069


2学期が始まった。
野球部も引退してのびのび…だけどなんとなく物足りない日常。なんだかんだ毎日バットを振ってしまう。
本格的に進路のことを考えないといけないけど、大学に進むつもりはねーし…

「あ!」

向こうから歩いてきた2年の女子が、俺の顔を見て声を上げた。あ、この子はアレだ、夏休みに一緒にプールに行った…

「こんにちはー!」

鷹野だ。相変わらず元気だな。

「おー、ちわ。」
「あのー、光ちゃん見てません?」
「…見てないけど」

急に花城さんの名前が出てきてなぜかぎくりとした。なんだこの後ろめたい気持ち…

「そうですかぁ…わかりました!」

では、と歩き出し、なぜかちょっと焦ったような顔で足を速める鷹野。

「…なんかあったの?」
「え?あ、えーと…」

その苦々しい鷹野の顔を見て、どこか不穏な空気を感じ取った。

「…ちょっと前に…光ちゃんが先輩に呼び出されて…」
「……。」
「それで一緒にどこかに行ったまま、戻らなくて…」
「……先輩って?」
「知らない人です、女の先輩…」

心配をにじませる鷹野に理由を聞きたかったけど、俺はもう直感で一人の人物が思い浮かんでいた。…伊藤。まさかとは思うけど…。

「…見かけたら声掛けるわ」
「あ、ありがとうございます!」

では!と、今度こそ軽い駆け足で鷹野は去っていった。
さて…どうするか…。御幸は今取材受けてていねぇしな…。
…いや、待てよ…確か伊藤達のグループって、よく体育倉庫でたむろして…。……。



***



体育倉庫の前にやってくると、中から話し声が聞こえてきて、いよいよ嫌な予感が増幅した。聞こえるのは女子の話声。何を言ってるかまではよくわからないけど…
花城さんがここにいるという確証はないし、入ってもいいものか…

「…倉持?」

ふいに後ろから声がかかって、振り向くと、そこにはE組の宮口の姿があった。1,2年と柔道部で、先輩を殴ったとかで退部になったという噂の血の気の多い奴で、縦にも横にもデカくて裏でゴリ男と呼ばれている。
宮口は俺を見るなり、えっ、と口元をニヤつかせ、嫌な笑いをこぼした。

「…なんだよ」
「いや?お前も呼ばれたんだ。意外だなーと思ってさ…あいつと仲良いのに」
「は?」

眉を寄せて言うと、宮口ははっと青ざめた。

「何だよ、呼ばれたって」
「あ、いや…」
「あいつって誰だよ?」
「…別に何でもねぇって」
「…お前、誰かに呼ばれてここに来たってことだよな。」
「……。」

宮口の目が泳ぎ、俺の手元や足元、そして体育倉庫のドアを見た。俺は一思いにドアを開けた。

「……!」

目が……
キラキラ光る宝石みたいな青い目が飛び込んできた。
それが花城さんの…泣いている花城さんの目だと分かった時、部屋の中の状況がやっと理解できた。
部屋に突然飛び込んできた俺に呆気に取られて佇んでいる伊藤とその友達の女子が二人、その3人に囲まれるようにして床に座り込んでいる花城さん。

「…何してんだよ」

伊藤と女子、そして宮口の顔を順番に見て訊いてやった。窓の外には絶えず蝉の声がむなしく響き渡っていて、この部屋の静寂を強調した。

「…オイ」

伊藤を睨むと、伊藤は青ざめて目を逸らした。隣の女子たちもだ。

「…まぁまぁ、倉持ちょっと落ち着けよ。」

俺の後ろに立っていた宮口が、その体格を生かして威圧感を放ちながらにじり寄ってきた。

「黙ってるならお前も混ぜてやるからさ。」

その言葉の意味を理解する前に、俺は拳を握っていた。

「ふざけんなテメ…!!」
「く、倉持先輩…」

焦ったような花城さんの震える声が俺を止め、俺は振り返った。
だめ、と小さな口が動き、声にならない声で花城さんは俺を止める。怖くて声も出ないくせに…涙を流しながら…。

