005

「ただいま。」
「あらおかえり。」

帰宅して居間に入ると、お茶を淹れていたお袋がそわそわと楽しそうな笑顔を満面に浮かべて俺を見て、その隣では将司が少しうんざりしているように静かに茶を啜っていた。

「…何だ?」

席についてお茶をもらいながら尋ねると、お袋は待ちかねていたように話し始める。

「今ね、光ちゃん家に彼氏が来てるのよ!」
「……。」

なぜか自分の娘のことのようにうきうきしているお袋に、そうか、と頷く。隣の将司の反応を見るに、先ほどまでも同じ話をしていたようだ。

「ちょうど私が庭にいるときにね、男の子が玉城さん家のインターフォンを鳴らしてて。誰もいないみたいだったからしばらく門の所に立ってたのよ。なんとね、凱聖高校の子で、すっごいイケメン!スマートな感じで、頭が良さそうだったわぁ。しばらくしたら光ちゃんが帰ってきて、一緒にお家に入って行ったの!」
「ふうん…。」
「残念だったわねぇあんたたち。やっぱり綺麗な子にはもう恋人がいるもんなのよねぇ…」
「……。」
「……。」

勝手に失恋したことにされた俺と将司は、けれど反論する気にもなれずに静かに茶を啜って立ち上がった。

「ごちそうさま。部屋で宿題する。」
「俺も部屋で…筋トレする。」
「はいはい。お風呂沸いたら呼ぶわね。」

将司と階段をのぼり、各々自室に入った。机に向かって宿題のプリントを並べ、デスクライトを点ける。ふと窓を見ると、そう言えばまだカーテンを閉めていなかった、と気付き、立ち上がって窓に近寄った。そして心の隅で玉城のことが気になった。けれどきっと、あっちの窓のカーテンは閉まっているだろうし、考えるだけ無駄だ…そう思いながら向かいの屋敷の窓を見て、やはりなと思った。
部屋は暗く、カーテンも閉め切られている。
部屋に誰もいないか、それとも…。

そこまで考えて、俺は思考を中断し、カーテンを閉めた。



***



次の日の帰宅途中、真っ暗な空き地から玉城が出てくるのを見かけた。
この空地は遊具が撤去された小さな公園で、申し訳程度にベンチがあるだけの、本当に何もない場所だ。俺は少し足を速め、彼女の背中に追いついた。

「玉城。」

呼びかけると、玉城は驚いた様子で振り返った。

「どうしたんだ、こんなところで…」
「……。」

玉城が言いよどんだところに、不意にかすれた声が響いた。
みゃあ、みゃあ、と縋るような、そして叫びにも似た鳴き声。声の主を探して視線を降ろすと、玉城の足元によたよたとすり寄る小さな毛玉がいた。

「あ…!こら…!」

玉城が屈みこんでもじゃもじゃの毛玉を拾い上げると、毛玉は彼女の手の中で小さな手足をプルプルさせて精一杯もがいた。

「子猫か?」
「…はい。」

玉城は返事をしながらまた空き地に入って行く。俺はその後に続いた。玉城はベンチの下の段ボール箱に子猫を戻すと、その小さな頭を指先で撫でた。段ボール箱の中にはタオルが敷かれ、水が入ったお皿も置かれている。

