帰還

目を覚ますと、きらびやかな天井が視界いっぱいに広がった。こんなのは久しぶりで、奇妙な気分だった。界王の間はいつだって、暗雲の中を彷徨っているみたいな空間だったから。
少し顔を横に向けると、天井まで届くほどの巨大なステンドグラスから、青い神秘的な陽光が差し込んでいる。懐かしい景色だった。私はこの景色をよく知っていた。
昔、迷い込んだ世界で。愛しい人がいる世界で。
私がまぶしさと倦怠で目を閉じると、切なげな声がした。
「ニケ……。」
そう、あの人はこんな優しい声をしていた。もう一度聞きたいと思っていた。私の名前を呼ぶあの人の声。
「……カレン。」
求めるように呟くと、強く体を抱きしめられた。目を開くと、そこには思った通りの人物がいた。――カレン。会いたかった。
大きな体に手を回すとあたたかかった。互いを求めるようにキスをすると、頬に温かいしずくが落ちた。カレンのアーモンド色の瞳が涙でぬれていた。私は手を伸ばして、彼の濡れた頬をなぞった。懐かしい肌の感触を確かめるように。
「……2年前、あなたが突然消えてしまった時……私は世界の終りだと思った。」
カレンの甘い声を聞きながら、こちらではまだ2年しか経っていないのかと驚いた。
「私も……2年が、1000年以上にも思えた……。」
そう呟くと、涙がこぼれた。それは比喩でも冗談でもなかった。私は本当に、1000年以上の時を、彼を失ったまま生きた。平然と脅威に立ち向かう生活を続けてきた自分に嫌気がさしたこともある。可愛げのない女だと。泣いて暮らして、死を選んでしまった方がいいのではないかとも思った。そうしたら、カレンへの思いを抱いたまま、決して裏切らず、自分の気持ちを証明できる気がして。そう、私は長い時を生きるうちに、彼への気持ちがなくなってしまうことを恐れていた。けれど、今頬を伝う熱い涙を感じて安堵した。カレンの顔をみて熱い思いが胸に湧き上がる自分にも。
カレンは頬に少し微笑みを浮かべた。
「私は、もっと長かった。」
口をふさがれて言葉は返せなかった。けれど、きっと伝わったと思う。私も同じだ――と。

私たちは求め合った後、すっかり日が暮れてから、スカイホールドの人々に無事を告げた。現在はカサンドラが代理で審問官を務めてるとの事だったが、満場一致で後日、私にその権利を返還することに決まった。
「では、みなさん異論ありませんね?」
ジョゼフィーヌが嬉しそうな笑みで会議室の面々を見渡す。その誰もが、満足げな笑みを浮かべて頷いている。
「はい、満場一致ということで。では早速明日、ニケ様に審問官としての一切の権限を返還させる、返還式を執り行いましょう。もちろんすべての手配は私がしておきますので、ご心配なく。」
ジョゼフィーヌが茶目っ気たっぷりに言うと、カサンドラは赤面して閉口した。どうやらこういった苦手な事務仕事は、ジョゼフィーヌが全て請け負っているようだった。しかしジョゼフィーヌは式典やパーティーの手配や開催に精通しているし、本人も好き好んでいる。きっと嫌味などでなく、カサンドラはからかわれたのだった。
「解散!」
号令が掛けられ、ジョゼフィーヌとカサンドラとレリアナは連れ立って会議室を後にする。私も部屋を出ようとすると、不意に手を後ろに引っ張られた。あたたかい手。すぐに分かった。カレンだ。
「少し、散歩しよう。明日になれば、あなたはまた忙しくなる。」
彼はいつだって、こうして私を求めてくれるのだ。私は笑顔でうなずいた。

