004

「おっ、玉城ちゃんじゃん」

廊下を歩いてきた玉城の姿を見つけて、軽い気持ちでひらりと手を振ると、玉城は俺をちらりと睨み、そのまま無言で通り過ぎて行った。

「えっ…」

…無視!?
マジか―、昨日でそんなに嫌われちゃったのか。

「御幸?何突っ立ってんだよ。」

げし、と背中に倉持の軽い蹴りがぶつかった。

「…別に」

玉城に無視された…なんていうのはなんだか面白くなくて平静を装う。

「なんかしけた面してね?」

倉持は俺の顔を無遠慮にじろじろ見ながら上機嫌でファンタをのむ。

「そういうお前は随分ご機嫌じゃねーの」
「え?そう?」
「…なんだよニヤニヤして。きもちわりー」
「ヒャハハ。うるせえ」

悪態を吐いたのに倉持は珍しく気分を害さず、スキップでもしそうなほど浮かれた様子で俺の肩に手を回してきた。

「今朝玉城さんに挨拶されちゃった♪」
「え…、はぁ!?」
「…え、そんな驚く?」

つい動揺して大声を出してしまい、逆に倉持を驚かせてしまった。
だって…俺はたった今無視されたんだぞ。なのに、なんで倉持は…。

「…いや別に」
「はぁ?」
「別に驚いてねーから」
「はぁ…?」

俺を不気味そうに見て手を離す倉持を無視し、教室に戻る。倉持はついてきたけど、放っておく。

「御幸くーん…」

するとぎこちない笑みを浮かべた他クラスの女子たちが3人連れだって遠慮がちにやってきて、俺は目を丸くした。

「…何?」

よく知らない女子だ。顔くらいは見たことあるけど…わざわざ教室を訪ねられるような心当たりはない。倉持のそわそわした視線が鬱陶しい。

「あのさー…」

女子たちはもじもじと顔を見合わせながら言い淀んで、結局、先頭を歩いてきたちょっと派手な茶髪の女子が口を開いた。

「玉城光と付き合ってるの?」
「…は?」

突拍子もない質問に、俺は思い切り顔が引きつった。

「え?何それ…?ナイ。ナイナイ。」

慌てて否定しつつ冷や汗をかく。こんな噂、玉城の耳に入ったら俺の仕業だと思われるじゃねーか。ただでさえ嫌われてんのに…取り返しつかなくなる!
俺が首をぶんぶん振って否定したことで、女子たちは安堵したように笑顔を浮かべた。

「なんだ…そーだよね、ごめんね!」

そう言って顔を見合わせて笑うと、女子たちは教室を出て行った。

「……。」
「……。」

倉持からの視線が突き刺さる。さすがに今のは自分でもわかる。あの女子たち…少なくともあの茶髪の女子が、自分に気があるという事…。

「チッ…死ね」
「はっはっはっ ド直球」



***



「たーましーろちゃん♪」
「……。」

学校の自販機の前で飲み物を選んでいる玉城の姿を見かけて、るんるんと駆け寄って隣に並び声をかけると、その横顔は鬱陶しそうにため息を吐き、一つ瞬きをした。やっぱすげぇ美人。

「なーんで無視すんの?」
「…話しかけないでって言いましたよね。」

玉城はこっちを見もせずにアイスティーのボタンを押し、屈んでペットボトルを拾い上げる。まずい、逃げられる。

「それこそなんでだよ〜。俺なんか悪い事言った?」
「……。」
「それなら教えてくれよ。…あっ、おい」

危惧したそばから踵を返して颯爽と歩きだす玉城。俺は大股歩きで追いかけて距離を詰めた。

「なあ…そんなに怒るほど気に障ったなら謝るよ。」
「……。」
「玉城?」
「…いいです、謝らなくて」
「え?」
「ほっといてくれればいいです。話しかけないでください。」
「…えぇ〜?ちょっ…マジでごめんって!なぁ玉城〜。玉城さーん!」
「うるさい、大声で呼ばないで…!」

玉城が言いかけて、びくりと立ち止まった。一体どうしたのかと彼女の視線の先を見ると、見覚えのある女子…2年の女子たちがこっちを見て何かを話していた。昨日俺に、玉城と付き合ってるのか、と聞きに来た女子たちだ。

「……。」

玉城は息を飲んで、緊張した面持ちで意を決したように再び歩き出す。その横顔があまりに神妙で、俺は追いかけるのを諦めて、玉城が2年の女子たちの横を俯きながら足早に通り過ぎ、去っていく背中を眺めた。



***



…何か理由があんのかな。俺を無視する理由…。
嫌いという以外の理由。

なんて…俺がそう思いたいだけなのかもな。

あ〜…。なんでこんなに嫌われてんだろ。そりゃ、不躾な物言いだったかもしれねぇけどさ。
もう無理なの?もうチャンス無いの?俺。

こんな、わけもわからないまま?

「なぁ、D組の大野、1年の玉城さんに告ってフラれたらしいよ。」

ふいに飛び込んできた会話。俺はついつい手を止めて耳を大きくする。

「へ〜大野が…」
「告んの早くね?」
「先越されないうちにって思ったんじゃねーの。玉城さんモテるし」

やっぱライバル多いんだな…。つーか、D組の大野って…

「つーか大野もモテるじゃん。サッカー部のエースでさ」
「イケメンだしな」

そうそう…あのいかにもモテそうな優男。あんま話したことはねーけど…。

「え、っていうかさ、玉城さんって彼氏いるんじゃなかったっけ。」

え…。ま、まさか、何故立ったかもわからない俺との噂がもうすでに広まって…!?