「…まだ目が開いてないな。」

俺の呟きに、玉城は悲しそうな顔で沈黙した。

「いつもこの子の世話をしていて、それで帰りが遅かったのか?」
「……。」

どうやら図星らしい。

「家では飼えないのか?」
「…無理です、お父さんにバレたら…。」

父親…。自分のお袋から聞く限りだと、あまり良い印象はない。

「学校で…友達に飼えるか聞いたりしたんですけど…なかなか…」
「そうか。」

ばつの悪そうな顔を見るに、飼えないのに野良猫を世話する事への躊躇いはあるらしい。だけど、それでもほっとけないのか。

「俺も飼える奴がいないか聞いてみるよ。」

そう言うと、玉城は明るい表情で俺を振り返った。

「ありがとうございます…!」

ふわりとほほ笑む彼女。初めて笑顔を見た。こんなふうに笑うのか…。息をのむほど綺麗だ。
俺は玉城の隣に並んでしゃがみ、箱の中の子猫を見つめた。

「可愛いな。」

そう呟くと、玉城も子猫を見つめて、はいと頷いた。



***



「御幸、倉持。」

部活の練習後、見かけた後輩を呼び止める。

「お前たちの実家は、猫は飼えないか?」
「え?」
「猫?」

目を丸くする二人。すると純がやってきて、俺を親指で差しながら言った。

「今日会うやつ会うやつ皆に聞いてんだよ。捨て猫を見つけたんだと。」
「はあ…。」

御幸と倉持はきょとんとしたまま答えた。

「うちは…無理っすね、親父ひとりなんで。」
「うちは団地なんでペットは無理っす。」
「そうか。わかった。」

頷いて、他のあてを探して踵を返す。

「哲、その捨て猫、今お前んちで面倒見てんのか?飼えねーのか?」

純が並んでやってきてそう尋ねてきて、俺は首を横に振った。

「いや。俺じゃなくて玉城が見つけたんだ。」

「「え!?」」

すると御幸と倉持が驚きの声を上げ、慌てて追いかけてきた。

「なんだ?」

「……。」
「……。」

咄嗟の行動だったらしく、顔を赤くして沈黙する二人。

「なんだァお前ら、玉城さんって聞いた途端目の色変えやがって。」
「え、いや…」

純にからかわれて珍しく慌てる二人に、通りすがった1年達も物珍しそうに目を瞬いていく。

「つーかじゃあ哲、玉城さんと猫の面倒見てんのか?」
「俺も昨日知ったんだが、引き取り手が見つかるまで手伝うつもりだ。」
「カーー!そんなんラブコメの王道じゃねーか!!」
「そうなのか?」
「ちくしょー哲テメーちゃっかりしやがって!学校一の美女だぞ相手は!!クソ羨ましいぜ」

本当に悔しそうに大声で言う純と、複雑そうな面持ちで黙りこんでしまった御幸と倉持。そうは言っても…。

「毎日学校帰りに一緒に捨て猫の世話なんて恋愛に発展するに決まってんだろ!」
「それはないと思うぞ。」
「ああ!?なんでだよ。まさか興味ねーなんていわねぇだろうな?あんな美女に」
「玉城には恋人がいるらしいからな。」
「え!?」

驚きの声を上げたのは純と倉持で、御幸は静かに呟いた。

「あ…、やっぱりそーなんスね」
「は!?やっぱりって…御幸お前知ってたのかよ!?」

倉持が食って掛かると、御幸は諦めたような態度で言った。

「別に驚く事でもないだろ?あんな可愛い子、狙ってる奴いっぱいいるだろうし。」
「……。」

倉持は納得しきれないような苦い顔で唇を噛み、振り切るように言った。

「…いや!俺は直接聞くまで信じねェ!」
「え?お前聞くの?玉城に?彼氏いるのかって?」
「……。」

しかし御幸に言い返されて、苦い顔のまま沈黙した。

「あ…東条、金丸。」

そこへ通りかかった1年ふたりを、俺は呼び止めた。

「お前たち、実家で猫は飼えないか?」
「え?」

ふたりは顔を見合わせて、不思議そうに俺を見た。

「…もしかして結城主将も誰かから聞かれたんですか?」

礼儀正しく東条が訊ね返してきて、俺は目を瞬く。

「あ、今玉城が猫の貰い手探してて、俺たちも誰か飼える人がいないか探してるんですけど…」
「それとはまた別ッスか?」

そう言う二人に、俺はつい笑みを浮かべた。

「なんだ、お前たちも聞いていたのか。そうだ、玉城の猫だ。」

俺がそう頷くと、二人はまた不思議そうに顔を見合わせた。

「結城主将、玉城と知り合い…なんですか?」

そしてそうおそるおそる尋ねてきた東条に頷く。

「ああ。家が隣だ。」

そう答えると、二人は目を丸くして、ええ!?と声を上げた。

「そんなことより東条!」
「えっ、は、はい!」

倉持が東条の肩をつかまえた。

「玉城さん、彼氏がいるってマジかよ?」
「え…?」
「お前仲良いんだろ!?聞いたことねぇ?」
「い、いや…初めて聞きました」

東条自身動揺した様子でそう言うと、倉持は拍子抜けしたように東条を解放した。

「なんだ…やっぱただの噂なんじゃねーの?」

倉持はそう言ったが、御幸はまだ晴れない顔で、何も答えなかった。

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