

それを宥めたのはあの大男だった。初老の男――セツは心底困ったように眉を下げて、大男に縋るように嘆いた。

「王……だからいつも、用意したお召し物を着てくださいって……王〜〜〜〜!」

全く意に介さずふんぞり返っている大男に、今にも泣きださんばかりにセツは訴える。しかしそれよりも驚くことがあり、4人は目を丸くして大男を見上げた。セツの言う通りならば、この大男がオベル王国の王。唖然と立ち尽くす4人の前に、大男は進み出ていった。

「俺がここの王をやってる、リノ・エン・クルデスってモンだ。よろしくな。」
「…え…?この人が…王様…?」

思わずつぶやいたのはチープーだった。彼が言わなければ自分がこぼしていたかもしれないと、他の3人は冷や汗をかいた。
リノはチープーの言葉も全く気に留めず、ラズロの前にやってきて、その顔をまじまじと見つめた。

「お前が……ねぇ…。」

そしてそう意味ありげに呟くと、ふと空気をかえたように顔を上げた。

「みんな、ちょっとこいつと2人にさせてくれないか。」
「だ、大丈夫でございますか?このような素性もわからぬ者を……。」
「案ずるな。」

リノはセツの苦言をあっさりと跳ね除け、見張り兵にも合図を送って人払いをした。

「それじゃあ、俺たちも出てる。ラズロ、外で待ってるよ。」

ケネスもそう言い残し、ジュエルとチープーを連れて部屋を出ていった。そうしてラズロは誰もいない謁見の間でリノと2人きり、対峙するのだった。




「とにかく、住むところを探さなきゃならないな。いつまでも宿暮らしというわけにはいかないだろう。」

王宮の前ではケネス、ジュエル、チープーが向かい合って話していた。ラズロを待っている間に、どうしてもこの先の不安が頭をよぎり、そういう話題が始まってしまうのだった。

「でも、あたしたち、この国に住んでもいいのかな?」
「王次第だろうな。ただ、今、いったい何を話してるやら……」

「……ラズロ、遅いね〜〜。」

いよいよ3人が待ちくたびれた時、ようやく王宮からラズロと、その後ろからリノが出てきた。

「ずいぶん長かったね。」

ジュエルがそう声をかけると、ラズロは苦い顔をして曖昧に笑った。どうやら難しい話をしていたという事は、その顔を見てわかった。

「それで、俺たちはどうなる?」
「ねえねえ王様!俺たち、この島で生活できるの?それとも、また出ていかなきゃいけないの?」

ケネスとチープーが不安と疑問を口にすると、リノはさして考えもせずに言った。

「ああ、そうだな…。行くところがないのであれば、ゆっくりしていけ。」
「いいんですか?」
「よかった…。代わりと言ってはなんですが、何でもします!」

ジュエルとケネスは心から安堵した笑顔で顔を見合わせた。するとリノも気持ちの良い笑みをその険しい顔に浮かべた。

「あたりまえだ、島にとどまるんだからな。俺の下であれこれと働いてくれ。住む場所はあるから、心配するな。」

そう言うと、リノは王宮の方を振り返った。

「おーーーい、デスモンドはいるか?」

リノの声が響いてまもなく、王宮からひとりの男が飛び出してきた。船で会ったデスモンドだ。

「何でございますか?」

デスモンドは恭しくリノの隣へやってきて、畏まってそう聞いた。リノはそのデスモンドの耳元に顔を近づけ、なにやらひそひそと囁いた。

「実はな…………。」

「王!ほ、本気で!?」

デスモンドが飛び上がって上ずった叫び声を上げた。ただ事ではないその反応にラズロたち4人は目を丸くして佇む。しかしリノだけは当然のような顔をして、大きく頷いた。

「ああ本気だ。結構適任だと思うぜ。ま、よろしく頼む。」

それからリノはラズロの方を向いた。

「住む場所はデスモンドに案内させる。それから、そのあともこいつにはお前たちの行動を見張らせる。まだ完全に信用するってわけにもいかないんでね。まあ、気を悪くするな。」

ラズロたちは煮え切らない顔を互いに向き合わせたが、黙っていた。デスモンド自身もまだ困惑しきった顔のまま、ラズロのもとへとやってきた。

「ええと、そういうことになりました。よろしくお願いします。」

そして王宮の端のほうを指しながら言った。

「では行きましょう。場所は…王宮の東、岸壁のほうになります。」


デスモンドの案内で、一行は細い崖道を進んでいった。眼下には海が広がり、断崖に波が白いしぶきを立てて打ち寄せてくる。

「ひゃ〜〜、すごい断崖絶壁……」
「落ちたら……終わりだな。」
「ちょっと、やめてよケネス。」

ジュエルとケネスはどこか楽しそうに言い合いながら歩いている。住処をもらい、生活のあてができただけで少し安堵できたのだろう。ラズロは前を歩くデスモンドの猫背気味の背中を眺めた。するとデスモンドが急に振り返った。

