010

今にも雨が降り出しそうな、どんよりと重く暗い空。

…昨日の凱聖生、ほんとに彼氏なのかな…。

いえ、と首を横に振ったけど、玉城の様子はおかしかった。否定するまでに、ちょっと躊躇いがあったし。あの男、他の客が帰っても、いつまでも居座っていたし…。

…あ〜…。玉城に特別嫌われているわけじゃないとわかって有頂天になってたけど、肝心なことを忘れてた。そうだよ、玉城には彼氏がいるという噂が…。あ〜〜、くそ、すっきりしねぇ。

…結構なイケメンだったな、あいつ。凱聖生ということは、間違いなく頭は良いし、いいとこのお坊ちゃまでもあることは確実。つまり現状非の打ちどころのない強敵。いや、敵っつーか…もう付き合ってるんだとしたら、俺は敵にすらなれないわけで…。

いや、だけど…

「俺は信じねェ!」

他人の席でふんぞり返ってパックジュースをズコズコ飲み干しながら倉持は宣言した。

「玉城さんもいいえって言ってたし!どうせ玉城さんを狙ってる男のうちの一人だろ。昨日の客、そんな奴ばっかだったじゃねーか。」
「いいねぇバカは根拠もなくポジティブで…」
「アァ!?誰がバカだとこのデブ!」
「すぐキレんなよ。」
「誰のせいだと…」

うーん、なんとかして事実をはっきりさせる方法はないものか。

「…おい!聞いてんのかよ。」
「え?全然聞いてなかった。何?」
「テメェ…」



***



「み…御幸!」

昼休み、クラスメイトの男が慌てて俺を呼んだ。なに?と振り向くと、そいつは教室の入り口を指して言う。

「い、1年の…玉城さんが呼んでるけど…」
「え…、」

教室はにわかに騒然となった。そりゃそうだ。玉城と言えば学校中の有名人…。噂の高嶺の花が、男子を呼び出すなんて。俺は優越感半分、気恥ずかしさ半分で、緩む顔をなんとか堪えて立ち上がった。
教室を出るとすぐに、廊下に立っている玉城を見つけた。上品に前で重ねた両手には紙袋を提げている。玉城は教室から出てきた俺に気付くと、壁にもたれていた背を起こしてこっちに歩いてきた。

「…これ、ありがとうございました。」
「え?…あぁ…」

差し出された紙袋の中には綺麗に畳まれたブレザー。そういや貸してたっけ…。昨日のことが衝撃的すぎて吹っ飛んでた。

「じゃあ、失礼します。」
「え?」

そんだけ?

「ちょ…、玉城。」
「はい?」

すぐにも立ち去りたそうに踵を返したまま振り返る玉城。そんなに俺に興味ねーってか…。

「待ってて。置いてくる。」
「え…?」
「ちょっと付き合えよ。」

少しでも話したい。聞きたいこともあるし…。
玉城はきょとんと俺を見上げた。

「え…。いやです」
「…は?」

…いやです!?
一応先輩相手だというのにこの粗雑な扱い…。やっぱ嫌われてんのかな俺。

「失礼します。」
「えぇ!?おま…、マジかよ」

すたすたと立ち去る玉城。様子を見守っていた廊下の野次馬たちがクスクスと笑い出し、俺は落胆を背負って教室に戻った。

「ヒャハハハ。フラれてやんの」
「うるせぇな…」

倉持にもバカにされて出迎えられて腹立たしい。

「つーかそれ、何?」
「貸してたブレザー。」
「は…!?」

しかし不意打ちがきまって、倉持の間抜け面を見て笑いがこみあげる。

「なんでブレザー貸してたんだよ!?何があった!?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
「テメッざけんな吐けこの…クソ眼鏡!!」



