002
入学式から一週間。
クラスにも慣れ始めた今日この頃、まだ慣れないことが一つ。
「…はい」
「あ、ありがとう」
前からプリントが回ってくるとき、ものすごく緊張する。俺の前の席の女子は、なんというか…直視できないレベルの美人さんだ。玉城光。入学式の日から周りをざわつかせた美女である彼女は、今日も涼しい顔で俺の前に座っている。
休み時間には他のクラスや上級生たちが、噂の美女を一目見ようと野次馬に来るし、俺は寮に帰ると毎日のように先輩たちから玉城のことを聞かれる。アドレスは知ってるのかとか、彼氏はいるのかとか、どんな子なのかとか…。
だけど、俺だって、まだまともに話したことが無いのだ。
話してみたいとは思ってる、もちろん。でも勇気が出ない。共通の話題もないし…そもそも女子に話しかけるだけでもちょっと勇気のいる事なのに。こんな美人で、皆が狙ってるような子、声をかければ大注目を浴びること間違いなしだし、それでも堂々とアプローチをする度胸はない。
「皆行き渡ったか〜?締め切りは来週月曜日だぞ。それまでに仕上げてくるように!」
教師がそう言って教室を見渡した時、ちょうど授業終了のチャイムが鳴った。
「はいじゃあ今日はこれまで!」
「起立、礼!」
就任した手のクラス委員長である鷹野が号令をかけ、ありがとうございましたー、と挨拶が響き渡り、みんな一斉に席を離れた。ようやく昼休みだ。
「光〜、ごめん今日食堂でもいい?」
鷹野が財布を持って玉城の元へやって来た。このふたりは仲良しだ。
「いいよー。」
玉城が頷いて、お弁当を持って席を立ち、2人は連れ立って教室を出て行った。
「東条ー。」
教室の入り口から信二が俺を呼ぶ。
「今行く!」
返事をしながらバッグの中を漁り、財布とジュース、それから携帯を引っ張り出し、余計なものを仕舞って慌ただしくバッグを机の横に下ろして、荷物を掴んで信二に駆け寄った。
「食堂?購買?」
「どっちでも…あ、でも今日は確かカレー」
「カレーいいな。食堂にする?」
いいよ、と信二が頷いて、歩き出した直後、俺はアッと立ち止った。
「ジュース忘れた。取ってくる、ごめん!」
「おー」
また教室に駆け戻って、机の上に置きっぱなしにしていたジュース…みぞれりんごオレを手に取る。学校の近くのコンビニで見かけて、ついつい好奇心に負けて買ったやつ。味は普通に美味しかったけど、信二には、お前変なジュース好きだよな、と呆れられた。
手に取ったペットボトルの蓋を開け、振り向きながら一口飲む。
「あっ…」
そこにいつの間にか立っていた玉城が、目を丸くして口元に手を当て、俺を見ていた。
ちょっと動揺しながらペットボトルから口を離したとき、玉城がとんでもないことを言った。
「あれ…?それ、私の…」
「…え!?」
一瞬頭が真っ白になって、慌てて振り返ってよく見ると、確かにそこは玉城の席だった。咄嗟にすぐ後ろの自分の席を見ると、開けっ放しのバッグの中に、同じジュースのペットボトルが無造作に突き刺さっている。
…ってことは…。
か…間接キス…!?
「ご、ごめん!!」
慌てて謝りながら蓋を閉め、顔だけじゃなく体中がぼっと熱くなるのを自覚した。た、玉城の…玉城のジュース飲んじゃった…!それは俺にとってとんでもない事件…いや事故で、自覚すればするほど混乱してしまった。
「えっと…!」
と、とにかく…どうすればいいんだ!?
「か、買って返す!」
「え…、いいよ、別に」
「どうしたのー?」
そこへやってくる鷹野。ちらり、と玉城が俺を見る。
「えっと…俺が間違って…」
口で説明するのが恥ずかしくて、自分のバッグからもう一本のペットボトルを抜き取って見せると、鷹野は状況を把握した様子で笑い出した。
「え〜!東条君光のジュース飲んじゃったんだ!」
お…大声で言わないでほしいな…。
「っていうか、偶然そのジュース買ってたことが既に面白いんだけど(笑)なかなかそれ買う人いないよ〜?」
「なんでよ。美味しいのに。ねぇ?」
ねぇ?と俺に同意を求めて首を傾げる玉城。か…可愛い…。はにかみをこらえきれない顔で頷くと、玉城はちょっと嬉しそうに鷹野を見る。それがまた、俺の胸をくすぐった。
まさかこんなことが起こって玉城と話せるなんて…。
「えっと…ごめん玉城さん、何かジュースおごるよ。」
「いいよいいよ、そんなの。」
「いや!おごらせて!ほんとごめん。」
「そんなこと…こっちこそなんかごめん。」
「え!?なにが!?」
「飲みかけだったし…」
「え、玉城さんなら全然…!」
はっ、と顔が熱くなった。これじゃ玉城の飲みかけならうれしいって言ってるみたいじゃないか…!