「見えてきましたよ。その奥が、あなたがたのこの島における拠点となります。はい。」

言い訳をするように、デスモンドは自分の言葉に頷いた。というのも、彼が指差したのは、断崖の道の突き当りにある洞窟だったからだ。どう見ても人間が生活する場所ではない。

「え……この洞窟の中?」

ジュエルが困惑を露わにして言った。

「俺たちは、一生この中で働く…ということか?」
「うぅ…そ、そんなぁ……。」

ケネスもそれに続き、チープーはすっかりおびえて尻尾をぺたりと下げた。

「いえいえ、ご心配なく。ささ、どうぞ中へ。」

デスモンドはその不穏な空気を打ち払うように明るく振る舞って、4人を洞窟の中へと導いた。

「うわぁ、まっくらだよ。」
「じきに目が慣れてくると思います。さあ、進んでください。」

チープーの言う通り、洞窟の中には光が全く入らず、一行は岩壁に手をついて慎重に進んでいった。こんな場所に人の住める環境が整っているとは思えなかったが、デスモンドの自信ありげな態度に僅かな期待を寄せ、それを頼りに4人は進んだ。

「おっと!!」
「あ、ゴメン、足踏んじゃった。」

暗い洞窟内で、ジュエルとケネスの声が反響する。いったいどこまで進むのだろう……そんな不安がよぎり始めた時、デスモンドの声が響いた。

「どうですか?そろそろ見えてきましたか?」

そう言われて前を注視したチープーが、明るい声を上げた。

「あ、灯りだ。」

奥には小さな橋のようなものがあり、手前にランタンがぽつんと置かれていて、その先は木の床になっていた。その上を進むと、扉があった。デスモンドは扉を開いて4人を中へと迎え入れた。
扉をくぐると、4人は声を失った。そこは広い部屋で、隅々まで掃除された清潔な空間で、奥にはバーカウンターのような場所も備えられていた。部屋の四方を巡る2階のロフトもあり、真ん中は吹き抜けになっていて、かなり広い空間だ。部屋の奥にも扉があり、他にも部屋がありそうだ。
ここは生活するには十分すぎるほど、居心地のよさそうな場所だった。

「これからは、こちらで生活してください。部屋はここ以外もあります。ここは…例えるなら皆さんの休憩所、ですね。」

デスモンドは少々自慢げに胸を張ってそう言った。

「皆さんの…って?ずいぶん広くないですか?ここ…。」

予想をはるかに上回る待遇に不安を感じたのだろう、ケネスがそう言うと、デスモンドは待っていたとばかりに頷いた。

「そうだ、そうでした。王からの伝言があります。『ここに人を集めてもらいたい。それも能力のある人間を』…と、いうことです。」

4人は訝しげに顔をしかめた。

「どういうことですか?」

と、ジュエルが問う。

「はい、ええと…言葉通りの意味です、はい。」

そう頷くデスモンドだったが、4人はまだ煮え切らない顔を見合わせた。

「あと、この仕事はカイトさん、あなたの責任でお願いいたします。」
「え?」
「すでに何人か先客も…ほら、そちらにも。」

困惑するラズロをよそに、デスモンドが示した先には、どこか愁いを帯びた色気のある女性が不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「…新顔さんたちね。ここで休むときはあたしに言って頂戴ね。」

女性はそう言うと、ふふ、と静かに笑って、妖艶なまなざしをラズロに向けた。

「あなた…強い目ね…きらいじゃないわよ、そういうの。あたしの名前はルイーズ。よろしくね。」

ルイーズがラズロに近寄ってにっこりほほ笑むと、そこへ割って入るようにデスモンドが口を挟んだ。

「さて、では私もこのあたりにいるとしましょう。メンバーを変えたくなったら、私かルイーズさんに言ってください。」

それから踵を返そうとして、思い出したように留まった。

「あっ、それから寝室。お部屋は、ここの扉を出て、階段を上っていただいて…上ったらそのまま右手、ちょっと高いところにあります。ベッドは、自由に使ってください。」

寝室、という言葉を聞いて、4人には疲れがどっと押し寄せてきた。ようやく落ち着いて眠れる場所を手に入れたとあって、一気に安堵したのだろう。

「うー…とりあえず、ひと眠りしたいよ…。だって、やっと陸で眠れるんだもん。」

チープーが目をこすりながら言うと、ジュエルも大きく頷いた。

「あたしも賛成〜。とりあえず、少し休もうよ。」
「起きたら、いよいよ新生活だな。がんばろう、ラズロ。いつかラズリルに帰れる日もくる。」

ラズリル。その名前を聞いて、ラズロの胸に少しの痛みと、同時に少しのあたたかさが差した。それはまるで、騎士見習い時代の訓練中に、疲れ果てて日陰で休憩し、再び自分を叱咤して強い日差しの下に飛び出して行ったときのような感覚に似ていた。

「そうだね、がんばろう。」

ラズロが頷くと、ケネスやジュエル、チープーも、皆ようやく晴れやかな笑顔を浮かべたのだった。



 



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