048


昨日は特別な夜だった。
花城が心を少し開いてくれたような感じがして。
あのろうそくの明かりの中で揺れる自分たちの影も、肌寒い空気の中で吐息と服が擦れる音が響いていたのも、薄暗い中で花城が俺を見上げていた目も…当分頭にこびりついて離れそうにない。

制服に着替えてネクタイを締め、俺はバッグに入れっぱなしにしていた黒い小箱を取り出した。
…今度こそいつそうなってもいいように…。…まあ、一応だ、一応。

そう自分に言い聞かせ、小箱からいくつか小袋を抜き取った。



***



職員室に向かう途中、花城が前を歩いていくのを見つけた。花城も職員室に行くのかもしれない。少しその後姿を見つめてから、俺は花城に駆け寄った。

「よ、おはよう。」

隣に並んだ俺を見上げて、花城は微笑んだ。

「おはよう。」

その頬はほんのり赤く、昨日の夜のことをほうふつとさせる。きっと花城も今、同じことを考えてる。

「職員室?」
「うん。」

頷く花城から香ってくる爽やかな花のような甘い香り。サラサラなびく髪。どうしようもなく触れたくなって、俺はそっと花城の手を掬い取ろうとして――

「あっ、高島先生。」

花城が歩みを速め、俺の手は空を切った。
花城が歩いて行った先には礼ちゃんがいて、不敵に笑いながら俺を見ている。ま、まさか…。

「あなたも可愛いとこあるのね。」
「え?」
「……。」

み、見られてた…!!
花城はきょとんとしている。俺は顔が熱くなった。よりによってこんな瞬間を見られるなんて、恥ずかしい…。

「花城さん、生徒会室の鍵よね?」
「あ、はい。」
「待ってて。」

礼ちゃんは笑みを残して職員室に入って行った。それからすぐに戻ってきて、花城に鍵を手渡した。

「それで御幸君は何の御用?」
「……スコアブックを返しに来ました」
「それはご苦労さま。」

フフフ、とまだ笑いながら、礼ちゃんは職員室に戻った。

「何かあったの?」
「いや…別に…」



***



「花城!」

休憩中、花城たちが帰っていくのを見つけて駆け寄った。

「今帰り?」
「うん。」
「最近早いんだな。」
「1年生が入ったから。」
「あ…そうか。」

じゃあもうあまり、練習後に花城を送るという口実で一緒に歩いたり…はできないのかなー。それに、昨日のこと…。せっかくあの雰囲気になったのに、なかなか人気のない場所で二人きりになるチャンスがない。また家行っていい?なんて聞くのはあからさまだし…

「…?何?」

沈黙する俺に花城は首を傾げた。

「い、いや。気をつけてな。」
「うん。」
「周防も。」

ぺこり、と周防は静かに会釈を返した。

「…あ!そうだ先輩。」
「ん?」

それでもう帰ってしまうかと思ったのに、花城が思い出したように話をし始めて、それだけで俺は嬉しくなった。

「光舟と同室って本当?」
「あ〜。うん、そうだよ。」
「今日光舟から聞いて驚いちゃった。」
「親戚なんだって?」
「うん。」
「すげえ偶然だよな〜。」

そうだよね、と満開の花のように奥ゆかしくも艶やかな笑顔で笑う花城。

「やっぱ俺たちって運命…」
「コラクソキャプテン!!サボってんじゃねぇ!!!」

3年共が嫉妬に狂った怒号を上げた。なんだよ休憩中じゃん、と俺はぼやいた。

「あ、ごめん。邪魔しちゃった」
「いーのいーの、まだ休憩中なんだから…」

「御幸せんぱ〜〜い!!!!」

ゲッ…。こ、この耳障りな声は…。
条件反射で顔をひきつらせたとき、予想通り赤女生が走ってやって来て、ドンと花城にぶつかるように割り込んできた。花城は少しよろけ、周防がすかさず腕を支えた。

「昨日はごめんなさい!!」
「……謝るのは俺じゃなくて、こっちだろ。」
「このおばさんは謝らなくていいって言ったもん。」

俺が花城を見て言うと、赤女生は花城を睨み、また俺を上目づかいで見つめた。…だめだこりゃ。

「そのおばさんっていうのもやめろ。つーか俺はもっと年上なんだけど。」
「やだぁ男と女じゃ違いますよぉ!御幸先輩は大人ですぅ♡」
「……。」

こ、こいつ…話が通じねえ〜〜〜…

「…ごめん、花城、危ないからもう帰って。」
「あ…、うん。」
「夜メールする。」

ごめんな、と手を上げて、花城が分かっているように微笑んで頷いたのを見て安堵した。

「そーそーおばさんは早く帰って!御幸先輩もアヤカと一緒に居たいんだって!」
「んなこと言ってねー。話が通じる方に言っただけだよ」
「あっ先輩どこ行くんですかぁ!?」
「お前も早く帰れ。つーかもう来るな。」

