……眠い。
夏合宿が始まって、昨日の夜は遅くまでみんな騒いでいたこともあり、今日は寝不足気味だ。
加えて今は眠くなることで有名な教師による日本史の授業中。抑揚のない低い声は、聞く者すべてを眠りに誘う呪いの歌のようだ。実際倉持はさっきから完全に机に突っ伏している。
この強烈な眠気…ちょっと仮眠をとってスッキリしたい。午後の部活にも響くかもしれないし…今夜も遅くまで騒ぐ奴がいるかもしれないし。
「…すいません」
カタン、と椅子を引いて立ち上がり、振り向いた教師にできるだけ元気のない声で言った。
「少し気分が悪いので…保健室に行ってもいいですか。」
「ああ、行きなさい。」
「失礼します」
教室を後にして誰もいない廊下に出ると、やっとゆっくり眠れる喜びが胸に湧きあがった。教室からは、「倉持起きろー」という教師の声が響いた。
***
「あれ…」
保健室のドアを開けると、保険医の姿はなかった。代わりに椅子に座っていた女子生徒が振り向き、目が合って、固まった。花城だった。
「花城じゃん。どしたの?」
花城は体育着姿で、足首のテーピングをしていた。
「体育で痛めた?」
「……痛めたのは部活で…。」
「捻挫?」
「いえ…筋を…」
テーピングをする手つきは慣れていなくて、多分、はがれてしまったテープの巻き方を思い出しながら、記憶を頼りにしているんだろうと分かる。俺は部屋の中を見渡した。
「先生は?」
「けがをした人が来て、付き添いで病院に…」
…ということは、しばらく戻ってこないのか。
花城が不慣れな手つきで間違ったテーピングをするのを見て、少し迷ったものの、これはチャンスかもしれない、と考え直し、俺は花城の隣にまたがるようにして座った。
「貸して。」
手を差し出すと、花城は様子をうかがうような顔でテープを俺の手のひらに置く。
「俺テーピングは慣れてるから。」
「……。」
「新体操部だっけ?」
「…はい」
「病院は行った?」
「…はい」
なら、大事はないか。
「ちょっとごめん、嫌だろうけど、ちゃんとやらないと余計痛めるから」
「……。」
花城の視線を感じつつ、手を伸ばして足に触れた。細い足首にテープを巻き付ける。本当に細い。俺の手首より細いんじゃないか。それに真っ白で、キメ一つ見えないくらいつるつるの、陶器のような肌。なのに、触れると驚くほど柔らかく、温かい。
花城って…頭の先からつま先まで、全部綺麗なんだな…。噂通り、本当に天使かと思うような。同じ人間とは思えない。俺の腕は日に焼けてザラザラで、硬いし筋張ってごつごつしている。触ってもなにも面白いことなどない。だけど花城の肌は、もうずっと触れていたいくらい滑らかで、心地よい。
女の子ってすげぇ。いや、花城が特別なのかな。
…ヤベェ、勃ちそう。
「男嫌いなんだって?」
「……。」
花城が目を丸くして俺を見上げ、すぐに気まずそうに俯いた。
「鷹野に聞いた。嫌いっつーか…怖い?」
「……。」
真っ白な脚首を、くすんだ茶色のテープが覆っていく。
「惜しいなー」
「……?」
「俺は仲良くなりたいのに」
なんちゃって、と花城の顔を見ると、花城は豆鉄砲を食らったような顔のまま固まっていた。
「ぶっ、なんて顔してんだよ(笑)」
俺が笑い出すと、花城は顔を赤くして俯いた。
「お前大人しいよな〜。もしかして俺のことも怖い?」
「……。」
「ホントかよ(笑)」
花城が黙ったまま小さく首を振るものだから、俺はまた笑ってみせた。つーか笑うしかない。
「…はい、できた」
