「み…御幸君!」
花城のことが気にかかりながらも、もう夏の予選も始まり、俺は忙しくなった。
そんなある日、意を決したように、飯田が廊下で声をかけてきた。
「お、おはよう。」
「おー…おはよう」
何なんだ…?気まずい。
「あの…昨日、勝ったんだよね!おめでとう。」
「ああ…ありがとう」
「あの…。」
「……?」
「…前、呼び出したじゃん。私。手紙で…」
「…あー、うん…」
「それで…。なんか…ご、ごめんね。逃げちゃって…」
「あー、いや…」
「なんていうか、その、あ、あの子のこと、誤解しちゃって。」
「…はは…」
あー…花城のこと、付き合ってないって俺が否定してたのを聞いて…話に来たのか…。
「…それで…。」
「……。」
「えっと…。…つ、付き合ってないんだよね…?」
「…全然。」
「あ…。」
嬉しそうにほころぶ飯田の顔。だけどここでくぎを刺しておこうと、俺は言葉をつづけた。
「俺…今はそういうの、全然考えてねーからさ」
「……うん。」
「だから…誰かと付き合ったりとか、ないから」
うん、と飯田は大きく頷いて、なぜか微笑んだ。
「そっか…。」
いや…、なんでそんな、嬉しそう…?
「あ、じゃあ…またね。試合頑張ってね。」
飯田はどこか満足そうに去っていった。
…何か誤解とかされてねーよな?…おかしい。
***
花城とは気まずいまま、廊下で見かけても目を逸らされる日々が続き、あっという間に夏休み。
野球一色の毎日になって、花城を想うことはあっても連日試合に出かけていく中で考えることは減っていき、そして、いよいよ青道の夏が終わった。
野球部としての夏が終わっても、まだ夏休みは続いている。
一日のオフを挟んで、また練習の日々に戻る。土日には他校との練習試合も組んでいる。
だけど突然することがなくなったオフには、やっぱり花城の顔が浮かぶ。
…今何してるかな。
家で…涼しい部屋で、宿題でもしてるかな。アイツ真面目そうだし。
いや…それか…どこかに遊びに行ってるかな…夏休みだし。
花城…。…花城…どんな顔してたっけ…
目が…目がすげー綺麗…なんだよな。青くて、まんまるで…まつ毛がすげー長いの…
それで…頬がいつもちょっとピンクで…唇は赤くて、柔らかそうで…
鼻…そう、鼻が…人形かよってくらい、キレイにつんと尖ってて。横顔もすげー綺麗…
あ…そうそう、こんな顔…こんな顔だったな。最近ずっと見てないし…すぐ逃げられるから、ちゃんと顔見たの…いつが最後だったっけ…。
…花城……会いてぇなぁ…。
2学期…夏休みが終わるまで、あとほぼ1か月…?
…長ぇなぁ…
――ガツン。
「……お前大丈夫か?」
「……。」
階段を踏み外しそうになって、咄嗟に手すりを掴んで、サーッと血の気が引いたところに、倉持の呆れた声が降ってきた。
「なに腑抜けてんだよ。」
「…ちょっと考え事してた」
ちゃり、ちゃり、と倉持の手の中で金属がぶつかる音がする。ジュースでも買うために小銭を握ってるんだろう。
「まー何か抜けた感じするよな…部屋も、3年が出て行って広くなったしよ…」
倉持がしみじみ呟く。からかう気にもなれなくて、沈黙を同意とした。5号室は皆1軍で、とくに仲が良かったし…倉持も沢村も増子さんがいなくなって寂しいだろう。
けど俺は、明日から始まる新たな世代の幕開けに、わくわくしてもいる。それはきっと倉持も、他の奴らも同じだ。
そう思いながら、向こうでひたすらにバットを振っている奴らを見た。
寮の自動販売機で、倉持はファンタを買った。俺たちはそのまま当てもなく歩いた。
「まー何にしても、久しぶりのオフはサイコーだぜ……ん?」