せんぱーい!と甘ったれたキーキー声が背中を追いかけてくる。ぜんぜん堪えてなさそうだだな…。
あ〜もう、めんどくせーのに好かれちまって最悪だ…。



***



「花城、昨日はごめんな」

翌日俺は花城を呼び出して、中庭で話をした。

「ストラップのこともあったし昨日もぶつかってきたし…花城に手出されたらと思って」
「わかってるよ。」

花城は柔らかく微笑み、頷いた。

「知らない子なんでしょ?」
「うん…春から練習見に来てる赤女生がいるなーとは思ってたんだけど、最近騒ぐようになって」
「毎日来てるの?」
「必ずってわけじゃないけど…ほぼ」
「ふうん…」
「見かけてもあんま近づくなよ、何するかわかんねーからな」

ホントあいつ話通じないから、と愚痴る俺を見つめ、花城はまた、ふうん、と相槌を打った。

「…それでどうするの?」
「ほっとくよ、そのうち来なくなるだろ。」
「ふーん…」
「ああいうのは相手しないのが一番だから」
「……。」
「それに向こうは1年だぜ?キツく言って泣かれても嫌だしな。」

俺を見上げていた花城は、にこ、と理解あるように口角を上げた。
普段沢村や降谷といった物分かりの悪い奴らばかり相手にしているから、花城のこういう静かに同意してくれる大人びた反応は安心する。

「御幸先輩は優しいもんね。」

しかし次の瞬間花城が言ったその言葉に、俺は目を瞬いた。

「……ん?」
「あ、予鈴。次音楽室なの。行かなきゃ。」

じゃあね、と花城は足早に校舎に入って行ってしまった。
今の……どういう意味?



***



――つん、つん。

「ん?」

背中をつつかれて振り返ると、そこには誰もいなくて、逆かと向き直してみてもそっちも誰もいなくて、また逆を向くと――

「あはは。」

――堪えきれずに笑い出し、逃げ遅れた花城がいた。こんないたずらするなんて珍しい。胸の奥がくすぐったい。

「なんだよ(笑)」

つられて顔を緩めると、花城の向こうから視線を感じた。

「うわ、倉持が人殺しそうな目してる」
「んだとクソ眼鏡コラ!!!」

爆発しろ!眼鏡割れろ!と呪いをかけながら走り去っていく男ども。
花城は恥ずかしそうに笑って、俺を見上げた。

「これから部活?」
「うん。花城は帰り?」
「うん。」
「一人?周防は?」
「いるよ。あれ?どこだろ」

少し見渡すと、後ろの方で沢村達に捕まっている周防が見つかった。

「周防お前今日も姫と一緒なのか!?護衛か!?ボディガードか!?」
「……。」
「今日も姫の護衛ご苦労!わはははは!」
「……。」
「栄純君やめなよ。周防君呆れてるよ。」

「沢村君に捕まってる。」
「アイツら仲いいの?」
「去年から同じクラスみたいだよ。」

へー、知らなかった。沢村が一方的に絡んでいる気がしなくもないが、仲は悪くなさそうだ。

「あ〜!!ちょっとお!!」

騒々しい声が近づいてきて、何かと思った時には、セーラー服の女子高生が俺と花城の間にぐいーっと割り込んできた。

「御幸先輩に近づかないでよおばさん!」
「お前…また来たのかよ」

うんざりして言うと、花城は俺に目配せをして離れた。行くね、と言うように。
俺が言った通り、この女子高生を刺激しないようにしてくれたのだろう。だけどその瞬間、俺は昼間花城に言われた言葉が蘇った。

『御幸先輩は優しいもんね。』

「…いや、待って。」
「え…?」
「……!!!!!」

花城の手を掴んで引き留めると、赤女生は悲鳴をあげそうな形相になった。俺は構わず、花城の肩を抱き寄せた。

「…あのな。俺は1年近くこの子に片思いして、やっと付き合えたんだ。」
「え…、」
「お前にどうこう言われる筋合いはない。それに…」
「……。」
「練習の見学に来てるわけでもないだろ。邪魔しに来てんならもう来るな。俺らは遊びでやってんじゃねーんだよ。」

「ちょ…、」

言い過ぎでは…、と後ろの方で沢村が呟いた。周りの注目を浴びていることにも気付いていたが、ここで甘い顔をしちゃダメだ。
赤女生は案の定、目に涙を溜め、俯いた。

「……っ」

そしてそのまま、踵を返して走って帰って行った。ちょっと可哀そうだが、あの様子じゃ少なくとも当分は来ないだろう…。

「御幸先輩…」

花城が俺を見上げた。ちょっとは見直してくれたかな…なんて思った瞬間。

「…言い過ぎ。」
「え…。」
「でも、嬉しかった。」

一瞬の落胆の後、花城の微笑みで俺は舞い上がった。

「……。でも、」
「?」

花城はさらに言葉をつづけた。俯いて言葉を躊躇い、俺を上目がちに見上げた。

「一年じゃないかも。」
「え?」

疑問符を浮かべる俺に微笑んで、花城は踵を返して校門を出て行く。その後ろを周防が追いかけて行って、そして…俺はその意味に気付いた。
…花城ももう少し前から、俺のことを…?

「……。」
「うわ!御幸の顔緩み切ってるぞ!!」
「栄純君!御幸先輩、でしょ!」

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