名残惜しく足を離し、テープの始末をして救急箱に仕舞う。花城は足首を動かしてみて、まじまじと見つめている。
「キツくない?」
「…はい」
花城はありがとうございます、と言い、靴下に足を通した。
そして、青い澄んだ瞳で、ちらり、と俺の様子を窺った。
「何?」
「…先輩は…なんで保健室に…」
「俺?寝るため。」
「……。」
唇を開いたままぽかんと固まる花城が面白い。
「花城ももうサボっちゃえば?あと10分で授業終わるし。」
「いや…戻ります」
「え〜〜真面目〜〜」
花城は立ち上がり、救急箱を棚に戻してドアに向かった。
「あ。なぁ」
俺の声で振り向く花城。その様子を見ただけで、なんだか胸の奥がくすぐったく感じた。
「男も悪い奴ばっかじゃないぜ。」
「……。」
「じゃ、おやすみ〜。」
カーテンを閉じて靴を脱ぎ、ベッドに横になる。少しして、静かにドアが開き、足音がして、ドアは閉められた。
***
「ヒャッホ〜〜〜!!!雨様様だぜェ〜〜〜!!!」
「しかも新体操部と合同のA体育館、超ラッキーだよな〜〜」
夕方から降り出した大雨に大はしゃぎする男たち。
正直俺も嬉しい。花城を見れるし…けど花城は、男嫌いで…男に見られるのも嫌だろう。
「おいっ、来たぞ」
1年が小突き合って、体育館に入ってくる新体操部の女子たちをニヤニヤ眺める。
「…ほらあそこ!花城さん」
「うわ、マジだ」
「やべぇ…生きててよかった」
レオタードにジャージを羽織った花城が、腕をぎゅっと組んでうつむいて、足早に体育館の奥に向かっていく。
「ちょっと野球部ー!ヤラシイ目でこっち見んな!」
「みっ…見てねーよ!」
新体操部と野球部の一部が言い合い始めた。
周りを見渡すも、ここでまとめ役になりそうな奴…ゾノや倉持はチラチラ女の方を見ていて役に立たない。ったくどいつもこいつも…。
「オイ」
仕方なく俺が1年のところへ行って、声をかけた。
「やる気ねーなら帰れ。来週には選抜始まるんだぞ。自覚あんのか?」
1年達の顔がみるみる青ざめた。
「す…すいません…」
練習に戻る1年達を見送り、新体操部員の女子に視線を移す。
「邪魔してすいません。」
「い…いえ…」
女子は顔を赤くして微笑み、練習に戻っていった。
やれやれ、これで少しは花城も…
「あれ?花城じゃん!」
と、俺の気苦労をつゆほども知らぬ暢気な顔で、沢村がグリーンネットに駆け寄った。花城は振り向いて真ん丸な目で沢村を見て、さわむらくん、と呟いた。
「お前新体操部だったのかー!」
「…うん」
「ごめんな!練習場所半分貸してもらっちまって」
「う…ううん」
「…お前花城と仲いいの?」
気付けば疑問がポロリと口からこぼれていた。
「花城には救ってもらった恩がありやす!!」
「は?」
「…あの…辞書貸しただけ…」
「ああ、なんだ」
「あの時はありがとうな花城!またよろしく!」
「またよろしくじゃねぇよ、忘れモンすんな」
沢村は、へへへ、と笑って頭を掻いた。その様子に花城が頬を緩めていることに、俺は気づいて、なんだか胸がざわついた。
「じゃあ花城!!お互い今日も頑張って修行に励もう!!」
「修行…?」
花城が目を瞬くと、傍にいた先輩らしき女子が花城の肩を抱き寄せた。
「光は足が治るまで柔軟だけよ。」
「なにぃ!?怪我してんのか花城!?大丈夫か!?」
「だ…大丈夫だよ…」
「お大事にしてくだせぇ!!」
「何この子?」
沢村の言葉に笑顔を浮かべる花城。俺の前じゃ笑ったことなんてない。男が怖いって鷹野は言ってたけど…沢村は平気だっていうのか?どうして?
どうして…俺はこんなにイラついてるんだ?