文化祭が終わり、学校に日常が戻ってきた。
日常に戻ったものの、文化祭の興奮がまだ少し残った学校で、俺は花城のことを考えずにいられなかった。
秋大も始まるというのに…花城のことばかり頭の中に浮かぶ。だって、あの日家に送り届けてから、一度も話してない…。
廊下では何度か見かけた。でも声をかける前に、目も合わせずに花城は行ってしまう。気づいてないのかもしれないと最初は思った。だけど、ばっちり目が合ったのに、ぱっと振り返っていってしまったこともあった。しかも駆け足で。あれで避けられてることを確信した。そして傷ついた…。
気持ちはわかるけど…。気まずいんだろう。
だけど、俺はこのままでは嫌だ。
悶々としながら練習を中断し、水道に顔を洗いに行った。
身が入らないから一度頭を冷やしてスッキリ……
……。
そこには、花城がいた。
なんつー偶然…もしかして運命?
花城は水を勢いよく流して手ですくい、顔を濡らした。
「……。」
花城は顔を手で覆った格好のまましばらく動かず、やがてため息と共に手を話して水道の淵につき、疲れた様子で俯いた。濡れた前髪から雫が滴る。…綺麗だ。
ーーざり、と俺の足元で音がして、花城は弾かれたように顔を上げた。
「…よお。」
「……。」
気づかれては仕方ない。俺が片手を上げていうと、花城は気まずそうに顔を赤くして俯いた。
「部活?」
「…はい」
花城は頷いたついでに会釈をして、そこから逃げようとした。
「お前俺のこと避けてない?」
ぎくり、と花城が立ち止まった。
「……。」
「……。」
「……そ、そんな…ことは…」
「あるだろ。つーか、別にいいけどさ…理由は、なんとなくわかるし…」
「……。」
花城の顔が赤くなった。
「別に俺、誰にも言わないし…」
「わ、わかってます」
「……。」
「……。」
…つーか恥ずかしいのは俺も同じなんだよ。だって女子のせ、生理…とか、興味があるお年頃だし…
でもあんなふうに、スカートが汚れるほど出血するもんだなんて初めて知った。咄嗟に生理だと気づいた自分を褒めたいくらいだ。
「…で、何してたんだ?」
「…え?」
「なんか悩んでるみてーだったけど」
「……。」
俺は水道に歩み寄り、水を出して軽く顔を洗った。俺が顔を上げるのを待って、花城は口を開いた。
「…昨日…また、その…盗られて…」
「また!?今度は何を?」
「…し 下着…」
「え…ベランダに侵入されたってこと?警察は?」
「違うんです…」
「え?」
「洗濯物は…中に、干してて…」
「……は!?…どういうこと?」
「…多分…中に…」
俺はしばらく言葉を失った。
「警察に言った…よな?」
「ま、まだ…」
「はぁ!?何してんだよ!その場で通報だろ!」
「…でも…」
「でも何!?」
「…お お父さんが…怒る…」
から…。と、花城は泣きそうな目でうつむいた。
「…は!?あのな、怒られんのとゴウカ…こ、殺されんのとどっちが嫌なんだよ!?」
「……。」
強姦…という言葉を飲み込んだけど、多分花城もそれはわかっている。
俺は溜息を吐いて自分を落ち着かせ、また花城を見た。
「何で怒られんだよ?」
「…大事にして、騒ぎになるのは…困るって」
「娘が危険なのに?」
「……。」
「つーか父親は何してんの?家にいねーの?」
「…いません」
「……。」
複雑な家だとは思ってたけど…。母親も亡くなってていないんだよな、ああもう、どうすれば…。
「…とりあえず今日警察行くぞ。」
「え…。」
「嫌だっつっても俺が連れていくからな。無理やりでも。」
「……。」
「あと誰か先生に相談しとけ。いいな?」
「…は、はい…」
「本当に分かったか?」
「わ…わかりました」
「じゃあ誰に相談するか俺に言え。」
「……。」
黙り込む花城。まったく…危機感がないんだか何なんだか…
「あのなーお前…」
「御幸君?何してるの?」
呆れて花城を説教しようとしたところで、ちょっと怒ったような礼ちゃんの声がした。
「練習中に女の子とおしゃべり?」
「え、ち、違いますよ。」
キラリ、と眼鏡を光らせる礼ちゃん。
「…そーだ、花城、礼ちゃ…高島先生に相談しとけ。」
「え?」
「……。」
