006
「あ、光〜。」
珍しくHRが始まるギリギリ数分前に登校してきた玉城に、鷹野は待ちかねていたように駆け寄ってきた。
「今日遅かったじゃん。どうしたの?」
「ん…、うん…ちょっと…」
歯切れの悪い玉城に目を瞬く鷹野。玉城は追及を逃れるようにせわしなく時計を見上げた。
「もうチャイム鳴っちゃうよ。」
「そうだけど…。」
玉城の様子がなんだかおかしいと思ったのだろう、鷹野は何か言いかけたけど、ちょうどチャイムが鳴ってしまい担任が教室に入ってきて、名残惜しげに自分の席へと戻って行った。
俺は前の席に座る玉城の背中を見つめる。なんだか、元気が無いように見えた。
担任が点呼を取り、HRが終わると、玉城はさっさと1限の教科書とノートを机に並べる。
やっぱりなんとなく、元気がないような…。どうしたの、とか、聞いても良いのかな。ていうか、いろいろ聞きたいことがある。結城主将と仲良いのか、とか…あと、彼氏の噂とか…。でも聞き辛いな。さりげなく聞きたい。
あ、そうだ、猫の話題からそれとなく…。
そう決意をして、背中に向かって玉城、と呼びかけようとした時。
「光ー。」
鷹野がやってきて、俺は危うく口を閉じた。
「トイレ行こ。」
「あ…うん」
続いた言葉を聞いて、話に入らなくてよかった、と安堵した。女子って何で皆でトイレ行くんだろう。っていうか、一応男の俺がすぐ後ろにいるんだけど…気まずい。
頷いた玉城は、バッグからさっと小さなポーチを取り出してスカートのポケットに仕舞い、席を立った。…って、そんな瞬間を見て悶々としてしまう自分が嫌だ…。変態じゃんか、俺。
「もしかして光今、アレ?」
「昨日から」
…!!?
今、とんでもないことを聞いてしまった気がする…。
アレって…アレ、だよな?多分…
「あ〜じゃあ私伝染るかな」
鷹野はそうぼやきながら、玉城と連れ立って教室を出て行った。
伝染る…?伝染るって何!?伝染るものなの?あれ?やっぱり違うのかな…?
う、うーん…よくわからない…。
***
「あ〜わかるわかる!伝染るよね!」
「私もお姉ちゃんがなると絶対伝染る!」
休み時間、玉城と鷹野は他の女子たちも交えて何かの話で盛り上がっていた。
楽しそうに盛り上がっている雰囲気であるものの、なんとなく空気を呼んで知らんぷりをする男子たち。だけど耳の意識はそっちに向いている。
「だけどそれ、本当らしいよー。なんかフェロモンの影響なんだって。」
「フェロモン(笑)」
「でもさー実際仲良い子がなったりするとほんとになるよね。」
不自然なまでに主語を伏せられた会話。女子特有のやつ。
「じゃあ次になった人が光の親友ってことで!」
「なんでだよ(笑)」
「いやこれは私譲れない!次なるのは私だから!」
「宣言する?それ(笑)」
「…光、大丈夫?」
ちょっと居たたまれなくなってきたとき、鷹野が不意にまじめな声で言った。
「顔色悪いよ〜。結構重いタイプ?」
「たまに…。でも薬飲んだから」
「え〜無理しない方が良いよ。保健室行く?」
「大丈夫、でも、ちょっと座っとく。」
「そう?何か買ってこようか?あったかいもの…」
「大丈夫、ありがとう。」
玉城は一人女子の輪から外れて席に戻ってきた。目の前に座った背中を見て少し緊張する。体調が悪い…ってことだよな。でも、多分…アレってそういうことなんだろうし、俺が大丈夫?とか聞いていいものなんだろうか。いや聞かない方が良いよな、多分…。
「……。」
玉城は静かに頬杖をついていたけど、ちょっとお腹を擦って、俯いた。…い、痛いのかな。見るからに具合悪そうだし、声かけるくらい普通…だよな?あぁでも、どうなんだろう。男にそういうの覚られんのって、女の子はたぶん嫌だよな…。でもこのまま知らんぷりを続けるのも、それはそれで酷いような…。
「光〜ほんとに大丈夫?」
すると鷹野がやってきて、玉城の背中に手を添えた。
「大丈夫、大丈夫。」
「しんどそうだよ?あ、セーター貸そっか?膝にかける?」
「いいよ、司が寒いでしょ。」
「でも〜…。」
玉城の腰のあたりを擦りながら、鷹野は辺りを見渡した。
「…あ、俺…貸そうか?」
俺は勇気を振り絞って声を上げた。鷹野は目を丸くして、玉城もこっちを振り向いた。
「い、いいよ、大丈夫」
「いいから、具合悪いんだろ?俺はブレザーもあるから」
なるべく平静を装ってセーターを脱いで、内心心臓が爆発しそうなほど跳ねていたけど、強引に差し出した。椅子の背にかけていたブレザーを着る俺を、玉城と鷹野はぽかんと見つめて、互いに顔を見合わせてからまた俺を見た。
「東条君やさし〜!紳士!」
「え、あはは…」
鷹野の言葉に苦笑しつつ、必死に照れくささを押し隠す。
「…いいの?」
戸惑いながらそう言う玉城に、気にせず使ってと手をかざした。…っていうか、正直…すごい役得…なんて。
玉城は俺のセーターを膝にかけて、ちょっとはにかんだ。
「あったかい。…ありがとう。」
ちょ…。ちょっと、やばい。はにかんだ笑顔、可愛すぎる…。それにその台詞、すごい照れる…!
俺はしどろもどろになりながら、いや、とか、全然、とか言いながら、誤魔化すように笑った。ああもう、俺今絶対顔にやけてる…!
そしてその日は一日、玉城の膝の上の自分のセーターを見て、くすぐったい気持ちになった。
***
「東条君!」
信二と部活に行く途中、呼び止められて、俺はどきりとしながら振り返る。
「これ…ありがとう。」
そう言ってセーターを差し出す玉城。廊下中の視線を感じる。ちょっと優越感…なんて。
俺はセーターを受け取って、ちょっと微笑みを浮かべた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫。」
ありがとね、と玉城が踵を返そうとしたとき。
「あ、お疲れさまです!」
後ろで信二の声がして、反射的に振り返った。
「よお。」
「お前ら遅刻すんじゃねーぞ。」
そこを通りかかった御幸先輩と倉持先輩。俺も慌てて挨拶をする。
二人は俺にも軽く挨拶を返すと、玉城を見た。
「玉城さんまたな!」
倉持先輩が浮かれ気味に手を振ると、玉城はほんの少しはにかんでさよなら、と言った。
「……。」
御幸先輩はちょっと玉城を一瞥し、唇を引き結んで前を向いた。玉城はその背中から目を背けるように俺を見上げた。
「…じゃあね。」
どこか悲しそうな微笑でそう言って、玉城は教室に戻って行った。去っていく御幸先輩とそれを追いかける倉持先輩を見て、俺は信二と顔を見合わせた。
なんだか御幸先輩と玉城がぎこちないような気がして、その疑問がいつまでも、妙に引っかかった。