047
「花城!」
校門の手前で花城に追いつき、肩を掴んで振り向かせると、花城は目に涙を浮かべていた。
「…ごめんなさい…。」
そしてストラップを握る手を見つめて呟いた。手の上に、ぽとりと涙が落ちた。
「花城は悪くないだろ。」
「でも…咄嗟に引っ張っちゃった」
「しょうがないって。気にするなよ。」
「……。」
ぽろぽろ涙をこぼす花城。こんなに悲しまれると、贈った方としては嬉しいやら胸が痛いやら…。
「そんなに大事にしてくれてたなんて、嬉しいよ。」
「……うぅ〜〜〜〜」
「そんな泣く?」
「だって先輩に初めて貰った…。」
「……。」
やっぱ…根は純粋で素直で、可愛いなぁ…
「…貸して。紐取り換えりゃー直るよ。」
「……うん…」
花城から犬のストラップを預かると、花城は少し落ち着いた。
それから帰っていく花城たちを見送って、俺は紐が切れた犬のストラップを見つめた。
***
「それ昨日の?」
翌日の休み時間、犬のストラップの紐を縫い付けていると、倉持が興味津々にやって来た。
「おー。」
「お前器用だな〜。裁縫セットなんか持ち歩いてんの?」
「借りたんだよ」
よし、と糸を切り、新しい紐が付いたストラップを見た。大丈夫そうだ。
「あのあと花城さん大丈夫だったのかよ?」
「大丈夫だよ。」
「スゲーキレてたよな〜多分。顔は笑ってたけど」
「あー、追いかけてったら泣いててさぁ…」
「え!?大丈夫じゃねぇじゃん」
「大丈夫だって、落ち着いたから」
「…そんなに大事なモンだったの?その犬」
倉持は訝しげに犬を見つめた。
「そりゃー大事だよ。」
「へぇ…?なんで?」
「俺がプレゼントしたヤツだからな!」
「……。」
倉持の顔が一瞬で歪んだ。
「詳しい話聞きたい?」
「死んでも聞きたくねぇ」
***
練習の後、俺は直ったストラップの写メを花城に送った。
『直ったよ。今どこにいる?』
この時間でも花城は生徒会で残っていることがあるため、そう尋ねた。するとすぐにメールが返ってきた。
『ありがとう!
今日はもう家に帰ったの。
明日先輩のクラスに行くね』
それもいいかと思ったけど、俺は何となく花城の顔も見たい気分で、提案した。
『もし会えるなら、今から届けに行ってもいいか?』
花城からの返事はすぐに来た。
『待ってる。』
というわけで、俺は花城の家の前までやって来た。電話を鳴らすと、花城は言った通り待っていたように、すぐに電話に出た。
『もしもし。先輩?』
「うん。今門の前にいる」
『じゃあ、そこから西側に回って。』
「え?」
待っててと言われるかと思ったら、そんな指示が返ってきた。言われた通り壁を横手にずっと西側に向かって歩いていくと、ゆるやかな曲がり角を曲がって少ししたところで花城が言った。
『オリーブの木が見える?』
「お…オリーブの木?」
『すごく高い木。2本並んでる』
「ああ…これかな。今ちょうど横に見える」
『じゃあ、そこに立ってて。』
「?」
言われた通りにしていると、前方からタタタタタ、と軽い足音が近づいてきた。
「先輩。」
走ってきた花城を見つけ、俺は通話を切った。
「こっち。」
「え、何?」
ここで話すのかと思ったら、花城は俺の手を引いて歩きだした。そこから少し行ったところに蔦に覆われた壁があり、花城はそこの小さな扉につけられたダイヤル式の鍵を手に取った。
「この鍵はIRISで開くから。」
俺にそんなことを教えちゃっていいのか?花城は鍵を外すと扉を開け、中に足を踏み入れた。
「来て。誰もいないから大丈夫。」
「…お邪魔します」
初めて花城の家の敷地内に入る。そこは森のように木々に覆われていて、少し先に小屋のようなものがあった。上を見上げると、木々の間からお城のような建物も見える。
「先輩。」
花城は小声で俺を呼び、小屋の中に招き入れた。
小屋の中は一部屋しかなくて、小ぢんまりとしていたが、綺麗に整っていた。小さなテーブル、床に敷かれた絨毯とクッション、そして畳まれた毛布。小さい子供の夢の秘密基地みたいだ。
