072
夕方花城の家の前まで来て、鷹野さんから預かった封筒を見て、ため息を吐いた。
どーしよ…俺、家の人に会ったらまずいよな?多分…
でも花城、メール見てないみたいで返事ないし…電話も出ないし…
……。…ま、いいか。ようは彼氏だってわざわざ名乗らなきゃいーんだ。
ごくり、と唾を飲み込み、俺はインターフォンを鳴らした。
『はい、どちらさまでしょうか。』
やけにかしこまった男性の声が応答した。…家族…ではなさそう。
「あ、俺…御幸と言います。花城さんに学校の届け物があるんですけど…」
『御幸様でございますね。ご足労いただきありがとうございます。係りの者が向かいますので少しお待ちください。』
「あ、はい…」
…係りの者!?俺はとんでもないところに来てしまったのでは…。
ドキドキしながら待っていると、少しして車の音が近づいてきて、黒い車が門の向こう側に停まった。降りてきたのはまるで映画で見るスーツ姿の使用人のような品のいい男性で、門の隣の扉を開けると俺にニコリと会釈した。
「御幸様、ご足労いただきありがとうございます。どうぞお入りください。」
「す…すみません」
花城…どんだけお嬢様なんだ…!?
俺はそのまま車に乗せられ、並木道を数分走り、庭園のような場所を抜けて、とうとうお城のような洋館の前に車が停まった。
「どうぞ。」
唖然として言葉を失う俺にニコリとほほ笑み、車のドアを開けてくれる運転手。この家…どうなってんだ!?ドーム何個分?都内にこんな家があったとは…。ヤベェだろ。花城んちって真面目に何者…?
「こちらで少々お待ちくださいませ。」
客間であろうか、品の良い調度品と観葉植物と花で飾られた部屋に通され、お茶とお茶菓子まで出され、俺は自分のベッドよりもふかふかなソファに座って、まだ茫然としていた。
花城ってやっぱりすげぇお嬢様なんだな…。花城の婚約には、これだけのことが懸かってる…。…俺にどうにかできんの?
緊張して喉が渇いて、出してもらった紅茶を一口飲むと、今まで感じたことのないくらいの芳醇で爽やかで少し甘い香りが口の中いっぱいに広がった。俺、特に紅茶とかこだわりないし詳しくないけど…このお茶がすげぇ高級だってことはわかる…。
――ガチャ、と、突然無遠慮にドアが開いて、俺は飛び上がりそうになった。
花城…、と思ったのに、そこにいたのは…
「……。」
訝しげに俺を睨んでいるのは、従弟の光臣だった。
「お前…いい度胸してるな、知り合い装って正面から入ってくるとは…」
「ちげぇよ!花城に届け物があるって言ったんだよ」
多分、取り次いだ人が勘違いしたんだろう。単純に男だから男の光臣の友達とでも思ったのかもしれない。
「でもお前確か寮にいるんじゃ…」
「来週から短期留学行くから準備で戻って来たんだよ。」
「…へー…」
さらりと言う事さえ世界が違う。まあ俺も一応、野球留学した身ではあるけど…
「あのさ…」
「……。」
「…花城の体調は?」
光臣はしばらく黙ったまま俺の顔を見て、踵を返した。
「待ってろ。」
そう言い残し、部屋から出て行く光臣。花城を呼んでくれるんだろうか。
俺はソファに座り直し、そわそわと待ち続けた。
すると数分して、コンコン、とドアがノックされた。
「あ…はい!」
花城かな?とドキドキしながら返事をすると、ドアが遠慮がちに開いて…そこにはやっと、花城の姿があった。
花城はドアの影からそっと部屋の中に入り、ドアを静かに閉めた。
「…家に来るなんて…」
「わかってる、ごめん。でも大丈夫、従弟の方の友達だと思われたみたいだから」
「……。」
「これ…届けもん」
封筒を差し出すと、花城はそれを受け取り、中を確認して俺を見た。
「何で先輩がこれ…」
「今日たまたま鷹野さんに会ってさ。家に行くなら持ってってくれって頼まれた」
「……。」
ありがとうございます、と花城はうつむいたまま儀礼的に呟いた。
「体調は?大丈夫?」
「……。」
「メールしたけど見てないみたいだったから…」
「……。」
俯いている花城の頬が、じわり、と赤くなった。
「…あ、見たんだな?メール」
「……。」
「じゃあ電話も気づいてたな?」
「……。」
「何で返事くれなかったんだよ」
「…考えてたんだもん」
悲しそうにむくれて呟く花城を見ると、もう何もかも許してしまいそうになる…。
「で…体調は?」
「…大丈夫」
「ならよかった」
「……。」
「つーか…俺のせいかなって思ってさ」
「え…?ち、違うよ!」
「そー…?」
「今日はちょっと…。……。」
「……?」
「…生理痛…が酷くて…」
「え…あ、そうなんだ…」
恥ずかしそうにつぶやいた花城は、俺の言葉でちょっと顔を赤くした。
「……この間のこと…。」
なんて切り出そうか迷っていたら、花城が先に口を開いた。
「…うん」
「…私も…先輩とずっと…付き合っていけたら、どんなにいいかって…思ってる…」
「……。」
「どうせ…別れるとか……どうでもいいみたいに思ってなんか、ない……」
花城の目がうるうるしてきて、俺はそれに見入りながら、わかってるよ、という思いと、でもどうしようもない悲しさが襲ってきた。
「今日…ここに来てさ」
「…?」
「想像してた以上にスゲー家で…正直ビビった」
「……。」
「わかるよ…お前が慎重になるのも」
「……。」
「気持ちだけじゃ…どうにもならないこともあるよな」
認めたくないけど、それが現実だ。俺は花城のことが好きで、ずっと一緒に居たい。傍にいてほしい。俺の恋人として。だけど…どうすればいいんだろう。…って…バカか俺は…。俺が何とかするって…そう胸を張って言える男だったら…花城はこんなに迷ってない…。
「でも…少し考えさせて」
「……。」
花城の目から涙がこぼれた。また…泣かせちまった。最近ずっとこうだ。
だけど俺は、どうして今日花城に会いにここへ来たのかわからなくなっていた。会って何を伝えようとしていたのか。花城からどんな言葉が聞ければ満足だというのか。ただただ自分の無力さを突き付けられ、やるせない気持ちだ。
だって花城とずっと付き合いたいって、それは、従弟と結婚しないでほしいということ。花城の人生も、この家の事情もすべて、俺の我儘のために曲げてほしいということ。そんなこと言う権利、俺にあるのか?そんな責任を負えるのか?
もし花城が普通の、一般的な家の女の子だったら、きっと普通に付き合って、そしていつか結婚…。そんな都合のいいことを考えてしまう時点で、俺にその資格はない…。
「……。」
花城は唇を震わせて、何かを言おうとした。だけどそれは声にはならず、再び唇は引き結ばれた。
prev next
Back to main nobel