019

「鷹野。花城いる?」
「えっ」

昼休み、花城の教室へ行くと、廊下で鷹野を見かけ、そう声を掛けた。

「光ですか〜?ちょっと待っててくださいね〜」
「ニヤニヤすんな」
「光〜!御幸先輩が呼んでる〜!」
「大声で呼ぶな…!」

ややあったあと、花城が恥ずかしそうにやって来た。

「うふふふふ。いってらっしゃ〜い!」
「うるせっ」

鷹野に散々からかわれるようにしてそこを離れ、俺と花城は校舎裏に移動した。

「それで、今朝のことだけど」
「……。」
「…何?」

なぜか不思議そうに俺を見つめる花城に、顔が赤くなるのを誤魔化すように尋ねた。

「いえ…。だって、わざわざ…聞きに?」
「そりゃー心配だし。」
「……。」
「それとも、他の誰かにちゃんと相談してるならいいけど。親とか先生とか」
「……。」
「してねーみたいだな。じゃ、俺に話しなさい。」

ベンチに座って隣を叩くと、花城はおずおずとやってきて隣に座った。…少し距離を開けて。

「で…親はどうしてんの?さすがに服がなくなってんだから気付いてるんだろ?」
「……。お父さん…は、あんまり、帰ってこなくて…」
「…母親は?」
「……いません…。」
「……。」

思ってたより…複雑な家みたいだな。

「…そっか。ごめん。」
「……。」
「じゃあ…いつから盗まれたりしてんの?」
「この間の、更衣室が最初で…」
「うん」
「そのあと、夏休み中に2回…家のベランダに干してた洗濯物を…。」
「盗まれた?」
「…多分…。」
「…変なこと聞くけど。それって…下着?」
「……。」

花城は赤くなって、俯いて、小さく頷いた。

「…じゃ…やっぱ変質者か…?」
「……。」
「心当たりは?」
「な…ないです」

花城は頭を振ったけど、昔ストーカーに遭ってたこともある。俺から見てもわきが甘いと思うし、そうでなくてもこれだけの美人だから…変な奴に目をつけられていてもおかしくない。

「警察に行こう。」
「え…。」
「不安なら一緒に行ってやるよ。親に話してないんだろ?確か駅の方に交番があったよな…」
「で、でも…こんなことで…。」
「は!?あのな、立派な犯罪だっつの!今は服盗まれるだけで済んでるけど、犯人はお前の家も知ってるんだぞ!親があんまり帰ってこないって知ったら…」

…襲われるかもしれないんだぞ、と言いかけて、咄嗟に口を噤んだ。だけど、花城はその言葉を察した様子で、苦々しくうつ向いた。

「…今日だったら、練習の後ちょっと時間あるから。相談しに行こう」
「……。」

こくん、と花城は小さく頷いた。



***



「監督、あの…」

部活の前に、俺は急いで監督に会いに行った。

「今日の練習の後、俺ちょっと外出してもいいですか?夕食までには戻ります」
「…どこに行くんだ?」

もっともな質問だ。想定していなかったわけではないが、俺は誤魔化すように笑った。

「あ、えっと…駅の交番に…」
「……。」

サングラスの向こうの鋭い眼光が俺を睨んだ。

「…何をしたんだ?」
「え?違いますよ!付き添いです」
「付き添い?」
「はい。1年の花城光…っていう子が、なんていうかその…」
「花城が?」
「…最近、…下着…とかを盗まれるらしくて」
「……。」

こころなしか、監督の眉間の皴が深くなった。

「ちょっと…家の事情とかも複雑みたいで。警察に相談するよう言ったんですけど、俺が付き添おうかと…」
「…どうしてだ?」
「え?」
「なぜお前なんだ?」
「……。」

そりゃそうだ。俺は花城の身内でも何でもない。じゃあなんだ…彼氏…とでも言えば納得してもらえるのか?いやでも、さすがにそんな嘘をつくのはな…。本当の所を言うと、まあ…花城に気があるから…ってことになるんだろうけど…

