003


「哲也、走りに行くの?」

夕食後、風呂の前に少し走ろうかとジャージを羽織って部屋から出たところで、おふくろに呼び止められた。

「ああ。」
「じゃあ、ついでに鷹野さんちに回覧板持ってってくれない?」
「…わかった。」

鷹野は隣の家に住む家族だ。3兄弟で、一番上の兄が俺と同い年で、稲実に通っている。2番目の長女が確か、今年青道に入ったはずだ。一番下の弟は将司と同い年だ。
幼いころ、隣の兄弟とはよく遊んだ。

家を出てすぐ隣の家に向かうと、ちょうどインターホンを鳴らそうとしたところで声が響いた。

「結城せんぱーい?」

元気で聞き覚えのあるその声に振り向くと、思った通り鷹野司と、その隣に見知った女子も並んでいた。
花城光。彼女の家も近所で、昔から鷹野と仲が良い。
彼女のことも小さなころから知ってはいるが、家柄からか彼女は幼いころからあまり外に遊びに出てくることはなく、鷹野と一緒にいるときに少し見かける程度だった。その頃もかわいらしくて近所で有名だったが、最近は特に、目を見張るほどの…一瞬言葉を失うほどの美貌に成長した、と思う。

「…鷹野。」

俺は動揺を悟られぬように、回覧板を差し出した。

「ちょうどよかった。これを届けに来たんだ」
「あーすいませーん!お預かりします!」
「…じゃあ、司、私はこれで…」

花城の家はここからもう少し北だ。鷹野の家の前で別れて歩き出そうとした花城の腕を、鷹野が慌ててつかんだ。

「待って待って光!途中まで一緒に行くから!」
「いや…悪いし、いいよ」
「でも危ないし!」
「司だって、帰り一人になっちゃうでしょ」
「私は平気なの!」
「とにかく、いいから」

急に目の前で揉めだした女子たち。押し問答を聞くに、鷹野は花城を一人で帰らせるのが嫌で、花城は鷹野に送ってもらうことに気兼ねしている…。

「…一緒に行こうか」

ぼそり、と提案すると、二人はぴたりと動きを止めて俺を見上げた。

「えー!いいんですかー!?」
「いや、悪いよ、司…」
「ちょうど走ろうとしてたところだから、気にしなくていい」
「……。」
「……。」

鷹野は嬉しそうに笑みを広げ、花城は困ったように眉を下げた。

「いいじゃん来てもらおうよ光!」
「でも…」
「いいですよね先輩!」
「ああ。」
「ほら!」
「……。すみません。」
「いや。もう暗いし、一人じゃ危ない。」

俺が答えると、花城は思いつめたような顔でうつむいて、小さく会釈をした。
三人で歩き始めると、鷹野ばかりが喋っていた。多分、俺と花城だけだったら、この夜道は静まり返っていただろうと思う。

「結城先輩って野球部でしたよね?東条くんって知ってます?」
「ああ、知ってる」
「私たち、同じクラスなんですよー!」
「そうなのか。」

他愛もない話をしながら歩いている間、花城は無口だった。もともと、物静かなイメージではあったが。
しばらく歩いて花城の家が見えてくる。いつみても立派な、煉瓦のお屋敷だ。

「すみません。ありがとうございました。」

花城は門の前で礼儀正しく礼を言った。

「司もありがとう。」
「気にしないでよ、心配だもん!じゃ、気を付けてね!」
「…うん。」

じゃあ、と花城は門の中へ入っていく。彼女の背中が遠ざかるのを見送って、俺と鷹野は踵を返して歩き始めた。

「実は光、最近ストーカーっぽい人に困ってて。」
「え…」

それから鷹野が切り出した話は思いのほか重大な話で、俺は驚いた。

「…そうなのか。」

だからさっき、押し問答になるほど揉めていたのか。

「だから、一人で帰らせるの心配で。家の人もあまり、あてにならない感じだし…」
「……。」

…あんな、豪華な家に住んでいる家族が?
花城は誰もがわかるほどのお嬢様だ。そういう家は、子供を過保護なほど心配するものじゃないのか。
…勝手なイメージだが。実際、小さい頃は、花城はあまり家から出てこなかった。
だけどそういえば、花城の親を、俺はあまり見たことがない。

「なら、俺でよければいつでも言ってくれ。」
「えー!いいんですか?ありがとうございます!」

鷹野は明るく笑って、安堵をその表情に広げた。

「光って、あの通りすごいキレーだから…」

そうつぶやく鷹野の目はキラキラしていて、どこか遠くを見つめている。

「心配なんですよね。変な男が近づいてこないかって。」
「そうなのか。」
「あ!野球部の人も、光のこと野次馬に来てたんですよ!」
「そうなのか?」
「2年の、たしか…倉持と御幸っていう先輩です!東条君に聞きました!」
「あいつらか…。」

そんなことをしていたのか。全然知らなかった。

「軽々しく光に近づくなって言っといてください!」
「…わかった。」
「…本気で光のことが好きな人なら…いいんですけどね。」

ぽつりと鷹野はつぶやいて、小さなため息をつく。
俺は深いわけは聞かずに、静かに相槌を打った。



HOMEtop prevnext
ALICE+