016

『脱出者ゼロ・巨大迷宮(ラビリンス)〜君は脱出できるか〜』

入り口に本格的な横断幕が張られた第2体育館に着くと、受付には文化祭実行委員の腕章をつけた楠先輩がいた。

「あれ?御幸…」

楠先輩は俺と玉城を交互に見て、へぇ〜、と意味深な感嘆を零した。

「…何ですか」
「いや。意外だな〜って……」

にやにやからかうように眼鏡にキャップ姿の玉城を見て、直後、一瞬硬直する楠先輩。

「えっ…。…え?」

玉城光だと気付いたらしい。しかしバレると騒ぎになる事や、それを見越して顔をなるべく隠していることも察してくれたらしく、あ〜…、と苦笑しながら頷いて流してくれた。

「ていうか、先輩…実行委員だったんですか?」
「違うんだけどね。実行委員の友達が昼飯食べてる間のピンチヒッター。」

そう言って、さわやかな笑みで玉城を見る楠先輩。

「いや〜でも…さすが…美人だね。」
「え?」

急に褒められた玉城は顔を赤くして戸惑った。

「帽子と眼鏡あっても美人!目立っちゃって大変でしょ?昨日騒ぎになっちゃったんだって?」
「……。」
「大変だったね。」
「いえ…。」

嫌みのない爽やかな笑顔と優しい物腰に、玉城の表情も和らいだ。

「で、今日も皆玉城さんを探し回ってるわけだけど…まさかうちのキャプテンがこっそりゲットしてたとはな〜。さすが。」
「ゲットって…言い方やめてくださいよ。」
「なんでさ。」
「怒られるんですよ、玉城に」

親指で指した玉城は、やっぱりちょっと目を細めて俺を睨んでいた。

「ほらね。」
「ははは。仲良いね。」

楠先輩はそう爽やかに笑って、入場者のボードを捲った。

「巨大迷宮、入ってくでしょ?」
「あ、はい。」
「じゃ、2人…と。はい懐中電灯。まだ脱出者いないから、頑張ってね。」
「え…ひとりも?」
「うん。途中棄権する場合は中にいる実行委員に言って。一応、脱出者には賞品があるみたいだから」

がんばれ〜、と手を振る楠先輩に見送られ、俺たちは迷宮に足を踏み入れた。

「絶対脱出しましょう。」

玉城はやる気満々に言って、通路を進んでいく。

「あ〜…うん」
「先輩やる気出して!」
「気合入ってるな〜」
「こうしてる間にも誰かがクリアしちゃうかもしれないんですよ!」
「別にいいよ」
「もー!真面目にやってください!」

玉城は痺れを切らしたように俺の袖を引っ張る。

「つーか懐中電灯渡されたけど、何に使うんだコレ」

中は普通に明るい。

「行けばわかりますよ。」

そう言って歩き続ける玉城。そりゃそうだろうけど…。

「あ、何か書いてある。」

通路の先のトンネルの前にある看板に気づいて玉城が立ち止った。隣に追いついて一緒に看板を見ると、そこにはこう書かれていた。

「沈黙のトンネル…。」
「このトンネルの中にいる間は喋ってはいけません…。」

玉城と顔を見合わせてトンネルの中に足を踏み入れる。すると中はそれほど長くもない通路で、口を噤んだまますぐに通り抜けることができた。

「簡単だな。」

うん、と玉城が頷く。特に何の捻りも障害物もない通路。これで脱出者がゼロだって?

「あ、またトンネルがありますよ。」

玉城が言って、トンネルに近づくと、また看板が立ててあった。

「友情のトンネル。」
「このトンネルの中にいる間は手を繋ぎ、離してはいけません…」

…また?