「……まあ、いい。わかった。」

じわじわと顔が熱くなる俺を睨んでいた監督が、どこかため息交じりに言った。

「帰りはちゃんと家まで送れよ。」
「あ…はい」
「それと…お前が変な気を起こすんじゃないぞ。」
「監督何言ってるんスか!?」
「不祥事を起こしたら野球部に席はないと思えよ」
「しませんよ!!」



***



「よ、おまたせ」

裏門に行くと、花城はすでにそこに立っていた。俺が近寄ると、体をこちらに向けて、俺と並んで歩きだす。
…そういえば…家に送る以外で花城とこうして歩くの、初めてだな。…って、向かうのは交番だけど。

「…あのさ。言いたくなかったらいいんだけど…」
「…?」
「お母さんがいないって…」
「……。…小さい頃…病気で」
「…そっか。」

俺はポケットに手を突っ込み、前を見た。

「俺と同じだな。」
「え…?」
「うちも俺が小さい頃、母親が亡くなってさ。親父が仕事ばっかりでほとんど家に帰らないもの同じ」
「……。」
「俺がいない間、ちゃんと飯食ってんだか…。」

それまで俯いていた花城が、その俺の一言を聞いた瞬間、驚いたように俺を見上げた。

「何?」
「……い…いえ」

なんでもないです、と呟いて、花城は向こうに顔を向けてしまった。相変わらずほとんど自分のことは話さねーのな。けど、そんな花城に付き添って、俺は今ここにいる。多分、花城の中では俺って、結構近い存在なんじゃないか…なんて期待したりして。家庭の環境も、なんとなく、勝手に親近感を覚えてしまう。

「あ、ここだ…」

俺たちは駅前の交番の前についた。不安そうな花城を横目に、俺は先に引き戸を開けた。

「すいません。相談があるんですけど…」
「はい。どうしましたー?」

中で座っていた警察官が立ち上がり、俺と俺の後から入ってきた花城を見た。

「あれ?あなた…。」

そして、奥に立っていた婦警さんが、花城を見た途端そう言って目を丸くした。

「前にも来た子だよね。」
「…はい」
「え、そうなの?」

振り向いた俺を、花城はちらりと見上げた。

「…中学生の時…」

…あ、もしかしてストーカーの…

「久しぶりね。元気にしてた?あ、そこ座って。」

花城の緊張を解くためか、婦警さんは仕切りに話しかけながら俺たちを座らせた。

「それで、どうしたの?」

花城の顔見知りの婦警さんという事で、相談は順調に進んだ。学校と家、盗まれた場所が違うものの、常習性があること、それからストーカー被害の過去があることもあって、二人の警察官は真剣に話を聞いてくれ、学校と家の捜査、そして近隣のパトロールをしてくれることになった。

「光ちゃん、お父さんは?」

婦警さんが不意にそう尋ねた。その尋ね方には、何か含みを感じた。

「…忙しい…と思います」
「でもね、こういうことがあった以上、保護者の方に話をしないと。いつならおうちにいる?」
「……。」
「帰りは夜遅いの?朝の方がいいかな?」
「……。」

口ごもる花城。俺も親父は、朝早くに仕事へ行って、夜遅くに帰って来る毎日で、ほとんど家にはいなくて…だけどまぁ、すぐ隣の鉄工所が職場だったから、よくベランダから親父の背中を見てたけど。
親の忙しい姿を見て、遠慮する気持ちはわかるけど…事が事だ。花城の父親も、このことを知ったらきっと飛んで帰って来るはず。

