008


「で…どうだったの?例の婚約者…」

昼休み、お弁当を食べ終えて光と廊下で話しているとき、私は切り出した。
数日前、光から「高校を卒業したら結婚するように親から言われた」と聞いたときは驚いた。光の家が普通の家庭とは違うことは昔から知っていたけど、光のお母さんが生きていたころは、ここまで光を束縛している様子はなかったのに。

「うん…普通に、優しい感じの人」

どこか他人事のように答える光。

「何歳くらいの人?」
「今年二十歳だって。」
「てことは…大学生とか?」
「うん。」
「へー…」

5歳年上って…すごく大人に思える。

「…もったいないなぁ〜」
「え?」

私は思わず心の声が漏れてしまって、光を見つめた。
こんなにキレイな女の子が…恋愛一つできないなんて。

「だってせっかく光、モテモテなのにさあ…」
「いや…別に…。」
「速水先輩とはどーなったのよ〜」
「どうもなってないよ。」
「も〜…高校生の間くらい、自由に恋愛してもいいと思うけど…」

光の家のことに、私が口を出してどうにかなるわけじゃないし、出す権利もない。でも、どうせもう卒業後が決まっているからと、光が高校生活を諦めて過ごすのは、親友として悲しい。
高校生活を楽しんで、素敵な人を見つけて、恋愛をしてほしい。

「……。」

光は遠くを見つめるように、廊下の窓の外を眺めている。初夏の風が、光の髪を少し揺らしていて、きらきらさらさらしていて、綺麗な光の横顔をより神秘的にしている。
なんて声をかけようか、と考えたとき、向こうから遠慮気味に近づいてくる人物に胸が躍った。

「あ…光!速水先輩だよ!」
「え…」

光をつつくと、振り返った光に、速水先輩は照れ臭そうに会釈をした。

「なんか…また来ちゃって、ごめん。あんまりメール、返ってこないから」
「……。」

申し訳なさそうに俯く光。

「どーぞどーぞ、お話ししてください!」
「えっ?ちょっと司…」

私はその光の背中を速水先輩のほうへ押しだして、一人で教室のほうへ踵を返した。
速水先輩みたいなイケメンで優しい人と光がいい感じになったら…。
きっとこういうのが青春だよね。

うまくいくといいな。



***



下校時間。
私は光と並んで、校舎沿いの歩道を歩く。

「光〜、今日速水先輩とどうだった?」
「別に…何もないよ。」
「え〜お昼休み何話したの?」
「特に…天気とかの話」
「ええぇ〜…」

速水先輩…モテるだろうに、意外と口下手?
光のほうは積極的に恋愛する気がないから、この二人、進展するの難しいかも。

私がうんうん唸っていると、光は怪訝そうに私を見た。

「なに悩んでるの?」
「どうしたらうまくいくかなって…」
「なにが?」

光は呆れたように笑って、野球部のグラウンドから響いてくる掛け声に気を取られ、グリーンネットに囲まれたグラウンドのほうを見た。

「野球部、まだ練習してるんだねー」
「うん…」

静かに頷いた光の目が、少し動く。まるで何か…誰かを探してるみたいに。

「…ねえ、ちょっと見ていこうよ!」
「え…?」
「ほらほら!」

そんな光を引っ張ってネットの前に立つと、グラウンドの中がよく見えた。
今は自主練習なのか、部員たちが三々五々に散らばって、それぞれ素振りやキャッチボールをしたり、走ったタイムを計ったりしている。