「…倉持さぁ」

俺を巻き込もうと、伊藤も宥めるような声で話し出した。

「騒ぐようなことじゃなくない?みんなやってることだよ。」
「…テメーと一緒にすんな」
「こいつだってどうせヤリまくりだって。今更1回や2回ヤッたところで大して変わんないんだからさぁ…」

でしょ?と伊藤が花城さんを見て、花城さんは黙り込んでいて、伊藤は乾いた嘲笑をこぼした。

「…え?何?まさかまだ処女!?」
「……。」

花城さんの顔が赤くなって、伊藤達はバカにしたような笑いを、宮口は気持ち悪いニヤニヤ笑いをこぼした。

「嘘でしょもう何か月付き合ってんの!?あんた女として見られてないんじゃない?」
「……。」

…花城さんと御幸が…まだそういうことをしてない?…って…ここで喜んだら、俺もこいつらと一緒…
じわりと胸に苦いものを感じた俺をよそに、花城さんは伊藤を睨んだ。

「…大切にしてくれてるからです」

……チッ、と伊藤は舌打ちをして花城さんを睨み返した。

「…ウザ。もういいよ宮口、やっちゃいなよ。好きにしていいから」

宮口が俺を押しのけて進み出た。俺はその肩を掴んだ。

「テメェやめろっつってんだよ!!」
「倉持空気読めよ!!お前も黙ってその女犯してりゃいいんだよ!!ほんとはヤリてーんだろ!?」

伊藤のどすの利いた怒鳴り声で花城さんが肩を竦めた。

「宮口早くしろよ!!」
「ふざけんな!!やめろっつってんだよ!!」

伊藤と俺の怒声が響き、花城さんに手を伸ばす宮口を殴ろうと手を振りかぶった。
一瞬脳裏に、中学時代のことがよみがえった。毎日やんちゃばかりして…仲間の為と思っていろんな奴に喧嘩を吹っかけて…気にかけてくれた教師にも、母親にも心配をかけて…進学をダメにして…。
あの頃と今の状況は似ている。もしかしたらまた、進路がダメになるかもしれない。俺を気にかけてくれている球団もある。俺が2年半頑張って積み重ねてきたことが、今やっと評価されている。
でも…振り下ろす手に迷いはなかった。

