変化

返還式は厳かに執り行われた。
カサンドラが前に跪き、冠を差し出す。それをジョゼフィーヌが受け取り、私の頭にのせた。私は祈りの言葉を宣誓し、謁見の間を通って外へ出た。後ろを、カサンドラ、ジョゼフィーヌ、レリアナ、カレンが続き、階段の踊り場からスカイホールドの城下を一望した。
そこにはたくさんの人々が集まっていた。皆、私の帰還を喜んでくれている。
「ここまで喜ばれると、私の立つ瀬がないな」
カサンドラが冗談交じりに呟いた。私は民衆に振っていた手をそのままに、カサンドラを振り返った。
「カサンドラ、前へ。一緒に立とう。」
カサンドラは遠慮したが、ジョゼフィーヌに押されて私の隣に立った。途端に、民衆がわっと沸いた。カサンドラをたたえている。彼女の頬が笑うのを見て、私は言った。
「あなたは素晴らしい指導者だったはず。これが答えだ。」
そう言うと、カサンドラは輝くような笑顔で頷いた。
「ありがとう。だが、私もこの民衆の、あなたを支持する思いに同意する。あなたのこういうところが素晴らしいから。」

ここへ帰ってきてよかった。心からそう思った。これからは審問官として、このスカイホールドを――世界を導いていく。
そう決意したときだった。
ふっと、一瞬大きな影が頭上を横切った。どよめく民衆。その視線につられ、私も天を見上げた。
すると――赤い大きな竜が、頭上を飛翔していた。その旨は赤い光を放っている。その光に呼応するように、私は胸が熱く脈打つのを感じた。
嘘だ。まだ終わってないのか――いや、始まってしまったのか?
考えずとも、その竜の意味するところが私にはわかった。
私は、界王だから。
「あれは……ドラゴン!?」
「どうして!?」
逃げ惑う民衆。その一瞬開けた地面のちょうど真上をドラゴンが横ぎった時――
私は、氷柱でドラゴンの胸を貫いた。
悲鳴を上げ、地面に落下するドラゴン。地面で屍となると、ドラゴンは灰と化し、空に消えていった。
「今のは、いったい――。」
誰かが呟く。私は答えるように言った。
「混ざってしまったんだ――いくつかの世界が。私がここへ帰ってきたときに、一緒に――。」

その日のうちに、次の変化が起こった。いろいろな世界から、そこの住人達がこのスカイホールドに突然現れたのだ。このスカイホールド以外の場所にも表れたのかどうかは、今レリアナが調査している。
ともかく混乱は起きたが、私には嬉しい再会が多かった。ただし、もちろん、嬉しくない再会も――あった。
それでもみんな平等に、まずはスカイホールドの城壁外にある宿舎を、彼らに与えた。4〜5人で一部屋を使ってもらって、200の部屋が満室になった。とりあえずひと月はここにいていいと伝え、それ以降もここに住む場合は、他の住人と同じように、何か仕事をしてもらうという条件を付けた。食料や生活用品もいつまでも無償で与えられるわけではないからだ。
晴れやかな日になると思っていたが一変、目が回るほど忙しい日になってしまった。こんな日はやはり、彼が恋しくなる。
私は会議室へ向かおうとしていた足を止め、大きく遠回りしていくことにした。

カレンの執政室には騎士たちが溢れかえっていて、あーでもないこーでもないと意見を戦わせていた。私はそっと扉を閉め、邪魔にならないよう部屋の端で壁に寄りかかり、腕を組んで成り行きを見守る。
「突然現れた得体の知れない奴らに食料を分け与えるなんて、民衆からも不満が上がっています!」
「言葉が通じない者もいます。指示を通すのも限界があります!」
「ではお前たちは、言葉もわからぬ無一文の人間を、着の身着のままこの雪山に放り出すというのか!?」
カレンが一喝すると、騎士たちは静まり返った。
「い、いえ、私たちは……。」
辛うじて口を開いた騎士を、カレンは鋭く睨みつける。
「では民衆にもそう伝えろ!3年前……住処も希望も失い、食料もままならない中、皆でこの雪山を超えてこのスカイホールドにたどり着いた時のことを忘れたか?とな。今、また脅威が迫っている。今こそスカイホールド全員で力を合わせるべき時ではないのか?」
騎士たちは目が醒めたような顔を合わせた。私は時間を気にして羊皮紙に木炭を滑らせた。手紙でも書いて置いて行こうかと思ったのだ。その時、カレンが私を見、騎士たちも私に気づいたように振り返った。
「審問官。どうされた?」
カレンが畏まった様子で尋ねる。そっと部屋を出ようとしていたのだが、こう注目されては仕方ない。私はカレンに歩み寄った。
「白熱した会議に水を差してしまってすまない。大したことではないのだが、伝えておくことがあって。」
そう言って、羊皮紙を広げてカレンにだけ見せた。
「忙しい所悪いが、できるだけ早く頼めるか?」
羊皮紙には『私の部屋の鍵』とだけ書いてあり、真鍮の鍵をはりつけておいた。カレンの頬が緩んだが、それは一瞬で、部下たちの手前顔を引き締めたらしかった。
「早速今夜、取り掛かろう。」
何か仕事を言いつけられるのかと、騎士たちがカレンを見たが、カレンは咳払いをすると羊皮紙を懐に収めた。不思議そうに顔を見合わせる騎士たちを横目に、私は部屋を後にする。
「邪魔したな、それでは。」

