002

「光〜!」

俺の前の席の女子、鷹野さんと、俺の後ろの席の女子、花城さんは同じ中学出身で仲が良いらしく、入学式の日からよく一緒にいる。今も鷹野さんが立ち上がって、俺の横を通り過ぎ、花城さんに声をかけに行った。

「今日の帰りはどう?」
「大丈夫だよ。」
「やった!じゃ今日にしよ!私ちょっと先輩のとこ顔出してくるけど」
「私も職員室行かないとだから。」
「あ、そっか!じゃ教室で待ってる。」
「うん。」

チャイムが鳴り始め、鷹野さんは教室を出て行った。俺も信二と落ち合うために、バッグを持って席を立つ。

「東条〜部活?」
「うん!」
「頑張れよ〜!」
「ありがとう!また明日!」
「またな〜」

クラスメイトの男子と手を振って、俺は教室を出た。
出たところに、もう俺を待っていた信二が立っていた。ごめん、と言いながら一緒に歩きだそうとした、その時。

「と…東条君。」

聞きなれない女子の声が俺の名前を呼んだ。驚いて振り返ると、その相手が花城さんだったから、さらに驚いた。
驚いたまま言葉も忘れている俺に、花城さんは何かを差し出した。

「これ…落としたよ。」

それは俺のバッグに着けていたキーホルダーだった。

「えっ、あ、ありがとう!」

咄嗟に受け取ろうとして、寸でのところで花城さんの手に触れないよう気を付け、慎重にキーホルダーを受け取った。…けど、指先が一瞬、花城さんの柔らかな手のひらに触れた。
ドキンと心臓が跳ね、急に顔が熱くなってくる。

「…じゃ…。」

花城さんは目を逸らし、うつむき気味のまま俺たちの横を通り抜け、廊下を歩いて行った。

「今の…花城さんだよな?」

信二が俺を小突いた。花城さんと言えば、1年の間で「カワイイ」とすごい噂になっているからだ。昨日の夜も寮で色々聞かれたし…。うん、と頷くと、信二はニヤニヤ俺を見た。

「顔赤いぞ東条〜」
「や…やめろって。」
「でもラッキーじゃん、話せて。普段話すの?」
「いや…全然。花城さん、男子とは全然話さないんだよ」
「ふーん…」

信二は呟き、ぽそりと呟いた。

「噂になるだけあって、やっぱスゲー可愛いな」

俺はその言葉に、なぜだか胸がざわついた。




***



次の日…朝練を終えて教室に行くと、当たり前だけど、花城さんは既に席についていた。
おはよう…とか言うのもおかしいよな?昨日たまたまキーホルダーを拾ってもらうまで、会話したことなかったし…。いやでも、一応席も前後なわけだし、挨拶くらいしても…。

「……。」

…迷いながら席へ行って、荷物を置いて、椅子に座って…もう今更振り向いて挨拶なんてできないって。なにやってんだ俺。

「光〜、ただいま〜」

と、そこへ、どこかへ行っていたらしい鷹野さんが教室に入ってきて、花城さんの席にやって来た。

「おかえり。」
「ね〜そこで変なの拾っちゃった。」
「え?」
「ほらこれ。」
「…マニキュア?」
「誰のかなーと思ったらさ、ほら、野球部って書いてあるんだよー。」

えっ…。
ドキリとして、俺は思わず振り返った。
振り返ると、鷹野さんと花城さんと目が合って、反射的に笑顔を浮かべてしまった。

「それ、野球部って…。」
「え…?うん」

花城さんが持っているマニキュアの小瓶には、確かに油性ペンででかでかと『野球部』と書かれている。

「俺野球部だから、預かるよ。」
「あ、そっかぁ〜、東条君野球部って言ってたね。」
「うん。」

鷹野さんは俺の自己紹介を覚えていてくれたらしく、納得したように言った。俺が差し出した手に、花城さんがそっとマニキュアを置く。

「でもなんで野球部にマニキュアがあるの?」
「ピッチャーとかキャッチャーが使うんだよ。ピッチャーは爪が割れないように補強するためにね。キャッチャーは、ピッチャーにサインが見えやすいように、爪を派手な色にしたりするんだ。これは透明だから、ピッチャー用に使ってる奴だと思うけど」
「へぇ〜!野球ってマニキュア使うんだ。」