花城はろうそくに火をつけ、テーブルの上に置いた。
「ここは誰も来ないの。」
花城はクッションに座り、俺にも座るよう促しながら言った。
「私が小さい頃、お母さんがプレゼントしてくれた小屋で…私がここにいるときは、皆ほっといてくれるの。」
「…どうして?」
俺は花城の隣に座って尋ねた。
「お母さん…。…一昨年亡くなったから」
「…ごめん」
「ううん。先輩には言っておきたかったの」
「……。」
「それに…ここはほとんど一人で過ごしてた場所だから。家の中の方が、お母さんを思い出す」
呟いた花城の肩を抱くと、花城は俺に身を預けてきた。
「……俺も、母親がいなくてさ」
「え…?そうなの?」
「俺が小さい頃、亡くなったんだ、病気で」
「……。」
辛そうに眉を下げる花城に、大丈夫だと言うように微笑んだ。
それよりも花城とも意外な共通点を見つけ、何か特別なものを感じていた。
「…そうだ、これ。」
「あ…。」
ポケットからストラップを取り出すと、花城は微を綻ばせて大切そうに受け取った。
「ありがとう。」
その笑顔が見れるならなんだってやる…。と、こっそり心の中で呟く。
「お母さんがいなくなってから…ずっと傍に居てくれるのはイリスだけだった」
「イリス?」
「いっくん。本当の名前は、イリス・トーノ=リヒェットっていうんだけど」
「……。」
すげー大層な名前…。
「でも今は先輩もいる。」
花城はそう言って俺を見つめた。俺は微笑んで、花城を見つめ返した。
「……花城。」
囁くと、花城は俺のしようとしていることに気付いたように顔を傾ける。俺はその唇に、そっと唇を重ねた。
…ちゅ、ちゅ…、と音が響く。暗闇にろうそくの灯が揺れ、俺たちの影も揺れる。続けてのキスに、花城は目を閉じたまま俺に身を委ねている。触れるだけのキスから、だんだんと食むようなキスに変わっていく。
胸の奥が高揚感でいっぱいになっていく。緊張しているような、興奮しているような、だけど一種の冷静さも残っている。この状況に夢中になっていることを自覚できる程度には。
花城の吐息。床が軋む音。唇が触れ合う音。自分の心臓の音。
何度目かわからないキス。まだ終わりたくないと言うように、花城は顔を上げる。俺は擦りよせるようなキスをする。ずっと唇がくっついているようなキス。そして、もっと近づきたくなる。
ゆっくりと押し倒すと、花城は受け入れるように俺に抱き着いてきた。大丈夫だ、ちゃんと花城の状態も気にしていられてる。俺の独りよがりじゃない…。
「……。」
唇が離れ、組み敷かれた花城が俺を見つめる。少し怯えるような、だけど覚悟したような目で。
大丈夫だ…。このまま、できるだけ優しく…。まさか今こんな流れになるとは思わなかったけど、俺はずっとこの時に備えて…。
…あ!!
「…どうしたの?」
「……。」
花城を組み敷いたまま固まって動かない俺に、花城はきょとんと尋ねた。
「……だめだ」
「え?」
そしてこれ以上理性を失う前にとにかく離れようと思って起き上がった俺を、花城も起き上がって見つめ、首を傾げる。
「アレ…持ってきてないから」
「アレ?」
「…こ、コンドーム」
「……。」
花城は目を瞬いた後、ハッと思い出したように顔を赤くして、蹲るように膝を抱えた。
「…そ…そっか…」
…あああなんで持って来なかった俺!!!
家の前でちょっと会ってストラップ返すだけだと思ってたから…!あ〜馬鹿!!こんなチャンス滅多にないのに!!
…でも…そっか…ってことは…。花城、今、俺を受け入れるつもりで…。
…あああぁ〜〜〜!後悔してもし足りねぇ…!!!
「……。」
「……。」
ちょっと気まずい空気が流れて、俺たちは顔を見合わせた。
「……。」
「……ふ」
それからちょっと噴き出して、笑い合った。
それから門限ギリギリまで花城と過ごし、俺は走って寮に帰る羽目になった。
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