会議室にはジョゼフィーヌとレリアナがいた。カサンドラは遠征に出ているし、カレンには別の仕事を任せてあるから、私の登場でメンバーが全員そろったことになる。
「はじめよう。」
私が台の前に来ると、レリアナもジョゼフィーヌも頷いた。
「では、まずは食料の問題ですね。知ってのとおり、先日1000人余りの人間が突然スカイホールドに現れました。我々は彼らを1か月間保護することに決めました。ひとまずの住処は城壁外西の宿舎棟となっており、これには住民からも了承を得ています。」
「問題は物資という事ね。」
「ええ。スカイホールドは2年前の終戦時に比べ随分豊かにはなりましたが、それも1000人以上の人間を無償で養えるほどではありません。」
私は台の上に広げられた地図に目を落とした。
「戦中・戦後に恩を売った貴族や富豪が何人もいるだろう。彼らに援助をさせよう。」
「それはいい考えです。あなたが帰還されたこともあって、寄付を申し出る貴族も現れています。戦後、一番急成長を遂げているのは審問会ですから、何らかのつながりが欲しいのでしょう。」
「では、これで問題ないわね。」
「ええ。私がいくつか手紙を書きましょう。」
ジョゼフィーヌが頷いて、何かを速やかにメモして、この件は幕を下ろした。
「では次に。兵力の問題です。今やスカイホールドは、城壁外に住む住人が増えました。現在、急ぎ新たな城壁を建設中ですが、先日のドラゴンの襲来により一部が崩壊し、完成はまだ先になりそうです。」
「人々は不安でしょうね。」
「ええ。またいつドラゴンが来るかもわからない。そうでしょう?審問官。」
「……そうだ。ドラゴンは1頭ではない。おそらく、まだたくさんいる。それに、ドラゴン以外の脅威もある。様々な世界から様々な人がこの世界に来たことで、この狭い地に、大きな集団が多く出来過ぎた。」
「ええ。それについてはここに報告書をまとめたわ。」
レリアナが羊皮紙の束を取り出す。私はそれをめくりながら彼女の話を聞いた。
「まずいちばん近いのはここから東。廃墟の墓地に、黒ずくめの集団が居を構えたらしいわ。彼らは『救済』と名のっているそうよ。ドラゴンの支持者で、世界の破滅を望んでる。それが自然の成り行きだと。混沌に酔っている、頭のいかれた連中よ。もっとも、それを心から望んでいるのはトップの数人だけで、他の信者たちはただの享楽か、他に行き場や住む場所が無くて、そこに身を置いている者がほとんどみたいね。」
私は地図上の街灯の場所にピンを刺した。
「他に注意するべき集団は?」
「まだ調査中だけど、大きな山賊の基地がこのスカイホールドを挟むように北と南にできたわね。」
「挟まれているのは厄介ですね。」
「ええ。ただ、彼らは互いにいがみ合っているようだから、私たちから手を出さない限りは、向こうが結託して挟み撃ちを仕掛けるようなことはないと思うわ。」
ジョゼフィーヌはメモを取り、私はまた地図上にピンを刺す。
「なるほど。すべて心当たりがある。」
私の言葉に二人は注目した。
「純粋な戦闘力で言えば、どれも大したことはない集団のはずだ。でも、結託されたり、スカイホールドでなく城壁外の町を襲われたら困るな。だがむやみに潰そうとどれか一つに仕掛ければ、危機感を覚えた他の2つに潰されるだろう。」
「どうしますか?」
「外に味方を作っておこう。まずはこの絶対的に不利な図式を変えなければ。」
「賛成です。では、手紙を書いて訪問の手はずを整えておきます。では、次ですが……」

日が落ちて、辺りが夕闇に染まりつつある頃、ようやく会議が終わった。会議室を出ると、いつも通りソルが佇んでいた。
「ニケ様。」
彼はここへ来てから私を名前で呼ぶようになった。私がそう頼んだのだ。覚者様、と呼ばれては、周りの人たちへの説明も簡単ではないから。
ソルが私の傍へ付き従ったのを見て、レリアナが面白そうに目を細めた。
「あら。どこかの部隊長さんが見たらヤキモチを焼きそうな光景ね。」
「かわいそうです。彼、この2年間ずっと、あらゆる女性から逃げ回って、忠実に愛する人を待ち続けていたのに。」
ジョゼフィーヌが悪乗りして、楽しそうな笑顔で言った。
「それは見てみたかったな。」
私が言うと、二人は身を乗り出してきた。
「この話のネタは、一晩中飲んで語っても尽きないわよ。」
「そうですね。きっと、三日三晩は必要でしょう。」
楽しげに笑う二人につられて、私も笑った。そして彼の女性問題のトラブルを、面白おかしく聞いたのだった。

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