二人は感心しながら相槌を打った。
それにしても…俺、花城さんと自然に話せてる!…花城さんと、っていうか、鷹野さんとだけど…

「東条君もつけるの〜?」
「まあ、中学の時はピッチャーやってたから…。最近はボールもなかなか触らせてもらえないから、しばらくしてないけどな。」
「へぇ〜。」

興味津々に聞いてきてくれる鷹野さんの隣で、花城さんは微笑みを浮かべたまま話を聞いている。こうしてみると、本当に可愛いし綺麗で、緊張してしまう。だけど違和感が…。…あ、そうだ、花城さんと目が合わない。

「……。」

…何かそれに気が付くと、花城さん、退屈そうに見えるような…!俺の話に興味ないってことかな…。ぜんぜん喋らないし、俺の顔見ないし、鷹野さんを時々見上げて微笑むだけ。お…俺、嫌われてるのかな…!?

「あ、チャイム!」

HRの開始を告げる鐘が鳴り、鷹野さんは急いで席に着く。花城さんは俯いて机の上のノートを机に仕舞い、とうとう俺と目が合うことはなかった…。ど、どうして…!?



***



「鷹野ー。」

それは花城さんが教室にいない休み時間のことだった。
クラスの男子グループが鷹野さんを呼び、そわそわしながら輪の中に招き入れる。鷹野さんは男女隔てなく仲良くできる社交的なタイプで、その男子グループともよく話してたから、不思議に思って俺は様子を窺った。

「何?」
「あのさー…」

男子たちはちらちら目線を交わしながら、照れくさそうに声を潜めた。

「花城さんって……」

ぼそぼそ言う声の中に、花城さんの名前が聞こえ、そうか、と思った。花城さんのことを聞くなら一番仲が良い鷹野さんに聞くのが確実だ。花城さん、可愛いから、やっぱり気がある男子は多いんだな…。

「んー、男子苦手みたいだからねぇ。」

男子の話を一通り聞いた鷹野さんは、さっぱりした声でそう言った。

「え、なんで?」
「なんでってそれは…」

――ガララ、と教室のドアが開き、花城さんが戻ってきた。男子たちは慌てて口を噤み、花城さんは男子たちと一緒にいる鷹野さんを見て声をかけることなく自分の席に着く。確かに、鷹野さんがいても無関心を通すなんて、男子を避けてるみたいだ…。

「…鷹野!……。」
「…えー?」
「頼むから!」

男子に何か頼まれて嫌な顔をした鷹野さんは、花城さんに近づいた。

「光ー。今日帰り三木達も一緒でいいー?」
「え…。」

そわそわと見守る男子たち。明らかに困惑した顔の花城さん。

「…今日寄るところあるから…一人で帰ろうと思って…」

そして花城さんが言ったのは、どう考えても不自然な理由の断りだった。鷹野さんはちらりと男子たちを振り向いて首を傾げ、花城さんに顔を近づけ、なにやらヒソヒソ話した。男子たちが見守る中、少し話してから、鷹野さんはやっと顔を上げる。

「三木ゴメーン!今日は無理!」
「え〜…わかったよ」

残念そうに花城さんを振り向きながら席に戻る男子たち。花城さんは俯いたまま、決して彼らを見ることはなかった。




***



「クッソ〜…あの人ら、人をこき使いやがって」

夜、信二とパシリのためにコンビニへきて、お菓子の棚の前でぶつぶつ言う信二に「ははは」と笑う。
信二が言う「あの人ら」というのは特定の2,3年生で、よく後輩をパシる人たちだ。名前を挙げるとすると、倉持先輩や麻生先輩、伊佐敷先輩なんかはよく後輩にパシらせる。今日も伊佐敷先輩のパシリで、先輩たちのための夜食を買いに来たのだった。

「これで全部?」
「いやあとひとつあるよ、ほら伊佐敷先輩の…」
「あ〜アレか!」

信二は思い出し、雑誌コーナーへ行って、ニヤニヤしながら漫画雑誌を持ってきた。

「つーか意外だよな〜。あの強面で少女漫画かよw」
「俺もたまに読むけど、結構面白いよ?」
「え!?お前少女漫画なんて持ってたか?」
「いや、クラスの女子が貸してくれる…から…って、ちょっと!顔怖いって」
「もともとだ!つか自慢かよ!これだからイケメンはよ〜!!」
「えぇ…?」