「……。」

黙りこんでいる玉城。嫌だと思われてたらどーしよ。でも…

「じゃ…はい」
「…はい」

手を差し出すと、玉城は静かに握り返してきた。そしてそのまま、黙ったまま通路を通り抜ける。トンネルを出るのは少し名残惜しく、出口をくぐって手が離れた瞬間には物足りない気持ちになった。
また通路を進んでいくと、3つ目のトンネルが見えてくる。こうしてお題をクリアしていくアトラクションなのだろうか。

「今度は何だ〜?」
「えっと…言葉のトンネル。このトンネルの中にいる間は、しりとりをし続けなければいけません。」
「えぇ?」
「しりとりが10秒以上途切れるか、ひとりでも「ん」で終わる単語を言ったら失格です。」
「急に難易度上げてきたな。」
「じゃ、しりとり…の「り」。先輩から。」
「俺からか〜…」

トンネルに足を踏み入れ、口を開く。

「りんご。」
「ゴール。」
「…ルール。」
「ルノワール。」
「…おい」
「10秒たっちゃいますよ。」
「る…ルーキー」
「イコール」
「ちょ…続ける努力をしろよ!」
「はやく。」
「…ドSだな。る…る……ルーレット!」
「と…」
「るで終わるのはやめろよ。」
「……。…鳥」
「急にやる気失くすな(笑)り…リス。」
「すいかー」
「カバ」
「ばーか。」

ぴょん、と最後は出口を示すビニールテープを飛び越えて、玉城はトンネルを出て行った。

「おい、最後。」
「何ですか?」
「…いい性格してるよお前」

さて次は何かな〜、とちょっとゴキゲン気味の玉城がぱたぱたと看板に駆け寄っていく。

「…えっ?」

戸惑いの声を上げた玉城に、どした?とのんびり近づいていく。

「…身に着けている物をここでひとつ交換してください…。」
「…へ?」

つい玉城を見て、何考えてんだ俺、と苦笑した。邪な考えが駆け巡る。しょうがない。俺男の子だもん。

「うーん…」

玉城は少し唸って、帽子を脱ぎ、髪を縛っていたヘアゴムを外した。さらり、と金色の髪が解けて、見惚れる俺の視線を余所にまた帽子をかぶってしまう。

「はい」
「あ…、おう」

差し出された濃紺のヘアゴムを腕に通して、えーと、と自分の身に着けている物で渡せるものを探した。今日は腕時計してないし…アンダーも着てないから服は脱げないし…っていうかそんなことしたらセクハラだし…眼鏡ないと何も見えないし…。

「…じゃ ネクタイ…でいい?」
「いいんじゃないですか?」

というわけで、俺はネクタイを外して玉城に差し出した。玉城はネクタイを首にかけ、両端を持って首を傾げる。

「どうやって結ぶの?」
「あー…貸してみ」

両端を受け取って交差させ、結ぶ。玉城の胸元でそれをするのは酷く緊張した。仕上げにネクタイを締めるとき、さすがに手があらぬ場所に触れてしまいそうなので、軽く引っ張って緩めに締めて手を離した。

「で ソコ抑えながら引っ張って。」
「このくらい?」
「そーそー」

きちんと襟元にネクタイが収まると、玉城はなんだか嬉しそうにはにかんで、少し長めのネクタイを弄った。
…なんか…意図せず恋人みたいなことしてる…。照れる…。

「次は何ですかね。」

また少し機嫌がよくなった玉城に頷いて通路を進むと、早速看板が立っていた。

「この橋は二人一組で…」
「…一人がもう片方をおぶって渡らなければいけません」
「…え〜」
「え〜って(笑)」

嫌そうに天井を仰ぐ玉城に苦笑しながら、内心ではドキドキしていた。おんぶ…。玉城をおんぶ…!?

