008
5月に入り、中間テストが近づいて、暖かい日も増えてきた。
「なあ!学校の近くの喫茶店、玉城さんがバイトしてるらしいぜ。」
学校ではそんな噂が流れ始めていた。
「マジ!?今日寄ってみる?」
「行こうぜ行こうぜ!」
浮かれる男共の会話をムカムカしながら聞き、いら立ちを振り払うようにため息を吐いた。
「なにデケェため息吐いてんだよ?」
ズココ、と音を鳴らしながらぶどうジュースを飲み干し、空になったパックをつぶしながら倉持が言った。
「別に。」
「まぁた不機嫌かよ。めんどくせぇなお前」
「じゃあほっとけ。」
倉持はやれやれと頭を掻いて、思いついたように言った。
「なあ、今度の日曜の午後、学校の近くの喫茶店行かね?」
「……。」
こいつもかよ。俺はうんざりしながらスコアブックのページを捲った。
「行かない。」
「え?なんで?玉城さんいるかもしんねぇのに」
「だからだよ。」
倉持は俺の前の席の椅子を引いておもむろに座った。
「つーかなんでお前、玉城さんに避けられてんの?」
「……。」
バレてたか…さすがに。
「知らねぇし俺が知りたい。」
「何かしたんだろ?」
「何かって何だよ。」
「…告ったとか」
俺は思い切り顔を歪めて、はあ?と言ってやった。
「してねーよ。」
「え?じゃあなんで?」
「だから知らねーって。」
「……。」
倉持は潰したパックを弄びながら、同情を顔に滲ませて言った。
「じゃあ単純に嫌われてんだな。ヒャハハ」
「……。」
***
本当、なんでこんなに嫌われてんの?
心当たりなんて全くない。…ほぼ初対面でいきなり馴れ馴れしくしすぎたかもしれないこと以外は。
でも、話しかけるななんて言われるほど悪いことをしたつもりはない。
あーもうほんと、なんで?
なんで、こんなに玉城のことばっか考えてんの?俺…。
朝のHRを悶々としながら終えて、ジュースを買いに校舎内の自販機へ向かった。くそ…すっきりしない。
またため息を吐きそうになるのを、唇を噛んで耐えて、顔を上げたところに…まさに今考えていた相手の背中があった。
「……。」
なぜか来客用のスリッパで、ゴミ箱の前で佇んでいる玉城。何してんだ?あんなところで…。
気になったけど、声をかけてもどうせ無視されるから、無関心を装って自販機の前に向かう。
玉城はじっとごみ箱の中を見つめていて、やがて諦めたように、白くきれいな手をごみ箱の大きな口の中に入れた。ぎょっとしながらその様子を見ていると、玉城の手がごみ箱の中から掴み上げたのは…上靴だった。
まさか、と思った。だけどこの状況、そうとしか思えなかった。
俺は財布をポケットに突っ込みながら、玉城に歩み寄った。無視されるとか、気にしてる場合じゃない。
「おい…それ…」
「!!」
玉城はたった今俺に気が付いたらしく、びくりと飛び上がるほど驚いて振り向くと、俺の顔を見て青ざめた。
「あ…おい!」
そしてすぐに逃げようと踵を返す。俺は咄嗟に腕を掴んだ。上靴が床の上に散らばった。
「何してんの…。」
「……。」
玉城は顔を背けたまま俯いて、無言で腕を振り払おうとする。俺はその、力を入れたら折れてしまいそうなほど細い腕を、気を付けながらしっかりと握って離さなかった。
「俺が嫌いなのはわかるけど…さすがに見過ごせねーって。誰にやられた?」
「ち…違います」
「何が?」
「やられてなんか…」
顔を背けたまま首を横に振って、玉城はちょっと目元を手の甲で拭った。…泣いてんじゃん。何がやられてない、だよ。
「職員室行くぞ。」
「や、嫌です」
「嫌とか言ってる場合かよ。黙ってたらエスカレートするだけだぞ」
「……。」
