008

「御幸せんぱーい!倉持せんぱーい!」

その日の昼休み、なんと、鷹野が俺のクラスにやって来た。今朝花城のことであったばかりだったから、何か話があるのかと思ったけど…なんで倉持も一緒なんだ?

「なんだよ?」
「ちょっと来てくれます?」

倉持と顔を見合わせ、いいけど、と鷹野の後に続く。鷹野ははるばる校舎裏のベンチまでやって来ると、俺と倉持を振り返った。

「すいません、今朝のことで話があるんですけど」
「ああ…」
「今朝のこと?」

頷く俺と、眉根を寄せる倉持。ただひとり話が見えずに俺と鷹野を見比べる倉持に、鷹野はニッコリ笑顔を向けた。

「あ、倉持先輩はもう戻ってもらって大丈夫でーす。」
「…は?」
「話があるのは御幸先輩だけなんで。」
「ハァ!?じゃなんで俺まで呼んだんだよ!」
「だって〜御幸先輩ってモテるじゃないですか。変な噂になったら嫌ですもん〜」
「……。」

倉持はギロリ、と鷹野と俺を交互に睨み、舌打ちをした。鷹野は全く悪びれずに倉持に手を振る。肝の据わったヤツ…。でも賢い。

「ったく、貴重な休み時間が…」
「えへへ、すいませ〜ん。」
「気にしなくていいよ、どうせコイツぼっちだから」
「テメーに言われたくねーっつの!!」

倉持が悪態付きながら校舎に戻っていったのを見届けて、鷹野はようやく本題に入る。

「それで、今朝のこと…っていうか、昨日のことなんですけど。」
「…うん」
「びっくりしたでしょう?光がすごく怯えて」
「……。」

やっぱり…何か理由があるって言うのか?

「御幸先輩は悪くないんで、本当に気にしないでくださいね。」
「いや俺は別に、平気だけど…」
「そうですか?今朝、すごく気にしてるみたいだったから」

鷹野の笑顔は明るかったけど、いつもの無邪気さはなく、どこか陰があった。

「…光、中学生の時に…ストーカー被害に遭ってたんですよ。」

寂しげな笑顔でそう告げた鷹野の言葉を聞き、俺はしばらく言葉を失った。

「…ストーカー…?」
「結構、酷かったんです。初めは待ち伏せとか、後をつけられたりとか。そのうち、郵便受けに変なもの入れられたり…物を盗まれたり」
「……。」
「それで…私が風邪をひいて学校を休んで、一緒に帰れなかった日に」
「……。」
「暗い帰り道で…光、車に連れ込まれそうになって」

待ち伏せしていたストーカーに、肩を掴まれ、腕を引っ張られ、抵抗して――
偶然通りかかった、散歩中の中年女性たちが声を上げて、犯人は逃げて行った。
目撃者のおかげで、車のナンバーから犯人が分かり、そいつは逮捕された――。

「私が一緒だったら…そんなこと、起こらなかったのに」

いや、それでも、いつかは同じことが起きた。もっとひどかったかもしれない。鷹野もそれはわかっているはずで、だけど顔から後悔の色は消えなかった。

「…俺…」

俺が昨日花城にしたことは…最低だ。
きっと花城はその時のことを思いだして…

「先輩はただからかっただけだって、光もわかってますよ。心配して送ってくれたことも」
「……。」
「でも…ストーカーのせいで、光、男の人が怖くなっちゃって」

それは…無理もないだろう。理解はできる。

「先輩と話すのは…もう少し時間が必要かも」
「……。」
「先輩は悪くないんです。すいません。」

だけどそう言われて、俺は落胆を感じた。いや、悔しさかもしれない。もどかしさも。
俺は…花城と仲良くなりたいと思ってる。もっと知りたいって。

「失礼します。」

鷹野はらしくなく真面目な顔でそう言い、踵を返して去っていった。




***



「なー1年の花城光って知ってる?」
「知ってる!めちゃくちゃカワイイよな」

いつの間にか、花城の噂がすっかり学校中に広まっていた。
学校で一番可愛い、なんて言われて、男嫌いという噂も、都合のいいようにしか考えない男たちにとってはかえって好印象で、清楚で無垢な見た目も相まって、あんなに美人なのに男慣れしてないなんて、と、多くの男共が目を光らせた。

だけど花城のその男嫌いが、こんなに深刻なものだったなんて。
ストーカー…か。じゃあ、今までいつも俯きがちで、無口で、悲しそうにしていたのは、俺や周りの男たちに怯えてたってことなのか。

