005

「おっ」

廊下で見かけたその子の姿に胸の奥をくすぐられ、嬉しくなって声を上げると、その子は振り向いて俺を見るなり、うわ、と顔を歪めた。

「玉城ちゃ〜……、…っておいおいおい!無視しないで!」

玉城ちゃんが俺の目の前をスルーして通り過ぎようとしたところを、呼んでるよ、と隣の友人らしきショートカットの女子生徒が腕を掴んで引き留めてくれた。渋々立ち止まった玉城ちゃんは、俺をじとりと見上げ、すぐ隣に倉持を見つけると、はっと頬を赤く染めた。…え、マジで?

「…こんにちは。」
「…ッス」

ぎこちなく照れ臭そうに挨拶をする二人を見て焦りが滲む。
待て待て待て……俺は絶対認めねーぞ!!

「…あ!」

ぽん、と玉城ちゃんの友達が思いついたように手を叩いた。そして、俺を指さし…

「御幸先輩と…」

次に倉持を指さし…

「…倉持先輩?」

何故か倉持の時だけ首を傾げながらそう言って、確認するように玉城ちゃんを見た。玉城ちゃんはちょっと焦ったように顔を赤くして、うん、と小さく頷く。友達は倉持の顔をまじまじと見て、訝しげに眉を寄せ、首を傾げた。

「…えっ、この人が倉持先輩?」
「ちょ、ちょっと…!もういいから!」

一体倉持の事をどう聞いていたのか、友達の中の想像と実際の倉持との間にはかなりの差異があるらしく、彼女はしばらく腕を組んで唸っていた。

「す、すみません…。」
「え、いや、別に…。」

倉持に謝る玉城ちゃんに、倉持はヘラヘラしながら手を振った。いいかっこしやがって。

「あれから、大丈夫か?」
「えっ?」
「ほら、勝手に写真撮られたり…」
「あ…、だ、大丈夫です」
「そっか…」
「……。」
「……。」

「…な〜〜〜にカッコつけてんだ元ヤン!」
「う…うるせーよクソメガネ!!」

ぎこちないふわふわした空気を醸し出すふたりを見ているのがムカついて、俺は倉持をどついた。倉持はすぐさま反撃してきたけど。さすがの反射神経だ。

「え〜でもこの間も教室で…」
「つ、司!」

それに異を唱えた友達を引っ張って、玉城ちゃんは、それはいいの!と首を振った。

「え、なんかあったの?」
「…最近、教室に野次馬が押し掛けてくるんですよぉ。光目当てで、勝手に写真撮ったり、道塞いだり…」
「え!?」

目を丸くした俺たちの視線が玉城ちゃんに向かうと、玉城ちゃんは肩身が狭そうに身を竦めた。

「だからひとりで廊下も歩けないもんねぇ、光。」
「そりゃ大変だな…」
「野次馬って誰が?」
「知らない人たちがいっぱいです。同級生も先輩も…男子ばっかり。」
「で、でも…すぐ飽きると思うし…」
「そう言ってもう1週間じゃん!」

い、一週間も毎日!?…シャレにならねぇ…。

「お前のせいじゃねーの?」
「え!?」

倉持が俺を見てニヤニヤとからかった。まさかそんなわけはないけど、野球部の1年に玉城光って子を知ってるか、と聞きこんだのは事実で、身に覚えが全くないと言えば嘘になる…。

「いや、え、マジ?」
「知らねーよ。」
「……。」

慌てる俺を冷ややかな目で見る倉持、そして疑うような目で睨む玉城ちゃん…。なんか、会うたびに株が暴落していっている気がする…。このままではまずい…なんとかしねえと…!!


***



「玉城光ちゃーん!」
「いないの?」
「どこ行ったんだよ〜」

「……!!」

野次馬がどんなものかと昼休みに1Aまで様子を見に来て、俺は愕然とした。
教室前の廊下に溢れかえる人、人、人。教室の二つの入り口をすっかり塞いでしまっているだけでなく、携帯電話を構えている奴までいる。見世物じゃねーんだぞ…動物園かよここは!?
にわかに腹が立ちながら、しかしすぐに胸が冷えた。
この原因が俺だとしたら…本当に悪い事をした。そのつもりはなかったけど、まさか、ここまで騒ぎになるなんて思ってもいなかったし…。…俺だけが原因とは思えないほどの騒ぎようだけど、原因のひとつではあるかもしれない…。