「え!?マジ?」
「誰!?」
「え、いや、多分だけど…噂で…」
「だから誰だよ!?」

友人たちに詰め寄られて、その男はおそるおそる躊躇しながら言った。

「俺も噂で聞いただけだけど…なんか、凱聖高校の奴と歩いてるの見た奴がいるって…」
「凱聖!?」

予想の斜め上をいった回答に拍子抜けした。俺じゃなかった。
凱聖高等学校といえば…。男子校で、青道から二駅隣の私立のお坊ちゃま学校。白い詰襟の制服が有名で、偏差値は不動の都内ナンバーワン。

「あ〜…そりゃ大野もフラれるわ」
「凱聖じゃな〜…」
「いや、でも、ただの噂だって…」

お通夜状態になる友人たちを慌ててフォローする男。だけど…。その不確かな噂だけでも、凹むのには十分すぎる。
あ〜…、そうだったのか…。ま…あれだけ美人なら、中学の頃からモテモテだっただろうし、彼氏くらいいても不思議じゃない…。…はぁ。
まぁ…どっちにしろ俺はもう、嫌われているし…。

…なんて、悶々と考えていることが、ふと冷静になると、何やってんの俺?と戸惑う。
だってこんな…玉城のことばっか考えて。こんなの俺らしくない。まだまともに話したこともないのに。しかも理由もよくわからず嫌われてんのに。

だけど、どうしても…
不意に手を握られたあの瞬間の事。
彼女の白い指先を這う真紅の点と、それにそっと赤い唇を近づけて、優しく息を吹き、空に飛ばす横顔。
あの光景が…脳裏に焼き付いて、胸の奥に焦げ付いて、離れない。



***



「お…。」

倉持が何かに気が付いたように足を止めて、俺の背中をつついた。

「おい!アレ見ろアレ!」
「なんだよ…」

急に興奮し出した倉持に低いテンションを引きずられるように顔を上げると、その光景に胸が抉られた。
廊下の隅で話している3年男子と1年女子。それは紛れもなく、哲さんと玉城だった。玉城の表情はここからは見えないが、玉城を見下ろして何かを話す哲さんの表情は、見たことが無いようなぎこちない笑みで。あの哲さんが緊張?顔もちょっと赤いような…。
哲さんまさか、玉城に気があるのか?二人にどんなつながりが?玉城はどんな顔してるんだ…?

避けて通りたかったけど、生憎俺たちの進行方向はそっちで、俺も倉持も好奇心と不安を入り混じらせて二人の傍を通りかかった。

「それなら今日、一緒に帰らないか?」

聞こえてきた哲さんの言葉に、俺と倉持は思わず顔を見合わせた。倉持の引きつった笑みが、マジ?と口を動かす。

「いえ…でも寄るところがあるので」

玉城は俯いてそう答えた。断るための嘘かもしれないと傍から聞いていても思ったが、哲さんは物おじせずに頷いた。

「どこでも付き合うぞ。」
「……。」

ちょっと困ったように沈黙する玉城。これは…哲さんの片想いか?

「お…」

すると哲さんが、通りかかった俺たちに気が付いた。俺も倉持も覚悟はしていたが、いざ見つかるとぎくりとした。

「御幸、倉持。」
「お、お疲れ様です、哲さん。」

会釈をする俺たちに、ああ、と頷く哲さん。倉持は続けて玉城に視線を移す。

「こんちは。」
「…こんにちは。」

倉持の軽い挨拶に軽いお辞儀を返す玉城。…マジで倉持とは挨拶してんじゃん。

「…よお。」

期待半分、不安半分で俺も声をかけてみた。玉城の青い目が俺を捉え、慌てて逸らされた。まるで見てはいけないものを見てしまったように。

「……あ…。…えっと…い、行かなきゃ。すみません。失礼します。」

そしてそうぎこちなく呟きながら、逃げるように踵を返して足早に去ってしまった。

「…お前なんかしたの?」

倉持が疑惑の目で俺を睨んだ。

「いや何も…してないと思うけど」

苦笑しながらそう言って頭を掻いたものの、そのショックはかなり大きかった。やっぱ…俺、めっちゃ嫌われてんじゃん。

「嫌われたみてぇだな。ざまあ…」
「……。」
「おい、凹みすぎだろ。弄りづれぇっつーの、アホ」

倉持はきまりが悪そうに俺を軽くどついて、哲さんを見上げた。

「つーか哲さん、玉城さんと知り合い…?」
「ああ、家が隣だ。」
「えっ…!?」

思いがけぬ返答に、俺も倉持も言葉に詰まった。

「え、じゃあ…幼馴染とかそういう…」
「いや、玉城は春休みに越してきたんだ。」
「あ、そーなんスか…」
「いつも帰りが遅いから、うちのお袋が心配していてな。聞いたら用があって学校を出るのが遅くなると言うから、一緒に帰ろうと思ったんだが…断られてしまったな。」
「……。」

これは…哲さんが純粋に心配で誘ったのか、心配はあっても下心もあって誘ったのか…わかんねーな。哲さん天然だしなぁ…。
いやぁでも…家が隣は強い。強すぎる。有利すぎる…。

「それじゃあな。」
「あ、お疲れさんです!」
「お疲れ様です。」

哲さんが階段をのぼっていくのを横目に、俺と倉持も歩き出した。
玉城…いろんな奴に狙われている気がする。なんか…落ち着かねぇ…。

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