「花城から大事な相談があるそーなんで!高島センセーよろしくお願いします!じゃ、俺は練習に戻りますんで…」
くるりと踵を返し、俺は花城を振り返った。
「花城!部活の後、裏門で待ってろよ。」
「……。」
頷いたような会釈のような動作をした花城に手を振って、俺は練習に戻った。
***
「御幸君。」
練習の後、素早く着替えて裏門へ向かおうとする俺を、礼ちゃんが呼び止めた。
「聞いたわ、花城さんのこと。」
「あぁ…」
「御幸君、前から相談に乗ってあげてたんですってね」
「いや〜…話聞いただけですけどね。正直俺もどうしたらいいかわからなくて」
「そうよね。…交番に相談に行くの?」
「あ、はい。連れていかないとあいつ、ちゃんと行くかどうかわからないんで」
「そう…」
礼ちゃんは真剣な顔で頷いた。
「花城さんにも言ったんだけど、相談が終わったら花城さんを学校につれてきてくれる?」
「え?」
「家は危ないから、しばらく学校の寮にいてもらうことになったのよ。」
「……。」
え…
「……え!?」
「保護者の方にも連絡したんだけど、しばらく帰れないっておっしゃるから…」
「いや…でも寮って…え…寮…!?」
「野球部の寮になるわね。」
「それはそれで危険じゃないすか!?」
「何?御幸君何かするの?」
「は!?しませんよ!!そーじゃなくて男子寮ですよここ!」
「仕方ないわよ。それに花城さんがいる間、私が同室で泊まることにしたから大丈夫よ。」
「ええ…!?」
「心配ならアナタが守ってあげてね。」
「……。」
心配どころの話じゃねーぞ…!!野球部に限らずこの学校の男共が花城をどんな目で見てるかと言ったら…!!
焦る俺を、礼ちゃんはなぜかどこか微笑まし気に見つめた。
「花城さんね、御幸君もいるわよって言ったら、じゃあ行きますって言ってたわよ。」
「…え」
「信頼されてるのね。」
え…は、花城がそんなことを…!?…にわかには信じられない。
「警察に行くんでしょう?早くいかないと門限になっちゃうわよ。」
「…!い、行ってきます…」
***
花城と交番へ行って、以前と同じ婦警さんに相談をし、花城の家に荷物を取りに行って、俺たちは学校に戻ってきた。
「お前さあ〜…大丈夫なの?」
「え?」
校門が見えてきて、俺はまた不安が襲ってきた。
「男子寮だぜ?」
「…他に行くところないんです」
「そりゃ…そーだけど、でもなぁ…」
「御幸先輩もいるし…」
ドキン、と心臓がはねた。
「どーゆー意味で言ってんのそれ…。」
「え?」
「あ!花城!」
校門の傍では、沢村や東条たちが集まっていた。花城が来ることを聞いていたらしい。
「大丈夫か!?襲撃されたんだって!?」
「しゅ、襲撃?」
「ここは安全だからな!!俺らがいるし!!それになによりあの監督の顔見りゃ誰だって逃げ出すぜ!」
「栄純君!」
めちゃくちゃな沢村に、花城は小さく笑った。
「花城、大変だったな」
「東条。」
「わからないことあったら何でも聞いてよ。俺大体信二と外でバット振ってるから」
「うん…ありがとう」
なんか…俺が守る、とか思ってたのに、疎外感。
そういやこいつら花城と仲良かったな…。
それにしても…。
「花城さんだ…」
「しばらくここに住むってマジ?」
「えっ、ヤバくね!?」
「風呂とかどーすんの?」
「ヤバ…」
ニヤニヤ顔の男共が集まってきた…。本当に大丈夫かよこれ…
「姫!お部屋はこちらです」
「姫?」
「あはは!花城ってなんか上品だから」
「東条まで変なこと言う…」
…まあこいつらもいるし…礼ちゃんもいるし。俺もなるべく目ぇ離さないようにしよ…。
***
花城と礼ちゃんは寮の2階の一番奥の空き部屋で寝泊まりすることになった。…俺の隣の部屋なんだけど。
風呂は野球部員が練習中の20分間、食事は野球部員と一緒。
寮生どもがソワソワムラムラ落ち着かない様子で殴りたい。
「あ、花城さん。」
花城を部屋まで案内していくと、部屋には礼ちゃんがいた。
「荷物を置いて、遠慮しないでくつろいでね。もうすぐ夕食の時間で、そのあとみんな順番でお風呂に入るから、私たちは食事の前に入っちゃいましょうか。」
「はい。」
「あなたたちはもう大丈夫だから、戻って。」
