082
「さっきミスコンにゲーノー界のスカウトが来てたらしいよ!」
友人たちと校内をぶらついていると、そんな話が漏れ聞こえてきた。
「えっ?誰か出場者がスカウトされたの!?」
「ううん、見てた生徒だって!ほら、2年の有名な子…」
「花城さん!?」
ぴたり、と足を止めると、友人たちも足を止め、顔を見合わせた。
「花城さん美人だもんね〜」
「それでどうなったの?」
「知らない。体育館出てっちゃったって」
「え〜?」
「……。」
俺が歩き出すと、友人たちも追いかけてきた。
「体育館行くの?」
面白がるように聞いてくる友人。
「もう体育館にはいないだろ。」
そう答えると、顔を見合わせて黙る。
「…でも、花城さんは確かに美人だからなぁ」
「白栄でもぶっちぎりの人気だったしな」
「ホント羨ましいよ、あんな可愛い婚約者がいて」
「……。」
俺はすぐに友人を睨んだ。友人は慌てて青ざめ、申し訳なさそうに口を閉じた。
「…それ、誰にも言うなよ。」
「ご、ごめんって。つい…。…でも白栄じゃ皆知ってたのに、なんで言ったらダメなんだよ?」
「さっきだって彼氏って…アイツ花城さんの彼氏?光臣お前、知ってたの?いいのかよ?」
「別に俺たちは恋人同士じゃない。親に言われて結婚するだけだ。それまでの間に誰と付き合おうと、光の勝手だろ。」
「……でも光臣、お前…」
「何だ?」
もう一度睨むと、何でもないよ、と友人たちは頭を振った。
***
「ただいまー」
夕方いつもより遅い時間に光は帰ってきた。ちょうど階段を降りていた俺と目が合うと、あれ、と無垢な目を丸くした。
「光臣もう来てくれたの?」
「いや。寮に帰るのが面倒だから今日は泊まるだけ。」
「ふーん…」
微笑ましそうに俺たちを見る使用人たちに見守られながら一緒に階段を上がると、光が俺を振り向く。
「いつ帰って来るの?」
「…荷物纏めて、許可も取らないといけないから…」
「できるだけ早く来て。お願い。」
…これで無自覚なのだから恐ろしい。
「…わかったよ」
「絶対だよ?あいつより早く帰ってきてね。」
「わかったって」
お互いの自室の前で別れ、部屋のドアを閉めた。
夕食までまだ時間がある。本を読んで過ごし、数十分すると、使用人が「夕食です」と呼びに来た。
「今日のメインディッシュはお嬢様が作られたんですよ。」
使用人が嬉しそうに耳打ちしてくる。まだ…料理を習っていたのか。そして、メインディッシュを任されるまでになって。
「お料理が随分御上達されて、シェフも驚いています。」
「…そうか」
「素晴らしい奥様になられるでしょうね。」
「……。」
違う。光は俺の為じゃなく…アイツの為に…。アイツの為だから、できるんだ。
「光臣。」
食堂につくと、既に光が席についていた。
「今日のカモ肉の香草焼き、私が作ったんだよ。」
「聞いた。」
「それだけ?驚かないの?」
「別に。」
「えー、酷い。」
頑張ったのに、と光は口を尖らせる。驚くわけない。光が努力したのは知っているし…光ならなんだってできることも、知ってる。なんだって…
料理が運ばれてきて、スプーンを手に取った。じゃがいものビシソワーズ、セロリとオリーブのピクルス、蒸したラディッシュのマスタード添え、そしてカモ肉の香草焼き。
焼き加減も味付けも申し分ない。シェフが作ったほかのメニューと並べても遜色ない。去年の今頃は米の炊き方も知らなかった光が、どれほど努力したことか。あいつのために、全て。
「美味しかった?」
食事を終えてそう尋ねる光に、俺は頷いた。
「ああ。」
「……。」
「何だよ。」
光は目を丸くした。
「光臣が素直に褒めるなんて…」
「別に褒めたわけじゃない。美味いから美味いって言っただけだ」
「……。ふふ」
光は嬉しそうに笑って、そうですか、とからかうように言った。
***
入浴を済ませ、暇を持て余して光の部屋を尋ねると、光は勉強中だった。
「真面目だな。」
「光臣こそ勉強しなくていいの?もうすぐ定期テストでしょ。」
「楽勝。」
「むかつく。」
俺を見もせずに机に向かう光の背後に近づき、机の上のノートを覗き見る。
「なんだ、光もテスト勉強じゃないだろそれ。」
「あ!見ないでよ。」
何かと思えば栄養学の勉強。これも未だに続けていたとは、感心を通り越して驚く。婚約のこと、諦めてるようなことを言ってるけど…やっぱり、本心では…
「…何?」
光はノートを閉じ、不服気に俺を振り向いた。
「…今日聞いたんだけど」
「?」
「光、スカウトされたんだって?芸能界に」
「…誰に聞いたの?」
