007
2階の渡り廊下の手前の自動販売機。
主に1年がよく使う場所。
2年の教室からはちょっと不便だけど、俺は最近いつもここに飲み物を買いに来る。だって…。
「玉城さん!」
時々玉城さんに会えるから。
「こんにちは。」
ちょうど飲み物を自販機から取り出した彼女は、俺の声に気付いて振り返り、小さくお辞儀をした。こんちは、と軽い調子で挨拶を返し、彼女がすぐに行ってしまわないようにしっかりと見つめ返す。
「何買ったの?」
「…アイスティーです。」
小さな両手で持っている角ばったペットボトルを見せてくれる玉城さん。
「じゃ 俺も〜」
「……。」
思い切ってそんなことを言いながら同じものを買うと、玉城さんはちょっと困ったように口角を上げて笑みをつくる。やべ、今の引かれた?
「猫の貰い手見つかった?」
「いえ、まだです。」
並んでちょっと歩いたところで立ち止まり、そのまま立ち話を始めることに成功した。内心ガッツポーズをしながら、平静を装ってアイスティーを飲みつつ、そっか、と相槌を打つ。やっぱ普段からこう、余裕のある年上っぽさを…。
「まだ子猫なんだろ?」
「はい、まだ目も開いてなくて…」
「そんじゃ生まれたばっかなんだな。」
「…そうですね。」
「そういや、どんな模様の猫?」
「模様はなくて、ちょっとグレーっぽい色で…」
「へー。今玉城さんちにいんの?」
「いえ…うちは…連れて帰れないので、学校の傍の空き地で…可哀そうですけど」
本当に辛そうにそう話す玉城さんの姿に、こっちまで胸が痛くなる。なんていい子なんだ…。
「へぇ、じゃあ、今度見に行ってもいいか?」
思い切ってそう切り出してみる。玉城さんの表情にちょっと驚きが混じって、口元にぎこちない笑みが浮かぶ。…なんか緊張してきた。
「…は、はい。」
ぎこちなくそう頷いた彼女を前に、失敗したかも、と思った。馴れ馴れしすぎたかな…。俺はもう飼えないと答えているし、目的が猫じゃなくて玉城さんだということが透けて見えるかも…。
「な、何人か興味ありそうな奴にも声かけるよ。飼える奴いるかもしんねーし…」
慌ててそう付け足すと、玉城さんは先ほどよりは自然な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。」
一応セーフ…か?
「おう、…あ、じゃあさ…」
「……?」
「…れ 連絡先…交換しねえ?待ち合わせとか…」
どっくんどっくん、心臓が跳ねた。いやいや…今を逃したらこの先、自然な連絡先交換なんてきっと出来ねーし…。
「…私、携帯持ってなくて」
玉城さんは苦笑を浮かべてそう言った。
「そ…そっか。」
「すみません。」
「いやいやそんな…」
…本当なのかなー。今時携帯持ってないって…。連絡先交換したくなくて嘘吐かれたとかだったら…凹む。
「場所は結城先輩も知ってるので、いつでも見に来て下さい。」
玉城さんはそう言って、半分踵を返した。
…連絡先どころか、学校以外で会うチャンスもなくなった…。
「失礼します。」
「お…おう、またな」
お辞儀をして渡り廊下を歩いていく彼女の背中を、俺は空しく見送った。
もうちょい話したかったな〜…。彼氏いるのか、とか…聞きたかった。
***
「うわ、マジでちっちぇえ〜」
日曜日の夕方、小さな空き地の古ぼけたベンチの傍に集まって箱を覗き込む4人の男たち。哲さんに純さん、俺、そして御幸だ。誘ったら御幸は渋っていたけど、内心では興味があったらしく、煮え切らない態度のこいつの首根っこを引っ張ったら呆気なくついてきた。ったく、最初から正直になれよ面倒くせぇ。
「まだ生まれたばっかっスね、ほんとに」