「えっと…お、俺、飲み回しとか全然気にしないし、全然…」
「…そうなんだ」
「っていうか俺が間違えたんだし!やっぱ何か奢る…」
そう言いかけて、ふと鷹野がニヤニヤと俺を見ていることに気づいて、また顔が熱くなった。
「な…なんだよ鷹野…」
「東条君顔真っ赤だから面白くって…」
「え…!?や、やめろってそういう事言うの…!」
「東条〜…?」
待ちくたびれたらしい信二が教室を覗き込んできた。ヤバイ、すっかり忘れてた。
「あ!ごめん信二!今行く!」
そう言うと、鷹野が思いついたように俺を見た。
「東条君たちも食堂?」
「うん、そーだけど…」
「じゃあちょうどいいじゃん、一緒に行こうよ。そんでジュース奢ってもらいな、光。」
え?と目を丸くする玉城。
「えーいいよ、悪いし…」
「いいじゃん東条君が奢ってくれるって言ってんだから。気が済まないもん、ね?東条君。」
「う、うん。」
そうだ。さすがにこのままではいられない。
俺が大きく頷くと、玉城はそう、と呟いた。
「じゃあ…1本奢ってもらおうかな」
「うん!そうして!」
「じゃー食堂行こう。もうお腹ぺこぺこなんだよね〜」
「信二ごめん、おまたせ!」
「おう…って、え?」
鷹野と玉城と連れ立って信二の所に戻ると、信二は動揺して挙動不審になった。
***
「金丸君って何組?」
「C…だけど」
「へぇ〜。2人は中学が一緒だったの?」
「いや…シニア…えーと、野球やってて、そのクラブが一緒で」
「あ〜〜!なるほど。」
鷹野に質問攻めにされる信二から動揺が伝わってくる。鷹野の隣…俺の正面では、玉城が静かにお弁当を食べている。まさか玉城と一緒にお昼ご飯を食べることになるなんて…。今日はなんてツイてるんだ。食堂中の視線を感じて、居心地悪いけど…。
「東条君。」
「…えっ?」
突然正面の玉城から声をかけられて、どっきん、と心臓が跳ねた。
「いただきます。」
玉城はそう言って、さっき俺が奢ったアイスティーのペットボトルの蓋をあけた。
「あ…うん、どうぞ…」
俺が頷くと、玉城はペットボトルに口をつけ、二口飲んで、また蓋を閉めた。なんか…思ってたより天然で面白いな、玉城って…。
「うちの学校の野球部って有名なんでしょ?お父さんが言ってた。」
「あー…、まあ…。」
鷹野の話に相槌を打つ信二。
「なんかすごい人いるんでしょ。天才だって雑誌とかに載ってるって…なんだっけ、女の子の名前みたいな苗字の…」
「あ…御幸先輩?」
「あ〜、そうそう!」
鷹野が声を上げた時、がばっ、と突然肩を抱き寄せられて驚いた。
「よ〜〜松方コンビ!さすがだなぁ美女を侍らせて〜〜」
「えっ…!?」
俺と信二の肩を抱き込んでそうからかってきたのは倉持先輩だった。それに気づいた時には、もう解放されていたけど。
「松方コンビ…?」
目を瞬いて不思議そうに呟いた鷹野に、野球のシニアチームの名前だよ、と信二が説明する。
その傍ら、玉城がじっと俺の後ろを見上げていることに気が付いて振り向くと、御幸先輩がいた。噂をすれば…、と驚くよりも俺は、2人が黙ったまま見つめ合っていることの方が気になった。知り合い…なのか?でもさっき御幸先輩の話が出た時、玉城は特に反応してなかった…。
「野球部の先輩?」
「おう…」
「おうってなんだよ、ちゃんと紹介しろ!」
訊ねる鷹野に頷く信二。その肩にまた絡んでいく倉持先輩。
「2年の…倉持先輩と、御幸先輩。」
たった今噂をしていた御幸先輩だと知って、鷹野は目を丸くして玉城に腕を絡めた。
「え〜御幸先輩ってあの御幸先輩!?ねぇイケメンじゃない?光!」