「ほい。」
「…何でそんな軽く…」
「だってこうしないと先行けないじゃん。脱出したいんだろ?」
「…もっとしゃがんで。」
「はいはい」

膝をついて背中を玉城に向けると、まず肩に手が置かれて、ふわりと背中に体温が触れた。玉城が俺の背に跨って、細い脚のしっとりしたすべすべの白い肌が腕に触れる。うわーこれ、やばい…。
ゆっくりと立ち上がりながら両足を抱え、近くに体温を感じながら必死に平静さを装った。

「ちゃんとしっかり掴まれよ。」
「わ…わかってる…」

遠慮がちに肩に置かれていた手が首に回されて、玉城が背中から抱きつくような形になった。ぎゅっと押し付けられ密着する体。なんか…特に柔らかいものがふたつ…。

「ねぇ、はやく!」
「はいはい…」

玉城に急かされて、段ボールで作られた橋を渡る。

「…軽いな〜玉城。ちゃんと食ってんのかぁ?」
「うるさい。」
「なんでだよ(笑)」

橋自体は短く、すぐに渡りきって、ちょっと惜しい気がしながらも玉城を降ろした。

「で…次は?」
「……。」

早速看板が立っていて、俺たちはそれを覗きこんだ。

「全員、秘密を一つ打ち明けること…。」
「秘密?」

頭を掻いて唸る。

「秘密ねぇ〜…特にないんだけど…」
「嘘。秘密だらけの癖に」
「信用ねぇな〜(笑)マジでないって。」
「ふうーん…」
「そういうそっちこそ謎だらけじゃん。」
「私が?」
「そうだよ。」
「例えば?」
「んー…あ、ほら、ピアノめっちゃ上手いし。プロ並みじゃん。あれはビビったぜぇ」
「…小さい頃からやってただけですけど。全然秘密じゃないし」

それから二人でしばらく考え込んだ。秘密と言われても、玉城に故意に隠していることは本当に特にない。

「……あ。」

不意に玉城が口を開いた。

「ん?」
「秘密って言うか…まだ誰にも言ってないことならありました。」
「え、なになに?」
「私こんど映画に出るんですよ。」
「……ん??」

にこにこ、無邪気な笑顔で想定のはるか斜めを行くことを言い放つ玉城。

「…あー、そうなんだ…」
「反応薄くないですか?」
「まあちょっと期待と違ったからな」
「失礼ですね。期待って?」
「実は好きな人がいる〜とか」

はっ、とあきらかな失笑をする玉城に、俺の心は傷ついた。

「玉城ちゃんて時々さぁ…棘あるよね」
「そうですか?」
「うん…傷つくんだけど」
「それより先輩の秘密は?」
「それよりって…そういうとこだぞほんと…」

はいはい、と適当に流されて、俺は改めて自分の秘密を考えてみる。

「秘密…秘密ねぇ〜…」
「……。」
「青道の投手陣の投球のクセとか」
「は?」
「他校の野球部員ならとびつくのになぁ〜…」
「真面目に考えてください。」
「はいはい…えーとそうだな…じゃあ…」
「?」
「…実は……好きな子いる」

俺を見上げていた二つの青い瞳が瞬き、ちょっと伏せられ、逸らされた。

「…ふーん」
「ふーんて…」

それだけ?俺今ほとんど告白したんだけど…

「せっかく打ち明けたのになぁ〜」
「早く次行きましょ。」
「つめてー」

これは…遠回しにフラれたのか?俺。

「次は…?」

玉城がさっさと先を歩いて行って、ビニールテープののれんをくぐった。その後を追いかけると、そこは少し広い空間になっていて、実行委員の男子生徒が立っていた。

「はいここまでお疲れ様でした〜!!」

いきなりのハイテンションに少し驚いて、俺も玉城も目を瞬いて立ち尽くした。

「えーここではクイズに答えていただきます!!全問正解すれば先へ進んでいただけます!!ただし1問でも間違えた場合は残念ながら失格となります!!」
「はあ…」
「お二人で協力して答えをお考えください!!それでは準備はよろしいですか〜!?」
「はい…」
「それでは第1問!!」

男子生徒は持っていたスケッチブックの表紙を捲り、俺たちの前に翳して見せた。

「Hになればなるほど硬くなるものはなーんだ??」
「え?」
「……はっ??」

いきなり下ネタかよ!?ふざけんな、と思いながら玉城を見ると、口元に手を当てて真剣に考えている。き、気付いてない…?