久しぶりのスカイホールドは、人が増え、居住区が広がっていた。城全体の修復も進めているらしい。戦いをしていた頃はまだ、天井に穴が開いていたり壁が崩れていても、それを全て修復するほどのお金はなかった。しかし今は終戦の要となったこの地に多くの人々が集まり、居を構え、税を集めたり商人を呼んだりして、随分と豊かな地になったようだった。
「だがあなたの部屋は、ずっとそのままにしてある。皆口には出さなかったが、あなたが帰ってくることを――信じていたんだ。」
城壁を歩きながら、カレンは穏やかな声で言った。
「それは嬉しいことね。」
心からそう呟くと、腰に手を回され、振り返るとキスをされた。
「随分とキスが好きになったのね。」
「……そんなことはない。前からだ。」
からかうように言った。カレンの頬が赤くなる。彼は女性から人気があるのに、こういうところは変わっていない。それが嬉しい反面、私がいない2年の間に、彼に他にいい人はできなかったのかと不安になる。自分勝手だけど、彼が私に以外の誰かに甘い声で囁き、こんなキスをしたのかと思うと、胸がつぶれそうなほど苦しかった。
「……カレン。以前と変わらないように接してくれるのは嬉しい。でも、不安なの。」
カレンは立ち止って私に向き直った。彼はいつも私の話を真剣に聞いてくれる。
「本当に、何も変わっていないの?わたしたちの関係は……まだ私のことだけを愛してる?」
うまく言えたか不安だった。カレンは優しく微笑み、顔を近づけてきた。私はそれを手で押さえた。
「お願い。今はちゃんと言葉が聞きたい。」
驚いた顔のカレンが、穏やかな顔に変わった。安心しろと言いたげだった。
「あたりまえだ。あなた以外の人など、考えたこともない。」
強くしっかりとそう言った後で、カレンは私の手を退けて、すがるようなしつこいキスをした。

「早速噂になってるわよ。」
ワインを飲みながらレリアナがにやりとして言った。ジョゼフィーヌもすぐにわかったようで、顔に笑みを浮かべる。
歓迎パーティーは後日ジョゼフィーヌが催してくれるらしいが、今日は一足先に、この二人が飲みに連れ出してくれたのだった。
「何のこと?」
私もワインを一口なめ、首をかしげる。
「とぼけないで。城壁の上なんて……あんな目立つところで熱いキスなんてしていたら、見てくれと言っているようなものよ。」
「そうでしょうか。私は、意外と穴場だと思いますけれど。わざわざ城壁を見上げる人なんて、それほどいませんし。」
やはり誰かに見られていたか。昔にも同じことがあった。
「スカイホールドが平和なようで安心したよ。」
私が全く気にするそぶりも見せずに言うと、二人は不思議そうな顔を見合わせた。
「ところで、聞きたいことがいくつがあるのですが。」
ジョゼフィーヌが急に畏まって言う。
「そうね。わたしもあるわ。でもきっと、ジョゼと同じことでしょうから、私は黙って聞いてるわね。」
さあどうぞ、とレリアナがジョゼフィーヌに主導権を与えた。ジョゼフィーヌも応えるように胸を張って、私に向き直った。
「まず、2年前に何があったのかという事。そして、この2年間どこで何をしていたのかという事。それから……。」
ジョゼフィーヌの視線が私の斜め後ろの当たりを見る。
「このお方はいったいどこの誰で、あなたとどういうご関係なのかということです。」
「そうね、まずはそれね。」
ジョゼフィーヌの言葉に、レリアナも満足げにうなずいた。私はワインをまたひと舐めしてから口を開いた。
「順番に答えよう。2年前のことは、私もよくわからない。昔、裂け目から現れた時と同じように、私は何もわからないうちに全く違う場所へ飛ばされてしまったんだ。次に、この2年間何をしていたか。簡単に言うと、旅をしていた。もちろんここに戻る術も探した。結果、というわけじゃないが、ここに戻ってきた。最後に、この者は――」
私は後ろに佇むソルを見やる。彼も私と一緒にここへ飛ばされてしまったようだった。
「私の仲間――そうだな、わかりやすく言うと従者みたいなものだ。昔ドラゴン退治をして、それから一緒に旅をするようになった。」
「ドラゴン退治!」
ジョゼフィーヌが感嘆の声を上げた。
「あなたはここだけじゃなく、別の世界も救ってしまったというわけね。」
レリアナは妙に冷静な声で呟く。
「ではその長い旅の間、ずっと一緒に?」
ジョゼフィーヌの問いに私が頷くと、二人はまた顔を見合わせた。
「何か、間違い――といっては何ですが、二人の間に変化はなかったのですか?長い間、妙齢の男女が二人きりで旅をして。」
なるほどそう思うのか、と思う。ソルは確かに整った凛々しい顔つきだし、女性からの人気も高そうだ。
「それはない。厳密にいうと、ソルは限りなく人間に近いが――人間ではないから。でも、最近はますます人間に近づいている。もしかしたら今後、このスカイホールドにいる誰かとでも、そういう関係になるかもしれないけど。」
「人間ではない?コールみたいに?」
「うーん……コールとはまた少し違うけど、まあ、人間のような存在という点では、同じかな。ただ、悪いもんじゃないよ。」
そう言うと、二人は理解しきらないながらも、納得したような顔をした。

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