すると、学校のほうから裏門に向かって全力疾走してくる袴姿の男…いや、違う、鷹野がいた。
「鷹野じゃん、どしたの?」
「あ!先輩方」
一瞬男かと思った…という言葉は置いておく。鷹野は髪も短くて中性的な顔立ちだし、背も高いしで、袴姿だとぱっと見男にも見える。
「部活?」
「はい!でも、ちょっと急いで家に行かないといけなくて!」
「忘れもんか〜?」
ニヤニヤからかうと、鷹野は首を振った。
「違いますよ!光がピンチなんです!」
「花城?」
「光の着替えが盗まれたんです!」
「は?」
「更衣室に置いておいた着替えが丸々、光のだけ!着替えがなくて光が帰れないから、とりあえず私の服持ってこようと思って…」
家近いし、先生に言って部活抜けてきたんです、と鷹野は言った。
「…ちょっと待ってて」
「え?」
「御幸?」
俺は踵を返し、駆け足で部屋に戻って、干してあったジャージの短パンとTシャツを取り、二人の元に戻った。服を持って戻って来た俺を見て、鷹野と倉持は目を丸くした。
「花城は?」
「…こっちです!」
鷹野は駆け足で、俺たちを案内した。
体育館裏に行くと、階段に座るレオタード姿の花城がいた。
「光ー!御幸先輩たち連れてきたよ!」
花城は驚いた顔で立ち上がり、駆け寄ってくる鷹野を困惑気味に見上げた。
「…なんで?」
…うん。そりゃそうだ。
苦笑いが浮かんだけど、久しぶりに目の前に花城がいて、胸の底から暖かいものが沸いて溢れそうになった。花城、相変わらず綺麗で…少しだけ日に焼けた?それでもまだ白いけど…それに、髪が夏の強い日差しの中でキラキラ輝いてる。
それにしても…やっぱりこの格好、刺激が強い…。
…と、思っていたら、花城は俺から視線を外すように足元を見た。
「ほら」
その目の前に、服を差し出した。二つの青い瞳が俺を見上げ、頬が赤くなった。
「え…。…いいです」
「着替え、ないんだろ?鷹野が取りに行くのも大変だし」
「……。」
「ちゃんと洗ってあるからヘーきだよ」
そう言って服をまた差し出すと、花城はおずおずとそれを受け取った。
「光、着替えてきなよ!」
「…うん」
花城は小さく頷き、遠慮がちな目で俺を見上げた。
「…ありがとうございます」
そして、俺の返事も待たずに、赤くなる顔を俯いて隠して、更衣室の方に走っていった。
「鷹野ももう行きなよ、部活だろ?」
「あ、はい、でも…」
「花城は帰り送ってくよ」
「あ〜…」
鷹野は、にやー、として俺を見た。
「じゃあよろしくお願いしまーす!ふふふふ」
「変な笑い方すんな。早く行け」
鷹野が去っていくと、俺と倉持が残った。
どちらからともなく目を合わせ、所在なく佇む。
「…お前も来るの?」
「あ?お前ひとりで花城さんと帰る気かよ」
「……。」
邪魔者…。
「んだよその顔。」
「別に…」
「人を邪魔者みてーに。花城さんと噂になったからって調子に乗ってんじゃねーぞコラ」
「乗ってねーよ別に」
「どうだか。本当は嬉しいくせによ、堂々と否定もしねーし」
「はぁ?ちゃんと違うって否定してますけど?」
「聞かれたら、だろーが。ほんとはラッキーとか思ってんだろーがよ」
「思ってねーよ」
「よく言うぜ。バレバレなんだよ、てめーが花城さんのこと意識してんのは!」
「…してるけど、だったら何?」
「あっ、認めたな!?お前やっぱ花城さんのこと好き…」
はっ、と倉持が息を飲んだ。その顔を見て、まさか、と思って振り向くと、荷物を胸の前に抱えた、だぼだぼのTシャツと短パン姿の花城が…赤い顔で俺を見上げ、俯いた。俺も一気に熱くなる顔を咄嗟に背けた。
…今…聞かれた…よな!?い、いつから…。いやでももう、肝心のあの言葉は聞かれた…!