信二は不服気にしながら、自分の分のお菓子を選び始める。
その時、ピロリロリン、と入店音と、いらっしゃいませーという店員の声が響いた。店員の声が俺たちの入店時のそれとは全然違い、明るく弾んでいたことを不思議に思ってつい入って来た客を見て、俺は驚いた。
鷹野さんと花城さんだ…!

「おい、アレ…お前のクラスの…」

信二も気づいたようで、チラチラ二人の方に目配せをする。

「どうしても嫌なのー?」
「嫌って言うか…。」
「もー、光って昔からそうだよね〜。そんなんじゃ彼氏できないぞ!」

か、彼氏?なんか興味を惹かれる話題…。ていうか、花城さん、彼氏いないんだ…。ちょっと嬉しい情報…。

「…別にいいもん」

花城さんが呟き、飲み物コーナーへ向かう二人。

「もったいな〜!せっかく可愛いのに。」
「可愛くないし。」
「またそういうコト言う〜。三木多分アイツ光のこと好きだよ?」
「いやいや。」
「いやいやそーだから絶対。」
「……。レモンティーない」
「話逸らすな!レモンティーはそこ。ねー、ちょっと話してみたら?いい奴だよ三木。ちょっとうるさいけど。」
「……。」
「光ってばー。」
「もういいんだってば…、」
「よくないってぇ〜、…あ。」

振り向いた二人が、ぱたりと足を止めた。一瞬、驚いて丸くなった花城さんの目が、俺の目と視線がぶつかった。初めて目が合った…偶然だけど。それに、すぐ逸らされちゃったけど…。

「あ…あれー、東条君じゃ〜ん…」

話を聞かれたかどうか心配しているのか、鷹野さんは珍しく歯切れ悪く苦笑いして手を振った。

「友達?野球部の人?」
「あ、うん。信二…金丸信二。C組の」
「ども…ッス」
「鷹野で〜す。よろしくね〜」

だけどさすが鷹野さん、すぐに明るく切り替えて信二に挨拶をする。その隣で花城さんは口を噤んだまま、社交辞令的に小さな会釈をした。

「私…買ってくる」
「え?光シュークリームは〜!?」
「いい。」

逃げるようにレジへ向かってしまう花城さん。や、やっぱり俺、避けられてるのかな…。

「ごめんね〜光人見知りなんだよ〜。」

も〜、と冗談交じりに笑う鷹野さんに、そうなんだ、と相槌を打つ。信二は花城さんをちらちら気にしていた。

「いらっしゃいませ!」

やけににこやかに接客する店員にちょっと呆れつつ、俺と信二もカゴを持って花城さんの後ろに並んだ。

「…青道生の方っすよね!」
「……。」

店員は思い切ったように花城さんにそう尋ねたけど、花城さんが俯くように頷いただけで迷惑そうに見えたのか、ばつが悪そうに苦笑して、諦めてレジを終えた。花城さんはレモンティーをもってさっさとコンビニを出て行ってしまい、俺と信二の番が回ってくる。途中で鷹野もレジに並び、ジュースとシュークリームを買うらしかった。
会計を終えてコンビニを出る。パシリの為速やかに寮に戻らなければならない…けど、コンビニの前で一人でいるはずの花城さんの傍に見知らぬ男が二人いるのを見て、俺も信二もつい足を止めた。

「え、今一人?」
「めっちゃカワイ〜。彼氏いる?」

な…なんか、不穏な雰囲気だ…!!
花城さんは委縮してしまったように後ずさり、コンビニ前の車止めに軽くぶつかって、振り向いて…俺と目が合った。…これ…助けるべき…だよね!?でも、余計なお世話かな…いやでも困ってるよな…でも…話したことないし…。…いやそんなこと言ってる場合じゃないよな…!?