***



「じゃあ数学は?」
「公式覚えとくくらいかな…」
「そうだよね、範囲広いし。」
「でも玉城頭良いじゃん。大丈夫だろ」
「そんなことないって。理数系苦手だし」

自販機の前で喋りながらジュースを買う男女。東条と玉城だ。その二人はいたって自然で、ごく普通に気を許して喋っているように見えて、少し焦った。

「あれ〜〜〜玉城ちゃんじゃん。」

そんなとき口をついて出るのは、よりにもよって玉城の眉を顰めることになると重々承知している軽口で。案の定鬱陶しそうに振り向いた玉城に、俺は悪びれない笑顔でひらひらと手を振った。

「仲いいな〜お前ら。」
「え…。」
「……。」

じわりと顔を赤くする東条と、顔色を変えず俺を睨む玉城。

「玉城ちゃんってば、俺というものがありながら〜…」
「はぁ?」
「はっはっはっは!すげぇ嫌そうな顔!冗談だって!」

そう、冗談。だから凹むな、俺。

「東条〜、赤点とったら追試だぞ。監督に目ぇつけられるから気をつけろよ〜。」
「は、はい!頑張ります…」

自販機でお茶を買いながらからかうと、東条は真面目に頷いた。
東条って真面目でいい奴なんだよな〜。だから憎むに憎み切れない。玉城と仲が良くて妬けるけど…。

「玉城ちゃん、またお店に遊びに行くからな〜。」
「来なくていいです。」

ぴしゃりと答える玉城に、お店?と目を丸くする東条。

「バイト先に来たの、この人。」
「コラコラ、この人とか言うんじゃない。」
「へえ、玉城バイトしてるんだ?」
「…一応。」

無機質な鐘の音が不意に鳴り響く。あ、予鈴だ、と玉城が呟いて踵を返した。

「失礼します!」

東条は礼儀正しく会釈をして、玉城はプイとそっぽを向いて、二人は歩いて行った。

「何のバイトしてんの?」
「喫茶店。」
「へぇ〜。俺も今度行こうかな。」
「え〜、来なくていいよ。」
「あはは、なんでだよ?」
「知り合い来ると恥ずかしいじゃん…。」

あ…あいつら、マジで仲良いじゃねーか…。
凱聖の男だけじゃなく、東条も警戒するべきかもしれねーな…。



***



「まだ猫の貰い手見つからないの?」

雨が降りそうで降らない不安定な曇天の下、練習とミーティングを終えて急いで帰ろうとする哲さんに、亮さんが尋ねていた。

「ああ。見に来てくれた人はいるんだが、毛の色が気に入らないと言われてしまった。」
「うわ、なにそれ。酷い奴もいたもんだね」
「目もまだ開いていなくて、病気があるんじゃないかとも言われてな。」
「そりゃそうかもしれないけどさぁ…」
「玉城は、来週バイト代が出たら病院に連れていくと言っていた。」
「…もしかして玉城さん、それでバイトしてんの?」

驚きと呆れのようなものを滲ませて尋ねる亮さんに、哲さんは苦笑した。

「…そうなんだ。」

その顔にはもどかしさが混じっていた。

「そこまでするなら玉城さんが飼えればいいのにね。」
「…そうだな。」
「家の人が許さないとか?」
「多分な。」

哲さんはおざなりな返事をして、じゃあな、と急ぎ足で帰って行った。学校帰りに玉城と猫の様子を見に行っているらしいし、その待ち合わせがあるんだろう。

「捨て猫の為にバイト!?…優しいな〜玉城さん」

ぽやぽやと呟く倉持を横目に、水のにおいを感じながら夜空を見上げる。
…今夜は降りそうだな。



***



叩き付けるような雨の音で目が覚めた。
枕元の携帯を開いて時間を見ると、深夜2時を過ぎたところ。
部屋の中は静まり返っていて、耳を澄ませると二人分の寝息が聞こえる。当たり前だ、こんな時間に起きている奴なんていない。

…あの空き地の猫は無事だろうか。さすがに天気が悪いから、今夜だけは玉城が連れて帰っているかもしれないし。俺が心配したって、寮暮らしで飼えるわけがない。実家の親父が子猫の面倒を見れるとも思わないし…。

そんなことを思いながら、トイレ行こう、と言い訳を浮かべつつ部屋を出た。
途端に暴力的なまでの豪雨に立ち尽くす。こんな雨…あの子猫、箱ごと流されてんじゃねーか?

