054


「おかえりなさいませ、光臣様…」
「…ただいま」

衣替えのため制服を取りに家に寄ると、使用人がソワソワと俺の顔色を窺っていることに気が付いた。

「何だ?」

荷物を預けながら尋ねると、使用人はしきりに心配そうにしながら口を開いた。

「実は、光臣様にご相談したいことがありまして…。」
「俺に?」

この家の主は光の父親だ。滅多に帰ってこないけど、家のことなら叔父に相談すべきで、俺に相談とは何のことだか想像もつかなかった。

「はい、光お嬢様のことなんですけれど…」

しかしそういわれてにわかに納得した。使用人の間でも叔父が光のことを全く気にかけていないことは周知の事実だし、少なくとも俺は家族の中では一番仲がいいと思われている。

「何だ?」
「それが、最近お嬢様が、奥様のことで心を痛めておられるのではないかと…」
「え?」

光の母親が亡くなったのは2年前。光が中学3年の時だ。まだ最近だし、実際亡くなった時光はひどく落ち込んでいた。しばらくの間にこりともせず誰とも口をきけない時期もあったほどで、さすがに光の父親も心配し、2か月間スイスの別荘で療養させた。家族の中で唯一と言っていい味方が母親だったから無理もない。だけど、高校に入ってからの光は明るくなって、母親の死に囚われるような様子はなかった。なぜ今更?と俺はにわかに疑問を抱いた。

「どうしてそう思うんだ?」
「お嬢様はこの頃、よく離れの小屋でお過ごしになるんです。学校から帰られてから夕食までの時間、ほとんどずっとです。」
「……。」

離れの小屋は光の母親が光のために作らせた小さな小屋だ。幼いころ光はそこで過ごすのが好きだった。

「ふうん…」
「光臣様にならお辛い気持ちを打ち明けることができるかもしれません。お嬢様にお声をかけてみてくださいませんか?」
「別にいいけど…」

「ただいまー」

ちょうどそこへ、光が帰ってきた。あれ、光臣、と呟く様子はいつもと変わらないが…。
使用人は光を出迎えながら、俺にもう一度念を押すように視線を送ってきた。

「今日家に泊まるの?」
「…決めてない」
「夕食は?」
「決めてない」
「早く決めてよ。料理って作るのに時間がかかるんだから。」

階段を上がりながら早速文句を言われつつ、なんて切り出そうか思案する。

「…光が作るのか?」
「今日はミートローフの作り方を教えてもらうの。食べてく?」
「どうしようかな…」
「どういう意味?」

光はムッと俺を睨み、自室のドアを開け、ついてくる俺を振り返った。

「着替えるんだけど。」
「……。」

黙って後ずさると、バタン、と目の前で扉が閉められた。
それから5分もしないうちに、光は新緑色のワンピースに着替え髪をまとめた姿で部屋から出てきて、目を丸くして俺を見た。

「何か話でもあるの?」
「別に…」
「じゃあついてこないでよ。」
「暇なんだよ」
「何しに帰ってきたの?」

呆れた様に光に言われ、そういえば制服を取りに帰って来たんだったと思いだした。まあ、今頃使用人が用意しているはずだ。

「お嬢様!お待ちしていましたよ。」

キッチンに行くと、忙しそうな料理人が両手を広げて光を出迎えた。光は携帯をカウンターに置き、エプロンをつけ、早速調理台に向かった。

「まずは野菜のみじん切りです。今日はニンジン、セロリ、玉ねぎ…」

ふんふん、と頷きながら素直に料理人の話を聞いている光。俺はカウンターに頬杖をついてその様子を眺めた。
やがて光は包丁で野菜を切り始め、料理人は上手だとほめてその場を離れ、俺の方へやって来た。

「お嬢様、とてもご上達したんですよ!今日の夕食が楽しみでございましょう、光臣様。」
「……まぁ」
「そうでしょうそうでしょう!お嬢様は味付けのセンスもよろしくて…」
「ねえ!これはどうすればいいの?」
「ああ!それはですね…」

光に呼ばれ、料理人は慌てて光の元に戻った。ここで夕食を食べていくことになってるけど、まあいいか。
だけど…やっぱり光、落ち込んでいる様子なんてないような…。

そのとき、光の携帯に通知が表示された。

「……?」

メールだ。差出人は御幸一也。『今会える?』と一言。マナーモードになっていて、キッチンは騒がしいため、光は通知に気づいていない。
俺はしばらく考えて、携帯を裏返して置き、キッチンを出た。

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