「花城。お父さんにも話した方がいいぞ、心配するから」

俺が口を挟むと、婦警さんがうんうんと頷いた。

「お父さん、明日の朝ならいらっしゃる?早い時間だけど、朝私がお話に伺ってもいい?」
「い、いません。」

花城が絞り出すような声で言った。

「…いないって?」
「……。」
「…光ちゃん。お父さんはいつ帰って来るの?」

婦警さんの顔に真剣みが帯びた。俺もなんだか胸がざわつきながら、花城の言葉を待った。

「…わかりません…」

静かな交番内に、花城の声がかすかに響いた。
警察は二人で顔を見合わせ、婦警さんが身を乗り出した。

「お父さんはいつから帰ってないの?」
「……。…2週間前…くらい…」
「……。」

婦警さんがしばし言葉を失った。いくら仕事が忙しいと言っても…未成年の娘をひとり置いてそんなに長い時間帰らないなんて、さすがにおかしい。

「それは…いつも?それとも、今ちょっと長く留守にしているだけ?」
「…大体…何週間か仕事で…出かけて、時々帰ってきて…2,3日すると、また…出かけて」
「……。」

警察官はまた顔を見合わせて、身を起こした。

「…わかった。それはまた後でお話ししよう?今日はもう遅いから。明日からパトロールをするからね。明日学校の方にも連絡します。なるべく誰かと一緒に行動をして、家の戸締りもしっかりね。何かあったらすぐここに電話して。」
「…はい。」
「帰りは大丈夫?」
「あ…俺、送ります」
「そう、よろしくね。」

俺を見て、婦警さんはぱっと微笑んだ。なんだかからかわれた気がして胸がむずがゆくなった。

「ありがとうございました。」
「ありがとうございました…」
「気を付けて。」

交番を後にして、俺は色々なことを考えた。
花城と境遇が似てる、なんて、勝手に親近感を覚えた…けどそれは間違いだった。花城は、俺が思っていたよりももっと、孤独で…。
俺が親父の食事を案じた時に、驚いたように俺を見た花城。多分、父親に対する思いが…違う。
俺は親父がほとんど家に帰ってこなくても、不器用な親父なりに自分を大切にして、案じてくれていることが分かった。甘いものが苦手だと何度言っても、毎年誕生日には必ずショートケーキが買ってあって、レギュラーに選ばれた日や、青道に入学が決まった日なんかは、食卓に寿司が用意してあって…。それにどんなに遅くなろうが、親父が家に帰ってこなかった日など一度もない。夜遅くに帰ってきた親父が、物音を立てないように、そっと俺の部屋のドアを開けて俺が寝ているのを確認していたのも知ってる。だけど、花城は…ほとんどの時間を、本当に一人きりで過ごして…

「…先輩、どこ行くんですか?」
「え…」

気が付けば花城の家の前についていて、花城は門の前に立っていて、俺はそのまま通り過ぎて歩いていくところだった。

「…ぼーっとしてた」

戻ってきて言うと、暗闇の中で花城が少し微笑んだような気がした。

「……。」

何か…。何か言いたい。花城の為に、何か…。

「…番号交換しねぇ?」
「…え?」

…べ、別に、真田に対抗してるわけじゃない。

「ほら…何かあった時に…警察呼ぶほどのことじゃなくても、俺なら相談くらいのるし…」
「……。」

いや…なんか、ズルい言い方してるな、俺…。連絡先知りたいのは、俺の方で、俺の勝手な都合なのに。

「…いや、つーか、教えて。番号」
「……。」

花城の目が瞬いて、手元に視線を落とした。

「……はい」

そして頷いて、俺は飛び上がりそうになった。
花城が携帯を取り出して、電話番号を打ち込む光景が、夢みたいに見えた。

花城光。

電話帳に新しく登録された画面を見て、パタン、と携帯を閉じても、いつまでも目の端がチカチカして、胸の底がふわふわした。

「…じゃ、また明日」

ぺこ、と花城は会釈を返す。

「戸締りしっかりな!」

玄関に入って行く花城に呼びかけると、花城は頷いて、ドアを閉めた後に鍵を二つしめた。
俺は寮に帰る道で、ポケットの中の携帯が、いつもより少し暖かくて、重たくなったように感じた。

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