「うーん…」
「……。」
「先輩わかる?」
「え…え〜…どうかなぁ…」

…カンベンしろよ…!!こんなんマジで言わせる気か!?

「…あっ!わかったかも!」
「えっ!?」

ぱっと表情を明るくして顔を上げた玉城にぎょっとする。わかったって…マジ!?いや、そんなまさか…こんな清純そーな玉城がそんなこと言うわけ…

「鉛筆!」
「……。」
「大正解です!」
「やった!」
「……。」

ふふんと得意げに笑って俺を見上げた玉城が、きょとんと眼を瞬いた。

「どうしたんですか?」
「いや…なんでもない」

俺の心は汚れている…。

「それでは第2問!!男の人の体の真ん中にあって、ブラブラゆれるもの、なーんだ??」
「……。」

思わず顔が引きつった俺を、実行委員はにやにやからかうように見てきやがった。…確信犯じゃねーか!!

「男の人の…。」

玉城はまた真剣に考えてるし。こんなのに真面目に付き合うなんて…いや気付いてないのか。玉城はしばらく考えて、ふと、自分の胸元に下がっているネクタイを弄って、はっとした。

「…ネクタイ?」
「だいせいかーい!お姉さんすごいですね!」

実行委員に褒められて嬉しそうな玉城。こいつがどんな下種野郎かも知らずに…。

「それでは第3問!!これに正解したら全問正解ですから、彼氏さんも頑張ってくださいね!」
「…はあ」

もう訂正する気も起きない。

「大好きな人と一緒にいると、いつのまにかたっちゃうもの、なーんだ??」
「…お前さっきからいい加減にしろよ!」
「え?ちょっと先輩…どうしたんですか」

慌てて俺の腕を掴んで引き留める玉城を見る。なんて澄み切った瞳…。この実行委員がさっきから出してるクイズが全部下ネタだなんて、言えない…。

「ひとつも答えがわからないからって怒らないでくださいよ。」
「ちがう!お前マジで気付いてねーのか?」
「何が?」
「……ッ」

くっそ…なんて純粋なんだこいつ…
けど…今までのクイズがそうだったように、これは下ネタに見せかけて答えは全然関係ない物、っていうオチのクイズ…。ちょっとひねって考えれば答えなんてすぐに…。

「……。」

…すぐに……

「……。」
「今回はちょっと難しいですかね〜?」
「……。」

クッ…腹立つ…。

「…私わかった…かも」

ぽつりと玉城が呟いた。

「お!それではお答えをどうぞ!」

玉城は実行委員を見上げ、真剣な眼差しで口を開いた。

「…時間」

お…、と実行委員が息をのんだ。

「だいせいか〜〜い!!いや〜彼女さんスゴイ!!全問正解ですね!」

時間…そーか、時間か…。
あ〜〜…俺って汚れてる。

「それでは先へお進みください!!」

実行委員に促されて、俺たちは通路の奥に進んで行った。

「…暗闇のトンネル」

暗幕で閉ざされたトンネルの入り口があって、そこに立っている看板の文字を玉城が読み上げた。

「この先は支給された懐中電灯を使ってください…。」
「ここで使うのか。」

暗幕を捲ると、確かに先は真っ暗だった。懐中電灯をつけて玉城を振り返ると、玉城はなんだか遠慮がちに着いてきた。
二人とも中に入って暗幕から手を離すと、視界はほとんど真っ黒になった。