「俺らと遊び行かない?」
「近くに楽し―トコあるよ〜。」
「なんか言ってよおねーさん。」

「……。」

よし…い、行くぞ…
そう思ったとき、ガー、と背後の自動ドアが開いた。

「あっ…。」

出てきた鷹野さんが状況に気づき、俺と信二を交互に見た。

「…よし!東条君、君に決めた!行けっ!」
「そ、そんな人をポケモンみたいに…」
「えー!?助けてよ男子ー!」
「い、行くよ!行くけど…」

…正直怖い!あの男の人たち、見るからに柄が悪いし。半分刈り上げた髪はワックスで無造作に流され、夜だというのにサングラスをかけ、口元にはワイルドな無精ひげ、ふたりのうちひとりはTシャツの袖の下から入れ墨らしき模様も見える…。
…でも、花城さんはもっと怖いはずだ。

「…あの!」

意を決して近づき、じろじろと無遠慮に威嚇するように俺を見る二人を見上げながら、花城さんと二人の間に割り込むように入った。

「すいません、友達なんで…もう帰るんで。」

じりじりと下がって、俺の背中に隠れるようにする花城さんを感じ、ますます守らなきゃ、という思いが胸の中に膨らんだ。だけど男たちはくちゃくちゃガムを噛みながら俺をじっと見降ろし、突然大きな声で笑った。

「ぶははは!カッコい〜少年!」
「女の子の前でカッコつけたいオトシゴロだよな〜」

遠慮なく俺の肩をバシバシ叩き、威圧してくる男たち。ど、どうしよう…!めちゃくちゃこわい。

「と…東条!」

と、そこへ、信二も傍に来て俺の横に並んでくれた。二人で花城さんを庇うようにして立ち、じりじり下がる。どうしよう…一旦コンビニの中に逃げるか?そう目配せで信二に伝えようとしたとき、男たちは急に顔から笑みを消した。

「やべっ…」

そう呟き、男たちは突然踵を返して足早に逃げていく。い…いったい何だったんだ?
信二と顔を見合わせたとき、その理由が分かった。

「お前たち、何かあったのか?」

聞き覚えのある低い声。振り向くと同時に、鷹野さんが「あっ」と声を上げる。

「片岡先生!」

か…監督!!
偶然コンビニに来たであろう片岡監督はいつもながら威圧感のある外見で、あの男の人たちが「ヤバイ」と逃げ出したのも頷ける…。けど、助かった…!

「怖い感じの男の人たちが光に声かけてきて〜」

鷹野さんがそう説明すると、監督は花城さんと俺たちを順番に見た。

「花城、大丈夫か?」
「はい…」
「お前たちは?」

顔を見合わせた俺と信二。花城さんを助けました、とは、胸を張って言えないし…俺なんて結局ビビってただけで…

「あの…ふたりとも、間に入って、助けてくれて…」

だけそ花城さんは片岡監督にそう言って、俯いた。ぽっ、と胸の奥が熱くなる。

「そうか、よくやったな、お前たち。」
「い…!いえ!」
「だけど…お前たち、鷹野と花城も、あまり遅くまで出歩くんじゃない。」
「はい…すみません。」
「え〜部活の帰りなんですよぉ!」
「寄り道しないで帰れ。」

素直に謝った花城さんに対し、鷹野さんは口を尖らせて、さらに返ってきた監督の言葉に「む〜」と不満げに眉を寄せた。

「鷹野と花城は家は近いのか?」
「ここから5分くらいです!」
「じゃあ、二人とも送るから…金丸と東条はもう寮に戻っていろ。もうすぐ門限だぞ。」
「は、はい!」

条件反射で視線を正して返事をした俺たちに、鷹野さんと花城さんは目を丸くして、鷹野さんに至っては次の瞬間コロコロ笑い出した。

「え〜なんで二人とも片岡先生が来た途端にそんな礼儀正しくなってるのw」
「……。」
「……。」

い、言うなよ…。

「鷹野、帰るぞ。」
「は〜い!」
「お前たちも寮まで気を付けて帰るんだぞ。」
「はい!」
「し、失礼します!」

鷹野さんにまた少し笑われながら、俺と信二は踵を返して軽い駆け足で寮に帰った。
寮に着くと、溶けたアイスを見た伊佐敷先輩に、こっぴどくどやされたのだった。

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