「――ダメ!!」

だけどその手は宮口の岩のような体ではなく、柔らかな肌を打った。花城さんが飛び込んできて、俺の腕に跳ね返されて尻もちをついた。

「花城さん!!」

蒼白して駆け寄ると、伊藤が後ろで笑いだした。

「…大丈夫です!」

花城さんは狼狽える俺にそう言って、俺の腕を掴んだ。

「絶対殴ったらダメです…」
「けどよ…!」
「ダメです」

怯えてまだ目が濡れているくせに、花城さんはじっと俺を見て強く頭を振った。

「……。」

俺は怒りに震えるこぶしを握り締め、やっとの思いで降ろして――花城さんを支えるようにして立ち上がらせた。

「…どけよ」

宮口は伊藤と俺を迷うように見比べ、部屋の入り口をふさぐように立つ。

「どけよ!!テメェこんなんバレたら警察沙汰だぞ!!わかってんのかよ!!」

しかし俺の怒声でビビったらしく、少し体を横にずらした。
同時に、警察沙汰、という言葉におびえたように、伊藤の友達の女子二人も伊藤を責め始めた。

「…だからやめようって言ったじゃん!」
「は!?何今更」
「私は最初から止めてたし!」
「全部私のせいだっていうのかよ!!」

仲間割れした女子たちをしり目に、俺はかまわず花城さんを連れて体育倉庫を出た。だけど廊下を少し進んだところで、花城さんは力が抜けたように座り込んでしまった。

「…花城さん、大丈夫か…」
「……。」

それから静かに泣き出した花城さんに、胸が苦しくなった。
なんで…こんな思いしてまで、御幸と…。…別れちまえばいいのに…。俺ならもっと…。

「…ごめんなさい…」

花城さんはそのまま少しの間立ち上がれず、泣き続けた。

「…職員室…行こう。さっきのこと話さねーと…」
「……。」
「俺も行くから…絶対言わなきゃだめだぞ」

花城さんは黙って泣きながら、小さく頷いた。



***



伊藤達4人は翌日から停学になり、主犯の伊藤と過去にも問題を起こしたことのある宮口は追って退学処分になるという噂が立った。
高校3年のこの時期に…。進路は絶望的だろう。でも、自業自得だ。
だけど実際にどんな問題を起こしたのかはあまり広まらず、「いじめ問題で」とだけ噂が立った。花城さんへの配慮で、誰にも今回のことを言うなと、俺も教師からくぎを刺された。言うわけないだろ。
そして花城さんは…俺に突き飛ばされたときに手首をひねって捻挫していたにもかかわらず、そのケガは自分でつまずいて転んだせいだと主張し、元ヤンのイメージのある俺は暴力で解決せず偉いと教師から散々褒められて変な気分だった。

「あ…。」

寮の前で、花城さんに出くわした。花城さんもあの騒動の後2日ほど風邪という名目で休んでいたらしく、御幸が心配していた。

「…怪我…」
「あ、大丈夫です、これは…全然」

花城さんは包帯がまかれた手首を撫でて苦笑した。

「でもケガさせちまって…」
「倉持先輩のせいじゃないですよ。」
「いや…」
「気にしないでください。すぐ治りますから」
「……。…ありがとう…あそこまでして、止めてくれて…」

実際…あそこで殴っていたら、俺は進路に影響を及ぼしていたと思う。花城さんを助けるためだろうが、同級生を殴ったなんて騒ぎになれば、きっとどこの球団も拾ってくれない。

「…咄嗟に体が動いてました。倉持先輩は…あんなことで問題になったらもったいないですよ。これから…なんでもできるんですから」
「……。」

なんて器のデカい…。大人だな、花城さんって…。

「あの…本当にありがとうございました…」
「いや…よかった、無事で」
「……。」

花城さんの顔は赤く、悲しそうで、今にも泣きそうに見えた。まだあの時の恐怖がまとわりついているみたいに…

「…御幸待ってんの?」
「え…あ、はい。」
「……。」

昨日も暢気に、花城に会いてーなー、なんて俺たちにのろけていた御幸。花城さんはあのことを御幸にも話していないらしく、花城さんがずっと伊藤からされてきた仕打ちに耐えてきたことすら、あいつは知りもしないで…。
そもそもそれだって、あいつのせいなのに…

「…なんで御幸と付き合ってんの?」
「え…?」

気付けばそんな質問をしていたけど、ひっこめるつもりはなかった。花城さんから理由が聞きたい。御幸じゃなければならない理由が。

「なんでって…。」

花城さんは顔を赤くして俯き、見たこともないようなはにかみ笑いを浮かべた。

「す、好きだから…」
「……。」

だから…その理由が知りて―んだって…。

「な、なんでそんなこと聞くんですか?」

花城さんは照れたように笑いながらそう言ってはぐらかした。

「…倉持先輩?」

花城さんの顔に緊張が浮かんで、俺は自分がにこりともせず彼女の顔を見つめていたことに気が付いた。そして気付いた時にはもう、多分…自分の気持ちなんて花城さんに伝わっちまってるだろうな、とあきらめた。その証拠に…花城さんの顔が赤い。

…好きだ。アイツと別れて。俺と付き合って…

「ま〜た倉持と仲良くしてる〜!」

コラコラコラ!と御幸がずんずん歩いてきて、花城さんの肩を抱いた。

「倉持としゃべっちゃダメ!こいつモテなくて女に飢えてるんだから」
「んだとコラ…」
「あれ…手首どうした?」

御幸が花城さんの手首の包帯に気づき、花城さんは苦笑した。

「ちょっと転んで捻挫…」
「え〜大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫」

心配だよ俺〜、とぐだぐだ花城さんに甘えてベタベタする御幸に腹が立つ。この間花城さんがどんな気持ちで…どんだけ怖い思いしたか…

「じゃ、行こうぜ。倉持、コンビニ行くけどなんかある?」
「…別に」
「あっそ。じゃな」

行こうぜー、と久々に花城さんに会えて上機嫌の御幸と、手をつながれて微笑む花城さん。ふたりはそのまま、コンビニ方面へ歩いて行った。多分あのまま御幸は花城さんを家まで送っていくんだろう。
順調…なんだろうな、多分…。

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