ありがとう、と礼ちゃんは暗に男共をおっぱらった。これから二人で風呂に行くからだろう。
…風呂か…。
俺たちはぞろぞろと下に降りていき、沢村は自主練のためグラウンドへ、東条と金丸はいつも通り素振りへ、小湊は宿題があると言い残し部屋に戻った。まだガキなのか押し隠してるのか、花城の風呂を覗こうとする素振りすらなくてアイツらは清々しい。いや、意識はしてるかもしれないけど。普段仲良くしてるだけあって、遠慮が勝るのかもしれない。
さて…俺はどうしよう。部屋に戻るか…でも心配。別に俺は…アレだけど、他の奴が覗こうとしたら…とか。
「何してんの?」
コツン、とバットをつま先で蹴って、倉持がやってきた。
「いや何も…」
「ハァ?あ!つーか聞いた!?花城さんがしばらくウチの寮に泊まるらしい」
「あー…」
「え!?マジなの!?つーかなんでお前知ってんだよ!」
「……。」
「ストーカーに狙われてるってマジか!?でも男子寮に泊まるってヤバくね!?」
「ちょっとお前うるさい…」
「御幸君、倉持君?」
ぎくりとして振り向くと、手提げ袋を抱えた礼ちゃんと花城がいた。
「何してるの?」
「あーいや!いつものように素振りに励もうかと!いつものように!ヒャハハ」
「倉持お前、沢村の馬鹿がうつった?」
「殺すぞ」
花城の前でカッコつけようとした倉持を揶揄うとあっさり本性を表した。
「そう、風邪引かないようにね」
礼ちゃんはそう微笑んで、花城に視線を送り、2人は風呂へ向かっていった。
……なんか、エロい。
「……高島先生と花城さんが風呂入ってると思うとヤベエよな」
ぼそり、と倉持が呟く。
「覗くなよ。」
「のぞっ……しねえよ!!バカか!!」
ちょっとギクッとしたように見えたけど。
「……あ」
ざっ、と砂利を踏む音がして、振り向くと、麻生や関やその他二年の部員たちがバットを手に現れた。
「……よお」
「おう」
「……。」
「……。」
ぞろぞろぞろ、麻生たちは静かに俺と倉持の横を通り過ぎる。……風呂の方向へ向かって。
「お前らどこ行くの?」
ぎくり、と麻生たちは立ち止まった。
「いや…バットでも振るかな〜って…」
「そっち今高島先生たちが風呂入ってるから行かないほうがいいぜ。」
「……。」
麻生たちの顔に緊張が走り、倉持は息を呑んで俺を見て、麻生たちを睨んだ。
「…み、御幸たちこそここでなにしてんだよ」
「何もしてないけど?」
俺と倉持は顔を見合わせ、倉持も頷く。
麻生は思い切ったように、俺に歩み寄った。
「…正直、お前らも気になってんだろ?」
麻生の声が悪魔の囁きに聞こえた。
「どう言う意味?」
「いやいや、だって花城さんだぞ!?大丈夫だって、裏の窓ならバレな…」
「オイ、ふざけんじゃねえよ」
麻生の顔が一瞬で青ざめた。自分でも驚くほど低い声が出た。
「ふざけたことしたら許さねえからな」
「……。」
「…じょ、冗談だって…」
麻生たちは真っ青な顔を引き攣らせ、すごすご帰っていった。
「……。」
倉持は麻生たちがさっていくのを見送って、バットを肩にかけた。
「男子寮なんかあぶねーと思うけどなぁ…」
「……。」
…本当に。恐れていたことが起きつつある。
礼ちゃんも学校も花城も、男子高校生の制欲の底知れなさを全然わかってない。まして、花城なんてめちゃくちゃ美人な女の子…
「…あら?あなたたちまだここにいたの?」
礼ちゃんの声がして振り向くと、風呂上がり特有の艶のある美女2人がそこにいた。
花城…髪が少し濡れてて、真っ白な肌がほんのりピンク色に紅潮してて…やばい、色っぽい。
「覗いてないでしょうね。」
「まさか!むしろ不埒な輩が来ないように見張ってました!はっはっは」
「……。」
倉持が何か言いたげに俺を見る。
「もうすぐ夕食の時間ね。2人とも、花城さんを食堂まで案内してあげて。私ちょっと学校でやることがあるのよ。」
「はーい」
え…、と花城は迷子の子犬のような瞳で俺を見上げた。
「行こうぜ。ソレ部屋に置いてこいよ」
「あ…はい」
花城はうなずいて、寮の方へ向かっていった。その背中を見送って、やっぱり俺は急に心配になって、後を追いかけることにした。