「どうしたんだよ?やけに静かじゃねーか」
「…別に」

隣にいた倉持に素っ気なく返すと、あ?と倉持は機嫌を損ねた。

「あ〜、雨のせいで素振りと筋トレしかできねえし…イラつくぜぇ〜〜」

倉持は1年が運んできた箱からバットを一本取り、肩に担いだ。ヤンキー持ちの似合う奴。
だけど言ってることには同意で、今日の部活はは練習内容によって室内練習場や体育館に別れて行うため、俺や倉持はA体育館の半分を借りたスペースに集合していた。あとの半分は普段ここを使っている部活が使用するため、真ん中をグリーンネットで仕切られている。

「あっち何部が使うんかな?」
「さあ」
「チア部とかだといいよな〜」
「お、いいねぇ〜!」

他の奴らはそんな暢気な話で盛り上がっている。まあそうだな、できれば花のある女子の部活が来たら良いな〜、なんて…
と、邪なことを考えていると、体育館の入り口が開き、にぎやかな声と共に華やかな集団が入ってきて、俺たち野球部員の視線は釘付けになった。仕方のないことだ、だって体育館に入って来たのは、レオタードにジャージを羽織った女子新体操部だったのだから。
おおおお、と息を飲んだ歓声が響き、新体操部員たちはやだぁ、と笑いながら緑のネットの向こう側に集まっていく。なんという光景。なんというご褒美。
だけどそのとき、ひときわ輝く少女がやってきた。真っ白な肌と金色の髪は光を放っているようで、周りの女子たちもかすんでしまうほど綺麗な、花城光。彼女がやって来ると、男たちは声も失って見惚れた。
花城…新体操部だったのか。

「おい、あれ…」
「花城さん…だよな」

少しずつ我に返ったやつらがひそひそ囁き始め、花城が俯いた。

「めっちゃ可愛いな」
「あの子だろ?1年で一番かわいいって噂の」
「学校一じゃね?」
「やっぱ女子はポニテだな、うなじ堪んねぇ〜」
「なんだよそれw」

俯いていた花城が、おもむろに髪に手を伸ばし、白いヘアゴムを抜き取って、長く柔らかな髪がふわりと彼女の肩を覆った。

「おい、聞こえたんじゃね?」
「まさかw」
「つーかスタイル良いな〜」
「足長っ、腰細っ」
「胸はそこそこだなw」

「おいテメーら!!」

体育館に俺の怒号が響き、野球部員の1年がビクリと飛び上がって注目した。

「下らねーこと喋ってんじゃねーぞ。上走って来い」
「え……」
「30周!!」
「は、はいっ!!」

喋っていた1年共は体育館の2階へ走って行った。ネットの向こうに、ぽかん、と俺を見ていた花城の顔が見えたけど、すぐに顔を背けられた。そして、倉持もぽかんと俺を見ていて、訝しげに眉根を寄せた。

「…お前どーしたの?珍し…」
「別に。」



***



「各自柔軟して終わりー!」
「はい!」

グリーンネットの向こうの花園。男共はそれを眺め、よだれでもたらしそうな呆けた顔で立ち尽くす。

「明日も雨降んねーかなぁ…」
「それな…」
「うん…」

ゴツ、ゴツ、ガツ、と三つ並んだ後ろ頭を順番にバットで小突くと、その順番通りに3人の1年坊主が驚いた顔で振り向いた。

「さっさと片付けろ。」
「す、すいません…」

そのバットを押し付け、転がった練習道具を顎で示し、3人を動かす。3人は後ろ髪惹かれるように女子の方を気にしながら片付けに戻った。

「珍しいな、お前がそんな風に1年をどやすなんて」

傍で見ていた倉持が心底不思議そうに言った。確かにいつもの俺だったら、1年が女子に気を取られていたって別にどうでもいい。だけど、あんな話を聞いてしまったら…花城が俯いているのをほっておけなかった。

「はっはっは、いつも真面目だよ俺は。」
「よく言う…」

「光〜!」

と、その時、体育館に大きな声が響いた。

「帰ろ〜!」

入口で手を振っていたのは鷹野で、ジャージを羽織った花城が笑顔で駆け寄っていく。

「あれって…鷹野司だよな」

野球部の1年が呟いた。

「誰?」
「知らねー?A組の奴で、中学ん時剣道で全国行ったんだってよ。青道にもスポーツ推薦で来たらしい」
「へー」
「剣道少女、とかって、中学ん時テレビに出てたし。かなり有名らしいよ」

へー…そうなんだ。
噂話なんてつゆ知らない笑顔で、少女たちは体育館を出て行く。
そういえば…今日の帰りは大丈夫なのかな?
俺は体育館の採光窓から、薄暗い空の色を見上げた。

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