玉城は口を噤んだかと思うと、いきなり腕を振り払った。
「いいから…ほっといてください」
そう吐き捨てるように言って、上靴を拾って、玉城は走って行ってしまった。
…どういうことなんだ。なんであんな目に遭ってるのか…。一体誰に…。それに、どうしてああも俺を嫌うのか。
もうわからないことだらけで…嫌になる。
***
「お、玉城さん」
渡り廊下の窓から校庭を見下ろして倉持が呟く。グラウンドには体操着姿の1年女子が集まっていた。次の時間は体育らしい。
「やっぱスタイルいいな〜…脚なっが」
「セクハラだぞ」
「……。」
ぐっと黙り込む倉持。やましい気持ちはあったらしい。
「…んだよテメーも思ってるくせに。」
「まぁね。」
素直に頷いて、窓辺の手すりにもたれる倉持の隣に並んだ。
クラスメイトの女子たちと楽しそうに話している玉城が見える。スタイルがいいからか、持っている雰囲気か…同い年の女子たちの中で、玉城はひときわ目を惹く。遠目にもわかるほど、とびぬけて美人だし…。
…俺の前ではあんな風に笑ってくれたことないなぁ。あんな風、どころか、にこりとすら…。
「お前胸と尻どっち派?」
「……。」
倉持の質問に閉口した。思いっきり邪じゃんこいつ。
とはいえ、俺だって男子高校生…。無防備に友達に抱き着かれて笑っている玉城を目で追ってしまう。
倉持の言う通り、すらりと伸びる脚は長く、太腿からふくらはぎにかけての曲線ときゅっと締まった足首のシルエットがたまらない。玉城は細身で、胸も控えめだけどはっきりと膨らみはあって、多分BかCカップ。腰のくびれに沿って体操着のしわがよせ、そこからなだらかな膨らみを描く小ぶりのお尻はキュッと上がっていて柔らかそう。
だけどそれだけじゃなくて、玉城を見ていると、伸ばされた細い腕や揺れるポニーテール、細い首筋に華奢な肩口、どこを見ても胸の奥が疼く。
「どっちかっつーと…脚」
「どっちでもねーじゃねーか」
俺はやっぱ胸かな〜、などとぼやく倉持の声を聞き流しながら、玉城の姿を目に焼き付けた。
クラスメイトの女子とは…仲が良さそうだし、あの上靴はクラスメイトの仕業じゃねー…よな?
どうかそんな残酷なことはやめてほしい。あんなに楽しそうに笑っている玉城が騙されているなんて。どうかせめて、玉城とは全然関係のない、玉城にとってクソほども気にならない奴の、勝手な嫉妬が原因であってほしい。
「おい御幸。行くぞ」
「ん…あぁ」
予鈴が鳴る、と先を歩きだす倉持の後を追いかける。
「お前見惚れすぎだっつうの。」
「え〜だって可愛いじゃん、玉城ちゃん」
「やっぱ玉城さん見てたのかよ。」
「はっはっはっお前こそ…」
廊下にたむろしていた女子たちの視線に気づいて、俺も倉持もにやける顔を堪えて口を噤んだ。その女子たちは数日前、俺に玉城と付き合ってるのかと聞きに来た軍団で、それに気づいた倉持はからかうように俺の脇を小突いた。
女子たちの横を通り過ぎてから、倉持が小さく噴出す。なんだよ、と悪態を吐きながら倉持を追い越して教室に入ったとき、ちょうど予鈴が鳴り響いた。
***
購買でパンを買って教室に戻る途中、東条と金丸に遭遇した。財布を片手に恐らく急いでいるであろうふたりは、俺と倉持を見つけるとご丁寧に立ち止まってきちんと挨拶をした。
「お前ら残念だったな、もうカツサンド売り切れてたぜ。」
倉持は面白がりながら、苦笑する後輩たちを送り出す。
「東条君!東条くーん!」
するとそこへ、背の高い1年女子が走ってきて東条を呼び止めた。どこかで見たことある子だ。あ…そうだ、前食堂で玉城たちと一緒に昼飯食ってた子…。玉城の友達だろう。
