062
あ…。
生徒会室前の掲示板に掲示物を張っている花城さんの姿を見つけた。生徒会役員…だもんな。この間貼り出されてた、定期試験の各学年上位30名の中にも名前があった。2年は1位が二人いて、しかも二人とも去年と同じ奴だってことで、結構話題になっていた。それが花城さんと…もう一人の生徒会役員の周防だ。
やっぱ優等生なんだな…俺には手の届かない存在。
実際、今すぐそこで背伸びをして掲示板に向かっている横顔も、すぐそこにいるのに、まるではるか向こう側の景色のように思える。大きな崖を隔てた先みたいな、手の届かない場所にあるみたいな。
「…よ。」
崖の上に足を踏み出すような気持ちで声をかけると、花城さんはすぐに振り向いた。
「あ…こ、こんにちは」
「おう」
普通に挨拶を返してくれただけで、胸の奥がふわふわする。
「あれから大丈夫か?」
「え?」
「伊藤のこと」
それを尋ねるためだと自分に言い訳のようなことを考えながら言うと、花城さんはちょっと苦々しい顔になった。
「大丈夫です…」
すみません、とうつむいて、花城さんはどこかを見つめながら、掲示物を貼る作業に戻った。
「本当か?」
「……。」
「あれからまた何かあったのか?誰にも言わねえから、教えてくれよ。」
「…大したことじゃないです」
「ってことは、なんかあったんだろ?」
「大丈夫です」
「…なあ」
「本当に大丈夫なので」
「いや、それ、逆さだけど」
「…え?」
花城さんは画びょうを刺していたポスターを見た。献血啓発のアイドルが微笑んでいるポスターが、上下逆さまに掲示されている。
「……。」
花城さんは黙って顔を赤くして、画びょうを抜き始めた。
「……ぷ…」
「……!」
意外とドジなんだ…花城さん。そう思うとおかしくて小さく噴き出してしまい、花城さんが抗議がましく俺を見上げた。…可愛い…って、そうじゃなくて…
「それで?何があったんだよ。」
「別に…本当に大したことじゃないですから。」
「じゃあいいじゃん、言ってくれよ。」
「……。…睨まれたり…ヒソヒソされるだけです。もう慣れてるし…学年も違うから会うことも少ないし、別に気にしてないです。」
「ふーん…」
「……。」
だけど花城さんは浮かない顔で、俺は何かしてやれることがないかと考えてしまう。俺が伊藤に言っても…無駄だよな。ますます状況が悪くなりそう。じゃあ御幸に言う?…のは、なんだか後ろめたい。別にやましいことはない…はずなのに。いやだって、御幸の彼女のことを俺が口出しするなんて…。なんか、俺が花城さんに気があるっぽいし…。別にそういうのじゃない。…違う。
「…何ですか?」
まだ何か用?とでも言うように、花城さんはちょっと恥ずかしそうに俺を見上げた。さっきポスターを張り間違えたことをまだ根に持っているらしい。
「いや?貼り間違えねーか見張ってやってるだけ。」
「…大丈夫です!」
笑い交じりに、だけどちょっとムキになって言う花城さんに、俺は笑いながらドキドキうるさくなる胸に戸惑っていた。
***
――チャリン。
自販機でジュースを買っていたところ、軽い音がして振り向くと、一人の女子生徒が足元に落とした百円玉を流れるような所作で拾い上げ、立ち上がったところだった。
「…こんにちは。」
立ち上がった花城さんは、少し照れたような微笑でそう言った。
「ちわ…」
可愛い…。胸中でそう呟き、花城さんに自販機の前を譲る。花城さんはしばらく迷うように自販機を見上げ、それからちらりと俺を見上げた。
「…何ですか?」
見すぎてしまったか。俺は少し顔が熱くなるのを感じながら、ごまかすように笑った。
「ヒャハハ。いやー、おしとやかだなーと思って」
「……。」
花城さんは苦笑を浮かべて自販機に視線を戻し、アイスティーを買った。ガコン、と落ちてきたペットボトルを拾い上げ、今度はいたずらっぽい笑顔で俺を見上げる。
「おしとやかなんかじゃないですよ、私」
――ドキ、と心臓が跳ねる。まただ…もうやめてくれ、と誰にともなく頼むような気持ちで、俺はこっそりギュっと息を止めた。
「…最近は?例の件、相変わらず?」
はぐらかすように軽い調子で尋ねると、花城さんは笑顔をぎこちないものに変えて、うーん、と首を傾げた。
「そうですね…。」
「…そっか」
俺が何かしてやろうかと言っても、絶対やめてくれっていうし…もどかしい。
「…話くらいなら聞けるし、辛くなる前に言えよ。」
「……。ありがとうございます。」
花城さんの困ったような笑顔と、曖昧に首を傾げた様子を見て、しまった、と思った。なんか、下心あるようなこと言ってしまった。相手からしたら彼氏の友達…。俺からしても御幸の彼女。深入りしていい関係じゃねぇのに…。
「…じゃ。」
それ以上話を長引かせてはまずい気がして、俺は逃げるように踵を返した。
あーもう、またかよ…何やってんだ俺。なんで花城さんに近づこうと…無意識にしちまうんだ。
***
「それ沢村に渡しといて。」
「ん…」
夜、御幸から本を預かり、空返事をした。沢村は今風呂に行っている。浅田は多分、どっかでパシられている。
「沢村の調子どうよ?」
「ん、まー、悪くないんじゃねぇの?」
「…つーかさ、御幸」
「ん?」
「…どうなんだよ、最近。彼女とは」
唐突すぎたか、御幸は驚いたような顔で俺を振り向いて、開きかけていたドアから手を離した。
「え?何で?」
「いや、なんか…最近彼女んとこあんま行ってねー感じだから」
「はっはっは、何それ?別に普通だけど。」
「…あっそ」
「ま…大会前だし。」
御幸はそう言って、部屋を出て行くでもなくドアを見つめた。忙しいから会ってないだけだってか?でもまだ、夏休みに入ったわけでもない。今まで御幸は、毎日のように昼休みに花城さんに会いに行っていて…だけど最近は、昼休みはいつも教室にいる。ちょうど…そう、定期試験が終わった頃から。
「夏休み入ったらますます会えなくなるんじゃねーの。」
「なんでお前がそんなこと心配してんの?(笑)」
「別に心配なんてしてねーけど。」
「じゃーほっとけ。」
おやすみ、と御幸は軽い調子で言って部屋を出て行った。だけど俺の顔は見ずに部屋を出て行くその背中が、まるで後ろめたく逃げるように見えて…一抹の期待を思い浮かべてしまう自分に、俺は舌打ちをした。
御幸が花城さんとうまくいってないかもなんて…もしかしたらいつか別れるかもしれないなんて…くだらない期待なんてしてんじゃねーよ、俺。最低だろ…。そもそも、何の確証もないのに…。
つーか俺は花城さんのことが好きなのか?最近までまともにしゃべったこともないのに…それに、御幸の彼女なのに?ありえない。ありえないだろ。そんなの。俺の勘違いに決まってる。
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