俺が花城のことを好きって…
「…い、行くか」
倉持がそう切り出して、俺たちは気まずい空気のまま歩きだした。
「…あの、司は…」
「…部活に行った。」
「俺らが送るよ花城さん!」
なっ、と倉持が俺を見ると、花城は黙って俯いて、俺たちの後をついてきた。…俺の服を着た花城…。…何か興奮する…。
門をくぐると、倉持はソワソワ花城を振り返る。
「花城さん、それ持とうか?」
花城はスクールバッグを肩に下げるのではなく胸の前に抱えたまま歩いていた。抱えるほど重いのかと、俺も気になっていたところだった。
「…平気です」
しかし花城はバッグを抱えなおすように抱きしめて言った。
「でも重そうだし…」
「大丈夫です」
やや意固地にそう言って、花城は体ごと倉持から顔を背けた。
「…たまには素直になれよ。倉持はお前の心配してるんだぞ」
別に倉持の肩を持つつもりはないけど、こっちは花城の心配をしているというのに、花城が相変わらず俺たちを危険な男だというかのような態度をとることが納得できなくて、俺は言った。
「…すみません」
本当にそう思ってるかどうかわからないが、ともかく花城はそう呟いた。
「じゃー荷物持ってもらえよ。こいつが持ちたいって言ってんだから」
「……。」
倉持から睨まれながら花城のバッグに手を伸ばす。
「…いいってば!」
花城は途端にその手を避けた。
「…だ…大丈夫ですから、本当に」
ぎゅっ、とバッグを抱きしめ、こちらを見ないまま花城は言った。
思えば、花城と目が合うことなんてほとんどない。いつも怯えて、警戒して…
俺が何をしたって言うんだよ。
「…お前が男嫌いな理由は知ってるけどさ」
「え?」
倉持が疑問符を浮かべて俺を見たけど、俺は無視して花城を見たまま話を続けた。
「さすがに、助けようとしてんのにそんな態度とられるのは心外なんだけど」
「……。」
花城は俺を見上げ、バツが悪そうに俯いた。
「…そんなつもりじゃ…。」
ぎゅう、とバッグを抱きしめる小さな手に力が篭る。
「お…おい御幸、もういいから…」
「よくない。」
「は?」
「俺と…倉持は怖くて?東条と沢村は平気なわけ?」
「…え?」
「その違いって何?俺と倉持がなんかした?」
花城は不思議そうに俺を見上げ、倉持のこともちらりと見上げ、呟いた。
「…怖くなんて…ないですけど…」
「嘘吐け。お前、全然目ぇ合わねーんだよ」
「……。」
「ほらな。」
俺を見上げた花城が、またすぐに居心地悪そうに目を逸らしたからそう言うと、花城は唇を噛んで…まさか泣くんじゃないかと思いついたとき、倉持が俺をどついた。
「お前花城さんのこと虐めてんじゃねーよ!」
「虐めてねーよ」
「言葉がきつすぎんだよ!いつもいつも!普段ならどうでもいいけど、後輩の女子相手に…」
倉持が言ってる傍から、花城は頬に涙をこぼした。すぐに手で拭って涙を堪える花城を、倉持はあっと息を飲んでみて、俺を睨みつけた。俺もさすがに焦って動揺した。だってまさか、泣かせるつもりなんてなかったし…
「…ほら!謝れよ御幸!」
「だ、大丈夫です」
だけど花城は遮ってそう言うと、また目尻を指先で拭った。
「ご…ごめんな花城さん、こんな人でなしの腹黒の言うことなんか気にすんな…」
なぜか倉持が代わりに謝る始末。おかげで謝るタイミング逃した。だけど倉持がまだ俺を睨んでくるから、俺も勇気を出して手を差し伸べた。
「…悪かったよ。言い過ぎた。お詫びに荷物持つから…」
「いいです」
「……。」
しかし呆気なくそっぽを向かれ、俺は花城が抱きかかえているバッグを掴んだ。
「いいから貸せって!せっかくこっちが歩み寄ってんのになんでそんな頑固なんだよ!」
「離してよ!」
「お前が離せ!俺が持つっつってんだろ!」
「嫌!!」
「おい御幸…」
倉持に呆れられながら、花城のバッグを掴みながら、なんで俺こんなに意地になってんだろ、と頭のどこかで自分に呆れていた。
「なんでそんなに嫌なんだよ!」
「っ…」
俺の手を振り切って、バッグを抱きしめた花城は、顔を赤くして俯いた。また黙り込む気か…そう思った時、花城はうるんだ目を伏せ、赤い顔で、呟いた。
「……。…れた、から…」
「え?何?」
「…し…下、着…も、…盗られたから…!」
「……。」
「……。」
それって…つまり…。
……Tシャツの下…ノーブラ…?
だから、つまり、…透けてて、それを隠してる…ってことか!?
ベシッ、と倉持が無言で俺の後頭部をしばいた。
「いや…ごめん」
「……。」