「玉城いる?」
「います。」

後ろを歩かれるとどこにいるのか全く分からなくなる。かといって手をつなぐことを提案するのも気恥ずかしい。

「…あの」
「ん?」
「…掴まって、いいですか」

そう思っていたら玉城の方からそう尋ねてきた。

「掴まらなきゃはぐれるだろ。」
「……。」

そ、っと俺の袖を遠慮がちに摘む感触があった。暗闇だから余計にそれがはっきりとわかって、緊張する。

「この懐中電灯、あんま明るくねぇなー」
「……。」
「電池きれそうなのかな。」
「……。」
「玉城?」
「…はい?」

なんだか玉城が急に静かになった気がして、呼びかけるとようやく声が聞こえた。

「なんか静かだから。」
「べつに…」

玉城が言いかけた時、ふっ、と懐中電灯の頼りない明かりが消えた。

「あれ、マジで電池…」
「いやっ…!」

びくっ、と引っ張られる袖口。暗闇に驚いたにしては驚き過ぎだ。

「え…どした?」
「……。」
「玉城?」

ぎゅっと袖を引っ張る力を感じながら、玉城がいるらしき方向に向かって声をかける。

「…だめなんです」
「え?」
「…私…、く…暗い場所、だめ…なんです…」
「…へ?」

てん、てん、てん。
少しの間沈黙が流れた。

「…え、でも昨日もお化け屋敷…」

全然平気そうだったけど…そういや入った時は少し静かだったかも。

「あれは……手、つないでた…から…」
「……。」

俺と手を繋いでたから平気だったって?…可愛すぎるんだけど…。

「…じゃ 手…繋ぐ?」
「……。」
「怖いんだろ?」

す、っと袖口を伝って、俺の手を探り当てるように、柔らかな小さな手が縋りついてきた。やべえきゅんきゅんする。玉城が暗闇を怖がって俺と手を繋いでる…役得…。

「大丈夫か?」
「…なんとか」
「抱きしめてやろうか?」
「うるさいバカ。」

それはダメなのね。

「…つっても懐中電灯が切れたんじゃ、手探りで行くしかないよな〜…。」

手で壁を伝いながらゆっくり歩きはじめた。そんなに長いトンネルじゃなきゃいいけど…。

「…あれ?」
「…どうしたんですか?」

あいている右手で壁を探っていくと、三方が行き止まりになっている。

「ここ行き止まりっぽいぞ」
「え?…でもここまで一本道でしたよね。」
「だよなぁ…」
「先輩。ここ、下をくぐるんじゃないですか?」
「え?」

壁をぺたぺた探っていた玉城が、ちょんちょんと俺の手を引っ張った。
言われた通り壁の下の方を触ってみると、ぽっかりと丸く切り取られたように、広めの穴が開いていた。

「懐中電灯無しでこれはきっついな…」
「……。」
「玉城大丈夫?」
「…平気です」
「じゃ…俺が先に」

手で探りながら小さなトンネルをくぐった。幸い、2メートルほどの小さなトンネルで、すぐに抜けることができた。

「…先輩、どこ?」

さわさわと彷徨ってきた手が俺の背中に触れ、手探りで手が繋がれる。か、かわいい

「あ…ここ出口かな」

すぐ目の前の壁は暗幕になっていて、ちょっと手で押すと光が差し込んできた。暗闇ゾーンはここで終了らしい。

「あ、明るい…。」

玉城が安堵したように言って、手がするりと離れた。

「まだ繋いでてもいいのに〜。」
「うるさい。」
「……。」

素っ気ねぇ〜…。

「で…次は?」

少し進んでいくと、ここからは通路がかなり入り組んでいることが分かった。

「迷路だな。」
「また分かれ道ですよ。」
「右行こう。」
「また?何でですか?」
「こういうのはルールがあんだよ。」