「ねぇ光見てない?」
「見てないけど…?」
東条の答えに女子生徒は、え〜?と困ったようにあたりを見渡す。東条と金丸は不思議そうに顔を見合わせた。
「どうかしたの?」
「ん〜…体育が終わってから光が戻ってこないの。制服も更衣室に残ってたし…」
「え?」
「まぁ見てないならいいや。他探してみる。じゃあね!」
踵を返して走っていく女子生徒。東条と金丸は腑に落ちない顔を見合わせている。
もう昼休みが始まって結構経っている。更衣室にも戻ってこないなんて…体操着のままどこかに寄るとも考えづらいし、なんとなく気がかりだ。
あの上靴の件もあるし、俺の胸の奥に微かに嫌な予感が渦巻き始めた。
「先戻ってて。」
「え?」
倉持にサンドイッチとコロッケパンを押し付け、俺は軽い駆け足で昇降口への階段を駆け下りた。
体育の後、更衣室の前に立ち寄る場所と言えば限られる。体育倉庫か体育職員室。けれど体育職員室に用なんてないだろう。俺はグラウンドに出ると、迷わず体育倉庫に向かった。
さっき1年女子が体育をしていたグラウンドの端の体育倉庫。近づいていくと、女子のはしゃぎ声が聞こえた。
「調子のってんじゃねーよブス!」
「キャハハハ!!」
「あ〜マジいい気味…」
満面の笑みを浮かべて、今、鉄扉を開けて出てきた3人組の女子。そいつらは俺と目が合うと、一瞬で顔を引きつらせて足を止めた。
「……え……。」
見る見るうちに青ざめていく女子たちの顔。俺は構わず進んでいって、彼女たちを押しのけた。
「ちょ、ちょっと待って、御幸君…!」
縋るように俺のシャツを引っ張る腕を振り払って、倉庫の中に踏み込んで、そして…愕然とした。
大きな水溜まりの中にへたりこんで、頭の先からつま先までずぶ濡れで、呆然としている1年生の女子。
…玉城。
暗い倉庫内に沈黙が降りた。
「…何やってんだよ」
信じられない気持ちで呟いた。ちがうの、ちがう、と背中から声がする。
ちがうって…何がだよ。こんな姿の玉城を前にして、何を言われたって信じられるわけねーだろ…。
俺は3人組の女子を振り向いた。顔をよく見ると、やっぱり、あの2年の女子たちだった。
「お前ら…最低だな」
3人の女子たちは皆、呆然としているか、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていた。だけどそんなことは俺にとってどうでもよかった。そんなことよりも…。
俺は玉城に歩み寄って、傍にしゃがんで顔を覗き込んだ。
「玉城…立てる?」
「……。」
玉城は震える手で目元を拭いながら沈黙を貫いた。
「この間の上靴もこいつら?」
玉城は何も答えなかったが、後ろで3人が息を飲んだのが分かった。
「そうなんだな。」
「……っ」
玉城の肩が震えた。それが何よりの答えだった。
まだ色々聞きたいことはあるけど、とにかく…ずぶ濡れじゃまずいから着替えさせないと。
俺は振り返って、女たちを睨んだ。
「まだいたの?」
「……!」
女たちは顔を赤くして、ぐちゃぐちゃの泣き顔のまま逃げるように去って行った。すると玉城が嗚咽を零してさらに俯いた。震える肩に手を置くと、払いのけられて、しまった、と思った。そういや俺嫌われてんだ。むなしい…。
「ほっといてって…言ったのに…っ、なんで…」
泣きながらそう言う玉城に、俺は頭を掻いた。
「いや…さすがにこの現場を見たらほっとけねーだろ…」
「……。」
「なんであいつらに目ぇつけられてんの?」
玉城は美人で目立つけど、まさかそれが原因じゃあるまい…。
「…先輩」
「え?」
「…御幸先輩と、喋ったから」
「…は?」