「東条君どこにいるかな?」
「うーん…」

唯一よく知っている部員であるクラスメイトの名前を出してみたけど空返事。光が探しているのは別の人らしい。

それにしても。
歩道には結構人が集まっていて、野球部の練習を見て野次や声援を飛ばしたり、カメラを構えている人もいる。

「結構見に来る人いるんだねぇ。」
「うん…」
「あ、ねぇアレ、メディア関係の人じゃない?」
「え?」

私が指さしたのは、グラウンドにカメラを構えるおじさんと、その隣で何かを熱心にノートに書いている女の人。見るからにメディア関係者だ。

「御幸君、多めに撮っといてくださいね。注目選手ですから」
「もちろんですよ。」

「御幸はプロに行くだろうな〜」
「もうスカウトも目をつけてるっていうしな」
「ケガにだけは気を付けてくれよ〜」

聞こえてくる噂話には御幸先輩の名前が多く出てくる。
…やっぱり御幸先輩って有名なんだなぁ。
ほかには学校のOBらしきおじさんたちや、青道の生徒もちらほらいる。…女子生徒が多い。

「御幸くーん!頑張ってー!」

キャー!と上がる黄色い声援。

「御幸先輩、やっぱ有名人だしモテるんだー」
「……ふうん」
「東条君も言ってたもんね、見に来てる女子がいるって」
「……。」
「でも御幸先輩って、前、光のこと見に来てたよね?」
「やめて。」

からかうように言うと、光は眉を寄せて迷惑そうに私を見上げた。

「あ、あそこにいるのそうじゃない?」

グラウンドのベンチ前にいる、サングラスをかけた野球部員。女子の歓声から逃げるようにそそくさと駆け、こっちに向かって走ってきている。
と、思っているうちに、御幸先輩がこっちを見て、ぱっと笑顔を浮かべた。

「あれ〜花ちゃんじゃん。どうしたの?」

気さくに話しかけてくれる御幸先輩はあきらかに嬉しそうだ。やっぱり光に気があるのかな?というか、こんなに親しかったっけ?

「野球に興味があったとは意外だな〜。」
「友達の付き添いです。」

光はサッと私の後ろに隠れた。

「知り合いなの?」
「馴れ馴れしいの。」
「コラコラ、つめてーこと言うなよ〜」

フン、とそっぽを向く光。私はちょっとびっくりした。こんな風に男子に感情をあらわにする光は初めて見たから。

「どうも、鷹野と申しまーす」
「あぁ、ども」
「御幸先輩ですよね?雑誌で見ました〜」
「あ、あ〜…うん」

御幸先輩はちょっと気恥ずかしそうに頷いた。

「たくさん見に来る人いるんですね、記者とかも」
「あぁ、まぁ、地方予選前だしな」
「あーそっか。そういえば兄も言ってました」
「お兄さん野球部?」
「はい、他校ですけど。まあ、兄は試合にはどうせ出ないんですけど」

2軍なんで、とピースを作って言うと、御幸先輩は苦笑いを浮かべ、ふっと光に視線を移した。

「で…花ちゃんはいつにもまして元気ねーけど、どした?」

え。
御幸先輩、鋭い。
光も図星を突かれたような顔をして固まった。

「…別に、元気ですけど」
「そーなんです元気ないんですよ光!もー心配で心配で」
「ちょっと、司…」

光を抱きしめて御幸先輩に訴えると、おぉ、とちょっと面食らったように目を丸くした後、うーん…と考えるように少し空を見上げ、あっ、とまた私と光を見た。

「今度試合に見来いよ。スカッとさせてやるからさ♡」

親指を立ててそう言った御幸先輩の笑顔はとってもさわやかで。光が息をのんだのが伝わってきた。

「くぉら御幸ィ!!女子と喋ってんじゃねー!!」
「あっ、やべ」

ベンチのほうから御幸先輩を怒鳴りつける目つきの悪い先輩がいる。御幸先輩は肩をすくめるとしぶしぶ踵を返した。

「じゃ、練習戻るわ」

苦笑して足を踏み出す御幸先輩。だけど最後に光をじっと見つめた。

「花城!絶対来いよ。」

まるで光を引っ張り上げるような、その力強い声に。
私の背中まで押された気分になって。

「…大丈夫、私が連れていきますー!」

手を振ってそう宣言すると、御幸先輩はまぶしい笑顔で親指を立て、広い背中をこちらに向けて、走っていった。

「司、なんで…」
「いいじゃん、行こうよ!」

面白そうだし!と光を説得すると、光は唇を結んだ。



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