…一晩くらいなら、連れて帰って軒下にでも置いておいてもバレないかも。

俺は部屋に戻り、上着と傘を掴んでまた部屋を出た。

膝下を水浸しにしながらこっそり寮を出て、荒れ狂う川を横目に土手を走り、住宅街の方を目指す。いつもなら5分もかからず着くあの空き地は、この豪雨と暗闇のせいで酷く遠く感じた。

街灯の少ない狭い住宅街の道を歩き、なんとか空き地にたどり着いた。
バカなことをしていると自覚しながらも、真っ暗な空き地に入って行って、立ち止まった。
ベンチの前に傘をさして立っている人影を見つけたのだった。
その人物は、俺の足音に気が付いてぱっと振り返った。

「…玉城?」
「……。」
「な、何してんの?」

って、猫が心配で来た以外に理由はないだろ、とすぐに自分で突っ込みを入れた。だけど、こんな時間に女一人でこんな場所に来たという事の驚きの方が勝っていた。

「…先輩こそ…」

…そうだよ。玉城からしたら、俺がここにいることの方がおかしいだろ。今まで猫の面倒を見てたわけでもないのに。
だけど、玉城が一生懸命面倒を見ていたこの子猫が、最悪な形で失われるのはどうしても嫌だった。玉城が悲しむと思ったら、居てもたってもいられなくて…。
…なんて、言えるわけないけど。

「いや…雨すげーから、そいつ流されてんじゃないかと思って。」
「……。」

玉城の腕の中でもぞもぞ動いて甘えている子猫。みゃあ、みゃあ、と子猫特有の叫ぶような鳴き声を一生懸命にあげながら、玉城の服に爪を引っかけて胸をよじ登ろうとする。

「で…どうすんの?」

濡れてしまって寒いのか、ぷるぷる震えている小さな毛むくじゃらの身体を撫でながら、玉城は言った。

「連れて帰ります。」
「平気なの?家。」
「…今日は親、いないから」
「ふうん…」

ちょっとひっかかったけど、深く追求せずに相槌を打った。俺が寮に連れて帰るよりは、玉城が連れて帰る方がはるかにいいと思ったから。

「じゃ…行こうぜ」
「え?」
「哲さんちの隣なんだろ?送る。」
「……。」
「嫌そうな顔すんな。今何時だと思ってんだよ。」

黙って歩き出す玉城の隣を歩いた。みゃあみゃあ鳴く声が雨の音にかき消されずに夜道に響く。

「玉城が飼えばいいのに。」
「え…。」
「そいつ懐いてるしさ。」

多分みんなそう思ってる。玉城自身、もうなんだかんだほっとけないようだし。

「親が反対すんの?」
「…されると思います」
「え、聞いてみてないの?」
「……。」

意外だ。まず真っ先に打診するもんだと思うけど。

「聞いてみればいいじゃん。こんなに一生懸命面倒見てんだしさ。」
「無理です。」
「なんで?」

玉城は胸元の子猫を見つめて、ためらうように口を噤んだ。
…また何か隠した。と、俺は直感で思った。

「…この先どうなるか…わからないし」

その言葉の意味をまるで理解できないうちに、玉城はすぐ前に見えてきた鉄柵の門に駆け寄って扉を押し開けた。

「じゃあ…おやすみなさい。」

逃げるように家に入って行く玉城。
一体何を隠してんだ…玉城。

俺は二階の部屋の窓に明かりがともるのを見上げた。

…つーか…家デカ…。

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