顔を引きつらせる俺を、玉城はやっと顔を上げて、涙目で睨む。
「…え、どういうこと?」
「だから…御幸先輩に近づくなって、言われたんです…あの人たちに」
「…えー、ちょっと待って、ナニソレ…」
「知らないし…」
玉城は眉を顰めて俺から素っ気なく目を逸らした。
「近づくなも何も…そんな話してなくね?俺たち」
「だから、知らないってば…。そう言われたんだもん」
「えっと…いつ?」
「…ボタンを拾った時」
…あの頃すでに!?初対面の直後じゃん…
「…ちょっと待て、じゃあ…」
俺そのあと玉城になんて言ったっけ?確か、玉城の態度が急にきつくなった時…。
『昨日ちょっと話しただけでクラスの奴から詰め寄られて大変だったわ(笑)』
『入学早々モテモテで大変だな〜美女は!』
…玉城はそれが原因で見知らぬ上級生からいじめを受けていたというのに…!知らなかったとはいえ最悪じゃん、俺…。じゃあ話しかけんなってなるわな、そりゃ…。
「…ごめん!」
手を合わせて頭を下げると、玉城はぎょっとして俺を見つめた。
「…いや〜、でも…よかった〜。」
「…何が?」
「だって俺を無視してたのは嫌いだからじゃなくて、あいつらに言われたからなんだろ?」
「……。」
玉城はぽかんとした顔にだんだん呆れをにじませて、眉を顰めて俺の顔を見た。
「…全然良くないんですけど…」
「いやよかった〜!はっはっはっは」
「……。」
「とにかく…タオル借りに保健室行こうぜ。俺お前のクラスの奴に言って制服持ってきてもらうからさ。」
ムスッとする玉城の肩に、俺は脱いだブレザーをかけた。
「ちょ…いりません」
「いいからかけとけって。」
「でも…濡れちゃう…」
「いーから!」
「い、いらない!」
頑固にブレザーを返そうとする玉城の肩を掴み、俺は凄んだ。
「あのなぁ…下着透けてんだよ!わかったら着てろ!」
「……。」
玉城の顔が一気に赤くなって、かと思うと俺を睨み、胸のあたりを平手で叩かれた。地味に痛い。
「なんでぶつんだよ…。」
「……。」
玉城はブレザーを着たまま先に倉庫を出た。俺もその後に続く。
保健室に入ると、養護教諭の先生は玉城を見て目を丸くし、慌てて立ち上がった。
「どうしたの!?そんなずぶ濡れで!」
「…事故で」
ぽつりと呟く玉城を俺はちらりと見る。…頑固な奴…。
「せんせー俺着替え持ってきてもらうようにいってきまーす」
「あぁ…うんよろしくね。玉城さん、このタオル使ってて。今ドライヤー持ってくるから…」
タオルを受け取って保健室の奥のカーテンに誘導される玉城を横目に、俺は保健室を出て1Aに向かった。
***
1Aの教室の入り口から中を見渡して、あの背の高い女子生徒を見つける。
「ちょっといい?」
廊下にいた1年をつかまえて、教室内のその女子生徒を指さした。
「あそこのショートの子、名前何だっけ?背が高い子。」
「あ…鷹野…ですか?」
「あ〜そうそう!鷹野サン呼んでくれる?」
「は、はい…。」
1年は不思議そうにしながら、教室に入って行った。クラスメイトに声をかけられ、教室の入り口を指さされ、鷹野と呼ばれた女子生徒はきょとんと俺を見た。
「えっ…なんですか?」
不思議そうに駆け寄ってきた鷹野を手招きし、廊下に呼び出した。
「ごめんね。玉城のことなんだけど。」
「え…?」
「今保健室にいるから。制服持ってってやってくんない?」
「保健室…?」
鷹野は目を瞬いて、だけど、わかりましたと頷いた。
これでひとまずは大丈夫か。あの女子たちのことも、気がかりではあるけど…。
ま…さすがに俺にバレたから、そう簡単に手は出せなくなるだろう。
俺は空腹を思い出して、のんびりと教室に戻った。