イケメン、と言われて御幸先輩はちょっと恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、倉持先輩はそんな御幸先輩を睨んだ。
「…で、東条と同じクラスの…」
信二はそこまで言って俺にパスを渡すように目配せしてきた。
「鷹野で〜す。」
だけど鷹野は自分から進んで名乗って、腕を絡めたままの玉城に身を寄せた。
「こっちの子は玉城で〜す」
「玉城さん知ってるぜ、すげー噂になってるよな?」
倉持先輩が食いついて、玉城にそう話しかけると、玉城は困惑気味に倉持先輩を見た。
「噂…?」
「あ…知らねぇ?スゲー可愛い子が1年にいるって噂!玉城さんのことだろ?」
な?な?と俺と信二に同意を求める倉持先輩。う、頷き辛いって…。
「…違うと思います」
玉城はそう静かに言って、お弁当の蓋を閉じて包み始めた。
「いや、そーなんだよ。」
ぴしゃりとそう言ったのは御幸先輩だった。玉城は驚きと困惑の入り混じった顔で御幸先輩を見上げた。
「そんな美人なのに自覚してねぇの?」
「……。」
はっきりとものを言う御幸先輩に、俺も信二も目を白黒させて、鷹野は面白そうに成り行きを見守っていて、当の本人である玉城はいまひとつ反応もなく、少し困ったように御幸先輩から視線を逸らした。
「昨日ちょっと話しただけでクラスの奴から詰め寄られて大変だったわ(笑)なぁ倉持。」
「……。」
「いや…おい…。」
玉城の表情がちょっとムッとしたことに気付いたのか、倉持先輩は焦ったように御幸先輩と玉城を見比べた。
っていうか、昨日話したって…どういうことだ?やっぱり知り合い?いやでも、紹介しろとも言ってたし…。
「入学早々モテモテで大変だな〜美女は!」
はっはっは、と笑い出した御幸先輩に、玉城が静かに返答した。
「…じゃあ 話しかけないでください」
「…え?」
ぽかんとする御幸先輩をよそに、玉城は立ち上がって、荷物を持って食堂を出て行ってしまった。
「御幸お前…アホか!玉城さん怒っちゃったじゃねーか!」
「え?なんで?」
「うっわ、無自覚かよ。最悪だわ」
倉持先輩に怒られながら、何か悪いこと言った?と本気で首を傾げる御幸先輩。
「お前まじデリカシーない」
「なんだよそれ。自分はあるみたいな言い方しやがって」
「テメーよりはあるわ!クソ眼鏡」
先輩たちは喧嘩をしながら食堂を出て行った。はあー、と緊張が解けたように信二が息を吐いた。
「大丈夫かな玉城さん…」
俺が呟くと、うーん、と鷹野が唸る。
「光、チャラい人嫌いだからね〜…」
「え?」
「光と一緒にいるとしょっちゅうナンパに遭うんだけどさぁ。あっ、もちろん光目当てね?でも光、基本ガン無視だから。まあ、あれだけ美人だとね〜、大変なんだろうね。」
「そ、そうなんだ…。」
しょっちゅうナンパ…。やっぱり美人って、そうなんだ。
それにチャラい人は嫌い…か。覚えておこう…。
「でも御幸先輩…別にチャラくはない…よな?」
信二がぎこちなくフォローを入れて、俺も頷いた。
「う、うん。モテる人だけど、むしろいつも野次馬の女の子とかいても避けてる感じだよね。」
「へー、野次馬とかいるんだ。」
「うん。レギュラーの先輩達を見に来る女の子とか、たまにいるよ。特に御幸先輩は多いよね、かっこいいし…」
そうだなあ、と信二が頷いて、鷹野は興味津々に相槌を打った。
「ただあの人は…」
「うん…歯に衣着せぬ物言いをするっていうか…」
「あ〜、なるほどね。」
鷹野は腑に落ちた様にうんうん頷いて、箸をおいた。
「じゃあさっきのは光にちょっかいかけてたって言うより、思ったことをずけずけと言っちゃってただけなんだ?」
「そう…だな」
「うん…だね」
俺たちが顔を見合わせて頷くと、鷹野は可笑しそうに笑った。