「通りすがりの奴が話してた。」
光は口を尖らせて顔を背けた。その話はしたくないと言うように。
「なんてスカウトされたんだ?」
「…1年前から探してたって」
「1年前?」
「去年のミスコン、誰かが動画撮ってたみたいで…それを見て?」
「ふうん…」
「これ」
光はスクールバッグから紙きれを取り出した。それは名刺だった。
「それ見て気付いたんだけど、去年も人づてに同じ名刺貰ったんだよね。」
「へえ。じゃあ本当に1年間探してたんだな」
「……。」
「興味あるなら話聞いてみれば?」
「何言ってるの?」
光はため息交じりに笑ってまた机に向かおうとした。
「…俺は光がやりたいことは止めるつもりはないけど。大学進学だって、芸能界だって」
「……。」
「父さんたちは反対するかもしれないけど…俺は光もやりたいことをする権利があると思う。」
それに俺と結婚さえしてしまえば、一応一人前の大人として扱われることになる。良くも悪くも。大人となった娘の行動を、たとえ父親であってもすべて制限することなんてできないだろう。光ももう少し我儘を言うべきなのだ。自分の為に。光の姉のように。
「…私のやりたいことは…」
光は小さな声で呟いた。
「……。…なんでもない」
光のやりたいこと…。多分、あの男のことを考えているんだろう。御幸一也…光が愛している男。光を守るとあの男は言っていた。でも、あの男に一体何ができる?
「…今日、楽しめたか?」
「え?」
「彼氏と文化祭回ったんだろ?」
ほんのり、光の頬が赤くなる。
「……。」
「よかったじゃん。」
「……。」
「もう付き合って…1年くらいだよな。」
「…うん」
「もうキスした?」
「……!」
光は顔を真っ赤にして俺を睨んだ。
「しておけよ。あいつと」
「…え?」
「全部あいつと…しておけよ。本当に好きな奴と」
「……。」
「俺は…必要以上には、お前にそういうことしないから」
光は黙り込んで、俺の顔を窺って、足元に目を逸らした。
「…光臣は…誰か好きな人…いないの?」
その瞳がまた俺を見上げた時、俺はその瞳から目を逸らした。
「いない。」
「結構女の子から人気あるのに。」
「どうでもいい。」
光は不思議そうに俺を見る。何を考えてるかわからない、という顔をして。俺が考えてるのは…ほとんどずっと、光のことばかり。
「キスしてみる?」
「……。…えっ?」
驚いた光の顔を、俺は見つめた。
「何言って…」
「結婚式で、世紀のファーストキス、みたいに気負うのも嫌だろ。」
「なにそれ…」
「別にキスくらい…家族みたいなもんだし。光希にからかわれんのも嫌だし」
「……。」
「どうってことない、って顔で済ませてやりたいだろ。」
光は手元を見つめ、言い返す言葉がないみたいに沈黙した。その動かなくなった赤い唇を見つめる。あの男はこの唇に何度触れたんだろう。そして…彼女の体を、どこまで…。
きっと俺が光を抱くときには…光は男を知っている。あの男を体中に刻んでる。今はどうかわからないけど、どちらにせよ…光が初めて知るのはあの男。そして、きっと一生想い続ける。
「……。」
まだ黙り込んでいる光を見つめ、沈黙を噛みしめた。
「キスくらいどうってことない…」
「……。」
「…って思えなきゃ、この先辛くないか。」
その言葉で、光は顔を上げた。
「…そうかもね」
青い瞳で俺を見上げる。
「じゃあ…してみて。」
少し赤い顔で、誤魔化すような苦笑顔で、光は言う。
俺は平静を装ってちょっと目を逸らして見せたりして、光に顔を近づけた。近づけば近づくほど、光は綺麗で。見惚れてしまう。
「…目閉じてよ。」
光は眉を寄せて言った。
「そっちこそ。」
「……。」
もう唇が触れそうなほど近い。だけど見つめ合ったまま躊躇っていると、光は気づいたように、そして探るように言った。
「…もしかして光臣、初めて…」
その言葉を途切れさせた。唇を塞いで。柔らかな唇の感触を実感すると同時に、頭の中が真っ白になる。
光とキスをした…。それを理解したのは、唇が離れてからだった。
初めてでもわかった。自分のキスがいかに稚拙だったか。きっと光はあの男と何度もしてる。俺に経験がないこともわかったかもしれない。
「……。変な感じだ」
俺はそう呟いて見せるのが精一杯で、光が言葉を迷っているうちに踵を返した。
「風呂に入る」
「……。」
光の部屋を逃げるように出て、思い出した。もう入浴は済んでる。
…慣れなきゃいけないのは俺の方だ…。
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