「御幸先輩?」
「!」

背中から声がかかって、振り向くと、今朝会ったばかりの女子生徒、玉城ちゃんの友達がいた。

「こんにちはー。」

気さくに挨拶をして人混みに向き直る彼女。

「うわー、入れないし。」

全くもう…、とため息を吐く彼女を、俺は咄嗟に呼び止めた。

「あ、あのさ」
「はい?」
「…玉城、どこにいる?」

きょとん、と黒目がちの気の強そうな目が瞬く。

「んー…最近休み時間はどっか行ってるんですよねぇ」
「心当たりない?」
「うーん…」

こめかみに指をあてて考え込んだ彼女が、あっ、と顔を上げた。

「光!」
「え?」

「あ!玉城光 いた!」
「うそ!?どこ!?」
「あそこだ、階段の所!」

彼女が声を上げたのと、俺が振り向いて廊下で立ち竦んだ玉城を見つけたのと、野次馬が一斉に玉城に注目したのは、ほとんど同時だった。

「うわ、マジで可愛い」
「色白〜〜…」
「ハーフ?」
「芸能人ってマジ?」
「可愛い〜…」

じろじろと玉城を見る無数の視線。玉城の顔は怯え、青ざめていった。

「ちょっと…!」

玉城の友達が飛び出して行って、玉城を庇うように廊下に立ちはだかっても、野次馬の目は無遠慮に玉城を追い続ける。

「…玉城!」

声をかけて歩み寄って、弾かれたように俺を見上げた青い瞳がのど元を見つめるのを熱のように感じながら、俺は玉城の腕を掴んで引っ張った。
…細い腕。すべすべで、滑らかで…。玉城は大人しく腕を引かれて俺の後を着いてくる。
野次馬が動揺する喧騒を背に、構うもんかとそのまま階段を下りて、校舎裏まで玉城を引っ張って行った。
手を離して俺は項垂れるようにベンチに座り、実際頭を垂れた。

「…ごめん」
「…え?」
「まさか、あんな……酷いと思わなかった」
「……。」
「俺のせいかな…、…本当にごめん」
「……。」
「……。……サイアク」

溜息をついて、胸がキリキリ痛むのをそのままにした。逃れられない自己嫌悪を正面から受け止め、浅はかだった自分を後悔した。1年の、玉城光ちゃんっていう、すげー可愛い子…どこのクラスか知らねえかって、手当たり次第に後輩たちに聞きまわって。先輩がそんなに探し回るほど可愛いなんてどれほどのものだろう、と噂が広まったのだろうか。良くも悪くも、俺は野球部で目立つ存在だ…それを忘れていた。

「…そんな……謝らなくても…。」

玉城の戸惑った声が聞こえる。

「…だよな…謝ったって意味ないよな」
「そ、そういう意味じゃ…。」

困惑する玉城の声を聞いているとますます凹む。困らせたいわけじゃないのに…

「…あ〜〜〜…」

溜息のつもりが情けない声までこぼれて、俺はやるせなさの行き場が無くて空を仰いだ。

「…どうしたんですか?」

すっかり困り果ててしまった玉城を見て、自分に気がある様子は全くなさそうだと思って、悔しさが滲んだ。倉持の前じゃ、あんなにもじもじしてたのに…。

「…倉持の事好き?」
「え?」

あっという間に赤くなる小さな顔。答えなど聞かずとも本心がバレバレだ。

「なんでそんなこと…。」
「……。」
「…な…なんですかその目…。」
「あ〜〜〜なんであんなヤツ…」
「な…何!?何も言ってないでしょ!」

だからバレバレなんだって…。とは言わずとも、玉城自身わかっているだろう。自分の顔が真っ赤だってことくらい。

「…アイツも玉城ちゃんのこと好きだよ。」
「え…!?な 何言って…」
「マジで。玉城ちゃんが告れば二つ返事でオッケーするよあのバカ。」
「……。」
「だから告んないで。」
「…え…?」

俺は立ち上がって、玉城の正面に立って、青い瞳を見つめた。

「半年待って。」
「…は 半年?」
「…あ いや やっぱ8…、…いや…い、1年待って。」
「は…?」
「お願い!頼むから1年は誰とも付き合わないで!」
「な…何で、何の話…」
「玉城スゲーモテると思うし、倉持と…ムカつくけど両想いだと思う、でも1年…1年待ってください!」
「……。」
「それで振り向いてもらえなかったら…諦める!…多分!」

顔の前で手を合わせて心の底から頼みこんだ。なにしてんだろ俺、とも思ったけど、必死だった。

「……。…なにそれ…。…しかも、多分って…。」
「う…、や、やっぱすぐには諦めつかないかもしれねーしさ…、」
「……。」

ふ、と玉城の口元が少し緩んだ、と思ったら、玉城は小さく笑いだした。

「ふふふ…意味わかんない…。」
「…俺も。」
「あはは。何それ。」

へらりと笑って頭を掻くと、玉城は声を出して笑い始めた。
…初めて、俺の言葉で笑ってくれたな…。ふとそう考えて、俺は胸の底があたたかくなるのを感じた。

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