ムッとする玉城を納得させて迷路を進んでいくと、しばらくして出口らしき看板が見えてきた。

「ほらな?」
「一言多い。」

つんとそっぽを向いて看板に駆け寄る玉城。

「次はなんだって?」
「障害物を乗り越えてゴールを目指せ…だって。」
「障害物?」

ビニールテープの幕を手で退けてアーチをくぐると、まずはゴムボールの海が目の前に広がった。…転ばないように気をつけよ。

「ここを進めって?…文字通り障害物かよ」
「……。」
「玉城?」
「え?」

…なんかちょっと楽しそうな顔してる…。

「何か浮かれてない?」
「べ、べつに…。…早くいきましょうよ。」
「へいへい」

意外とこういうの好き?普段はしゃいだりしない分、余計に…かな。こういうところはちょっとわかりやすくて、それがまた可愛いんだよな〜。

ボールに足をとられながら対岸にたどり着くと、今度は滑り台があった。

「あ、おい…」
「え?」

先に階段を上った玉城がひらりと振り返る。白い太ももが視界に飛び込んできて息を飲んだ。俺が先に行く…と言おうとしたんだけど。…ギリギリ見えない…じゃなくて!こんなこと考えてることがバレたらヤバい。

「…なんでもない」
「何なんですか?」

玉城は不満気にしながら滑り台を降りて行った。楽しそうだ。
その後も子供の遊具みたいな障害物を乗り越えて、最後には並々と水が張られたビニールプールが道を塞いでいた。ご丁寧に、水深約30p・靴と靴下を脱ぎ、ズボン等は捲り上げてお進みください。と書いてある。

「え…脱ぐの?」

靴と靴下を、…なんだけど、玉城が「脱ぐ」とか言うと…ドキリとする。
ちょっと戸惑いながらも、玉城は靴を脱いで靴下を脱ぎ始めた。白く細いふくらはぎ、足首が現れる。つま先と小さな踵は薄い桃色で、なんか…裸足になっただけですげえ色気が増す…

「先輩?」
「え、あぁ、うん」

俺も慌てて靴と靴下を脱ぎ、ズボンを膝下まで捲った。

「わ…。…結構冷たい」

玉城はおずおずとプールに足を入れると、そこに立って頬を緩め、肩を竦めた。

「ふふふ。気持ちいい」
「…おぉ」

いちいち可愛いなぁ…ったく…
ざぶざぶ、ちゃぷちゃぷ、水の中を進んでいく。
玉城は無邪気に、だけど控えめに水を蹴飛ばしたり、足元でたゆたう水面を見つめたりして、時々俺を振り返って笑った。玉城にとって自分がどんな存在なのかわからないけど、今のこの瞬間は確かに、玉城が楽しさやうれしさを伝える相手は自分だけで、それが嬉しい。大げさかもしれないけど、玉城と時間を過ごせているという喜びは、胸の中で風船みたいに膨らんで弾けてしまいそうだった。弾けてしまったらきっと、伝えるにはまだ早すぎることを口走ってしまいそうだったから、俺は気持ちを押し込めて玉城に笑顔を返した。

…そう言えば玉城、体調はもう大丈夫なんだろうか。貧血、と言っていた、あの少し恥ずかしげな表情。多分、男には言い辛い…生理とか…なのかなぁ、とこっそり思ったけど、そういうときの女子がどんな状態なのか俺には知る由もないし、まさか尋ねるわけにもいかないから、ふと心配が過るだけにとどめた。具合が悪そうだったらまた何か食いもんでも買って、どこかに座って休めばいいし…。
ともかく玉城自身、あまり体が丈夫というイメージではなく、どちらかというとか弱いイメージの方がしっくりくる。病弱というわけではないだろうが、華奢だし、色白だし、儚げだし…体が弱いといわれても普通に信じる。そういうところがまた、男の庇護欲を掻き立てるんだろうなぁ…

