「いいのー?タル。アンに声かけなくて」
「そんなこと言ったって…」

火入れの儀式のあと、宴でごちそうを楽しむ見習い卒業生たち。その中に友人のエルフの少女と歓談している少女をただ眺めているだけのタルを、ジュエルが小突きに来た。

「逆にさあ、今声かけとかないと、明日班に誘い辛くなるよ?」
「班の事は別に…」
「えーっいいの?アンが他の男と同じ班になっても!」
「……。」
「アン、結構男子から人気あるんだからね。知らないよー?どうなっても。」

それはタルも重々承知している。騎士団の男子の中で、アンは可愛いと話題になっている。群島の女に多い気の強さというか、荒々しさが無く、お淑やかで慎ましやかで、あの透き通るような白い肌とはかなげな鳶色の大きな瞳。訓練ではいつも真面目で一生懸命で、その剣術にさえ彼女の品の良さが現れている。いつも剣を振っているというのに彼女の手は白魚のように綺麗で、きっと触れたら柔らかい。

「…よし、行ってくる」
「おっ!頑張れー!」

ベシンと背中にジュエルからの喝を受け、そのはずみのままタルはアンたちの方へと足を踏み出した。

「それでね、削ったチーズをかけて竈に…」
「よ…よお!楽しんでるか?」

なんだかおいしそうな話を中断して、少女たちはタルを振り返った。

「…タル?」

不思議そうにポーラがつぶやいた。タルはポーラともアンとも、見習い時代特別仲良くしていたわけでもないし、この二人の少女は社交的でもない。突然声をかけたのは少し不自然だったかもしれないと、タルはにわかに後悔した。

「い、いよいよ卒業だな!」
「そうですね。」
「いや〜俺、無事卒業できてよかったぜ…」

しかし強引に会話を始めると、二人の少女は小さく笑って相槌を打ってくれて、タルは少し安堵した。

「タル、団長のお話のとき寝てたでしょう?」
「えっ!いや〜つい…長くてな…」

不意にアンが目を細めてそうからかってきたので、タルはドキドキしながら頭をかいて笑った。アンとポーラは顔を見合わせてころころ笑った。

「あっ!アン、いたいた!」

そこへ駆け寄ってきたのは同期のひとりであるエミリーという少女だった。エミリーはとても社交的で友達が多く、騎士団内にとどまらず島民たちともよく交流しているため、ラズリルでも目立つ存在だった。

「ねえ同じ班に入ること考えてくれた?」
「あ、えっと…。ごめん、もう少し待って。」
「え〜まだなの?何をそんなに迷ってるのよ?」

ねぇ?とエミリーは隣のポーラに同意を求めた。

「ポーラはどう?」
「私は、かまいません。他に約束している人もいませんし」
「ほらぁー!ポーラはいいって!」
「う、うん…」
「何〜?それとも一緒の班になりたい人でもいるの?」

アンの顔が赤くなった。すぐに、そういうわけじゃないけど、とはぐらかす彼女の姿を見て、タルは胸がざわついた。

「タル!ちょっと来てくれないか。」

そこへ、慌てた様子のスノウとカイがやってきたので、タルは盛り上がる少女たちを後目に踵を返した。



***



「一応、俺が団長に報告しておくよ。」
「そうだな。」

ケネスの提案にスノウはうなずき、カイとタルも同意するようにうなずいた。
4人は道具屋の手伝いをしているネコボルトのチープーから誘拐事件のことを聞き、少女を海賊から助けてきたのだった。
ケネスとタルが去っていき、スノウとも館の前で別れて、カイは一人で港を歩いていた。まだ広場の方は賑やかな様子だったが宴に戻る気にはならず、少し港を散歩してから自室に戻るつもりだった。
その暗い港に、人の影が見えた。港の階段に腰掛け、月明かりに照らされた水平線を眺めている少女。アンだ。
見習い時代、彼女と話したことはあまりない。訓練で必要な時を除いては。しかし清楚で奥ゆかしい雰囲気の彼女に騎士団内では想いを寄せている男も多く、友人たちと話していると時々話題に上がるため、カイの中には彼女の存在が印象づいていた。それだけではない。ふとした時に感じる視線ーー思い上がりでなければ、時々、彼女に見つめられている気がすることがあった。もちろん、それが好意からの視線であるかどうかということ以前に、その視線も勘違いである可能性もあるのだが…。
少し迷った挙句、カイは少女のそばに行ってみることにした。周りを見る限り、アンはひとりでいるらしいし、だれかと待ち合わせている様子でもない。先ほど少女を誘拐した海賊たちのように、別の不届き者がまだこの辺りをうろついている可能性だってある。

「アン。」
「!」

声をかけてみると、アンは驚いたように立ち上がってカイを見た。カイをみとめてからも、まるでカイに声をかけられたことに心底驚いている様子でしばらく顔を凝視され、カイは少し恥ずかしくなった。

「あ…。カイ…?な、何…?」
「どうしたのかと思って。…ひとり?」

尋ねると、アンは少し面食らったように目を瞬いて、小さくうなずいた。まるで自分の一挙手一投足にいちいち驚いている様子のアンに、カイは内心で首を傾げた。…この子は僕の何にそんなに気を取られているんだろう?何か変なことでもしてしまったかな?
だけど、アンはこんなところで何をしていたのだろう。ひとりで、海なんて見つめて…。

「…食べる?」

後で食べようと思っていたお饅頭を二つ取り出し、一つを差し出すと、アンは目をお饅頭のように真ん丸にして、それからちょっと笑みを浮かべて、おずおずとカイを見た。

「いいの?」

こくり、とうなずいたカイから、アンがお饅頭を受け取った。

「ありがとう。」

それから並んで階段に座り、お饅頭を食べ始めた。

「カイって…お饅頭、好きだよね?」

不意にアンがそんなことを聞いてきたのでカイは少し驚いた。確かに好きだけど、それを公言したことはないし、人から指摘されたのもこれが初めてだったし、ましてやアンは…気安く声をかけるのも躊躇っていた女の子だ。
驚きつつも頷くと、アンは小さくふふと笑った。

「やっぱり…。」

そう呟いて、アンはお饅頭を一口食む。
かわいいな…。不意にそんな気持ちが沸き起こり、カイは少し戸惑った。

「何のお饅頭が一番好き?」
「…えっと…」

なんだろう。何でも好きだけど…一番を決めるならやっぱり…。

「…あん、かな。」
「……。」

隣を見たアンと目が合って、じわじわと顔が熱くなって、カイは慌てて息をのんだ。

「あっ…、えっと…」
「わ、わかってる。わかってるよ。あはは…」

アンはごまかすように笑って、だけど逃げるようにカイから顔をそむけた。

「ごちそうさまでした。」

手を合わせて礼儀正しく言うアン。思えば彼女はいつも、誰に対しても礼儀正しく謙虚で、奥ゆかしい。このあたりの島の人とは少し違う。物静かで、いつも皆から一歩退いていて、目立たないようだけど、でも目を惹かれてしまう存在。それは僕だけなのか…

「それじゃあカイ。おやすみ。」
「…おやすみ。」
「お饅頭ありがとう。」

帰るのか…。笑顔で手を振って、館の方に歩いていくアンの背中を、カイはどこか名残惜しい気持ちで見送った。


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