「そうだな。」
「かわいいなぁ〜」
純さんですらデレデレ顔になって、おそらく俺の片手に乗ってしまうほど小さな子猫を眺める。子猫はそのか弱い体を精一杯動かして、よちよちと箱の中を動き回っていた。
つーか…
もしかしたら玉城さんいるかも、なんて下心を持って来てみたけど、やっぱいねーか…。がっかり。
「……。」
御幸は何を考えているのか、子猫に目を向けてはいるけど心ここにあらずと言った様子で。どうも玉城さんに避けられているようだし、それは同情するけど、二人の間に何があったのか俺にはわからないし。こいつのことだから、抜け駆けしようとして告って振られたとか?十分あり得るな、うん。それなら同情の余地はない。
箱の中で子猫がみゃあみゃあ叫んでいる。純さんが指先でつつくように頭を撫でた。
「腹へってんのかな?」
「ですね…なんか…牛乳とか買ってくればよかったっスかね」
「こんなちいせぇ子猫に牛乳なんかやったら腹壊すだろ、バカ。専用のミルクじゃねぇとダメだよ」
「……。」
それまで黙り込んでいた御幸が突然俺を馬鹿にして、俺は舌打ちをして奴を睨んだ。
ざり、と砂利を踏む音がして、俺たちは振り返った。
「…あ…。…こんにちは」
そこに立っていた玉城さんが、目を丸くして俺たちを見渡して、小さくお辞儀をした。
うわ…すっげえ可愛い…!私服姿!春らしい白いニットに黒いスカート、黒のハイカットスニーカー、そして赤いトートバッグ。おしゃれだな〜。シンプルだけど女の子らしくて…外国人のモデルみてぇ。
玉城さんは少し躊躇いながら俺たちの方に歩いて来て、ベンチの前で膝をつくとバッグを広げた。小さなお皿と「子猫用」と書かれたミルクのパックを取り出し、ミルクを少しお皿に垂らす。それをベンチの上に置き、慎重に子猫をすくい上げると、お皿の前にゆっくりと置いた。子猫はフンフン鼻を鳴らしてミルクの場所を探り当て、ぴちゃぴちゃ舐め始める。それを見ながら、玉城さんは箱の中のタオルを取り出して袋に押し込むと、バッグから毛布の切れ端を取り出して新しく箱の中に敷いた。ちゃんと世話してんなぁ…。
「ちゃんと自分で飲めるんだなぁ…」
純さんが感心混じりにつぶやくと、はい、と玉城さんは頷く。
「トイレも自分でできるから、多分生まれて3〜4週間だと思うんですけど…。目が開かないのが心配で…」
「ほ〜…」
猫の成長過程など俺たちにはさっぱりで、とにかく玉城さんの面倒見がいいことだけはわかった。
「玉城ちゃんちで飼えないの?」
どこか不躾な声色で御幸が訊ねて、玉城さんは目を丸くして御幸を見上げた。
「…飼えません。」
「だから飼い主探してんだろーが。」
援護射撃とばかりに俺もそう言って御幸を睨んだ。
「ならあんま入れ込まない方が良いぜ。情が移っても知らねーぞ」
「……。」
「おい…御幸」
悲しそうに目を伏せてしまった玉城さんに胸が痛くなって、俺は思いやりのない御幸を睨みつけた。
「何?本当の事じゃん」
「だからって言い方ってもんがあるだろーが!」
「おいお前ら、落ち着け。」
純さんに制止されて、俺はぐっと言葉を飲みこむ。
「…すみません、もう行かないと」
玉城さんは思いきったように言って、ミルクを飲み終わって玉城さんに甘えるように膝の上によじ登ってきていた子猫を箱の中に戻すと、お皿とミルクを片付けて立ち上がった。
「どこか行くのか?」
もうすぐ日が暮れる。哲さんが心配するように尋ねると、はい、と玉城さんは頷いた。
「これからバイトなんです。」
「バイト?」
初耳だというように呟く哲さんをよそに、玉城さんは会釈をしながら足早に去ってしまった。