「あ…。」

ふと、玉城が頭を押さえて立ち止まった。

「大丈夫か?どうした?」

すぐに近づくと、玉城は目を閉じてちょっと踏ん張るように小さく足を踏み出した。

「眩暈?」
「…はい」

頷くのもつらいのか、そう小さく答える玉城の腕を支える。

「だから無理すんなって言ったのに。」
「……。」
「掴まれよ。とりあえずプールから出よう」
「大丈夫です、すぐ収まるから」

俺の腕をのけて、歩き出す玉城。

「あ、おい…」

俺も追いかけようとしたその時。言ったそばから、玉城がふらついて、俺は咄嗟に手を伸ばした。
あぶね、と呟いたかもしれない。だけどそれよりも別のことが一瞬で頭の中を支配した。
咄嗟に抱きとめた華奢な体。腕には柔らかな感触が伝わり、手のひらには、今までの人生で一度も感じたことのない柔らかさと弾力を兼ね備えた感触が収まった。こ、これは…、これは…!

「…!!ご、ごめん!」
「……。」

咄嗟に手を離したものの玉城の顔が赤い。いや俺も真っ赤だ。顔が熱い。
っていうか…めっ……ちゃ柔らかかっ…た……。控えめな大きさ…だけどちょうど手に収まるくらいの…むしろちょうどいい…、ってそうじゃなくて!!

「玉城、ごめん、マジごめん、わざとじゃなくて」
「……。」
「ほんとすいません、殴っていいから!つーか殴って!ほんとごめん」
「べ…、別に…もういいから…」

顔を背けたままちゃぷちゃぷと進んでいってプールから出る玉城。供えられたタオルで足を拭き、靴を履く玉城を俺も追いかけていってプールから上がり、目を合わせない玉城を前にどうしたものかと狼狽えた。このままだと気まずくなる…絶対気まずくなる!つーか嫌われる!もう目を合わせてもらえないかも…。それは嫌だ!

「…玉城!…マジで、あの、一回俺のこと殴って」
「だ…だから別に、いいって…」
「いやほんとに!俺が気になるから!お願い!」
「何言ってるんですか…」
「なぁ〜玉城〜!一発!ガツンと!それですっきり終わらせよう!な!?」
「は…ほんとに、気にしてないので」

じゃあ目を合わせてくれ…!あぁもうだめだ、嫌われた…。どうすりゃいいんだ…

「玉城!ちょっと一旦待って!話聞いて!」
「大丈夫です…」
「頼むから俺を殴ってくれ!」

「御幸何言ってんの?」

はっ…。
気が付けば迷宮を出て、出口にいた楠先輩と亮さんが俺たちを見ていた。…亮さんは今にも噴出しそうな顔で。

「あ…、いや…」
「……。」

顔を赤くして口ごもる俺たちを見て何か面白そうだとでも思ったのか、亮さんはこっちにやって来た。

「何?御幸ってそういう趣味だったんだ?」
「ち、違いますよ…」
「……。」

かといって理由を説明するわけにもいかない。玉城の胸を触ってしまっただなんて…

「とりあえず…御幸たちが迷宮脱出第1号なんだけど。…名前載せない方がいいよね?」

楠先輩が遠慮がちに出してきた『脱出者一覧』のボード。まだ誰の名前も書かれていないそれを見て、俺は頷く。俺はともかく、玉城はな…。噂になると困るだろう。

「そうですね…」
「じゃ、書かないでおくけど、一応脱出記念の賞品としてこれを渡すことになってるんだ。」

楠先輩はそう言って、青いミサンガを差し出した。

「ありがとうございます。」
「…ありがとうございます。」

二人で受け取って、ふと気づく。他に誰も脱出者がいないってことは…玉城と二人だけの、おそろい?…って、いちいちおめでたいな俺。こんなことで、こんなに嬉しいなんて…

「で…中で何かあったの?」
「い、いえ、なんでもないんで」

楠先輩と亮さんの追及を逃れ、目の合わない玉城に行こうかと声をかけ、気まずいままそこを立ち去った。
さて、どうしよう。

ALICE+